連続ブックフェア 「紀伊國屋書店と新宿」


Vol.1 「モダン都市文化」
2008年7月7日(月)~8月7日(木)
Vol.2 「〈熱き時代〉の新宿、新宿の〈いま〉」
2008年9月16日(火)~11月30日(日)
(会期は売場によって異なります)
紀伊國屋書店 新宿本店 3階・5階・6階
紀伊國屋書店 新宿南店 3階・5階・6階

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2008年09月03日

書店の中にある劇場、紀伊國屋ホールを知る5つのポイント

談 : 紀伊國屋ホール/サザンシアター総支配人・金子和一郎
紀伊國屋ホール前支配人・鈴木由美子

1) 紀伊國屋ホールの誕生と紀伊國屋演劇賞の創設

紀伊國屋ビル

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年。前川國男の設計で新築された紀伊國屋ビル(地上9階・地下2階)の4階に、紀伊國屋ホールは誕生した。「ある株主からはとんでもないと言われ」(金子)ながらも書店の中に劇場をつくった創業者・田辺茂一の、型破りな文化人としての一面が窺える。ホール創設の三年後、1966年、経済的に苦しい新劇の振興に貢献したいという田辺の意向により、紀伊國屋演劇賞(団体賞と個人賞があり、毎年12月中旬に発表)が創設され、2007年に第42回を迎える。

2) 新劇の甲子園

当時の新劇界は、'63年に芥川比呂志、岸田今日子ら中堅・若手29名が文学座を脱退して福田恆存を中心に「劇団雲」を結成、'64年には三島由紀夫、賀原夏子、松浦竹夫らが脱退して「劇団NLT」を結成、さらに'68年に三島、松浦らが「劇団浪漫劇場」を旗揚げするなど、地殻変動を迎えていた。これらの動きは、「状況劇場」の唐十郎、「天井桟敷」の寺山修司、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信らアングラ四天王をはじめとする、'60年代後半~'70年代半ばにかけての小劇場運動の活発化につながる。
戦後、文学座・俳優座・劇団民藝を中心とした新劇は、三越劇場(日本橋)、東横ホールのちの東横劇場(渋谷)、俳優座劇場(六本木)、砂防会館ホール(永田町)、毎日ホール(有楽町)、初代の第一生命ホール(有楽町)などで上演されてきた。紀伊國屋ホールが登場すると、新劇公演が紀伊國屋ホールに集中し、新宿も演劇の発信地となった。後に井上ひさし氏が「新劇の甲子園」と評したが、つかこうへい事務所、夢の遊眠社、第三舞台など多くの若手劇団が、紀伊國屋ホールでの公演を機にメジャーへの進出を果たしてきた。2003年には、「開場以来、多くの若い演劇人に表現の場を与え、日本の演劇や落語などの芸能を地道に育ててきた功績」に対し、第51回菊池寛賞を受賞した。

3) 三つの転機

開場の年は、集客を期待した名画鑑賞会、ビリー・ワイルダー監督の「翼よ!あれが巴里の灯だ」も当たらず、試行錯誤の連続だったが、翌'65年の文学座「怒りをこめてふり返れ」(ジョン・オズボーン作/木村光一演出)と劇団NLT「サド侯爵婦人」(三島由紀夫作/松浦竹夫演出)の二作は若者の人気を博して満員となり、新劇中心という紀伊國屋ホールの方向性が定まることとなった。
二つ目の転機は、'76年のつかこうへい作・演出「熱海殺人事件」。青山のVAN99ホールでつかこうへい事務所の芝居を観た金子がつかに声をかけ、「熱海殺人事件」紀伊國屋ホール上演が実現。以降'82年まで毎年、紀伊國屋ホールでつかの芝居が上演され、いずれも爆発的なヒットを収めた。鴻上尚史、いのうえひでのり、横内謙介マキノノゾミなど、つかの影響を受けた演劇人は多い。
三つ目の転機は、'84年のこまつ座旗揚げ公演「頭痛肩こり樋口一葉」(井上ひさし作/木村光一演出)。成熟した芝居は客層を大きく広げた。

4) 紀伊國屋ホールの特徴

紀伊國屋ホール

紀伊國屋ビルを設計した前川國男が紀伊國屋ホールもデザインし、舞台機構は伊藤熹朔が監修した。天井が高いのが特長で、鴻上氏に好まれ、伝説の第三舞台「朝日のような夕日をつれて」は'85年、'87年、'91年とすべて紀伊國屋ホールで上演された。舞台機構の狭さがかえって密度の濃い芝居をうむ、と好む演出家も多い。余談ながら、紀伊國屋書店新宿本店・新宿南店では戯曲を幅広く揃えており、劇団関係者に重宝されている。

5) 観に行くことが仕事

「観ること」も紀伊國屋ホールスタッフの重要な仕事だ。年間平均150本。ある時期、総支配人・金子の年間観劇本数は240本を超えていた。これはと思う若手劇団に紀伊國屋ホールでの公演を勧めることもある。'80年代、金子は大隈講堂裏のテントで鴻上尚史の芝居を観てイキのいい劇団と確信し(紀伊國屋ホール初演は'85年「朝日のような夕日をつれて」)、鈴木は駒場の劇場で観た野田秀樹の芝居に魅了され、紀伊國屋ホールでの上演に向けて上司を説得しようとレポートを書いた(紀伊國屋ホール初演は'81年「少年狩り」)という。

劇団数が急増し、誰にでも芝居ができる時代になった。劇場、特に近年は公立の劇場が増えている。制作をしない貸館としての紀伊國屋ホールはどうあるべきか?
「今後も、“自分たちの劇場で自分たちの観たい芝居を上演する”ことをポリシーとして、スタッフ一同、できるだけ多く劇場に足を運ぶと共に、紀伊國屋ホールでの公演に際してはできる限り劇団の要望に応えていきたい」と金子、鈴木のふたりは語った。

>>紀伊國屋ホール公演スケジュール

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