連続ブックフェア 「紀伊國屋書店と新宿」


Vol.1 「モダン都市文化」
2008年7月7日(月)~8月7日(木)
Vol.2 「〈熱き時代〉の新宿、新宿の〈いま〉」
2008年9月16日(火)~11月30日(日)
(会期は売場によって異なります)
紀伊國屋書店 新宿本店 3階・5階・6階
紀伊國屋書店 新宿南店 3階・5階・6階

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2008年09月11日

中平穂積 インタビュー

DIGのオープンは1961年の11月でした。店を出したのは、二幸という三越が経営している食料品デパートの裏でした。今のスタジオアルタの場所です。その路地裏に今でもあるアカシアと言うロールキャベツの店の三階でした。でDIGを閉めたのが1982年です。消防法がうるさくなったのと、DUG(1967年オープン)とNEW DUG(1977年オープン)もやっていたし、その頃はもうジャズ喫茶も下火になってきましたから、思い入れはあったけど、ちょうど良かったのだと思います。

僕が東京に来たのは昭和30年(1955年)ですから、都電も走っていたし、新宿駅もまだ今の駅ビルなどなかった。紀伊國屋も今のビルではなかったですから。僕が覚えている当時の紀伊國屋は、新宿通りから路地を入っていった奥にあったんだけど、その路地の両脇には露店のような店が並んでいたんです。紀伊國屋の中にはサロンとか喫茶とかもあったと記憶してます。紀伊國屋のビルが出来て(1964年)紀伊國屋ホールで劇団の芝居や落語会、講演会などいろいろやってましたね。ジャズのコンサートもやってましたよ。
その頃何せ新宿通りにはそんなにビルはありませんでした。高野や中村屋、三越、あとカワセビルも結構古いんですよ。そして伊勢丹、丸井、あと映画館くらいであまりビルらしいビルはなかったですね。
僕はあんまり紀伊國屋にというか、本屋さんに対する思い入れはないんです。僕らはその頃ジャズ喫茶と、レコード屋ばかりでしたから。三越の前にマルミレコードと言うレコード屋さんがあったんです。それでもまあやっぱり紀伊國屋さんにはよく行きましたけどね。
僕は和歌山出身だから、紀伊國屋というとそのネーミングに親しみを感じてたんですよ。
1967年に紀伊國屋さんのすぐ裏手(今のさくらやホビー館の辺り)にDUGを出したんです。「新宿紀伊國屋の裏」と地図に書けば大体の人は場所がわかるんです。DIGは二幸の裏。DUGは紀伊國屋の裏ですぐわかる目印ですね。その頃紀伊國屋の裏っていうと人通りがぜんぜんないところだったんです。ピットイン(1965年オープン)も紀伊國屋の裏だけど、今の伊勢丹駐車場の辺りの地下にありました。

DUGを始めた頃、紀伊國屋裏の近くに寿司銀八というとても美味しい寿司屋があって。沢山食べるともう高くて払えなくなるから、三貫とか五貫とかちょっとだけ食べに行ってたのですが、そうすると紀伊國屋の田辺茂一さんがいっつもいるんですよ。僕らが若い頃で田辺さんが60歳くらいだったかもしれません。一度だけ田辺さんと会話を交わしたことがあるんですが、その寿司銀八で、「君はたまに見かけるけどこの辺で何か仕事してるの?」って訊かれたんです。それで「実は紀伊國屋さんの裏でジャズ喫茶をやっている者です」って答えました。それが唯一の会話です。当時はもう田辺さんと言えばいろんな雑誌やテレビなどにも出てる有名人ですから、こっちは良く知ってましたけど話しかけづらいですよ。僕らはまだ若いしそんなに寿司屋には行けないんだけど、あの方はいつもいましたね。

その頃の新宿には喫茶店がものすごく多かったんですよ。新宿に限らずだけど、渋谷でも池袋でも大きな街で映画館があるようなところには喫茶店が本当に多かった。今は新宿周辺も家賃が高くなっちゃって、個人経営の喫茶店じゃ元がとれないわけですよ。まあそれは新宿に限らず大都市はパリでもニューヨークでもいい場所は同じでしょうけどね。僕は東京は新宿しか知らないんですよ。渋谷にDIGの支店を三年ほど出したけど、ずーっと新宿。でも新宿の街並みは最近良くないですね。家電量販店のネオンとかえげつないもの。パリでもロンドンでも有名な都市の良い場所なんかは何年経っても街並みは変わらないように規制するじゃない?でも新宿なんかこの50年くらいで面影もないくらいに変わっていってるし、なんだかちょっとぶらぶらと散歩してウインドウショッピングしてちょっとコーヒーでも飲んで……というような雰囲気の街ではなくなってしまってるんですよね。やっぱり東京といえば世界の大都市なんだから、ちゃんと考えて街づくりして欲しいよね。家電は秋葉原に買いに行けばいいとかさ。闇雲に建物や店を作るのでなく、ある程度規制しないとどんどんみっともない街になりますよ。競争競争で変な店が建っちゃうでしょ。良識がない、節操のない、品のない店なんかいらないですよ。全然文化の香りもないじゃないですか。これで紀伊國屋さんが無くなったりしたらアウトですよ。伊勢丹や中村屋なんかも同様にね、そういう店がこの街には必要なんですよ。
でも銀座は違いますね。頑張って街づくりに神経使ってますよ。おそらく看板をどうするとかそういう程度のことかもしれませんけど、それだけで大分変わるでしょう。田辺茂一さんや植草甚一先生のような方たちがまだ生きていらっしゃったらそういうことをやったでしょうけど、そういう影響力のある文化人が今はいないですからね。資本家ももうちょっと文化のことを考えて欲しいですよ、金儲けのことばっかり考えてないで。今の新宿は嘆かわしいです。

当時あった新宿独自の文化や香りというのは、お世辞を言うわけではないけど、紀伊國屋書店を中心としてあったんですよ。それとジャズ喫茶もポニーや木馬、手前味噌だけどDIGやDUGなんかもね。新宿独自の文化の香りを作ってましたよ。今はそんな文化の香りは残ってないですね。紀伊國屋さんには頑張ってもらわないと。うちも針の穴ほどのちっぽけな貢献ですけど、当時の新宿を引きずって頑張ってますよ。60年代にあったジャズ喫茶で残っているのはうちだけなんです。内装なんかも昔からほとんど変わってないしね。僕もまだ居るぞと。紀伊國屋書店は新宿に残された文化の一画だと思います。僕は今の紀伊國屋ビルの建築中から知ってますが、他にも「新宿は紀伊國屋で本を買う」というのが喜びだと思ってる人はいるはずですよ。これからは紀伊國屋さんが主催して協賛を募ってジャズのコンサートをやるとか、まあ落語は毎月やっているけどね。新宿で文化活動の核になってやってもらうのはもう紀伊國屋さんしかないでしょう。(談)


中平穂積

中平穂積 (なかだいら・ほづみ)
1936年和歌山県生まれ。写真家・ジャズ喫茶DUG経営。'61年、新宿にDIGをオープン以来、現在まで新宿の地でジャズ喫茶を営み続けている。写真家としては世界の大物ジャズミュージシャンを撮り続けた集大成、『JAZZ GIANTS 1961-2002』(東京キララ社)がある。高平哲郎編『新宿DIG DUG物語 ―中平穂積読本』(東京キララ社)。
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2008年09月10日

吉田豪 エッセイ

新宿といって真っ先に思い出すのはメジャーデビュー前のSIONなんですよね。新宿西口ガード下(現・さくらや新宿西口駅前店の辺り)にあったミリタリー&ロック・ショップの店員で、新宿の路上で酔っ払ってよく野宿して、自主盤『新宿の片隅から』が紀伊國屋内テイトムセンのインディーズチャートで1位になったりとかした頃の。だから高校時代、ボクもSIONがバイトしてた店でモッズパーカーとか買ったり、新宿の路上で野宿したり、テイトムセンで自主盤を買ったり、その帰りになぜか芸能事務所にスカウトされかかったり(おそらくインチキ)していたわけです。

現在、新宿はおそらく、日本でいちばん好きな街です。歌舞伎町が浄化されすぎて寂れつつあるのがネックなぐらいで。文化レベルが程良いんですよね。サブカルすぎず、お洒落すぎず、枯れすぎずで。よっぽどウンザリすることでもない限り、この街に住み続けたいといまは思ってます。


吉田豪

吉田豪 (よしだ・ごう)
1970年、東京生まれ。プロ書評家&インタビュアーにして、現在、雑誌・新聞などでの連載数が20を超えるスーパーライター。著書に『吉田豪のセメント!! スーパースター列伝 パート1 』(エンターブレイン)、『元アイドル!』(新潮社)、『人間コク宝』(コアマガジン)、『男気万字固め』(幻冬舎)など。また、TBSラジオ『ストリーム』(月曜14時~)にレギュラー出演。
>>吉田豪「豪さんのポッド」
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2008年09月09日

菊地成孔 エッセイ

1979年、16歳の時に初めて一人で新宿に来たとき、僕はもう舞い上がってしまって、 何が何だか解らなく成りました。新宿駅、風月堂、ゴールデン街、花園神社、伊勢丹、 三平ストア、カメラのさくらや、JUN、ピットイン、伝説のジャズ喫茶たち。アルタは未だ竣工されていませんでしたが、パノラマ状に広がる巨大な「新宿」という街を前に、「ぴあ」だけを片手に握りしめた僕は結局どこにも行けず、何も出来ず、ただ歩き回るうちに、気がつけば故郷に帰る最終電車まであと30分、持ち金は950円になっていました。

その時、僕が飛び込む様にして入ったのが紀伊國屋書店でした。正面のエスカレーターを登り、最初に入ったフロアの、圧倒的な本の量、その輝きは忘れられません。たったの20分は、急いで過ぎて行く永遠の様でした。憑かれた様に立読みをし、寺山修司のムック本を850円で買って、気がつけばもう駅に行かなければならない時間になっていました。それでも僕は、世の中にはこんな、夢の様に素晴らしい、文化的で高級で伝統的で、粋でモダンな経験があるのか。と、ほとんど泣きそうなほどに喜びながら、帰りの電車に乗り、その本を何度も何度も読み返しました。


菊地成孔

菊地成孔 (きくち・なるよし)
1963年、千葉県生まれ。ジャズミュージシャン・文筆家・作曲&作詞家。慶應義塾大学非常勤講師。
2008年3月に大著『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(エスクァイア マガジン ジャパン、大谷能生と共著)。を上梓。2008年7月には自身のバンド菊地成孔ダブ・セクステットで『DUB ORBITS』(ewe)を発表。音楽のみならず講義や執筆、対談など多方面に活躍する現代の鬼才。
>>PELISSE
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キノベス!2005第5位:『東京大学のアルバート・アイラー』

2008年09月08日

森山大道 「新宿は……」(抜粋)

新宿という都市は、もうかれこれ四十年近くもこの街とつき合ってきたぼくにしていまだにエタイの知れない場所である。そこに身を置き目の当りにしながら、新宿はそのつど、あたかもヌエのように正体をくらまし、迷路にまよい込んだごとくぼくの心の遠近法を混乱させるのだ。絶対に嫌いなわけはないのだが、では心底好きなのかと問われても、ふっと黙ってしまうようなところがある。他の、たとえば銀座にせよ浅草にせよ、それぞれ嫌いも好きも両方あって、まあほどほどにつき合って済むのであるが、新宿にはほどほどというつき合い方がなくて、むしろこだわりばかりがつのってしまうわけだ。

さて、街でも歩くか写真でも撮ろうかとカメラを持って自室を出て、しばらくうろついてふと気がつくとぼくは新宿のド真中に立っている。有楽町のガード下あたりで一杯ひっかけてオダを上げて、ふと気がついて見回すといつのまにやらゴールデン街の酒場に座っている。結局どこで何をしていても、さながら鮭か鳩のようにぼくは新宿に舞い戻っているのだ。だからといって、まちがっても母なる町などとは思えないが、二十歳過ぎたばかりで大阪からポッと出てきて、ひとまず途方にくれた場所が新宿の路頭だったことを思えば、きっとその時点で、丁度仔猫か仔犬のように、ぼくの細胞に新宿が刷りこまれてしまったのだろう。そしてそれから四十年近い年月のなかで、折りにふれ培ってきた圧倒的なこだわりの質量が、それはもう他の街との比較ができるわけもなく、ヌエであり迷路であればあるほど、そのエタイの知れない磁力がぼくを捉えて離さないのだ。

(中略)

混沌、氾濫、欲望、卑俗、悪徳、猥雑、汚濁などなどと、手垢にまみれチープな単語をずらずらと並べてみると、どれもこれも皆新宿そのもので、ついぼくは笑ってしまう。このあたりもうお見事というほかはなく、世界中のどこをどう探してみても、これほど面妖な都市は見つからないはずだ。JR線路の東、つまりモツ煮ナベがふつふつたぎっているようなこちら側はもとより、西のあちら側、蜃気楼に似た高層ビル街の幻の風景もふくめて、新宿は都市の持つあらゆるいかがわしさとしたたかさ、そして相対的なやるせなさが、マカ不思議な函数関係さながらに生々と露呈して、さながら現代のバビロンである。ぼくと新宿と、そしてぼくが魅せられて写してしまうのも、きっとどこか、似た体質があるからではないか。

『もうひとつの国へ』(朝日新聞出版)より抜粋/初出=写真集『新宿』(月曜社)〉


森山大道 (もりやま・だいどう)
1938年、大阪生まれ。写真家。2007年以降の最近作に『記録6号』(Akio Nagasawa Publishing)、『遠野物語』(光文社文庫)、『記録7号』(Akio Nagasawa Publishing)、『凶区/Erotica』(朝日新聞出版)、『大阪+』(月曜社)、 『S’』(講談社)、 『もうひとつの国へ』(朝日新聞出版)など。
>>森山大道オフィシャルサイト -moriyamadaido.com-
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大竹昭子氏書評:『ハワイ』

2008年09月05日

平沢剛 エッセイ

1960年代の映画を研究している私にとって、新宿は特別な意味を持つ場所である。新宿という街を舞台に、1960~70年代に様々な傑作が生みだされているからだ。
しかし、ここで重要なのは、優れた作品や作家を称揚するのではなく、新宿という街そのものが、そうした作品、作家を創りだし、当時の芸術、文化を支えていたという事実に目を向けることである。作家や作品の固有性、特異性ではなく、新宿という街が、すべての創造の中心であり、群れとしての映画、群れとしての芸術、群れとしての文化に、その可能性があったのだ。

そうした観点から現在の新宿を考えるとき―もちろんこれは新宿だけにとどまることではない―その変化は明白であるが、しかしそこに身を置いたとき、新宿という土地が持つ強烈な記憶を至るところに感じるのも紛れもない現実であり、現在である。そうした新宿との絶えざる対話のなかに、今なお、新しい何かが生まれる可能性があるに違いない。


平沢剛

平沢剛 (ひらさわ・ごう)
1975年、神奈川県生まれ。映画研究・明治学院大学非常勤講師・『VOL』(以文社)編集委員。編著書に『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』(河出書房新社)、『若松孝二 反権力の肖像』(作品社、四方田犬彦と共編著)、『遺言 アートシアター新宿文化』(河出書房新社、葛井欣士郎聞き書き)など。
>>書評空間 : 映画研究者・平沢剛の書評ブログ
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