『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』 ジェフリー・S・ヤング , ウィリアム・L・サイモン (東洋経済新報社)
本書はアップル・コンピュータの創業者、スティーブ・ジョブズの半生記であるとともに、アメリカ最強の産業であるコンピュータ業界とショー・ビジネス界を内側から描いたドキュメンタリーでもある。
ジョブズはコンピュータ業界のカリスマとして知られているが、人を強烈に引きつける反面、性格がすこぶる悪く、毀誉褒貶いちじるしいものがある。翻訳された物だけでも、これまで十指に余る本が出版されているが、本書も面白すぎるくらい面白い。
ジョブズは未婚の母の子として生まれ、すぐに養子に出されるが、二一歳でアップル社を創業し、同社をわずか四年で「フォーチュン500」に名を連ねる企業にする。しかし、あまりにも早く成功者となったために、増上慢のあげく、自分が作った会社を追放同然に去ることになる。
それから十三年後、ジョブズは倒産寸前のアップル社に復帰し、みごとに経営を立てなおす。目下、アップル社は絶好調で、iTMSで販売した曲が一億曲を突破したとか、iPodのアメリカでのシェアが90%を突破したとか、マッキントッシュ関連の売上が前年比20%も伸びているとか、景気のいい話に事欠かないが、それはこの数年の話で、ついこの間までは青息吐息だったのだ。
アップル社の復活は奇跡に近いが、それ以上に奇跡的なのはジョブズの復活である。
ジョブズはアップル社を去った後、マッキントッシュを越えるコンピュータを作ろうと、ネクスト・コンピュータ社を創業する。その一方、ジョージ・ルーカス監督からルーカス・スタジオのコンピュータ・グラフィック部門を買取り、ピクサー社を設立する。ネクスト社も、ピクサー社も、十年間、利益らしい利益を生まず、ジョブズは個人資産をつぎこむだけだった。
さすがの資産も尽き、いよいよ身売りかというところで、大逆転が起こる。次世代マッキントッシュの開発に失敗したアップル社がネクスト社を買収、同社のNESTSTEPをMacOSⅩにし、それとともに、ジョブズの復帰が決まったからだ。ピクサー社の方も、世界最初の長編デジタル・アニメーション『トイ・ストーリー』がヒットし、つづく作品も工業収益の記録をぬりかえる成果をあげ、今やハリウッドの一角を占める勢いだ。
本書は五百ページの大冊だが、アップル社創業時代を描いた第一部に二百ページ、追放時代の第二部に百五十ページ、復帰以降の第三部に百五十ページをあてている。
アップル創業時代の話はさんざん読んできたが、本書の第一部は追放と復帰という大枠の中で書かれているので、コンパクトにまとまっている。奇行の一つとして語られがちだった禅への傾倒が真面目なものとしてあつかわれているのは、ジョブズが五十歳になった今も変わらず禅をつづけているからだろう。
ジョブズにリサという名前の娘がいて、その名前がマッキントッシュの原型となった製品の名前になったことは知っていたが、ジョブズが彼女の認知を拒んでいたことは知らなかった。ジョブズは自分が私生児だということに悩んでいたのに、ガールフレンドに妊娠を告げられると彼女を捨て、自分の娘を私生児にしていたのだ。しかも、大富豪になっていたのに、あれこれ理由をつけて養育費を払おうとしなかった(今は認知をして、関係がよいそうだが)。
追放時代と復帰時代は一つのストーリーとして読むのははじめてだが、失敗から学んで、人間が円くなったわけではなかった。アップル社時代と同じ傲慢さをネクスト社やピクサー社でも発揮していたのである。ネクスト社の創業メンバーはジョブズに振りまわされたあげく、全員退職していたし、ピクサー社の大黒柱というべき技術者も、ジョブズに断りなく黒板を使ったというだけの理由で馘になっている。ジョブズはいつまでもジョブズなのである。
先見性があったわけでもない。ネクスト立ちあげの時、多くの人がIBM互換機の上で動くOSを作るべきで、独自マシンを作ったら失敗すると予言していた。実際、その通りになった。鳴り物入りで登場した黒い立方体の瀟洒なマシンはろくに売れず、ネクスト社はハードウェア部門をキヤノンに売却し、NEXTSTEPというOSを売るソフト会社として生き残りをはかることになる。
ピクサー社でも、ジョブズは勘違いをしていた。ジョブズはピクサー社を、画像処理用コンピュータを製造販売するメーカーだと思いこんでいたというのだ。映画会社をカメラ・メーカーと勘違いするようなものである。
ジョブズはピクサー製コンピュータをなんとか売ろうとしたが、そんな特殊なコンピュータの需要は限られており、採算がとれるはずはなかった。ピクサー社は毎月毎月赤字を出しつづけ、ジョブズの資産は減る一方だった。
最後はジョブズも自分の持駒の価値がどこにあるかを理解するが、ずいぶん回り道をしたものである。もちろん、成功したのは途中で清算せず、ぎりぎりまで踏んばったからだが、あれでも成功したのだから、人間には巡りあわせがあるのだというしかない。
アップル社に復帰してからのジョブズは、またしても冷酷非情な本性を発揮する。アップル社にはNEXTSTEPの他に、BeOSという選択肢もあった。BeOSは、元アップル社幹部のジャン=ルイ・ガセーのビー社が開発したOSで、設計時からマルチメディア対応を考慮しており、玄人筋の評価は高かった。最終的にジョブズとNEXTSTEPを選んだのは、アップル社の最高経営責任者だったギル・アメリオだったが、復帰後のジョブズは取締役会を味方につけてアメリオを追い落とし、暫定最高経営責任者に就任すると、返す刀で取締役会の総入れ替えをおこなう。
ピクサー社が『トイ・ストーリー』が公開にこぎつけ、ヒットさせることができたのは製作費を出し、配給元となったディズニーのおかげだが、ジョブズはそのディズニーにも牙を剥く。ディズニーに有利な契約を改定させるために、ディズニーのアイズナー会長と対決し、ディズニーのお家騒動につけこんで、アイズナーを辞任に追いこむのである。ビジネスは食うか食われるかで、こういう話は珍しくないのかもしれないが、いささか辟易する。
しかし、ジョブズには冷酷な経営者とは別の顔もある。それはデザインと使い勝手に対する異様ともいえるこだわりであり、周囲を引きこむ力である。アイコンをクリックするコンピュータ操作法やデジタル音楽プレイヤーはジョブズがいなくても広まっただろうが、マッキントッシュやiPodのような製品は、ジョブズなしにはありえなかった。著者はジョブズの天性の魅力を鮮やかにに描きだしており、熱烈な信奉者ができるのもなるほどと納得できる。ジョブズの周囲には、著者いうところの「現実歪曲フィールド」が出現しているのである。
ジョブズ不在時代のアップル社についての記述がすくないのは、本の分量上、しかたないのかもしれないが、幸い、ジム・カールトン『アップル』(早川書房)という好著が出ている。これを読むと、アップル社は危機の連続で、ジョブズ復帰までもちこたえたのが奇跡に思えてくる。
本書は生き方の参考になるような種類の本では絶対にないが、コンピュータとショー・ビジネスで世界をリードしつづけるアメリカの凄さの秘密をのぞき見たような興奮をおぼえた。
ジョブズはコンピュータ業界のカリスマとして知られているが、人を強烈に引きつける反面、性格がすこぶる悪く、毀誉褒貶いちじるしいものがある。翻訳された物だけでも、これまで十指に余る本が出版されているが、本書も面白すぎるくらい面白い。
ジョブズは未婚の母の子として生まれ、すぐに養子に出されるが、二一歳でアップル社を創業し、同社をわずか四年で「フォーチュン500」に名を連ねる企業にする。しかし、あまりにも早く成功者となったために、増上慢のあげく、自分が作った会社を追放同然に去ることになる。
それから十三年後、ジョブズは倒産寸前のアップル社に復帰し、みごとに経営を立てなおす。目下、アップル社は絶好調で、iTMSで販売した曲が一億曲を突破したとか、iPodのアメリカでのシェアが90%を突破したとか、マッキントッシュ関連の売上が前年比20%も伸びているとか、景気のいい話に事欠かないが、それはこの数年の話で、ついこの間までは青息吐息だったのだ。
アップル社の復活は奇跡に近いが、それ以上に奇跡的なのはジョブズの復活である。
ジョブズはアップル社を去った後、マッキントッシュを越えるコンピュータを作ろうと、ネクスト・コンピュータ社を創業する。その一方、ジョージ・ルーカス監督からルーカス・スタジオのコンピュータ・グラフィック部門を買取り、ピクサー社を設立する。ネクスト社も、ピクサー社も、十年間、利益らしい利益を生まず、ジョブズは個人資産をつぎこむだけだった。
さすがの資産も尽き、いよいよ身売りかというところで、大逆転が起こる。次世代マッキントッシュの開発に失敗したアップル社がネクスト社を買収、同社のNESTSTEPをMacOSⅩにし、それとともに、ジョブズの復帰が決まったからだ。ピクサー社の方も、世界最初の長編デジタル・アニメーション『トイ・ストーリー』がヒットし、つづく作品も工業収益の記録をぬりかえる成果をあげ、今やハリウッドの一角を占める勢いだ。
本書は五百ページの大冊だが、アップル社創業時代を描いた第一部に二百ページ、追放時代の第二部に百五十ページ、復帰以降の第三部に百五十ページをあてている。
アップル創業時代の話はさんざん読んできたが、本書の第一部は追放と復帰という大枠の中で書かれているので、コンパクトにまとまっている。奇行の一つとして語られがちだった禅への傾倒が真面目なものとしてあつかわれているのは、ジョブズが五十歳になった今も変わらず禅をつづけているからだろう。
ジョブズにリサという名前の娘がいて、その名前がマッキントッシュの原型となった製品の名前になったことは知っていたが、ジョブズが彼女の認知を拒んでいたことは知らなかった。ジョブズは自分が私生児だということに悩んでいたのに、ガールフレンドに妊娠を告げられると彼女を捨て、自分の娘を私生児にしていたのだ。しかも、大富豪になっていたのに、あれこれ理由をつけて養育費を払おうとしなかった(今は認知をして、関係がよいそうだが)。
追放時代と復帰時代は一つのストーリーとして読むのははじめてだが、失敗から学んで、人間が円くなったわけではなかった。アップル社時代と同じ傲慢さをネクスト社やピクサー社でも発揮していたのである。ネクスト社の創業メンバーはジョブズに振りまわされたあげく、全員退職していたし、ピクサー社の大黒柱というべき技術者も、ジョブズに断りなく黒板を使ったというだけの理由で馘になっている。ジョブズはいつまでもジョブズなのである。
先見性があったわけでもない。ネクスト立ちあげの時、多くの人がIBM互換機の上で動くOSを作るべきで、独自マシンを作ったら失敗すると予言していた。実際、その通りになった。鳴り物入りで登場した黒い立方体の瀟洒なマシンはろくに売れず、ネクスト社はハードウェア部門をキヤノンに売却し、NEXTSTEPというOSを売るソフト会社として生き残りをはかることになる。
ピクサー社でも、ジョブズは勘違いをしていた。ジョブズはピクサー社を、画像処理用コンピュータを製造販売するメーカーだと思いこんでいたというのだ。映画会社をカメラ・メーカーと勘違いするようなものである。
ジョブズはピクサー製コンピュータをなんとか売ろうとしたが、そんな特殊なコンピュータの需要は限られており、採算がとれるはずはなかった。ピクサー社は毎月毎月赤字を出しつづけ、ジョブズの資産は減る一方だった。
最後はジョブズも自分の持駒の価値がどこにあるかを理解するが、ずいぶん回り道をしたものである。もちろん、成功したのは途中で清算せず、ぎりぎりまで踏んばったからだが、あれでも成功したのだから、人間には巡りあわせがあるのだというしかない。
アップル社に復帰してからのジョブズは、またしても冷酷非情な本性を発揮する。アップル社にはNEXTSTEPの他に、BeOSという選択肢もあった。BeOSは、元アップル社幹部のジャン=ルイ・ガセーのビー社が開発したOSで、設計時からマルチメディア対応を考慮しており、玄人筋の評価は高かった。最終的にジョブズとNEXTSTEPを選んだのは、アップル社の最高経営責任者だったギル・アメリオだったが、復帰後のジョブズは取締役会を味方につけてアメリオを追い落とし、暫定最高経営責任者に就任すると、返す刀で取締役会の総入れ替えをおこなう。
ピクサー社が『トイ・ストーリー』が公開にこぎつけ、ヒットさせることができたのは製作費を出し、配給元となったディズニーのおかげだが、ジョブズはそのディズニーにも牙を剥く。ディズニーに有利な契約を改定させるために、ディズニーのアイズナー会長と対決し、ディズニーのお家騒動につけこんで、アイズナーを辞任に追いこむのである。ビジネスは食うか食われるかで、こういう話は珍しくないのかもしれないが、いささか辟易する。
しかし、ジョブズには冷酷な経営者とは別の顔もある。それはデザインと使い勝手に対する異様ともいえるこだわりであり、周囲を引きこむ力である。アイコンをクリックするコンピュータ操作法やデジタル音楽プレイヤーはジョブズがいなくても広まっただろうが、マッキントッシュやiPodのような製品は、ジョブズなしにはありえなかった。著者はジョブズの天性の魅力を鮮やかにに描きだしており、熱烈な信奉者ができるのもなるほどと納得できる。ジョブズの周囲には、著者いうところの「現実歪曲フィールド」が出現しているのである。
ジョブズ不在時代のアップル社についての記述がすくないのは、本の分量上、しかたないのかもしれないが、幸い、ジム・カールトン『アップル』(早川書房)という好著が出ている。これを読むと、アップル社は危機の連続で、ジョブズ復帰までもちこたえたのが奇跡に思えてくる。
本書は生き方の参考になるような種類の本では絶対にないが、コンピュータとショー・ビジネスで世界をリードしつづけるアメリカの凄さの秘密をのぞき見たような興奮をおぼえた。




