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2005年12月31日

『未完のヴァレリー』ポール・ヴァレリー(平凡社)

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 ヴァレリーは半世紀間、毎朝、書き綴ったカイエのほかに、多くの未発表原稿を残したが、本書の前半は、新しい世代のヴァレリー研究者である田上竜也と森本淳生が四篇を選んで訳した草稿集である。「ジェノヴァの危機」の年に書かれた「死すべきものについての試論」にはじまり、沈黙期に書かれた「マラルメ試論」、学士院の懸賞論文に応募した「注意論」、そして文名が上がった後、『エウパリノス』の姉妹編として準備されながら、未完に終わった「神的ナル事柄ニツイテ」と、執筆時期は30年にわたっている。
 後半は二人の編訳者による長い解説がおさめられている。この解説部分が、本書の一番の読みどころかもしれない。というのは、草稿は草稿であって、決して読みやすくはないからだ。
 ヴァレリーはなぜカイエを出版しないのかと聞かれて、「形式は高くつくから」と答えている。ヴァレリーが公刊した作品はいずれもみごとな文体で、みごとに構成されているが、本書におさめられた草稿類には、公刊作品のような「形式」が欠けている。確かに興味深い内容を含んでいるが、パズルを解くようなつもりで、積極的に関与していかないと、読みとおすのは難しいだろう。
 まず、1892年に書かれた「死すべきものについての試論」だが、知性による死の克服を目指しているらしい。若書きとしか言いようがないが、いわゆる「知的クーデタ」そのものの内容で、こういうものが「ジェノヴァの危機」の年に書かれていたということは、「ジェノヴァの危機」は実際にあったのだろう。
 「マラルメ試論」は、マラルメの亡くなる一年前の1897年に書きはじめられ、放棄されたらしい。メモ、下書き、数段階の草稿が残っているが、本書におさめられたのは編訳者の選んだ「主要部分」ということである。
 清水徹は『ヴァレリーの肖像』でこの草稿に論及し、「一般論を語るだけで、マラルメの詩をその言語要素に分解して、それらの組み合わせ方を再構成可能なまでに明らかにするというはじめの目的にはほとんど近づいていない」と評している。実際に読んでみると、清水の指摘の通りだが、ただ、一般論の部分がなかなか面白いのである。解説でも指摘されているが、構造主義批評の先駆けというべき「詩学講義」の視点がそっくりそのまま先取りされていているのだ。「詩学講義」はロシア・フォルマリズムとほぼ同時期に発表されるが、その20年も前に、ヴァレリーは構造主義=フォルマリズム的視点を確立していたのである。  「注意論」は、本書の中で、もっとも意外なテキストである。沈黙期の真っただ中の1904年に懸賞論文に応募していたというのも意外だが(しかも、未完の状態のまま応募したので、審査すらされなかったらしい)、カントの概念装置を借りて論を進めているのである。
 ヴァレリーはマルクスを読んだことは公言していたが、カントを勉強していたとはまさかのまさかである。
 ヴァレリーは「エウパリノス」と「魂と舞踏」という美しい対話篇を公刊しているが、その後、「神的ナル事柄ニツイテ」という題名になるはずの対話篇を準備していたらしい。メモと断片が残っているだけで、ざっと読んだだけでは、何を意図した原稿なのか、よくわからないというのが正直なところである。しかし、「想像界としての劇空間」という田上竜也の解説を読んでから、もう一度読みなおしてみると、いろいろな萌芽が発見できて、興味深い。
 ヴァレリーといえば、主知主義の代表のようにいわれていたが、最近の研究によると、実は神秘主義に傾倒していて、『若きパルク』の身体性への注目にも神秘主義の影響があるのだという。ヴァレリーは『若きパルク』の成功の後、カトリーヌ・ポッジィという女性と出会い、泥沼の不倫を経験するが、このエロスの経験も、ヴァレリーは神秘主義的に解釈しようとしていたらしい。
 そう指摘されれば、思いあたるふしがいろいろある。ヴァレリー全集は何度も読んだが、実はまったく読めていなかったのかもしれない。カイエと草稿を読んだ目で、もう一度、ヴァレリーを読みなおしたくなった。ヴァレリーは未完である。

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2005年12月29日

『ヴァレリーの肖像』清水徹(筑摩書房)

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 作家の原稿には、書きたくて書いた原稿と、注文されて書いた原稿の二種類があり、その比率はさまざまである。
 ポール・ヴァレリーは注文原稿の比率が圧倒的に高い作家として知られてきた。注文原稿が作品の大部分を占めることは、20代の詩作放棄と、文学に復帰してからの文学に対する懐疑的な発言とあいまって、ヴァレリー神話の一画を形成してきた。厖大なカイエと草稿群が刊行されるにおよび、比率が逆転したが、生前公刊分についていえば、書きたくて書き、発表した作品がすくないことに変わりはない。
 清水徹の『ヴァレリーの肖像』は、ヴァレリーの数少ない、書きたくて書いた作品に照準をあわせた評伝(と言っていいのであろう)である。全体は七章にわかれ、第一章は「ナルシス語る」、第三章は「ムッシュー・テストと劇場で」、第四章は「マラルメ試論」(未刊行)、第五章は「若きパルク」、第六章は「ナルシス断章」、第七章は「天使」を論じ、巻末に注文原稿の特質について考察した補章「文筆家としてのヴァレリー」を置いている(「ジェノヴァの危機」神話をあつかった第二章だけは趣きを異にし、メモにすぎない「R夫人関係文書」をあつかう)。
 著者はヌーヴォー・ロマンやヌーヴェル・クリティックの紹介者でもあり、本書は決して生涯から作品を説明した本ではないが、近年の伝記的研究はおさえてあって、いわゆる「ジェノヴァの危機」をあつかったくだりなど、往年のヴァレリー・ファンは啞然とするだろう。失恋体験から決然と文学を放棄し、知性の確立を決断したことになっていたが、そうした神話は有名になってから作られたものだった。20歳の頃、それらしいことはあるにはあったが、失恋といっても妄想的な片恋にすぎず、いわゆる「危機」の後も、うじうじと悩みつづけていたのである。
 しかし、伝記は伝記にすぎない。
 本書の主題は、ナルシスというヴァレリーの生涯のテーマの発展と分岐を追うことにある。ヴァレリーはピエール・ルイスと知りあうすこし前に(ということは、マラルメを読む前に)、「ナルシス語る」の第一稿を書きあげているが、このテーマはマラルメとの出会いによって精密化し、自己意識の注視へと深化し、テスト氏を産みだすことになる。
 テスト氏はマラルメをモデルにしているという説があるが、そうではなかったらしい。著者はヴァレリーがくりかえし言及しているマラルメと完全に意気投合できたと思われた夜の対話を薄皮を剥ぐように分析し、両者の決定的な相違点を明らかにする。ポオの詩論を土台にしている点は同じだが、マラルメがあくまで「完全」を作品の完璧性と解釈するのに対し、ヴァレリーは作品を作る能力があるのに作らないこと、可能性を未発のままにとどめておくことこそが「完全」だという観念に取り憑かれていた。著者はそこまで言っていないが、テスト氏はマラルメの作品概念に対抗する最終兵器だったのかもしれない。
 「ムッシュー・テストと劇場で」は知性の権化のテスト氏が身体に敗北し、眠りに落ちる場面で終わるが、それから20年後、第一次大戦の動乱の中で、ヴァレリーは意識と身体の関係をパルクという若い女性像の造形を通して深めることになる。
 「若いパルク」には蛇が登場する。蛇は副主人公といっていいくらい大きな存在だが、陽根の連想から、パルクを脅かす対立者という解釈がある。しかし、著者は草稿や他の作品の分析によって、蛇はパルクの分裂した一部で、懐疑的な自己意識であることを論証する。蛇とパルクは鏡像関係にあり、パルクはもう一人のナルシス、官能的な肉体をそなえたナルシスにほかならない。
 蛇を除外しても、パルクはさまざまなレベルで自己分裂にさいなまれているが、「調和のとれた私」という語句を、分裂状態と対比した、始原の幸福状態、無垢の状態とする解釈が多い。著者は草稿の研究から、そうした解釈を否定し、「調和のとれた私」が実は死の可能性に気づかない「いつわり」の状態であり、内なる蛇によって分裂を意識した今の自己こそ、真実の自己だと指摘する。著者は逐行的に意味の重なりあいを解きほぐしており、その精密な分析には説得力がある。また、そう解してこそ、パルクの肉体の重層性が浮かびあがってくる。「若きパルク」を腑分けした第五章は本書の白眉である。
 ナルシスのテーマは「ナルシス断章」をへて、未完成に終わった「ナルシス《終曲》」、さらには亡くなる二ヶ月前に決定稿のなった散文詩「天使」へと展開していく。
 中井久夫はラカンとブランショの思想はヴァレリーから出たと断言している。ブランショがヴァレリーの著作を意識していたことはよく知られているが、ラカンとヴァレリーの組合せは意外の感がある。しかし、水鏡するナルシスがヴァレリー生涯のテーマだったことを考えあわせれば、ヴァレリーからラカンに向かう水脈が見えてくるかもしれない。
 「天使」では認識のおよばない領域と、その領域の上で活動する理知の光が讃美されるが、くまなく見ようとすればするほど、見通すことのできない闇が意識されてくるという構造は「ムッシュー・テストと劇場で」や「若きパルク」と同型である。著者の描きだすヴァレリーは水鏡の向こうの闇を見透している。

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2005年12月27日

『若きパルク/魅惑』ポール・ヴァレリー(みすず書房)

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 精神医学者の中井久夫はエッセイの名手であり、詩の翻訳でも知られている。『現代ギリシャ詩選』と『括弧――リッツォス詩集』は名訳の誉れ高く、『カヴァフィス全詩集』は1989年度の読売文学賞を受賞している。
 中井は1995年にポール・ヴァレリーの『若きパルク』と『魅惑』を一冊にまとめて刊行したが、大判の豪華本だったために、少数の読者にしか届かなかった。しかし、一昨年、『若きパルク/魅惑 改訂普及版』として増補され、もとめやすい価格で再刊された。最初の本は重くて読みにくかったが、改訂普及版は普通の大きさで、読みやすい。
 本文には手をいれなかったということであるが、途中の版から『旧詩帖』に移された「セミラミスのアリア」がくわえられている。残念なことに、『若いパルク』の二つの草稿は削られたが、注釈はかなり増補されている。

 『若きパルク』は20年以上、文壇から遠ざかっていたヴァレリーが、第一次大戦の動乱の中、フランス語の伝統を守るために、ペンで戦おうと、気力を奮い起こして書きあげた長編詩である。長らく無名だったヴァレリーは、この一作の成功で、フランス的知性の代表者と目されるようになる。
 中井訳以前に、『若きパルク』の邦訳は岩波文庫の鈴木信太郎訳をはじめとして五つあった(現在はいずれも入手不可)。わたしが読んだことがあるのは鈴木訳、平井啓之訳、井沢義雄訳の三つだが、中井訳は最新の研究を踏まえているだけに、面目を一新している。
 ヴァレリーといえば知の人であり、アポロン的な詩人と考えられてきたが、中井訳のヴァレリーはディオニソス的な相貌を帯びているのだ。
 たとえば、前半の山場の第七節。

思ひ出よ、火あぶり台よ、真っ向から吹きつける黄金の風よ、
吹きつけて、この仮面を拒絶の色の明るい赤で彩れ、
焔と火照るこの私はかつての私であってはならぬ……
私の血も昇って、距離によって荘厳されて聖なる青空になってゐた
色薄いあの辺りをくれなゐにせよ、
かつて崇めた、無感動の時の虹、動かぬ過去の虹彩を!

こんなに狂おしい日本語になったのは、この訳がはじめてではないだろうか。
 夜の昏迷が極まり、死の誘惑が極点に達する第十節はエロチックな詩句からはじまる。

          穢れを知らない私、その膝は
むき出しの膝の怖れの予感に打ち震える……
吹き来る風は私を砕き、鳥は刺し貫く、鎧戸を閉ざした心の闇を、
聞いたことのない奇怪な嬰児あかごの声で……
胸の二つの薔薇を私の息は持ち上げ下ろす。

 中井訳は肉体という主題を重視しており、死の淵から逃れて復活へ向かうくだりも生々しい肉感にあふれている。最後の生命賛歌はこう訳されている。

今、生命の血のたぎる乙女が一人、焔に向かって身を起こす、
陽の光を映す胸の二つの膨らみのきんが深い感謝に輝いて。

 『魅惑』の方も刺激的である。
 『魅惑』は古典的な詩法に厳密に則った、抽象的なアレゴリー詩の詩集だと思っていたが、中井訳で読むと、やけに生々しいのである。特に注釈(「ヴァレリー詩ノート」)をあわせて読むと、生々しさが倍加する。
 たとえば、「失われた美酒」。堀口大學の「われひと日海を旅して/いずこの空の下なりけむ、今は憶えず/美酒少し海に流しぬ/虚無にささぐる贄として」という名訳を読んで以来、古代の儀式を歌った象徴詩だろうと思ってきた。中井によると、「失われた美酒」 Le vin perdu という題名は、第一次大戦の激戦地で、独仏双方で百万人以上の戦死者が出たヴェルダン Verdun のアナグラムになっており、波の底から躍り上がるものとは戦死者たちの魂だというのである。ヴェルダンの戦いの翌年に第一稿のなったこの詩は、百万を超える戦死者の鎮魂の詩という一面があったということになる。
 注釈にはゴシップ的な情報もかなり含まれている。ヴァレリーの貧乏は文壇で有名で、オーディンがそれをからかった詩を作っているとか、1896年のロンドン行で、はからずも英仏の情報戦に巻きこまれ、以後、フランス情報機関からマークされ、陸軍省に勤務するようになったのも、情報機関の関与があった可能性があるとか。『若きパルク』はラシーヌの影響が濃いと言われてきたが、中井によると、英詩の本歌取りが多いそうで、これもへえーである。
 注釈の次には「ヴァレリー詩・ことばノート」という、ヴァレリーの詩的語彙辞典が置かれている。ヴァレリーの詩に横断的に出てくるイメージが五十音順に並べられているが、読み物としても実に面白い。惜しむらくは見出しが中井の訳語になっていること。せっかく原語が併記されているのだから、原語による索引がほしかった。
 この訳詩集は一昔前のヴァレリー像しか知らない者にとっては驚きの連続だろう。小林秀雄以来、ヴァレリーは神棚に祀りあげられてきた感があるが、中井の仕事によって、ようやく現代詩人として読めるようになったといえるのかもしれない。

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2005年12月17日

『ムッシュー・テスト』ポール・ヴァレリー(岩波文庫)

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 意外なことに、この二年間に、ポール・ヴァレリーの本が六冊出版されている。
 まず、二〇〇三年一二月に精神医学者の中井久夫氏訳の『若きパルク/魅惑』(みすず書房)の増補新版が出た。二〇〇四年には清水徹氏による『ムッシュー・テスト』(岩波文庫)の新訳、やはり清水氏による評伝『ヴァレリーの肖像』と、新しい世代の研究者、田上竜也氏と森本淳生氏が未発表原稿を編集・翻訳した『未完のヴァレリー』が出版された。今年、二〇〇五年には東宏治氏と松田浩則氏の共編になる『ヴァレリー・セレクション』が上下二巻本で出て、「方法的制覇」や「精神の危機」、「『パンセ』の一句をめぐる変奏」が手軽に読めるようになった。
 二年間でたった六冊ではないかという人がいるかもしれないが、出版事情の厳しい今、六〇年も前に亡くなった異国の詩人の本がたてつづけに出るのは、やはり異例のことと言ってよいだろう。
 ヴァレリーの本がまた出版されるようになったのには二つ理由があると思う。
 一つはヴァレリー研究が進んだことである。ヴァレリーは「ムッシュー・テスト」を創造するすこし前から、死の直前まで、カイエと呼ばれることになる二万七千ページにおよぶ厖大な日記を書きつづけるが、その全文が一九七〇年頃、ファクシミリ版で公刊され、一九八〇年頃には抜粋版が出版された。また、生前公刊された著作とほぼ同量の草稿と未公刊作品も一九八〇年頃から、パリの国立図書館で閲覧できるようになった。
 こうした未発表原稿から見えてくるヴァレリーは、フランス的知性の体現者という従来のヴァレリー像とはまったく別の顔をしていた。そうした新しい研究の成果がようやく一般読者の手に届けられる段階にいたったのである。
 もう一つは、主義の凋落があると思う。ヴァレリーはパリ解放直後に亡くなり、ド・ゴールは国葬の礼で遇したが、その頃から実存主義とマルクス主義が猖獗を極め、ヴァレリーはたちまち時代遅れと見なされるようになった。その後に、構造主義やポスト構造主義の流行がつづいたことは御存知の通りである。さまざまな主義の大波が寄せては引いていった後の漂着物の散らばる浜辺で、面目を一新したヴァレリー像がふたたび姿をあらわしたというのが、現在の状況ではあるまいか。

 さて、『ムッシュー・テスト』である。これまで小林秀雄、粟津則雄という二大大家によって訳されてきたが、未刊行作品が参照できるようになった現在、既訳は古くなったといわざるをえない。
 清水訳はどこが新しいのか。
 La soirée avec Monsieur Teste は、昭和七年の小林秀雄の初訳以来、「テスト氏との一夜」という邦題で親しまれてきたが、清水訳では「ムッシュー・テストと劇場で」に改められている。解説によれば、「ソワレ」は「マチネ」(昼公演)に対する夜公演のことで、作中に出てくるオペラ座の場面を指していることがあきらかだからだという。
 コロンブスの卵のような指摘だが、これで作品の中心がオペラ座の場面にあることがはっきりした。これまではテストの殺風景な部屋でかわす会話が中心と見なされる傾向が強かったから、重心が大きく移動したことになる。小林秀雄以来、コギトの権化ということになっていたテスト像も、当然、変わらざるをえない。
 オペラ座の場面を見てみよう。

 オペラ座の金色の円柱と一緒に、彼の立ち姿がありありと眼に浮かぶ。円柱ともどもに。
 彼は観客席だけを見つめていた。穴の縁に立って、吹きあげてくる巨大な熱気を吸いこんでいた。彼は真っ赤だった。

 この後、語り手は平土間の温気の底に、女の肌の輝きとたくさんの扇を見ることになる。なにやら身体の火照りが伝わってくるような異様な光景だが、清水は『ヴァレリーの肖像』で、この条を次のように分析する。

 ヴァグナーらしいオペラの官能的な物語と音楽とに揺り動かされた観客のすべてが、感動のあまり、熱中へと溶けこんでいるなかで、ムッシュー・テストだけがただひとり、観桜の魔力に抵抗しながら、劇場を支配する強度の力学を分析し、要素化しようとしている。――そういう彼の努力それ自体が、彼の身体を欲情の場たらしめてしまう。……中略……「穴の縁」に金褐色に直立するムッシュー・テストをイマージュ・ファリックとして読む。――後年、ヴァレリーがこの劇場の情景を版画のかたちで形象化したものが、そういう読解を否定しようもなく許すだろう。

 屹立する陽根のようなテスト(!)。知性そのものが欲望だという認識は、ニーチェやラカンやブランショを読んできた者にはなじみ深い。カイエのヴァレリーは、ニーチェやラカンやブランショに近いところにいたのだ。いや、ニーチェはともかくとして、ラカンとブランショはヴァレリーの胸を借りて、みずからの思考を鍛えていたらしい。
 構造主義やポスト構造主義の嵐が去った今、われわれは思想の本当の土台にふれられるようになったのかもしれない。

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