『未完のヴァレリー』ポール・ヴァレリー(平凡社)
後半は二人の編訳者による長い解説がおさめられている。この解説部分が、本書の一番の読みどころかもしれない。というのは、草稿は草稿であって、決して読みやすくはないからだ。
ヴァレリーはなぜカイエを出版しないのかと聞かれて、「形式は高くつくから」と答えている。ヴァレリーが公刊した作品はいずれもみごとな文体で、みごとに構成されているが、本書におさめられた草稿類には、公刊作品のような「形式」が欠けている。確かに興味深い内容を含んでいるが、パズルを解くようなつもりで、積極的に関与していかないと、読みとおすのは難しいだろう。
まず、1892年に書かれた「死すべきものについての試論」だが、知性による死の克服を目指しているらしい。若書きとしか言いようがないが、いわゆる「知的クーデタ」そのものの内容で、こういうものが「ジェノヴァの危機」の年に書かれていたということは、「ジェノヴァの危機」は実際にあったのだろう。
「マラルメ試論」は、マラルメの亡くなる一年前の1897年に書きはじめられ、放棄されたらしい。メモ、下書き、数段階の草稿が残っているが、本書におさめられたのは編訳者の選んだ「主要部分」ということである。
清水徹は『ヴァレリーの肖像』でこの草稿に論及し、「
一般論を語るだけで、マラルメの詩をその言語要素に分解して、それらの組み合わせ方を再構成可能なまでに明らかにするというはじめの目的にはほとんど近づいていない」と評している。実際に読んでみると、清水の指摘の通りだが、ただ、一般論の部分がなかなか面白いのである。解説でも指摘されているが、構造主義批評の先駆けというべき「詩学講義」の視点がそっくりそのまま先取りされていているのだ。「詩学講義」はロシア・フォルマリズムとほぼ同時期に発表されるが、その20年も前に、ヴァレリーは構造主義=フォルマリズム的視点を確立していたのである。 「注意論」は、本書の中で、もっとも意外なテキストである。沈黙期の真っただ中の1904年に懸賞論文に応募していたというのも意外だが(しかも、未完の状態のまま応募したので、審査すらされなかったらしい)、カントの概念装置を借りて論を進めているのである。
ヴァレリーはマルクスを読んだことは公言していたが、カントを勉強していたとはまさかのまさかである。
ヴァレリーは「エウパリノス」と「魂と舞踏」という美しい対話篇を公刊しているが、その後、「神的ナル事柄ニツイテ」という題名になるはずの対話篇を準備していたらしい。メモと断片が残っているだけで、ざっと読んだだけでは、何を意図した原稿なのか、よくわからないというのが正直なところである。しかし、「想像界としての劇空間」という田上竜也の解説を読んでから、もう一度読みなおしてみると、いろいろな萌芽が発見できて、興味深い。
ヴァレリーといえば、主知主義の代表のようにいわれていたが、最近の研究によると、実は神秘主義に傾倒していて、『若きパルク』の身体性への注目にも神秘主義の影響があるのだという。ヴァレリーは『若きパルク』の成功の後、カトリーヌ・ポッジィという女性と出会い、泥沼の不倫を経験するが、このエロスの経験も、ヴァレリーは神秘主義的に解釈しようとしていたらしい。
そう指摘されれば、思いあたるふしがいろいろある。ヴァレリー全集は何度も読んだが、実はまったく読めていなかったのかもしれない。カイエと草稿を読んだ目で、もう一度、ヴァレリーを読みなおしたくなった。ヴァレリーは未完である。







