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2014年03月19日

『日々コウジ中』柴本礼(主婦の友社)

日々コウジ中 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「高次脳機能障害について知りたい人のために」

今年度から私は、富山県高次脳機能障害支援センターからの依頼を受けて、ピア・サポート事業にアドバイザーの役割で関わっています。具体的には、高次脳機能障害をもつ人のご家族に対して、同じ経験をもつ人(ピア)が相談を受ける場に同席し、必要に応じてコメントする(多くの場合は見守るだけですが)という活動です。その際、高次脳機能障害について素人だった私は、初学者向けの本をいくつか物色してみたのですが、その中で非常に読みやすかった本を今回は紹介します。

柴本礼さんによる『日々コウジ中』は、ある医師の講演で推薦されていたので興味を覚えたのですが、やはり最も読みやすいと感じました。漫画の体裁をとっているからでしょうか、絵の印象が文字を補って、少ない文字数で心に届くような印象があります。ただし、もう少し詳しい情報や一般的な視点がほしいという場合には、NPO法人日本脳外傷友の会編『Q&A 脳外傷――高次脳機能障害を生きる人と家族のために(第3版)』(明石書店、2010年)と組み合わせて読むとよいのではないかと思います。

高次脳機能障害は、必ずしも単一の症状や障害を表す言葉ではなく、大脳が行なう認知的ないし精神的活動に関しておこる障害の総称です。原因は様々であり、脳卒中や事故による脳損傷、低酸素性脳症、等があります。「高次脳機能障害」という言葉が、こんにちクローズアップされつつある背景には、救急医療の発達によって、生命の危機を切り抜け比較的長期の生存が見込めるようになった人々の存在とそれへの着目があると思われます。

『日々コウジ中』は、働き盛りだった作者の夫コウジさんが、突然くも膜下出血で倒れたところから始まります。状態は非常に危険でしたが手術は無事成功、夫は一命をとりとめます。しかし、脳が受けたダメージは簡単ではありませんでした。コウジさんは、何か月たっても、何をするにも意欲がなく、一日中テレビを見ているだけ。急にとんちんかんなことを言ったり、今日あったことを忘れてしまったり、生活の中で感情をコントロールできず家族に怒りをぶつけたりします。これらの行動は、個人差こそありますが、高次脳機能障害では典型的なものと言われています。

私自身がこれまで相談の場で聞いてきた話を総合すると、本人と家族が直面する悩みには、いくつかの側面があるようです。ひとつには、経済的な問題。コウジさんのように家計を支えていた壮年期の人に障害が発生した場合、当然ながら生活設計の問題が家族にのしかかってきます。たとえば、『日々コウジ中』では、生命保険に関する話が詳しく述べられています(同書第4章)。コウジさんが加入していた生命保険では、死亡のほかに「高度障害」を補償範囲に含めていましたが、その中にコウジさんの障害は含まれないという保険会社は主張し、それを覆すのは現実的に難しいことがわかってきます。これはおそらく、コウジさんの保険に特有のことではなく、決して珍しいことではないだろうと私は思います。つまり、多くの生命保険や住宅ローンにおいては、「死亡」については十分に想定しているし、そのことが商品価値としてもわかりやすく消費者に伝わるけれども、「重度の障害をもって生きる」ケースについては(一部のいわゆる有名な疾病を除いては)あまり想定していないし、そのことを商品の中に組み込みにくいのではないかと思います。その結果、コウジさんのようなケースはまったくイレギュラーなケースとして、補償の対象にならない扱いになるわけです。もちろん、日本の場合は、傷病手当金や障害年金など公的な社会保障制度が複数存在しており、それらの利用可能性を探っていく道がありますが、多くの人はそのような制度にあらかじめ精通しているわけではないので、そのような道を探るのも不安いっぱいの茨の道になるだろうと思います。

また、経済的な問題だけではなく、高次脳機能障害になった人とまわりとの社会関係を再構築するという点でも、きわめて厳しい局面が見受けられます。コウジさんの場合、障害が発生してから、まるで乳幼児のように怒ったり泣いたりするのに歯止めがきかず、また、何をするにも無気力でぼおっとしているようになってしまったと描かれています。私が聞いた中でも、家族に対しては、ちょっとした諍いでも激高して怒りをぶつけてくる(そして、場合によってはそのことをすぐに忘れる)といった話はよく出ますし、一日中寝てばかりで自立的な生活習慣からは程遠いといった話もよく耳にします。家族からすると、先が見えない状況の中で本人の世話に忙殺されながら、いったいこの人との関係をどう持てばよいのだろうかと途方にくれることになります。

そして、こうした悩みは、周囲の人々にはしばしばわかってもらいにくいと考えられます。『日々コウジ中』でも、友人たちに話しても「私もよく忘れるよ~」とか「うちのダンナも大声出してキレるわよ~」と言われてしまうエピソードが描かれています(同書第3章)。おそらく友人たちとしては元気づけたかったのでしょうが、それによって柴本さんはそれ以上何も言えなくなってしまったそうです。おそらく必要なことは、嘆きや混乱があるのならそのままに語り、しかしそうした中から何らかの希望や展開が見出されるかもしれない、そうした語りの場なのだろうと思いますが、それは健常な頃に築かれた友人関係等では担いにくいかもしれません。柴本さんの場合は、ひとりの作業療法士に手紙で思いをぶつけていたそうですが、私自身は、それに類するような場を作れたらよいと思いながら富山県でのピア・サポート事業に参与しています。

このように、高次脳機能障害に遭遇することで直面するさまざまな悩みがあります。以前に比べると知られるようになってきているとはいえ、まだまだ多くの人に知ってほしいと思って、今回この本を取り上げました。私自身も、少し時間はかかるかもしれませんが、高次脳機能障害になった人や家族が経験する世界を記述するような研究に取り組み、そうした人々を支える社会の実現可能性について考えていきたいと思っています。





付記(お知らせ):書評空間は4月20日をもって更新終了となりました。当初は自分に続けられるか不安でいっぱいでしたが、ここまでどうにか続けてこられました。ご愛顧ありがとうございました。






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2013年03月27日

『発達障害 ヘンな子と言われ続けて――いじめられてきた私のサバイバルな日々――』高橋今日子(明石書店)

発達障害 ヘンな子と言われ続けて――いじめられてきた私のサバイバルな日々―― →bookwebで購入

「発達障害当事者の語り手になるということ」

21世紀に入ったころから「発達障害」という言葉が人口に膾炙するようになってきています。教育を専門とする人や実際に経験した人などを除けば、内容的にはまだなじみの薄い言葉かもしれませんが、これは広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群、等)、学習障害(LD: Learning Disorders, or Learning Disabilities)、注意欠陥多動性障害(AD/HD: Attention-Dificit/Hyperactivity Disorder)を含む総称概念です。これらの障害ないし病態の名前も、自閉症などを除けば、それほど古くからあったものではなく、総じて20世紀後半、とりわけ1980年代ごろから提出され目立つようになってきたものです。その結果、従来の障害区分・枠組みは見直しをせまられ、学校教育における適切な支援が求められるようになってきている現状があります。

このような変化は、ひとつのいわば副産物を産み出しました。幼いころから青少年期にかけて「非常に変わっている」「非常に劣っている」と思われ言われながら過ごしてきた人が、成人になってから「自分は実は発達障害なのではないか」と思う、あるいは診断を受ける、そのようなケースが現れてきたのです。彼・彼女たちは、少しずつ当事者としての声を挙げるようになってきており、未だ目立たないながらも支援的な活動を開始する人も増えてきています。

この本の著者である高橋さんも、そうした一人です。彼女は、小学校低学年のころから、能力の極度な偏りを感じ始めます。数字の8が一筆で書けない、簡単な暗算ができない(これは現在に至ってもできないそうです)、体育ではチームの足を引っ張り、音楽もからきしダメ、一方で国語はまあまあ、といった具合です。まもなく彼女はクラスの中で目立つ存在となり、いじめの対象になっていきます。家族の理解も乏しく、母親には叱咤されるばかり、父親には口よりも手を先に上げられ、自分は生きている価値がないのだと、彼女の自尊感情は粉砕されていきます。高等学校では幸いひどいいじめはおこらなかったものの、卒業して働きはじめると、他の人のペースにまったくついていくことができず、上司や同僚に罵倒され、結局職を辞め転々とすることになります。この本は、こうした苦難の過程が詳細に綴られる自伝の体裁を整えています。主人公である高橋さんには、美点としての「根性」が備わっているので、簡単にはへこたれないのですが、それでもその苦労のひどさは、読んでいて言葉を呑むほどです。

この本は、ひとつのとらえ方として、それ自体が高橋さんの受けた「診断」の産物だったといえます。彼女は、最初の就職の後しばらくして、偶然テレビのドキュメンタリー番組を見て、自分が学習障害ではないかと疑い、病院への受診を始め、25歳のとき初めて「発達障害」という診断を得ます。そのとき、彼女は「今まで私を馬鹿にしてきた人たちが許せなくなりました」と述べています(本書165ページ)。つまり、今まではどんなにひどい仕打ちを受けても「自分がバカだから当然だ」という気持ちがどこかにあったのに対して、「自分は発達障害だったのだ」という視点を手に入れることで、これまで受けた仕打ちを理不尽なものとして(自伝という形で堂々と)物語化することができた、ということです。

もちろんそれは簡単な道のりではなかっただろうと思います。なぜなら、診断の後彼女におこったのは、さきほど述べたような怒りだけではなく、無気力感や、診断名を得たところで「普通」になれるわけではないという「当てが外れた気分」、そしてどうすればわからない「不安」でもあったからです(本書165-166ページ)。したがって、そのような中でも主人公を支え、かつてズタズタにされた自己肯定感を多少なりとも取り戻すための助けとなったものはなんだったのか、注意を払ってみる必要があると思います。

高橋さんの場合、ひとつには、当事者としての社会的な活動が挙げられます。彼女は、発達障害への理解を広げたいという思いから、2010年、仲間とともに「シャイニング」という団体を立ち上げています(この団体は、発達障害者・児への直接的な支援そのものではなく、勉強会・講演会などを主旨とする団体だそうです)。この活動が、参加した当事者に喜ばれれると同時に、高橋さん自身が周囲の人々に支えられている実感を得る場となり、「私でもこんなよいことができるんだ」という自信と元気につながっている、と彼女は述べています(本書211ページ)。

もうひとつ、彼女が32歳のときに趣味として始めた合気道を挙げるべきかもしれません。ここでも、彼女は技の習得に他人の何倍もの時間がかかり、後から入ってきた人にも追い越されていきます。しかし、自分が発達障害だからと割り切って焦らず他の人と比べないようにしたところ、非常によいストレス解消になっていると述べられています(本書206ページ)。彼女が診断を受けるという経験を通して「診断名と特徴にあった生き方をしよう」と思うようになった変化が、端的に表れている点ではないかと思います。

ただ、高橋さんが就労に関してはいまだ模索状態である点にも、注意を払っておいた方がよいと思います。彼女は、紆余曲折の後、当時の仕事であった歯科技工士を自分に不向きであると判断して辞め、別の職種での一般就労を目指していると述べています。ここには、障害者雇用では経済的自立には不十分な収入しか得られないという彼女の判断が働いています。また、障害者職業センター相談員にも、適性にあった仕事であれば一般就労が可能と勧められたそうです(本書204ページ)。果たして、職種を変えることで一般就労で無理なく就労を続けていけるのか、もしそれが難しいとなれば障害者雇用での不足分を何らかの公的補助で補う道も検討されてもよいかもしれませんが、そもそも発達障害の場合そうした道は用意されているのか、このような問題は経験も研究も蓄積がまだ乏しいのではないかと思います。「一般/障害者」という区分の境界・狭間にあるような人たちに対して、日本社会のセーフティネットがどの程度実質的な対応をしていけるのかが試される重要なポイントといえるでしょう。その意味では、この本は、決してハッピーエンドの物語としてのみ読むべきではなく、発達障害に関する様々な希望と同時に社会的な問題・課題が詰まったものとして読むべきだろうと思います。

端的に言って、この社会には多様な人がいるということを改めて感じさせる一冊です。自伝ではありますが、周囲に発達障害者・児がいる人や支援者などに向けてポイントを簡潔にまとめているパートもあり、多くの人にとって参考になるだろうと思います。

*謝辞;独立行政法人福祉医療機構(WAM)社会福祉振興助成金 発達障害のピアサポートグループ支援事業 ピアサポーター研修(大阪)プログラム(2013年3月9日、大阪NPOプラザ)でお会いした皆様が、私がこの本に関心を持って読むきっかけを与えてくださいました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。


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2012年11月27日

『ギャンブル依存との向きあい方:一人ひとりにあわせた支援で平穏な暮らしを取り戻す』認定NPO法人ワンデーポート編(中村努・高澤和彦・稲村厚)(明石書店)

ギャンブル依存との向きあい方:一人ひとりにあわせた支援で平穏な暮らしを取り戻す →bookwebで購入

「支援の場を<ずらす>こと」

大学院の修士課程に入って研究をスタートさせようとしたころ、私はアルコール依存の人たちによるセルフヘルプ・グループ(自助グループ)に参加し始めました。そこでは、参加者たちが自分の体験を開示し語ること、しかもそれを続けていくことがたいへん重視されていました。集会ではそのような体験の語りが続き、誰もすぐには反応せず、ただ順番に参加者が語っていく。私としては、このようなとりとめのない独白的な語りを繰り返すことに一体どのような意味があるのだろうかと疑問に思ったものです。その後、時間をかけて、そのような「語り」がもつ意味について考察し、ようやく2009年に拙著『セルフヘルプ・グループの自己物語論』を上梓しました。

そこでも取り上げたアルコール依存のセルフフヘルプ・グループのひとつ「AA(アルコホーリクス・アノニマス、Alcoholics Anonymous)は、1935年にアメリカ合衆国で生まれたと言われるグループですが、断酒して生きるメンバーが少なからず現れることで、注目を浴びることとなり、セルフヘルプ・グループの古典的成功例とも呼ばれるようになりました。医療サイドからみれば、いわば「お手上げ」状態のところにセルフヘルプ・グループが登場したために、治療プログラムにセルフヘルプ・グループの集会を模したものが積極的に取り入れられています。また、そうしたやり方は、アルコール依存のみならず、薬物やギャンブルなどさまざまな問題にも波及していきます。(もちろん、そのようなタイプのものがセルフヘルプ・グループのすべてというわけではありません。むしろ、セルフヘルプ・グループの中のひとつのタイプと理解してください。)

この本の筆者のひとりである中村努さんは、自らがギャンブルに問題をかかえていました。生活が破たんしてもギャンブルはやめられないという生活を続けていた折、1997年にアルコール依存の本を手にしたことがきっかけでセルフヘルプ・グループの存在を知って、GA(ギャンブラーズ・アノニマス、Gamblers Anonymous)に参加するようになります。さらに、アルコール依存の人々が通所する施設に通った経験などから、ギャンブルについても同様の施設が必要と感じ、回復施設「ワンデーポート」(2000年4月~、横浜市)の設立に尽力します。

ところが、ワンデーポートをはじめてみると、来所者の中に「この人には、あまりGAは合わないのではないか」と思える人が交じっていることに、著者たちは気づきます。ミーティングに出て他の人の語りを聞いていてもピンと来ない。その一方で、ワンデーポートのような集団生活の場で、特定の場面や行動に強いこだわりを見せたりして周囲との軋轢を生む、そのような人です。おりしも、発達障害という言葉が人口に膾炙するようになってきたことから、著者たちは、ワンデーポートに来る人たちのすべてがGAを中心に回復をめざすべき「ギャンブル依存症者」なのではなく、その中には、発達障害や軽度知的障害としてアプローチすべき人も含まれるという結論に達します。

私が興味深く思ったのは、セルフヘルプ・グループにも限界があり相性の良しあしがあるという(考えてみればごく自然な)ことが、具体的に現れている点です。GAの集会のような語りの場にも、やはり参加者個人に期待されるものがあります。たとえば、他の参加者の語りを聞いて何らかの気づきを得ること(「自分も同じようなことをしていたではないか!」等々)があてにされているからこそ、そのような独白的な語りの場が、よいものとして営まれていると考えられますが、この本の中に出てくる人の中には、違う内容の体験談から共通部分を引き出す思考が不得手な人が含まれています。また、集会に何度参加してもまったく同一の内容を語ってばかりという人もいます。こうした例は、たとえばGAのような従来型のセルフヘルプ・グループの語りの場に相性がよくないと想像できます。

したがって、ワンデーポートの側からみたとき、支援の場や関わる人を、従来のものからずらしていくことが必要となり、また実際に手さぐりの試みがなされているのだろうと思います。たとえば、ワンデーポートでは、発達障害の診断やその傾向がある人だけのミーティングを2008年から開くようになったとありますが(本書99ページ)、そこでは、GAなどで採用される、独白的な体験の語りを皆が黙ってきくというやり方ではなく、自由に質問をさしはさめるフリートークのスタイルが採られました。すると、ギャンブルをやめようとして無駄に終わった過去の努力譚や、心の葛藤など(GAなどではよくおこる)話題はあまり出ず、その代わりに、「学校でいじめにあった」と誰かが言うと「自分も」という笑いがおこるといったことがおこったそうです。このことは、通常はミーティングのような場に相性がよくないと思われる人でも、参加者や会話のやり方を少し変えるだけで、実はそれなりの仕方で語ったり共感したりできる人がいる、ということを意味しています(もちろん、このような場にも参加できない人もいます)。

また、発達障害や知的障害という枠組みを得ることで、その人に関わる支援者として、精神科医や行政機関の障害者福祉担当者、ケースワーカーといった人たちが浮上してきます。さらに、支援制度についても、生活保護や障害年金、療育手帳といったものが利用できる候補として浮上します。人によっては、まずGAに通うよりも先に、これらの支援者・支援制度を用いてとりあえず生活を何とか回すことが先決であるような人もいると、著者たちは主張しています。このような支援者・支援制度も、これまでの「ギャンブル依存」の枠組みでは浮かび上がってきにくいものだといえます。

GAのようなセルフヘルプ・グループからすると、そのような「相性のよくない人」は、端的に「集会に来なくなる人」であったと思われます。しかし、その周りに通所ないし入寮施設ができることで、そこには多様な人が集うようになります。そのような人々に対応しようとする結果、多様で個別的な支援のあり方が模索され始めるのだろうと思います。その際、私が大切だと思うのは、「発達障害」というラベルがすべてを解決してくれるとあてにするのではなく、それが既存の支援をどう<ずらす>のか、またそれによってどのような人がどのような恩恵を受けるのか(あるいは、そこからもさらにこぼれ落ちるような人がいるのか)を、きちんと観察する、ということです。

ギャンブルの問題について(家族や借金なども含めて)どう考えればよいかを教えてくれる本ですが、私なりの関心で読むと、AAを出発点としてセルフヘルプ・グループが興隆してきたその先に支援の個別性が模索される、社会の流れの最先端を感じさせる一冊です。ギャンブルに関心のある方に限らず、セルフヘルプ・グループや、それに関連する支援に関心のある方に一読をお勧めできます。


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2012年09月27日

『医療的ケアって大変なことなの?』下川和洋編(ぶどう社)

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「生きるための医療的な行為をめぐる1990年代の動き」

この本のタイトルは「医療的ケアって大変なことなの?」という問いかけになっています。この問いかけ自体が、この本全体の主張を示しているのですが、それはまた現在の社会の姿を映し出してもいます。

20世紀後半における医療技術の発展によって、一般的に医療行為と目されるものの中でも、在宅療養の中で日常的に行なわれたり、あるいは入院中に家族によって行なわれたりするような行為が目立つようになってきました。たん吸引や、経管栄養法による注入、人工呼吸器の管理、酸素吸入、導尿、等々です。これらは、確かに基本的な専門的知識を必要としており、また誤ったことをすれば人体に害が及ぶリスクはありますが、かといって素人にはまったく扱えないというわけでもなく、病状の悪化やその他の急性的な症状が出ていない間は、日常生活の一部分として現に遂行されています。

これらの行為については、ふたつの基本的な見方がありえます。ひとつは、人間の生命に直接つながる行為だからあくまでも専門家(この場合は医師および看護師)の管理のもとに行なうようにするべきだという考え方。もうひとつは、逆に専門家以外にも担い手を拡大すべきだという考え方です。一見すると前者の考え方の方が安心できるように見えますが、これが現実にそぐわなくなってきているのです。

この本が扱っているのは、重度の障害をもつ子どもをめぐる経験です。これらの子どもたちは、優れた医療技術のおかげで尊い命をとりとめ、個人差はあるものの、大きく余命を延ばすことに成功します。体の状態が安定すると在宅療養に移りますが、幼児期までは、たん吸引等々の行為は、親が無我夢中でカバーしていきます。ところが、学校に上がる段になって、問題が発生します。通常、学校には医師や看護師は常駐していません。したがって、たとえ障害児をもっぱら受け入れる特殊支援学校のようなところであっても、安全管理の問題を理由に、受け入れを断ったり難色を示したりすることがあるのです。障害をもつ子どもにも教育を受ける権利はありますから、当然これは問題です。そこで、「訪問教育ならOK」とか「授業中に親がずっと別室に待機して、何かあったら親を呼ぶ」といった折衷案が示されます。しかし、これらは解決方法としては問題が大きいといえます。前者の訪問教育に限定する方策は、子どもの側に訪問教育<しか>選択肢がない点に問題があります。たとえば、さまざまな他者と出会い、交わりの中に身をおくことによって、刺激を受けたり喜びを感じたりする、といった体験からその子はずっと遮断されたままになるかもしれません。後者の親が別室に待機するとう方策の問題点は、子どもと共に登校して、しかもそこに居なければならないという過重な負担が親にかかってしまう点にあります。

そうした問題に対する親たちの問題意識は、1990年代後半の当事者グループ結成につながり、学校教員も含めた現場からの運動がおこります。そこでは、先に挙げたたん吸引等については「医療行為」として、専門家以外の扱いを頭から禁ずるのではなく、むしろ「医療的ケア」と位置づけて、一定の研修を受ければ学校教員等でも扱えるようにしよう、という方向性が打ち出されます。タイトルにあった「医療的ケアって大変なことなの?」という問いかけは、まさにこの方向性を意味しているのです。

いくつかの自治体では、先進的な取り組みがなされ、事態はある程度は改善してきているようです(もちろん地域によるばらつきはあるでしょう)。この本では、そうした取り組みについて紹介されていますが、特に東京都における事態の推移が記述されている部分は、詳細であり、記録資料としての価値も高いと思います。

医療的ケアをめぐる問題は、実は重度障害児に限ったことではありません。私たちの誰にも、病いを得て経管栄養や呼吸療法の選択に直面することがありえます。そのとき、病院が必ずしも居場所とは限らないことや、病院の外で医療的ケアを受けるには担い手の層が薄いこと(したがって家族の大きな負担をあてにせざるをえないこと)などといった問題に直面せざるをえない可能性があるのです。その場合「学校」はもはや関係がないかもしれませんが、生活を続けるために医療的ケアをどのように調達しながら生きられるかという点では共通の問題といえます。だから、「医療行為を全面的に専門家の手にゆだねる」という発想のどこが現実とずれていて問題があるのかを認識し、ある程度は考え方の軌道修正を行ないながら、安全管理のあり方に関してベターな方向に社会を動かしていく必要が今後ますます高まるのではないかと思います。そのような重要なテーマを示す一冊として、一人でも多くの方に手にとっていただきたいと思います。


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2012年05月30日

『きよしこ』重松 清(新潮社)

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「吃音のことをまったく知らない人が吃音の悩みに安心して接近できる素材」

この本の著者である重松清さんは、著名な小説家にして著作多数。その作品を読んだことがある方も多いのではないかと思います。私は、吃音(きつおん=どもること)のセルフヘルプ・グループに参加して調査研究を行なった経験があり(成果の中で市販されているものとしてはこちら)、そこで知り合った方からこの本を紹介されました。

吃音(きつおん=どもること)とは、ことばの発声が流暢でないことを指します。主に連発性 (同じ音を繰り返す)と難発性 (言葉がつまって発しにくい状態)とに分かれます。年齢とともに連発性から難発性へと移行することが多いと言われており、いつの間にか症状が軽減する場合もありますが、その一方で、成人になっても軽減しないとか、成人になってからひどくなるといったケースもあるようです。また、軽減したといっても、まったく症状が消えるわけではなく、出たり出なかったりする症状の波があります。傍から見て吃音者だと解る人もいれば、他人に解らない程度の吃音で一人悩んでいるという人もいます。吃音は、発声に関わる筋肉の緊張がもとでおこりますが、いかにして緊張を解くかという根本的な部分での解決・治療法は確立されていません。

吃音のセルフヘルプ・グループにいた知人がこの本を紹介てくれたのは、吃音の主人公「少年(きよし)」が、重松さん自身に重ね合わせられた自伝的小説になっており、吃音に関する見下した表現とは無縁である点に関係があると思われます(他の作品には、例えば、ちょっと頭の足りない登場人物が吃音である、といった表現がよく見られます)。

物語はこのように展開します。少年は「きよしこの夜」の歌詞を、星の光る夜に「きよしこ」が我が家にやってくる、と勘違いした。もちろん少年はこの可愛らしい間違いにやがて気づいたが、その時には「きよしこ」は少年の空想上の友達になっていた。しかし、クリスマスイヴの夜…。

私は、大学の授業(いわゆる一般教養授業)の中で、吃音とセルフヘルプ・グループについて紹介する時間を設けていますが、その際、吃音についてまったく知らない学生とともにその悩みの部分にどう接近しようかと少し悩んだことがありました。いくつかの試行錯誤を経た結果、この本、特にタイトルと同名である最初の章(「きよしこ」)を紹介するのが最もやりやすい、と考えるに至りました。その理由は、主人公の内面描写にすぐれており、細かい考えや感情の動きに迫力が感じられるからです。ただ単に「友達にからかわれて傷ついた」というだけでなく、心のひだまで詳細に丁寧に描いている物語は、そう多くありません。いつも授業中にこの本の一部分を朗読してみせるのですが、クリスマス会で無理やり自己紹介をさせられることになった少年が心の中で「助けて、きよしこ」と叫ぶくだりでは、いつも胸がいっぱいになって声がつまってしまいます。

ただ、ここで改めて考えてみると、このような悩みの詳細な描写は、あるバランスの上に成り立っているようにも感じます。この本では、吃音ゆえに上手に自分を表現できない少年が成長とともに遭遇するさまざまな出来事が順次取り上げられていきますが、それら人間関係に関わる出来事には、いつもどこか救いがあります。最初はうまくいかなかったのに最後には心を通わせることができたり、あるいは、最後まで心が通わせられない場合でも、それぞれの登場人物に共感の余地がある背景が設定されていたりします。これは、「あとがき」で「鍵をかけられた心なんて、どこにもない」と述べる著者の信念に関わっており、物語全体を貫いている色調といえます。この「救い」の部分が、ストーリー全体の中で少年の内面的な悩みを中和し、安心して最後まで耳を傾けやすよう機能しているように見えます。また、少年の悩みには例えば「他者への恨み」などいわゆる「キツイ」要素は含まれないし、さらに、吃音の悩みが昂じて少年がひねくれたり他人を傷つけたりする、といったことにもならない。こうした主人公の穏健さも「鍵をかけられた心なんて、どこにもない」という作者の信念・色調と整合しています。

このような穏健さは、この物語自体を「綺麗すぎる」ように感じさせるかもしれません。確かにそうかもしれないと思います。ただ、実はこのようなことがありました。先の授業で紹介する素材について試行錯誤していた頃、もうひとつ使用するかどうか迷っていたものがありました。それは、吃音の人による自己物語で、理解のない教師によってクラスで恥をかかされ傷ついたという話でした。その話も語り手の繊細さが感じられて、是非とも紹介したいと一度は思ったのですが、実は、その物語には、数十年後の同窓会で、主人公がその教師に向かって過去の残酷な仕打ちを告発し戸惑わせる、という結末が付いていました。主人公の恨みは強く、教師の描かれ方にまったく共感の余地がない。心の「鍵」は閉められたままです。吃音の主人公にとってみれば、過去は決して生易しいものではないのかもしれません。しかし、その部分に少々嫌な感じを抱いた(ある種の執念深さを感じた)私は、授業で学生が同様の感覚を抱くのを恐れ、最終的には紹介素材からその物語を外しました。

おそらく、ポイントは、物語の聞き手を敵対的な存在として位置づけて挑発していくのか(「私の恨みは、そんな生易しいもんじゃない」)、それとも、一般的な共感の得やすさにうったえながら好意的な関心を引きだそうとするのか、という戦略的な部分に関わっているのだろうと思います。私が「きよしこ」の方を選んだということは、後者を無難な方針ととらえたことを意味しています。したがって、私にとって「きよしこ」は、「綺麗すぎる」と思われる犠牲を伴いながらも、内面描写の詳細さや主人公の穏健さによって、上述した後者の戦略(一般的な共感の得やすさにうったえながら好意的な関心を引きだそうとする仕方)を可能にする貴重な素材である、といえます。

吃音のことをまったく知らない人でも、違和感を感じる危険の少ない、その意味で安心して吃音の悩みに接近できる一冊だと思います。もちろん、この一冊だけで終わるのではなく、吃音への関心がより高まっていくきっかけにしていただければよいのではないかと思います。


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2012年01月30日

『摂食障害の語り――<回復>の臨床社会学――』中村英代(新曜社)

摂食障害の語り――<回復>の臨床社会学―― →bookwebで購入

「<人々による>回復の物語を際立たせる:社会学のナラティヴ・アプローチにできることのひとつ」

今回は、私自身の研究と同様の研究方法「ナラティヴ・アプローチ」を用いた作品を、ご紹介します。著者の中村英代さんは、研究会でよくご一緒する若手研究者です。

「ナラティヴ」は、「語り」あるいは「物語」と訳されることが多い言葉で、一般的には、病いを体験する人が自分自身の病いに対して行なう意味づけ、ないしはそうした意味づけに関わる言葉を指しています。私たちが何か理解しがたい出来事、納得しがたい出来事、あるいは理不尽な出来事に遭遇したときに、どんな言葉を発するでしょうか。しばしば発すると考えられるのが、「なぜ?」という言葉だと思います。この言葉には複数の側面があって、「なぜよりによって<私>が?」という孤独な気持ちが含まれるでしょうし、あるいは「何が原因なのか純粋に知りたい」という不思議さなども含まれるかもしれません。ただし、「原因」を求めるときには、たいてい「解決」がセットになって、「その原因が取り除かれることで解決する」ことが期待されるわけです。そしてその期待がかなえられた場合、「私は病いになった。原因がわかった。そしてそれが取り除かれて健康な私に戻った」という自分を主人公とする物語(自己物語)を語ることが可能になるわけです。

しかし、少し考えてみるとわかることなのですが、「原因」が必ず「解決」を導くとは限りません。確かに、たとえば細菌学による病原菌の発見が、その後(一定の時間差をおいて)ワクチン療法という解決法を見出し、華々しい成果をあげたケースも確かにあります。しかし、他の多くの病気については、「原因」がわかっていても「解決」に結びついていなかったり、「解決」に結びつくような「原因」が特定できていなかったりします。また、逆に、「原因」とは無関係に「解決」が導かれるという場合も、ありえます(「原因」と「解決」はセットだという思い込みを脱すれば、別にそれでもいいじゃないかと考えることもできます)。

この本の著者である中村さんが研究の過程で体験し悩んだことは、まさにこのことに関わっています。中村さんは、思春期に摂食障害と呼ばれうる状態(彼女の場合は過食・嘔吐)に陥ります。「治さなければ」という思いから、本屋で巻末に医療施設のリストがある本を探し、あちこちの医療施設を受診するも、回復にはつながらず、事態は悪い方向に向かうばかり(本書「まえがき」より)。このときの絶望感が、彼女が過食・嘔吐を脱したその後、研究のモーチベーションへと変わっていきます。

摂食障害に関する科学的説明としてどんなものがあるのか。中村さんは、これを大きく分けて三つに整理しています(本書第1章)。一つ目は、原因を個人に求めるパーソナリティ障害や成熟拒否による説明。二つ目に、原因を家族に求める母子関係論や家族システム論。そして三つ目は、原因を社会に求める社会学。社会学的説明はさらに細かく三つに分かれるのですが、たとえば、女性の身体が見られ評価されるようになってしまう社会の病理を問題にするフェミニズムからのアプローチなどが挙げられています。

これらの説明が、実際に摂食障害になった人にも妥当なものとして受け入れられ、その人を開放していく場合もありうるのですが、しかし皆が皆そうだとはいえないかもしれません。実際、中村さん自身がそれらの説明に違和感を感じているし、また、彼女が出会ってインタヴューに応えてくれた18人の摂食障害体験者たちの多くも、やはりそれらの説明ではとらえられないような語りを展開しています。

かくして中村さんは、「インタヴューに応えてくれた摂食障害体験者たちは、一体どのようにして自身の回復を語っているのか」と問います。それに対して導かれる答えは、先に挙げた科学的説明と見比べると拍子抜けをするかもしれない物語なのですが、そのような物語を敢えて名指すところにこそ中村さんの意図を感じるべきだと私は思います。つまり、特定の「原因」を必ずしも前提にしない物語にも輪郭を与え際立たせておくことで、これまで提出された科学的説明を使っては自分を物語れないと思う人たちの息苦しさが軽減されるかもしれないし、そのことを通して社会における物語の布置がいくぶんか是正されるかもしれない。このような意図のもとで、この本自体が差し出されているのです。

科学的説明それ自体もひとつの物語として扱う点や、自分自身の研究もまたひとつの物語と扱い、それにどのような意味があるのか自己省察する点には、ナラティヴ・アプローチの考え方の特徴がよく表れています。終章で「再請求」「解釈権」「解決権」に関する著者のスタンスを練り上げられなかった点など発展途上の部分も見受けられますが(「概念を理論的に詰めていく作業は、そうしたことを得意とする専門家に委ねたい」(265ページ)などと言わず、今後の研究の中で考え続けてほしい)、自分自身の根本的な問題関心を常に自問し続けた苦労が遂に結晶した力作だと思います。摂食障害に関する既存の説明に飽き足らない人はもちろん、摂食障害を分かったつもりの人にも一読をお勧めできます。

*今回の書評を専門家・専門職向けに簡潔にまとめた書評を『N:ナラティヴとケア』第3号(遠見書房)に掲載しました。よろしければそちらも併せてご覧ください。


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2011年09月29日

『在宅ケア「小規模多機能」―認知症やひとり暮らしを支える』土本亜理子(岩波書店)

在宅ケア「小規模多機能」―認知症やひとり暮らしを支える →bookwebで購入

「「24時間・365日の安心」の理想と現実」

以前の書評(2010年9月21日 注1)で「小規模多機能サービス拠点論」についてふれたことがありますが、今回は、そのようにして導入された小規模多機能(注1)が現在どのような情況にあるのかを知ることができる、優れたルポをご紹介します。
(注1)精確には「小規模多機能型居宅介護」といって、2006年4月の介護保険法改正で新設された「地域密着型サービス」のひとつとして創設されたサービスを指します。「小規模」というのは一事業所の登録定員が25人以下であることを意味しており、「多機能」というのは、「通い」(デイサービス)、「泊まり」(ショートステイ)、「(自宅への)訪問」を組み合わせることで利用者の生活を支えようとすることを意味しています。

ライターと介護福祉士(ヘルパー)の二足をわらじをはく著者の土本さんは、短時間の訪問サービスやサービスの種類ごとに事業者が変わることなどが利用者にとって心身的なマイナスになる部分があることを実感し、「自宅に24時間・365日の安心を届けます」とうたう小規模多機能に興味を持ちます(本書「プロローグ」より)。それをきっかけにして行なった取材から、いくつかの事業所の活動が詳細に報告され、その現状と問題点が考察されています。丁寧な取材に基づいているだけでなく、一部の事業所では利用者への取材も実現している(これは、事業所の理解や取材協力者との信頼関係構築などハードルも多く、 非常に手間ひまのかかるところがあります)ことから、現場の臨場感を伝える豊かな内容になっています。

この本を読んでいると、小規模多機能には魅力があることを感じます。たとえば、取材先のひとつである「多機能ホームまどか」(埼玉県新座市)の利用者である新一さん(89歳)は、徘徊癖の持ち主で、しばしば「家に帰る」などと言って家を出て行ってしまいます。同居している88歳の妻は、腰痛もあって、追いかけていくことができません。このようなときに「まどか」に「そっちに向かっています」などと連絡すると、スタッフが車で探しに行ったり、あるいは近所に住むスタッフに連絡をとって探しに出てもらったりします。また、妻の腰痛の状態によって訪問介護を増やしたり減らしたり、ということも行なわれています(本書52-62ぺージ)。このように、近隣の小規模多機能が利用者の状況にあわせてサービスを柔軟に対応させトータルにサポートすることで(注2)、それがなければ「もう施設に入れるしかない」と家族が思いつめてしまうような人でも、少なくともある程度の期間、在宅をベースにした生活ができる可能性があると思います。この例の他にも、地域包括支援センターの委託を受けて成年後見制度を活用し、利用者が訪問販売等にだまされないようにする試みをしている事業者や(本書121ページ)、医療依存度の高い人の受け入れにこだわりを持つ事業者など(本書128-140ページ)、興味深い活動をしているところがあります。これら個性豊かな事業者が、各地域に比較的多数できて、それぞれの良さを活かし足りない部分は補い合うためのネットワークを組むことができれば、非常に強力なサポート制度になるのではないかと感じられます。

(注2)ただし、実際には訪問に力を入れていない事業所もあることが、本書115ページで報告されています。小規模多機能であれば皆このようにしている、とは考えない方がよいかもしれません。

しかし、土本さんの取材と分析によって、この小規模多機能が深刻な制度的問題を抱えていることが明らかになっています。もともとこのサービスが設計されたときに想定された利用者は、中重度の要介護者(要介護3以上)でしたが、現状では要介護1~2の軽中度の人による利用が多くなっています。すると、サービスを提供した場合に事業者に払われる介護報酬が、軽中度の人の場合は低めに設定されているため(本書34ページ)、事業所はきわめて厳しい経営を強いられることになります。およそ20人の登録定員(上限の8割)を常に確保していないと黒字にならず、事業所によっては運営者(多くの場合は施設を開いた代表者)が給与を放棄することで経営のつじつまをあわせているところもあります。また、思うようにスタッフの人数を増やせない状況で、利用者の生活をトータルにサポートするといっても、おのずから限界が発生し、その線引きに関する悩み(「小規模多機能はどこまでサービスを行なうのか」本書63ページ)が発生します。(注2でふれた「訪問」部門の縮小も、おそらくこのことに関係があると思われます。)これでは、いびつな制度と言わざるをえません。

近年になって出てきた言葉であるため「小規模多機能って何?」と思われている方も多いだろうと思います。理念ばかりでなく実態をふまえた、具体的で分かりやすい一冊です。小規模多機能の魅力と、その魅力がこのままでは育っていかない現実と、いずれをも理解できると思います。


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2011年03月25日

『<当事者>をめぐる社会学――調査での出会いを通して――』宮内洋・好井裕明編著(北大路書房)

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「「当事者」を語ることの意味」

「この苦しみは体験した者でなければわからない」。これは、私が研究の過程で知り合ったある難病を持つ方が、専門職を前に体験談を語った中で出てきた言葉です。一瞬、「あなたたちは『非当事者』であり、私の気持ちなんかわからない」を言われているようで、ドキリとします。しかし、そう言いながらも、その人は専門職に語りかけており、決して(少なくとも全面的な)拒絶は感じられない――ここでは、「当事者」という言葉に、軽微な断絶とともに「もっと関心をもって見てほしい」というつながりの要求が潜んでいるように思われます。もちろん、別の場面、たとえば「この場の議論には『当事者』不在だ!」と言われるとき、そこでは「当事者」と目される人の声が十分に聴かれていないこと、そしてそのことが何らかの損害につながっていることが告発されています。

このように考えてみると、「当事者」という言葉は、なかなか奥が深い、とても単純なようで、それでいて考えれば考えるほど複雑な言葉であるように思えます。

この本は、そうした「当事者」の奥行きと複雑さについて考えさせられる本です。執筆陣は、気鋭の社会学者たちによって構成されており、扱われる領域は、性風俗店で働く「おんなのこ」たち(第1章 熊田陽子)、性同一性障害のカウセリング場面(第2章 鶴田幸恵)、環境運動(第3章 西城戸誠)、農業(第4章 松宮朝)、移民経験者(第5章 樋口直人)、障害者の家族や支援者(第6章 中根成寿)、認知症の人とケア労働者(第7章 天田城介)、テレビメディア(第8章 石田佐恵子)、そして差別(好井裕明)とバラエティに富んでいます。どの執筆者の調査体験も非常に興味深く、また、読んでいて、自分自身が研究の中で知り合った方たちとのさまざまな場面が、頭の中に浮かんできます。

たとえば、私は吃音(きつおん=どもること)のセルフヘルプ・グループに2002年以来参加させてもらって論文を発表したことがありますが(現在でも時々参加させてもらっています)、ふりかえってみると、集会の最初の方で参加者が自己紹介する場面では、そこに居るのが常連メンバーだけという場合でなければ、「私自身は吃音ではありませんが…」とはっきり言うようにしているようです。いつもこの台詞を口にする瞬間、なんだか必要以上に「私とあなたたちとは違うんだよ」ということを強調しているかのような軽微な気まずさを感じながらも、何かはっきり言う必要もあるような気がして、何とはなしに続けてきた習慣です。しかし、この本を読みつつ考えてみると、そこではっきり言っておくことによって、私のことをよく知らない参加者が「あの人は、とても吃音には見えないけど、本当のところはどうなんだろうか」という疑問を悶々と抱いたり、ある時思い切って「伊藤さんは吃音なんですか」と聞いてみて「違うよ」と言われたときの気まずさ(あるいは「裏切られた」とか「だまされた」と思う)危険をあらかじめ防いでいると考えられます。また、少し世知辛い言い方をすれば、「私は当事者でないから、グループの関心や運動に100%同一化できないかもしれない」とあらかじめ断っている、という見方もできます。一方、聞く側に「なんだか冷たい言い方だな」という印象を持たれて、近寄りがたい奴だと思われる危険もあります。

このようにしてみると、「当事者」という言葉は、ある体験への近さについて「当事者/非当事者」という線引きを行なう行為の産物としてとらえられるように思います。この言葉を使うことで何かが行なわれ、それに伴って、発話者やその他の人に何らかのメリット・デメリットが生じます。そうすると、「当事者」を何か固定的・実体的なものとして考えるよりも、もう少し動的なものとして、つまり、ある場面では「伊藤は非当事者だからわかるまい」と思われるかもしれないし、別の場面では「伊藤は傍観者よりもずっと近い、ほとんど『当事者』と変わらない」と思われるかもしれない、そういう<たえず線を引かれ直されうる>ものととらえた方がよいのではないか、と思います。

改めてこのように述べてみると、何だか当たり前のことを確認しただけのような気もするのですが、私のような質的調査研究(フィールドワークやインタヴュー調査)を行なう者にとっては、定期的につい点検してしまう、そしておそらくその必要があることなのだろうと思います。なぜなら、調査の過程では、強い思いを持った人や、いわゆる重たい現実に直面することが多々あり、特にメンタル・コンディションが悪い時などは、「非当事者」である自分の無力に打ちひしがれてしまうので、その状態を相対化し、自分を立て直し鼓舞する作業が必要になってくるからです。そのためには、自分が徹頭徹尾「非当事者」と決めてかかるような発想は正しくないし有害である、ということに改めて気づく必要があるのです。

ですから、質的調査研究を行なっている人で、「当事者」との関係の作り方、維持の仕方に悩んでいる人にとっては、この本は有意義な刺激を与えてくれる一冊になると思います。どこから読み始めても最初はつかみどころがないように感じるかもしれませんが、少し我慢してすべての章を読んでみていただきたい。単純に「研究対象者」イコール「当事者」といえないことや、「当事者に近いほどよい研究ができる」というわけではないことなど、さまざまな発見が得られると思います。


*この本の書評に関しては、もう少し専門家向けの内容の書評が近々『社会学評論』に掲載される予定です。購読されている方は、是非そちらも併せてご覧ください。


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2011年01月20日

『自立と支援の社会学――阪神大震災とボランティア――』佐藤恵(東信堂)

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「現場に学び、<支援>の核心に迫る」

今回は、いつも研究会でご一緒させていただいている先輩の佐藤恵さんの本を紹介します。

この本で取り上げられているのは、阪神大震災以後のプロセスにおいて、とりわけ障害者や高齢者といった(いわゆる「震災弱者」とされる)被災障害者に対して行なわれてきた支援活動です。1995年以来続けられているボランティア/NPOへの聞き取り調査にもとづいています。

大震災は、ある意味では健常者も含めて日常生活が崩壊し皆「弱者」化する出来事だったといえます。しかしその後すぐに、障害者の不利は際だったものになっていきます。たとえば、下半身麻痺で車いすの必要なA氏(68歳)は、自宅近くの中学校の体育館で避難生活を送りますが、車いすを屋内外で使うことを嫌がられる雰囲気を感じて、往来が激しく寒い出入り口付近に移らざるをえなくなります。Aさんは肺炎にかかってしまいますが、一晩中せきこむ彼には「うるさいから入院せえ」という声がかかったといいます(『自立と支援の社会学』93ページ)。この例だけでなく、ゆるやかな復興プロセスの中で、社会的な余裕のなさが、高齢者・障害者に向けたサービスを一種の依怙贔屓ととらえてしまったり(一律平等主義)、あるいは「地域に戻れる態勢が整うまで」という口実で実際には長期間障害者を施設に収容する(地域社会からの排除)といったことがおこったと指摘されています。

このようにして、阪神大震災以後のプロセスにおいて障害者や高齢者はますますヴァルネラブルな(vulnerable=傷つきやすい)存在になっていくわけですが、しかしその一方で、こうした人々はまったくの無力な存在ではなく、たとえば障害者の中には(震災以前の経験から)生活支援ネットワークを作る術に長けている人がいるなど、少なからぬ人が必要な手助けのもとで自分の生活を切り開いていける潜在性を持っている、ともいえます。この本でいう「自立」とは、まさにそのようにして必要な支援のもと「どこで、だれと、どのように生活したいか」を自己決定する過程を指しており(同書28ページ)、そのために必要な支援を具体的にとらえる枠組みと視点を提出しているのが、この本なのです。

一例として、支援者が被災者にとるアプローチないし関係のとり方について着目してみましょう。被災者が混乱や落ち込みなどでなかなか前向きになれなかったり、あるいは支援者が障害者と接した経験をあまり持っていなかったりする場合、支援者は何をしていいかわからないような状況に陥ります。また、かりに被災者のニーズがわかったとしても、何でもその言いなりになるわけではなく、場合によっては支援活動の維持のためにできることを限定するといったことも必要になってきます。これらのことは「自分たちは本当に役にたっているのか」「このような支援のあり方で本当によいのか」という疑問を抱え続けなければならないという、支援者のヴァルネラビリティ(傷つきやすさ)につながると考えられます。しかしこの本で取材されているボランティア/NPOは、そうした部分を「わからない」ものとしておいたまま、被災者の語りに耳を傾け、対話的にともかくも関係を継続することを信条としているようです。とかく(最近流行の)「共生」などという言葉を聞くと、どうしても「わかりあえる」「ニーズをキャッチできる」ハッピーエンドの物語を安易にイメージしがちですが、ここで浮かび上がる「共生」は、決して完全にはわかりあえない者同士が、時には弱さや限界ゆえに摩擦をおこしながらも、それでも何らかの形で耳を傾け、時には何らかのはたらきかけをおこなう、そのような持続的な関係を示唆しています。

ここでは「共生」への示唆を取り上げましたが、それ以外にも、たとえば、自己決定のための支援をとらえるための「要素」と「隙間の発見」という枠組みの提示や、行政との(対抗的というよりもむしろ)「ネットワーキング的」関係のとり方など、いろいろと考えさせられ、また頷かされる点が多々あります。これは決して震災に限定される話ではなく、ほかの多くの領域で<自立的な生に向けた支援>を模索する問題意識の持ち主に対しても、必ずや触発を与える一冊になるだろうと思います。


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2010年11月23日

『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ――』田島明子(三輪書店)

障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ―― →bookwebで購入

自分自身がぼんやりと感じた違和感に徹底してこだわりなさい、と社会学ではしばしば教えられます。というのも、そうした違和感は、日々の生活の中では流されてそのままにされがちですが、実は非常に重要なテーマにつながることが少なくないのです。
この本の著者の田島さんは、作業療法士としてのキャリアを、障害者の生活支援のための施設からスタートさせました。そこで彼女は次のような経験をします。どう評価しても一般就労は難しいと思われている人が「一般就労がしたい」と言うと、症例報告会や職員間の会話で「あの人は『障害受容』ができていない」と言われるのです。これを聞いて田島さんは、「もし私がクライエントの立場なら、そのようにこの言葉を用いられたら、とても嫌だな」と思ったといいます(『障害受容再考』ⅳおよび2~3ページ)。そしてこのぼんやりとした違和感は、その後の研究を通じて育まれ、この本を貫く問題意識へと発展しています。

本の構成としては、前半の第4章までで、リハビリテーションの専門誌における「障害受容」の語られ方や、障害のある人へのインタヴュー、そして南雲直二氏の「社会受容」論の検討を通して、上に述べた問題意識が暖められ、続く第5章からは、リハビリテーション臨床で働く7名の作業療法士へのインタヴューを起点として、「障害受容」に関する考察が行われます。それによれば、「障害受容」という言葉には、自分の身体を思い通りに制御し生産活動を行う「能力」を標準とし、リハビリテーションによってそこに近づくべきだとする「能力主義的障害観」が染みついています。このような障害観が押し付けられることは、クライエントが別様の障害観を探す道を閉ざすことにつながります。そこから抜け出すためには、能力の回復・改善を軸にしないハビリテーションの在り方が模索されなければなりません。それについて田島さんは、能力の回復・改善を第一義的な目標とはせず、身体を介した対話を通してクライエントの身体の世界に意味を与えていくような営みに、可能性を見い出しているようです(『障害受容再考』「補遺」より)。

「受容」をめぐる繊細な側面については、私も常々感じるところがあったので、それに正面から向き合う田島さんの問題関心には大いに共感します。私がこれまでセルフヘルプ・グループ等で会ってきた人たちは、自分の変化を表わすために「受け入れる」という言葉を使うことがありました。しかし、他の人に「あなたは病いを受容していますね」などと言われると、「う~ん、そうなのかな」と当人は首をかしげる、そんな場面に少なからず遭遇してきました。他方、治療や援助の専門家が病いをもつ人の状態を指して「あの人は受容できていない」と表現する場面はしばしばありました。どうやら、この「受容」という言葉は、専門家が、病いをもつ人が不在の状況で使う言葉である、という傾向が見受けられます。

さて、ここからさらに次のように考えを進めてみます。たとえば、リハビリテーションの過程において、セラピストの方がクライエントの能力の回復・改善に向けて頑張っているのに、肝心のクライエントがそれに付いていっていないという状況がありえます(このような状況を便宜的に<状況A>と呼びます)。この状況では、確かに、セラピストの目標に含まれる固定観念(「能力主義的障害観」)がクライエントに押し付けられるかっこうになっており、したがってそこから自由になること(この本では「障害からの自由」と呼ばれています)が重要と考えられます。しかし、たとえば、セラピストが、損傷等を負った身体部分の機能の回復を諦めて、他の身体部分や補助器具などを使って生活することを目標にしましょうと言うのに、クライエントの方がなかなかそれに「うん」と言わないケース(この本の30ページで言及されているものです)、あるいは、既に挙げた、どう評価しても一般就労は難しいと思われている人が「一般就労がしたい」と言うようなケースについては、どうなのでしょうか。これらの状況(便宜的に<状況B>と呼びます)においては、セラピストよりもむしろクライエントの方が「正常な身体」にこだわっており、「能力主義的障害観」も色濃く表れています。

このように<状況A>と<状況B>とは異なっているにもかかわらず、「障害受容」という言葉は、両方について便利に用いられる言葉になっています。つまり、「能力主義的障害観」がセラピストとクライエントのどちら側にどのような濃淡で表れており、それがいかなる意味でクライエントの苦しみにつながっているのかという点について、この「障害受容」という言葉は何ら分析性能を発揮せず、クライエント個人の心の問題としてひとくくりに扱っています。その一方で、「あの人は受容できていない」とさえ言ってしまえば、専門家の方は、状況がもたらす閉塞感やストレスからとりあえず身を引きはがし、自己を防衛することが可能になります。このように、クライエントの経験に対してはおおざっぱでありながら、専門家にとっては自己防衛の機能をしっかり果たす都合のよさがこの言葉にはあり、それが田島さんはじめ少なからぬ人に違和感を抱かせているのではないか、と思えるのです。

<状況A>では「能力主義的障害観を押し付ける専門家」対「押し付けられるクライエント」という図式が一見して成り立っていますし、そこから「自由」になるべきだ、という言い方もわかりやすい。しかし<状況B>となると、先の図式は必ずしもあてはまりませんし、そこから「自由」になるという理想像も、一筋縄では語れなくなるように思います。これは、リハビリテーションにおけるセラピストとクライエントの関係だけに収まらない非常に大きな射程を持つテーマだと思います。

自分自身のぼんやりとした違和感にこだわり続けることで、やがて大きなテーマにつながることを、この本は端的に示しています。何か完成したものを「与えてくれる」というタイプの本ではなく、むしろ未整理で未完成な部分を残しながら、読者にいろいろなことを考えさせるタイプの本です。部分的には一読の限りでは難解なところもあるかもしれません。それでも、願わくばセラピストの卵たちのすべてがこの本を読んで<考え悩む>セラピストになって欲しいと思います。病いの社会学からみて重要な一冊に挙げられる本です。


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2010年09月21日

『老い衰えゆく自己の/と自由』天田城介(ハーベスト社)

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「根源的な生き難さへの問い」

さまざまな研究やドキュメンタリーなどで「素晴らしい介護の実践」や「これからの社会の切り札となる介護」が紹介される時、何か違和感を覚えることはないでしょうか。それは、確かにそれが素晴らしいものであることを心の半分で認めつつ、しかし心のもう半分では、事の背景にある問題がそんなに簡単に片付くものだろうかという疑問、あるいは、そもそもの苦しみや悩みの部分が置き去りにされてしまっているのではないかという疑問のようなものを抱いている、そんな感覚です。この本の著者である天田さんは、1990年代に興隆した小規模介護施設を推進する言説(「小規模多機能サービス拠点論」(注))に対する違和感から論を起こしています。もちろん、そのような小規模な施設では、大規模施設ではとりにくい施設スタッフと利用者とのコミュニケーションが展開されている可能性があります。しかし、その内実を吟味することなく、ただ「小規模多機能サービスこそ、これからの切り札だ」というふうに見せることは、私たちに、それらのケア実践が、あたかも老い衰えゆくことの根本的な生き難さに対する万能の<解決策>であるかのうような印象を抱かせるかもしれません。

注1:小規模多機能サービス拠点論とは、住みなれた地域で(在宅を基本として)暮らし続けるために、「通う」(デイサービス)、「泊まる」(ショートステイ)、「家に来てもらう」(ホームヘルプ)、そして場合によっては「住む」(グループホーム)といった多機能から成るサービスを、各地域(比較的限定されたエリア)を担う拠点が提供する、という構想ないしモデルを指します。比較的限定されたエリアであるために、サービス拠点ないし施設は、住民と顔の見える関係を築けるような小規模なもの(例えば、民家を改造して施設にする、等)となるわけです。

この本でいう「老い衰えゆく」は、いわゆる痴呆(認知症)のことを指しています。しかし、痴呆とされる人がアイデンティティ保持のために必死にあの手この手を弄する(つまり、その点についていえば、私たちと変わらないかもしれない)様子がこの本で描かれていることからもいえるように、天田さんにとっては「痴呆/非痴呆」の区別自体が定かではありません。さらにいえば、「あの人は痴呆だ」ということによって、「正常な私たち」から「痴呆の人」を切り離すアイデンティティの政治に染められている側面があります。そのため、この本では、例えば「ボケゆく」といった言葉ではなく、あえて一般的な「老い衰えゆく」という言葉が選ばれています。

第2章では、老い衰えゆくこと「根源的受動性」が論じられています。「根源的受動性」というのは、老い衰えてゆくことが、本人の意思に関わらずその人に襲いかかってくるものであり、その結果、自己の身体はケアを無防備に「受ける」ものとなり、なおかつそうした苦しみを言葉にすることもままならない、ということを指しています。これは、本人にとっては暴力的とさえいってもよい経験であり、そのことが、しばしば周囲には「問題行動」と呼ばれる行動に結びついている可能性があります。このような苦しみの根深さをふまえれば、それを安易に解決されるものとして見せてしまう言説(先に挙げた小規模多機能サービス拠点論も、その一つ)からは、徹底して距離をとるべきだということがいえます。

続く第3章では、「施設介護(特別養護老人ホームの痴呆専門棟)」「家族介護(実子、長男の妻)」「高齢夫婦介護」という三つの領域において、本人のみならず介護者においても生き難さが深化していく様が、著者自身の調査によるデータを分析しながら、論じられています。そこで浮かび上がってくるのは、老い衰えゆくことに対して人々が懸命に対処しようとするプロセスのなかで、ある種のアイデンティティへのこだわりが生じてしまう、ということです。例えば、高齢夫婦における介護で、介護する配偶者は、以前とはすっかり変わってしまった伴侶を嘆きながらも、その伴侶が「(言われたことや起こっていることを)わかっている」のではないかとしか思えない場面に出くわします。すると、介護する配偶者は、伴侶に対しては、そうした「心」や「感情」がまだある人なのだと認識を再構成しながら、(家族など)周囲の人にもその出来事を話して共有してもらおうとすると考えられます。しかし、そのような微細な出来事を周囲の人が共有して維持するのは難しい。なぜなら、周囲の人が実際に目にするような多くの場面では、やはり「痴呆」としか見えないからです。その結果、介護する配偶者は、自分だけがこの人の「心」「感情」を代弁できるのだ、という思いを深めます。そして、「やはり介護は他人任せにせず、夫(または妻)たる自分がせねば」という思いが芽生え、「夫」あるいは「妻」としてのアイデンティティを強化する形で介護を抱え込んでいくことになってしまいます。

第4章では、1990年代以降先駆的と言われた宅老所やグループホームのケア実践者に対して行われたインタヴューをデータとして、分析が行われています。興味深いことに、これらの実践者は、しばしば自分たちが「無力」で「不完全」だと語ります。これは単なる謙遜というよりも、むしろ、老い衰えゆくことと折り合いをつけ「よりましな場」を目指していく営みとして自己認識していることを指しています。そして、その過程において、「ケアする者」と「ケアされる者」というアイデンティティの対は、しばしば宙づりにされる、と天田さんは分析しています。

(インタヴューでの語り:一部引用者による編集あり) 「ある日、○○さんが穏やかで優しい△△さんを杖で叩いたのですね。それを見て、私はもうキレてしまったんです。『何で△△さんを叩くの! 何もしていないひとをいじめたらいかんでしょう。○○さんは民生委員しとったのやろうが。その名前を汚すとね!!』って叫びました。すると、今度は杖を振り上げて私に襲い掛かってきたんです。あまりにもすごい形相でしたので、ちょうど玄関にたまたま置いてあったカメラを構えて、襲い掛かってくる彼女を写したんですね。だけど、その写真を撮られたことで彼女はさらに逆上して、もう無茶苦茶に叩かれました。気がつくと、私も必死で叩き返していました。その一件があった後、○○さんは私に向かって『おい、S子!』というふうに娘の名前を呼ぶようになっていきました。これでもかこれでもかとばかりに難問を突きつけられて、まるで『分かったつもりでいるなよ!』って言われている気がして、私たちは彼女の存在そのものに圧倒され、強く深く魅かれていきました。(『老い衰えゆく自己の/と自由』204-5ページ)
利用者に対して「キレてしまった」ばかりではなく、襲い掛かってくる利用者にカメラを向け、しまいには叩きあいの喧嘩をしてしまう――ここでは、語り手と利用者との関係はもはや「ケアする/される」といったものではなくなっています。そして、語り手は、このように<起こってしまった>ぶつかり合いの中で「ケアする者」のアイデンティティを脱ぎ捨てる(というよりも、脱ぎ捨てざるをえない)ことになります。この事件を経て、語り手から見た利用者は、自分に対して何らかの信頼を持ってくれる存在になっています。とはいえ――ここが重要なところだと思うのですが――二人の関係は必ずしも安定的なものではなく、むしろ「『分かったつもりでいるなよ!』って言われている気が」たえずするような関係が続きます。つまり、一定の信頼感が持てるようになった関係においてさえ、「ケアする者」としてのアイデンティティは、常に脅かされる弱さを備えたものになるのです。天田さんによれば、優れた実践者たちは、そうした弱さを隠そうとか解決しようとしたりするのではなく、むしろ利用者に対してもオープンにしつつ(「弱さの情報公開」)、ともに「よりましな場」を創っていこうとするスタンスをとっているようです。

このように、データから見えてくるのは、「ケアする/される」ことに関わるアイデンティティへのこだわりが(たとえ一時的にせよ)溶解していまうような営みである、といえます。ただし、これらの優れた営みでさえ完全無欠の<解決策>とは言い難いことは、上に引用した例からも十分に感じとれるのではないかと思います。それらの営みは、老い衰えゆく人との生身の人間としてのかかわりを続けていく中で偶然に産み落とされる性質が強く、また、他の場面への転用が利く「how to」的な知ではありません。このように考えると、老い衰えゆく経験の中で、私たちがからめとられてしまうもの(アイデンティティへのこだわり)から自由になることの確かな理論的根拠が求められるのでしょう。この本の第5章は、著者がそうした理論的根拠を探し求める思索の旅の様相を呈しています。私が思うに、天田さんは、そうしたとらわれからの自由を安易に、かつ楽観的にとらえることを徹底的に警戒し、もしそのような自由があるとすれば、それはあくまでも、私たちが老い衰えゆく身体からの届かぬ声を無視したり忘却するのではなく、たえずそこから<呼びかけ>られ、またそれに<応答>するような関係を築いたうえでのことである、という主張を貫こうとしています。

分量が多いうえに理論的にも高度なので、初学者にはハードルが高いかもしれません。しかし、私たちの社会において根本的な生き難さに目を見据え続けることの重要性を、これほど骨太に論じた本はなく、私が思うところの<社会学らしさ>の真髄を表す一冊といえます。認知症のみならず、様々な病い、あるいは障害にも通じる内容です。向学者は是非一度チャレンジしてみてほしいと思います。


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2010年05月28日

『ALS――不動の身体と息する機械』立岩真也(医学書院)

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「<負け戦>を語ること――ALSをめぐる社会批判の視座」

今回はALSを社会学的に考えるうえでは基本書となる一冊を取り上げます。著者である立岩真也さんは、1960年生まれの社会学者で、現在は立命館大学大学院(先端総合学術研究科)の教授をされています。

以前の当ブログでも述べたように(2008年10月23日)、ALSという病気を文字通り治してしまう方法は現在でも現れていないものの、病気によってできなくなることを補って比較的長期にわたる生活を可能にする技術が発達してきています。例えば、わずかな筋肉の動きから操作できるコミュニケーション機器、胃ろう、人工呼吸器などです。しかし、これら装置の発達は、人々がただちにそれらを採用して長く生きるようになるという事態に、ダイレクトに結びつくわけではありません。むしろ、両者の間には大きなギャップがあるように思えます。この本は、そうしたギャップを突きつけるようにして、私たちの社会がいまだに生きやすい社会になっていないことを描き出す、一種の社会批判として位置づけられます。

ここでは「医療批判」とは言わず、「社会批判」と言っておきたいと思います。というのも、著者の立岩さんも認めていることですが、ALSの医療として実際に何が行われてきたのかという点では、患者やその家族による体験手記を中心とした文書資料に頼る分析には、自ずと限界がついてまわるからです。たとえば、患者の手記において、書き手が「逆境にめげず長く生き延びた」ことを強調したいとします。すると、「医者は『予後は3年』と言い放った」という表現で告知の一場面を描くのが効果的、ということがありえます。この場合、「予後は3年」の前後に医師が何を言ったのかは省かれているかもしれませんし、「医者」に冷ややかな性格づけを与えることが、「逆境にめげず長く生き延びた私」を際立たせることになるわけです。これはあくまでも架空の例ですが、要するに、特に体験手記などの場合、それが物語(ストーリー)としていかに成立しているのかという文脈を考慮にいれなければならないので、過去にどのような医療に関するコミュニケーションがおきたのかを示す資料としては、必ずしも無条件に第一級の信頼をおけるものではないということです。

しかし、このような方法論的制約を伴いながらも、文書資料がデータとして雄弁に語る部分があります。一つは、「家族」の位置づけに関する部分。この本では、家族は本人のよき理解者・支援者になりうる反面、「最大の利害関係者」でもあることが、明確に述べられています。確かに、自分自身にふりかかる極めて大きい介護の負担や、経済的負担、あるいはそれらの負担によって家族関係が破綻してしまうことへの恐れなどから、家族の側に「このまま気管切開しないで逝ってほしい」という心理が発生する場合がありえます(このような心理それ自体は決して非難されるべきではありません。なぜなら、そのように非難しようとするとき、「家族はたとえどのような負担や犠牲を引き受けてでも介護にあたるべきだ」という強い前提(思い込み)が既におかれているからです)。立岩さんは、そうした家族の二面性はサクセス・ストーリーとしての闘病記ではまず表れないだろうと論じたうえで、それでもその痕跡を示す少数の資料(『ALS』での資料番号【226】および【388】)を示しながら「最大の利害関係者」としての家族という――現場ではよく知られていても正面きってはなかなか語られない――事実を説得的に浮かび上がらせています。ここでは、データの<寡黙さ>が、逆に雄弁さにつながっているわけです。

もうひとつ、今度はデータの<分厚さ>が雄弁さにつながっている部分もあります。日本ALS協会の設立(1986年)に尽力し初代会長にもなった川口武久さんについて論じた部分です(同書第6章および第7章)。ここで立岩さんは、川口さんの生前に出版されたいくつかの資料から詳細に引用を重ねることで、(気管切開をともなう)人工呼吸器装着をめぐる川口さんの逡巡を、ありありと浮かびあがらせています。彼はしばしば「人工的な延命」は望まないと述べます。しかし、その一方で、当時自分が食べていた刻み食だって延命工作ではないかと人に言われると、その通りとも思います。「じつのところ、どこまでが自然の生で、どこから先が人工的に生かされていることになるのか、その境界をどこに置けばいいのか、私にはわからない」(同書資料番号【327】)。また、彼は人とのコミュニケーションがとれなくなることは耐えられないことだと語りますが、1980年代当時、意思伝達を助けるコミュニケーション機器の開発が進み、使用を始めている人もいる、ということも知っていました。さらに、彼は日本ALS協会の設立運動などを通じて、多くの人と交流して影響を与えており、そうした人の中には「私たちのためにも生き延びてほしい」(同書資料番号【374】)という人もいました。それでも、川口さんは気管切開をすることなく、1994年に亡くなります。「私は人工的な延命を受ける勇気はなく、生きがいにも乏しい。人の倍以上生きて生かされてきた体はくたくたに疲れきってしまった。……」(同書資料番号【374】)。

こうした分厚い記述と分析を通して浮かび上がっているのは、川口武久さんにとって、(気管切開のうえ)人工呼吸器をつけて長く生きる自分という存在が、どうしようもないほどに否定的なものとしてとらえられていた、ということです。先に挙げたように、「人工的な延命」だからとか、「コミュニケーションがとれなくなる」からといった理由が少なくとも論理的には成り立たないことは、川口さん自身もよくわかっていたと思われます。また、彼に向かって「生き延びてほしい」と語る人(承認を与えてくれる他者)もいました。それらのものがあってなお否定性を覆えせない生き難さが、そこにはあったのです。

立岩さんが最も力を込めて批判しているのは、以上に述べたような社会的状況において、人々が生を断念することを正当化する説明として機能する考え方です。特に、「無駄な延命はしない」(安楽死・尊厳死の安直な推奨)とか、あるいは「本人が決めればよい」(自己決定至上主義)といった考え方が、ALSの社会的文脈や特性を無視する形で結びつけられてしまうと、人々による生の断念は「それでよかったんだ」とだけ語られ、その外側にある人々の生き難さと、社会の側にある不足は、あたかもそこになかったかのように感じられてしまう危険がある――このことを立岩さんは問題視しているのだと思います。

この本で示された社会批判の視座は、ALSとその支援を社会学はいかに記述するべきか(あるいは、そうした記述を通していかに認識すべきか)について、基本的な指針を与えてくれます。川口武久さんの経験においてあれほど根強く覆しがたかった否定性は、それから20年たとうとしている今も、簡単に取り除かれているようなものではないでしょう。真摯な支援も、ある意味では<負け戦>に落ち着くことが少なくないと思われます。そのような時、私たちはついつい少数のサクセス・ストーリーに酔いやすく、また死を納得させる言説にすがってしまいがちです。しかし、そのことで、家族の二面性も、本人の生き難さも、そして社会の側にある不足も、その存在の輪郭すら与えられないままになってしまうかもしれません。したがって、社会学的記述実践として求められるのは、サクセス・ストーリーや死の納得の<外側>にあるもの――<負け戦>も含めて――にも冷静に焦点をあてながら、社会の側にある不足を浮かび上がらせるような記述実践ではないかと思うのです。


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2010年01月29日

『逝かない身体――ALS的日常を生きる』川口有美子(医学書院)

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「エスノグラフィーに触発される気づき――ALSのコミュニケーション論――」

私は2007年から、ALSの患者会である日本ALS協会の方々とも縁あってお付き合いをさせていただいています。今回はその一人である川口有美子さんの本をご紹介します。

川口さんのお母さんの病名がALSと確定したのは1995年8月、当時62歳のことです。進行はきわめて早く、同年12月には救急入院のうえ気管切開と胃ろう造設を行い、人工呼吸器を着けて自宅での生活へと移ります。この本には、その経過が詳細に綴られています。「あとがき」では「けっこうたくさんいる同じような家族の心模様を私小説のように描きたかった」とあるように、著者個人の体験を豊かな言葉で表現することを通して、家族介護者の経験と心理、あるいはその他の社会的なテーマへと読者を導く内容になっています。その意味で、この本は優れた自己エスノグラフィー(autoethnography)としてとらえられるでしょう。

(*ALSについては当ブログの2008年10月23日および2008年12月30日のエントリーもご覧いただければ幸いです。)

それらテーマの中から、今回は「コミュニケーション」にスポットをあててみたいと思います。ALSは、全身の筋肉を動かせなくなっていくので、意思を伝えることも困難になります。そうした中で、体の中のどこか動くところを利用してコミュニケーションをとる方法があります。例えば、介助者と向かい合って「文字盤」(透明なプレートの上に五十音などが書いてあるもの)を間で動かしてもらい、視線があうところの文字を拾う方法や、指や顔などのわずかな動きを察知するスイッチを付けて、それを操りながらパソコンに文字を入力していく方法などがあります。しかし、病状が進行すると、そうした方法も通用しなくなり、やがて、まったく外部に意思を示さない様相を呈する状態に至るケースもあります(このような状態はTLS(Totally Locked-in State)と呼ばれています)。

川口さんのお母さんもそのようなプロセスをたどったため、川口さんはたいへんに悩みます。母は言いたいことも伝えられず、苦しくて不幸のどん底なのではないだろうか、と。しかし、多くのALS患者との交流の中で、川口さんはコミュニケーションが持つ(なかなか気づかれない)一つの側面について興味深い洞察を得ています。

例えば、橋本操さんの場合は、ヘルパーが順に読み上げる音を瞬きで指示して確定します。もし「ね」を選ぶのであれば、「あ、か、さ、た、な…」の「な」で瞬き、次に「な、に、ぬ、ね…」の「ね」で瞬き。こうして一文字一文字を拾って行って単語を完成させるわけです。日常生活に関するやりとりならそれで十分かもしれませんが、議論や交渉のような複雑なやりとりでは時間がかかりすぎるきらいがあります。そこで信用のおける「意訳者」が選ばれて、短い言葉から発話内容を推測し長い文章にして相手に伝えることになります。川口さんも「意訳者」を務める一人なのですが、自分は橋本さんの意図をどの程度正確に伝えられているだろうか、と疑問を感じます。

たまに意訳しすぎて彼女の意図していないことまで言ってしまうこともあるかもしれない。そんなときも橋本さんは、にやっと笑うだけ。普通の人なら、自分の考えと違った内容が少しでも混じって伝えられたりすれば怒ったり焦ったりするだろうが、そうしても空しくなるばかりなので、とうに諦めているのだろう。(『逝かない身体』209-210ページ)


ただ、その一方で、橋本さんが思うように正確に伝えられない悔しさをにじませた、というエピソードも紹介されています(同書210ページ)。こうした部分を軽く見ることはできませんが、それでも、自分の言いたいことを正確に伝えることにこだわりすぎない「意味の生成さえ委ねる生き方」(同書210ページ)もあるのかもしれない、と川口さんは考えます。

考えてみれば、日常的な会話の中で、自分の言ったことを相手が取り違えたと気づくことはしばしばあります。しかし、それに必ずしもこだわらず、むしろ「ま、いいか」とあきらめることで、その後の会話の中の展開を楽しむことができる。こんな経験を、誰しも持っているのではないでしょうか。しかし、私たちは、いざ「コミュニケーション」を考えようとすると、ついついそうした部分を忘れてしまって、「自分の意思を正確に伝えられるかどうか」という尺度でのみ評価してしまいがちなように思います。

櫻場猛さんの場合は、ヘルパーが閉じている瞼をそっと開けて、眼球の動きで「Yes/No」を読みとります。

男性ヘルパーが櫻場さんに呼びかける。 「櫻場さーん。女性が今ここにいます。たしか奇麗な人は好きでしたよねー」  ヘルパーは櫻場さんの眼前にかざした人差し指をゆっくり動かして、瞳がわずかに揺れるのを確かめた。 「(櫻場さんは)『そうだ』と言っています」 (中略) 私たちの返事を待つ姿勢になったので、こう聞いてみた。 「奥さんはどこですか? 今日はご一緒ではないのですか?」  ヘルパーが櫻場さんの代わりに「妻は、ここには来ていません」と答えながら、再び人差し指を櫻場さんの目の上でゆっくり動かし、本人に確認する。 「今がチャンスです、と言っています」  そのとき櫻場さんがにやっと笑ったように見えた。近くで聞いていた人たちも声をあげて笑った。(同書214-215ページ)

櫻場さんの意思が正確に伝わっているかどうかという尺度だけでみれば、これが果たして「コミュニケーション」といえるのかわかりません。しかし、「意味の生成さえ委ねる」楽しみが櫻場さんに感じられていたとしたら、どうでしょうか。ここには立派に「コミュニケーション」が成立している、といえるように思えます。

もちろん、櫻場さんのような立場にある人が、いつでも「意味の生成さえ委ねる」楽しみばかり感じるとは限りません。「ええい! 私の言いたいのはそんなことじゃない!!」と腹が立つこともあるかもしれない。けれども、やはりそうした楽しみを感じるチャンスが少しでもある限り、そこに希望を託したコミュニケーションが積極的に行われる意義は十分にあると考えられます。つまり、周りの者が、本人が本当に言いたいことについて一方では気にしつつも、他方では身体を大胆に解釈して意味を生成させ、その場を積極的に楽しむ、そして望むらくは本人もコミュニケーションを楽しめる状態であってほしいと願う――こうした関わり方を「無意味で空しい」ということは決してできないように思えてくるのです。

ALSの人を交えたやりとりは、私たちが「コミュニケーション」について偏ったイメージを抱きがちであることに気づかせてくれます。ひとつひとつの出来事の微細な描写からそうした気づきが触発されるところが、まさにエスノグラフィーの醍醐味なのだろうと思います。今回は「コミュニケーション」について取り上げましたが、この本には、他にもさまざまな<気づきの種>が含まれています。ALSに少しでも関心のある方には是非お勧めしたい一冊です。


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2008年04月30日

『医師アタマ――医師と患者はなぜすれ違うのか?』尾藤誠司編(医学書院)

医師アタマ――医師と患者はなぜすれ違うのか? →bookwebで購入

「これからの「医師」像はどこへ?」

何度見ても可笑しい駄洒落のようなタイトルと、非常に重く大きな問題をストレートに表したサブタイトルとのコントラストが印象的です。この本は、プライマリ・ケアやへき地医療を経験した医師、そして医療倫理研究者などが執筆陣となり、患者-医療者間のコミュニケーションに関する文章を集めています。そのねらいは、患者-医師間のコミュニケーションの問題を考えていくにあたって、まずは、しばしば医師自身が自覚せずに凝り固まっている認識や思考のあり方(「医師アタマ」)を解剖してみよう、という点にあります。文献註とリストが付けられており、論文の体裁を整えていますが、文体はむしろエッセーに含まれる、悩みや迷いも率直に語るようなものです。

興味深い例の一つとして、医師の「引き算」思考を取り上げてみます(『医師アタマ』、62~69ページ)。ここでいう「引き算」とは、疑いの強い、あるいは重大な結果(生命の危険など)につながりやすい疾患を除外してゆく思考形態を指します。この思考形態を誠実に開陳しようとすれば、患者が訴える不調に対して、「○○である怖れは非常に少ないと思います」という答え方をすることになります。しかし、患者の側は、自分の不調がなぜおこりこれからどうなってゆくのかという物語(ストーリー)を組み立てたがっており、しかも多くの場合、ちょうど故障した機械が治るように悪い部分が突き止められ元の状態に修復される「回復の物語(the restitution narrative)」(2006年6月の当ブログを参照)を期待しているので、そうした医師の回答に物足りなさを感じてしまいやすいと考えられます。

近年、医師の経験と勘による判断ではなく科学的根拠(エビデンス、evidence)に基づく医療が推奨され受け入れられてきています。ここでいう「エビデンス」というのは、調査対象となる集団の中で治療的効果を測定できた人がどれぐらいいるか(あるいは、治療を受けなかった集団よりどれぐらい高まるか)といった疫学的な根拠を指します。この根拠を誠実に開陳しようとすれば、「○○人に○○年間この薬を飲み続けてもらうと、発生頻度は○○%減ります」という言い方になります。しかし、多くの患者にとっては、このような言い方をされたうえで「さあ、どうするか決めてください」と迫られても、それだけでどう考えてよいかわからないと困るのではないでしょうか。「○○%」という数字を「回復(restitution)」の実現可能性(「私が元に戻る可能性は○○%」)と読みかえれば、まだしも態度を決めやすくなるかもしれませんが。

このようにしてみると、どうやら医師が自らの科学的思考に忠実であろうとすればするほど、病いの物語を希求する患者の思考との間にギャップが生じるようです。病いの意味づけを丸ごと医師に託して結果に決して文句を言わないような患者の場合は、問題は生じないかもしれません。しかし、病いの意味を希求し、そうしたプロセスの中で近代医療の権威さえも相対化するような患者の場合は、そうはいかないでしょう。慢性の病いへのクローズアップ、インターネットなどによって素人も医療情報へアクセスしやすくなったこと、医療過誤への厳しい視線――こうした社会の動きは、患者-医師間のコミュニケーションを、ますます退っ引きならぬものにしているように見えます。

こうした情況の中で、どのような「医師」像がありうるのでしょうか。一つ考えられるのは、科学的思考の守備範囲を忠実に守る「医師」像です。つまり、「○○である怖れは非常に少ないと思います」とか「○○人に○○年間この薬を飲み続けてもらうと、発生頻度は○○%減ります」といった答え方に対して患者がどんなに不満であろうとも、そこから一線を越えることを基本的には例外とするような医師です。患者の側から見ると、医師は科学的な情報を誠実に提供してくれる(そして患者の判断に従って何らかの治療手段を講じる)存在であるが、それ以上の存在としては最初から期待すべきではない、ということになります。これはこれですっきりした割り切り方のように思えます。

ただし、そのようなイメージを敢えて踏み越えた「医師」像もあるのではないかと思います。多くの患者は、上に述べたような割り切り方をするわけではなく、自らの病いを何とかしてくれる人として医師をイメージして不調を語り出すと思われます。そのとき、医師はどうしても物語の希求の一コマに巻き込まれてしまうことになります。また、患者の語りや、観察される様子、あるいは自らの臨床経験などを拠り所にして、例えば何か思い切った忠告を医師が行うとき、その医師は科学的な情報の誠実な提供者という役割を越えて、患者の人生に大きく関わってゆきます。これらは、物語の聞き手としての「医師」像としてとらえられます。

これらの「医師」像は、それ自体が新しいものではなく、いままでの医療実践の中にも、いわば成分として既に含まれていたものでしょう。それが、社会の動きの中で、これまで以上に鋭く問い返さざるをえなくなっているということではないでしょうか。『医師アタマ』の著者たちの率直な悩みや迷いの吐露は、そのような社会の情況を示しているように見えます。


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2007年12月25日

『医療・合理性・経験――バイロン・グッドの医療人類学講義』バイロン・J・グッド(江口重幸・五木田紳・下地明友・大月康義・三脇康生訳)(誠信書房)

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「「説明モデル」から「物語」へ」

前回(2007年10月)の当ブログで、A.クラインマンの「説明モデル(explanatory model)」概念をご紹介しました。この概念を一歩進めて「物語」という言葉を導入したのが、バイロン・グッドです。

私がこれまで出会ったさまざまな人たちによる病いの語りには、確かに、独特の意味世界があるように感じました。ただ、「説明モデル」という言い方をしてしまうと、どうしても生物医学モデルに比肩する体系性や一貫性を想像してしまって、どうもしっくりこないと思いました。そんなとき、「物語」という概念が、単に文学的な様式というにとどまらず、人々の自己認識や世界認識にベーシックな機能と役割を果たしているという考え方があることを知り、直感的に「これだ!」と思うようになりました。単なる思いつきの域は出ていないのですが、かねがね持っていた「なんだか一篇の物語が語られているようだなあ」という感覚にもピタリとはまるし、そうした見方が大真面目な学問研究として勃興してきているというのなら、こだわってみてもよいのではないか、と考えたのです。

グッドの研究も、この「物語」の潮流にのった人類学研究で、特に後半(特に第6章)で「物語」概念の導入が積極的になされています。この本の底を流れる問題意識は、異なった文化の言葉を自分の文化の言葉に持ち込むこと、例えば「私たちの社会で○○と生物医学的に呼ばれている病気は、あの社会では××と考えられている」といった記述を行うことの問題です。このような記述を行うとき、私たちは、あからさまに「××」を「迷信」と決めつけてしまったり、あるいは、そこまであからさまでない場合でも、「本当は生物医学的に○○としてとらえられるべきもの」という前提を暗に忍び込ませやすいのです。グッドは、そうした自民族中心主義的な翻訳からできるだけ距離をとり、それぞれの文化の人々がそれぞれのやりかたで意味を編み出してゆく、すなわち「物語」化するさまを記述することが人類学の仕事だと考えました。

第6章では、トルコの人々による癲癇の自己物語を聞きとる調査が報告されています。そこでグッドが見出した病いの物語の特質は現実の「仮定法化」と呼ばれるものです。「仮定法化」とは、物語は多元的な読みの可能性をはらむことを指しています。例として挙げられているケリムという一人の青年に注目してみましょう。インタヴューで彼は、まず、市街地を走って横断していたときに犬に吠えられて驚いたエピソードと、それから一年半後、仕事中に初めての発作に見舞われたということを語ります。それではその驚いたエピソードが失神と関係があるのかと聞かれると、ケリムは、今度は「サル・クズ」という「精霊と同じようなもの」に遭遇したエピソードを語ります。彼は「サル・クズ」を見たわけではありませんが、その気配を感じた後、その場を離れようとして発作で崩れ落ちます。

ケリムは結婚を間近にしており、そのためにアメリカで手術を受ける相談をしに医師のもとを訪れます。医師は「二つの静脈瘤が炎症をおこしている」といって錠剤を処方します。一方、ケリムを心配する友人はある宗教治療者に彼を合わせます。その夜、精霊が、ケリムと友人のもとを、かつて彼を驚かせた犬の姿で現われて、このように言います。ケリムはかつて自分たちを踏みつけにして子どもたちを殺した、だからわれわれはケリムのことを苦しめているのだ、と。しかし、結局、精霊たちは、今後ケリムを苦しめることは(祈りを捧げ続けることを条件に)しないという約束をします。ケリムは、インタヴューでこう言います。もし結婚予定月になってもよくならなかったら、自分は医師のところに行って、薬が効かないようだからやはり手術をお願いするつもりだ。

何だかごちゃごちゃした話ですね。彼の物語には、宗教的ないし神秘的な物語と、西洋医学的な物語とが混在しています。ある見方をすれば、彼に子を殺された精霊が犬の姿で仕返しをしたが、最終的には許してくれた、という物語として読めます。しかし、もし彼が明確にそう信じているなら、犬に吠えられたエピソードが失神と関係があるのかと聞かれたときに、「サル・クズ」の話などせずに「その通り」と答えそうなものです。また、彼は医師の存在をまったく軽んじているわけではなく、薬物療法を試すことにも同意したし、手術を念頭におき続けています。ケリムの発作は、この精霊との出来事以来おきていませんが、見方によっては、医師の処方した薬が効いただけではないか、という可能性も否定できません。いずれにせよ、ケリムの物語には、いろいろな読み方の可能性があるといえます。このように物語が決して一つの病いの説明に真実性を与えないことが、「仮定法化」と呼ばれていることなのです。(物語がしばしば単一の読み方をさせないことについては、以前(2006年12月)このブログでマイケル・ローゼン『悲しい本』を取り上げたときにもふれました)。

どうして物語がこのように「仮定法化」されているかというと、それは病いをめぐる状況は常に変化するものだからです。ケリム青年の発作がこれからどうなるのか、彼がどのような苦しみを感じることになるのか、そしてその場合に彼がどのような方法にすがるのか、こうしたことは誰にもわかりません。すると、完璧な一貫性をそなえた物語よりも、むしろ曖昧な部分を含んでいた物語の方が、この先の変化する状況にあわせていろいろと変化させやすいと考えられます(これをグッド自身は「変化に開かれた性質」と呼んでいます)。もちろん、ケリム青年がそのように意図したわけではなくて、彼がいろいろと病いについて悩み模索した結果そのような物語が産み落とされたにすぎないのでしょう。しかし、それが結果として未来の状況の変化に対応してゆくための資源になるわけです。

つまり、グッドの「物語」は、私たちに次のことを教えてくれています。病いの語りに対するとき、決して「説明モデル」という言葉からイメージしてしまいがちな一貫性を考える必要はなく、むしろ曖昧で多元的な読みの可能性を孕むところに積極的に目を向けるべきであること。そして、そのような物語が病いの状況とともにどのように変化するかが重要なポイントなのだということ。

全体を通して学ぶことが多いのですが、今回は特に「物語」が用いられている第6章をご紹介しました。お勧めの一冊です。


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2007年10月30日

『病いの語り――慢性の病いをめぐる臨床人類学』アーサー・クラインマン(江口重幸・五木田紳・上野豪志訳)(誠信書房)

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「「病いの語り(illness narrative)」研究の産声」

この本は、「病いの語り(illness narrative)」研究の道を切り開いた記念碑的な一冊です。著者は1941年生まれで、研究者であると同時に精神科医としての臨床経験を持っています。真に人間的な患者への関わりを問いかけるこの本は、医療人類学において病いの「意味」に着目する伝統を生み出しました。

クラインマンがこの本で述べている最も中心的なことは、病いに対する患者独自の意味づけに耳を傾けることが重要である、ということです。このことを彼は「説明モデル(explanatory model)」という概念で説明しています(第7章)。「説明モデル」とは、「患者や家族や治療者が、ある特定の病いのエピソードについていだく考え」(p.157)を指しており、障害の本質は何であるか、なぜ自分がその病いに冒されてしまったのか、どんな経過をたどるのか、どんな治療をしてほしいと思っているのか、自分がこの病いと治療についてもっとも恐れているものは何か、等々を含んでいます。しかし、患者の説明モデルは、生物医学的な見地からすると、しばしば余計なもの、あるいは攪乱する要素として見られてしまい、診療室では抑制されてしまいます。しかし、医師の見方と患者の見方とは、前者が真理であり後者が誤りというものではなく、あくまでも、それぞれの説明モデルであるということにすぎないのです。

第7章に出てくるスティール氏の例を取り上げてみましょう。スティール氏は42歳の白人弁護士で、喘息を2年間患っていましたが、約4年後にはすべての症状が消失します。スティール氏の語りによれば、喘息はさまざまな心理・社会的な理由によって生じたもので、特に、40歳の時から自分に向いていないのではないかと思い始めていた弁護士を辞めて、父と兄がやっていた魚の卸売の仕事を始めたことが、症状の消失に大きく関わっています。一方、主治医はこの説明を受け入れていません。彼は、喘息が心理・社会的な理由で生じたり消えたりすることはなく、何らかの一過性の(特定はできない)アレルゲンがあったのだろう、と病いを説明します。スティール氏の語りを聞き出した精神科医は、スティール氏が言うようなストレスの軽減などが関わっていることは認めたうえで、他の生理学的な変化も起こったのではないかと考えます。スティール氏と確執のある義父母は、カトリックのある宗派に属していましたが、喘息は同情を引き家族をコントロールしたりするための意図的なものと見ており、スティール氏は自然食や宗教的な治療によってまず彼自身の問題を解決すべきだと考えていました。症状の消失は、神の御業だと義父母は確信しています。

このように、病いにはさまざまな説明モデルが多元的に存在し、どれが正しいのか必ずしもわかりません。スティール氏の場合は、めでたく症状が消えたので、そもそもどれが正しいのかを問題にする必要がないわけですが、かりに症状が消えていない状態であったとしても、生物医学的なモデルが常に正しいとはいえず、どの説明モデルが患者にとってどのように有用か、という観点から考えていかなければなりません。このことは、患者の側からすると、医師の提示するモデルが無条件に自分を何とかしてくれるだろうと盲目的に寄りかかるのではなく、自分自身にとっての有用性を問いかけるだけの足場を持たなければならないということを意味しています。

私たちがクラインマンの見解を受けてさらに考えていかなければならないことは、この点にあるのではないかと思います。患者が病いについてあれこれしゃべるということと、「説明モデル」という言葉から想像されるような、一定の明確な意味内容をもったものとして表現できることとの間には、かなり距離があると思います。医師の説明モデルを相対化するほどの自信は、いったいどのようにすれば獲得できるのでしょうか。

「病いの語り(illness narrative)」研究の出発点として、私たちにさまざまなことを教え、考えさせてくれる一冊です。非常に長いので、要点を大急ぎでつかみたい方は、第7章を中心に読むのがよいでしょう。ただし、人々の経験するさまざまな痛みや苦しみを描いた他の各章も、私たちを引きつけるものがあります。


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2006年08月25日

『笑いと治癒力――生への意欲』ノ-マン・カズンズ/松田銑訳(岩波書店)

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「圧倒的な生への意志と探究心、そして物語の陥穽」

前回のこのブログで取り上げたアーサー・フランク『傷ついた物語の語り手』で、「探求の物語」の一例として引用されていた本から1冊を選んでみたいと思います。(「探求の物語(the quest narrative)」というのは、病に際して、元通りの「回復(restitution)」を望みにくいときに、混乱から立ち上がり、苦しみつつも新しい生を探求する様を描く物語のことを指します。)

『サタデー・レヴュー』の編集者だったノーマン・カズンズは、ある日、膠原病に侵されます。この本では、そのときの著者の体験と(第1章「私の膠原病回復期」)、それがきっかけになった思索がエッセーとして収められています。


膠原病というのは、皮膚・筋・関節などの結合組織に炎症・変性が生じる疾患の総称です。免疫に関連すると言われていますが、原因ははっきりしていません。カズンズの場合は、最初は「何となく身体中がズキズキするような不快感」(p.2)から始まって、それから1週間たたないうちに、頸も腕も手も指も足も、動かすのが難しくなります。



カズンズは、親友である主治医ヒッツィグに全快の望みはあるか、と尋ねました。ヒッツィグは、専門家のひとりが「この病気が全快する見込みは五百にひとつだ」と言った、とカズンズに包み隠さず打ち明けます。「そうヒッツィグ博士から聞いて、わたしは大いに考えさせられた。その時までわたしはどちらかと言えば、自分の病気のことはお医者まかせという態度だった。しかしこうなってみると、否が応でも、自分で何とかしなければならないという気になった」(p.6)。


このように決意したカズンズは、まず、医学誌に載っている研究を読み漁って、投薬されていた鎮痛剤が自分には有害ではないかと考えます。彼はその時「椎骨と、間接のほとんど全部が、まるでトラックに轢かれているように痛んで」おり(p.14)、大量の鎮痛剤を処方されていました。鎮痛剤をやめたら痛みに耐えられるか?彼は自問の末、こう答えます。痛みは、肉体が脳に向けて何か問題があると知らせてくれる信号であり、肉体的機能が回復してゆく過程の一部だ。まさに人体の魔術だと考えれば、我慢できるだろう。



鎮痛剤をやめる代わりに、彼は独自の方法を考案します。ひとつはビタミンCの大量投与で、もうひとつは、笑いによって積極的な情緒を引き起こすことです。これらは、いずれも医学誌の中で読んだ研究をヒントにしたとカズンズは述べていますが、当時としては(おそらくこんにちでも)突飛な考えに見えます。



カズンズは、この方法をヒッツィグに相談します。すると、この寛容な医師はカズンズの「生への意欲のなみなみならぬ強さがよくわかったと言い、一番大切なのはわたし(カズンズ)が自分の言ったことすべてに対する信念を失わぬことだとはげましてくれ」ます(p.16)。彼らは、病院を出てホテルの一室を借り、この型破りな計画を実行に移し、成功を収めます。



駆け足で紹介しましたが、いかがでしょうか。私は「なんてすごい人だろう!」と感嘆しました(というより、唖然としてしまいました)。病に直面して、ただ混乱するだけではなく、苦しみつつも新しい生を探求するという「探求の物語」(A.フランク)の例とされているのも分かるような気がします。



この本は、彼独自の方法のうち笑いに関する部分が、突出して有名になりました。この本の原題が"Anatomy of an Illness as Perceived by the Patient"(直訳風に訳せば『患者によって理解されたある病の詳細綿密な分析』)であるのに対して、『笑いと治癒力』という訳題があてられたことは、そうした事情によるのでしょう。そのせいもあってか、この本は「『笑えば治る』と喧伝している」という非難も受けました。しかし、この本の核心をなすメッセージは、笑いよりも、むしろ、生への強固な意志をもって、探求し、自分自身が主導権を握って病を生きる、ということにあると思います。



ただし、ここで注意が必要なことがあります。以前、講義の中でこの本を紹介して感想を求めたところ、「結局、本人のやる気次第で病気は治る、ということがよく分かりました」と述べた学生が何人もいたのです。これはどうやら、カズンズが、物語の最後には、仕事に復帰できるまで良くなっている軽快例であることと無関係ではないようです。つまり、カズンズの強い意志も、探究心も、主導権を握りつづけた自信も、読者によっては、すべて病という問題の解決を導くための手段としてしか見ない、ということなのです。(前回のこのブログをご覧になった方は、こうした読み方が、「回復の物語(the restitution narrative)」としてカズンズの物語を読む仕方に限りなく近づいていることがお分かりになると思います)。



しかし、実際は、そんなにカッコよくいかない物語の方が多いのではないでしょうか。身体の運動機能が回復に向かい、テニスもゴルフも乗馬も問題なくなった、などとサラリと言ってしまえない物語がたくさんあるはずです。また、医学誌を読みこなし、医師を見事に協力者として使いこなす主人公など、そうめったにいるものではありません。これらは、私たちにとっては、いわば病の生き方の理想像ではあるでしょうが、そうした理想像を供給する物語が喜んで消費されることによって、そこまでカッコよくなれない物語たちは、ますます「暗い話」とか「聞きたくもない話」になってしまう危険があります。耳を傾けるべきなのは、むしろそういう物語の方ではないのか、と私は思うのです。



どんなにすばらしい物語も社会の中に置いて考えると、そこには意外に複雑な問題が横たわっていることを考えさせられる一冊です。


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2006年06月27日

『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理――』アーサー・W・フランク(鈴木智之訳)(ゆみる出版)

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「病の物語への視座」

初めて読んだときは、何のことを言っているのか分からなかったけど、読み返してみるにつれてピン!と来た――こんな経験は誰しも持っているでしょう。本を読む醍醐味ですよね。
私にとって、そんな経験を与えてくれた重要な本がこの一冊です。

この本を理解するには、「回復の物語(the restitution narrative)」が鍵概念となります。この「回復(restitution)」という言葉は、私たちが日常的に使う「回復」よりも限定された意味で用いられるので、注意が必要です。この物語は、「昨日私は健康であった。今日私は病気である。しかし明日には再び健康になるであろう」という基本的な筋書きを有する、とされています(p.114)。さらに説明を加えますと、

(1)中間部をなす「病気」の状態は、あくまでも一時的な中断ないし脱線として描かれる。
(2)物語の結末が元の状態に戻ることとして描かれる。それによって、病は、ちょうど機械の故障がなおるように、医薬品や医療技術などによって修復されるものとして描かれることになる。
(3)主人公がどう病に対処したのかよりも、むしろ、専門技術を持つ他者ないし治療を可能にする他者の能力と活躍の方が、雄弁に語られやすい。

これら三つの特徴を持つ物語が「回復の物語(the restitution narrative)」です。フランクによれば、近代社会においては、この物語が、臨床の現場から市販薬のコマーシャルに至るまで溢れており、病はかく語られるべきだという雰囲気を産み出しています。

実際、私たちにとって「回復の物語(the restitution narrative)」はごく身近なものです。例えば、私たちはよく風邪をひきますが、たいていは苦しむといってもごく短期間で、最終的にはまったく元通りの状態に戻っていきます。このとき、風邪の経験は「回復の物語(the restitution narrative)」で問題なく語ってしまえるものです。

しかし、「回復の物語(the restitution narrative)」がうまく機能せず、それゆえに人々が生き難さを感じてしまう経験もあると考えられます。慢性の病や死に至る病、あるいは境界的な病の場合です。このような病に直面して、人々の語りは、物語の体裁を失い、ひどく混乱した様相を呈するでしょう。これが、「混沌の物語(the chaos narrative)」です。一方、人々の中には、ただ混乱するだけではなく、苦しみつつも新しい生を探求する人も出てくるでしょう。このような人によって語られるのが「探求の物語(the quest narrative)」です。

この本の問題提起は、「混沌の物語」や「探求の物語」といったごく大雑把な類別を足がかりにしながら、「回復の物語(the restitution narrative)」の外側にある経験に目を向けよ、という点にあります。私は、この本を読み返すうちに、自分が研究しているセルフヘルプ・グループをとらえるには、彼の問題提起が非常に重要だと考えるようになりました。というのも、セルフヘルプ・グループでは、参加者が混沌とした話をしたり、あるいは、新しい生を探求しようと試行錯誤して自己物語を書き換えたりするような例が、見受けられるからです。そのようなセルフヘルプ・グループの一面を、意味あるものとして認識し、それを大切にするように今後のセルフヘルプ・グループを構想することが、「病に付き合える社会」(2006年5月のこのブログを参照)への一歩になるのではないか、このように私は考えています。

私にとっては、出会いを最も感謝している一冊といって過言ではありません。一見難解かもしれませんが、含蓄ある著者の言葉に直接ふれることを是非お勧めします。


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2006年05月24日

『からだの知恵に聴く―人間尊重の医療を求めて―』アーサー・W・フランク(日本教文社)

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「病と付き合える社会に向けて」

アーサー・フランクは、39歳の時に心臓発作を、そして40歳の時に睾丸癌を経験します。これら(特に後者)の経験は、医療社会学者としての著者に決定的な影響を与えますが、この本はその始まりを告げる自伝的な作品です。原著は1991年に書かれ、1996年に日本語訳が出版されています。

癌になる経験は彼を翻弄します。病は、自分の健康がいつまでも続くという幻想を打ち砕き、健康なときには当然だと思っていた仕事ができなくなることを思い知らせます。また、病は、自分がケアする人に依存せざるをえない存在であることも思い知らせます。それは、また、ケアする人の時間を奪い、彼・彼女を病む人の不安や怒りに巻き込むことでもあります。フランクは、そうした経験に自分自身が直面して考えたことを吐露すると同時に、社会学者らしい観察眼と洞察を発揮しています。

例えば、癌にかかっているのに「陽気な患者」というイメージを懸命に作りだそうとする人(本書92ページ)。彼女の振る舞いは、医療従事者や家族への気遣いを含んでいます。しかし、それは同時に、あくまでも「健康」に至上価値を置き、そこに戻ろうとするポーズによってのみ病者の存在価値を認める社会的な雰囲気に自らを合わせることでもあります。

あるいは、化学療法が終わった頃に彼が開いたパーティーにひょっこり現れた友人。彼は、衰弱がまだ残っているフランクのところに近づくことができず、部屋の隅で目を合わせないようにしています。おそらく、近づく勇気がないのでしょう。何と言葉をかけてよいのか分からないのかもしれません。しかし、フランクは言います。「病人とケアをする人からみると、『遠くからそっと気遣う』ことは、なにもしていないのと同じである」(本書148ページ)。

これらの例は、私たちが病と付き合うということが、いかに簡単ではないかを示しています。どうやら、私たちの社会は、健康で生産的ではない人間の経験との付き合い方が上手い社会だ、とはいえないようです。

ちょうどこの本を読み返そうと思っていた頃、幼い頃を共に過ごした私の大切な友人が、若くして自ら命を絶ったという知らせが届きました。しかし私には、この出来事を受け止めるだけの余裕はありませんでした。一緒に遊んだ懐かしい日々の一齣が、かなりぼやけた絵で頭に浮かびます。けれども、私はその細部をもっと思い出すよりも、つとめてその絵を頭の片隅に追いやるようにしたのです。「そんなことをして何になる? それよりも仕事に集中しろ」。こうして、私は、自分が悲しいのかどうかも分からないし、ショックを受けているかどうかすらわからない、という状態のままでした。今でも、私はこの出来事を受け止めきれていないし、彼の両親にかける言葉を自分が持っているのか、分かりません。このケースは、死への態度に関するものですが、病もそれにつながっていますから、やはり問題は通じていると思います。私も、フランクのパーティーにひょっこり現れた友人と基本的には何ら変わらない、ということかもしれません。

健康で生産的な人間によって営まれる生の営みと、そこからはみ出している病者や死にゆく人の営み。このふたつは、実際問題として、すぐ傍を流れるふたつの川のように、なかなか交わることのない流れであるように見えます。少し考えてみれば、両者の間にはっきりとした線引きはないはずなのに。(*注)

フランクが、私たちの社会が病ともう少し付き合えるために考えたことは、病者が自分の体験を自信をもって語ることでした。だからこそ、この自伝的な本も生まれたわけです。そして、この結論が、彼を「病の語り(illness narratibve)」というテーマへとさらに向かわせることになります。

私たちの社会が、病との付き合い方を真剣に考え、接点となる場を大事にしてゆくことは、いまとても大切なテーマだと思います。そのことをはっきり認識させてくれるのが、この一冊です。

(*注)小津安二郎監督の映画『東京物語』では、親の死に直面して異なった態度を示すふたりの登場人物が対比されています。戦死した次男の妻(=この物語のヒロイン)は、動揺して喪服すら忘れて駆けつけますが、他のきょうだいたちは、形見分けの話などをして、早々に帰ってしまいます。末娘が後でそのことを「自分勝手だ」となじると、ヒロインは「誰だって自分の生活が一番大事になってくるのよ」と諭します。末娘は不満げで、「みんなそうなっていくのかしら?お姉さんも?」と聞きます。ヒロインは「ええ。なりたかないけど、やっぱりそうなっていくわよ」と嘆息します。確かに、きょうだいたちの態度は冷たいのですが、それだけの問題ではなく、健康で生産的な人間による生の流れ(「自分の生活」)からはなかなか降りられるものではないのだ、ということがヒロインの嘆息とともに印象づけられるように思います。

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2006年04月24日

『病院で死ぬということ』山崎章郎(文藝春秋)

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「私たちが好む死のあり方を映し出す鏡」

この本には、医師である著者が病院での死のあり方に疑問を抱き、ホスピスを志すようになる軌跡が綴られています。前半部分には、病院での死を示す典型例がいくつかの物語として収められており、それに対して、後半部分では、家族や医師との心暖まる交流を経て亡くなる人の物語がいくつか配置されています。

私は、折にふれてこの本を読み返すのが好きです。「次の授業でとりあげるから」とか「このブログを書くから」といった口実を得られるのが、実に嬉しいのです。考えてみるに、私がこのような心境になるのは、この本で描かれる死の迎え方と看取り方に私自身が深く魅力を感じているからではないでしょうか。つまり、後半部分で描かれるような死の迎え方を自分もしてみたい、あるいは、前半部分で描かれるような看取りはしたくない、このように思うからこそ、この本の物語たちに引き込まれるのでしょう。そして、この本がベストセラーになったのは、同じような思いを抱く人がたくさんいるからだと考えられます。

例えば、後半部分の物語のひとつに「パニック」があります。患者である60歳の女性は、夫が飲んだくれた挙句に死んだ後も、三人の子どもたちをひとりで育て上げました。しかし、胃癌は彼女に安息の日を与えませんでした。彼女の長男は、病名を伏せて通すことを臨み、「胃潰瘍」だということで手術は行われました。しかし、術後の状態は思わしいものではなく、術後4週目の朝、彼女は「医者を呼んで来い!」「癌なら癌とはっきり言ってくれ!」とパニックを起こします。そして、もはや嘘をつけないと悟った医師(=著者である山崎さん)は、ついに本人に癌であることを告げるのです。

告知した山崎さんは、周囲からいわば「総スカン」の状態になってしまいます。患者の長男は、病名を伏せて通すという自分の意向を無視して告知が行なわれたことに激怒します。そして患者本人も、山崎さんにも看護師にも口をきかなくなります。そうした様子を見た看護師も「先生、やはり言うべきではありませんでしたね」と冷ややかです。山崎さんは次第に、自分がしたことに自信を失くします。

しかし、ここから転機が訪れます。その日の夜に、患者の長男がやってきて「おふくろが家に帰りたいと言っているが、大丈夫ですか」と山崎さんに語りかけます。翌朝の病室でも、彼女はもはや山崎さんを無視したりせず、ポツリポツリと会話をして、「先生、帰れるかね」と聞きます。その日の午後から外泊が行なわれることになりました。山崎さんが彼女の車椅子をワゴン車に載せようとしたその時、彼女は山崎さんの耳元で小さくこう囁きます。「先生、ありがとうね」。茫然としてワゴン車を見送った山崎さんは、胸のしこりが消えていくのを感じます。「昨日からけさまでの、二十四時間の間に吹き荒れた嵐はなんだったのだろうか。あの嵐は、それぞれが、それぞれの港にたどり着くためには避けて通ることのできない試練だったのに違いない」(176ページ)。

この物語で決定的な出来事になっているのは、言うまでもなく「先生、ありがとうね」です。もしこれがなかったら、どうなるでしょうか。山崎さんは「あれでよかったのだろうか」という思いを引きずらなければなりませんし、この物語は「よかったよかった」といえる結末を迎えられません。言い換えれば、死にゆく人に向けたケアが本当にその人にとってよいものなのかを気にかけること(固有性への配慮)と、死にゆく人自身が納得を表明する身振り(「先生、ありがとうね」)とが、われわれが「よかったよかった」と思える死のありかたを支えているのです。(われわれにとっての「良き死」のあり方を支えるこれらの要素の歴史性については、また別の機会に話題にしたいと思います。)

ところで、この本は1993年に同名で映画化されています(残念ながら絶版になりました)。この映画では、原作の中からいくつかの物語がピックアップされオムニバスになっているのですが、その中に「パニック」も入っています。しかし、ずいぶんと描かれ方が違うという印象を私は受けました。その違いを一言でいうと、癌であることを告知してから、患者である女性が納得を表明するまでのドロドロとしたやりとりが一切省かれている、ということです。告知された患者が泣き伏すところまでは原作とほぼ同じですが、映画では、次の場面で患者は早くも「世の中にはもっと辛い人もいるのに、自分だけが何とか楽になりたいなんて、自分勝手な情けない人間になったみたいだよ」と受容を表明するのです。ここでは、原作に描かれていた「嵐」、つまり、患者や長男の怒り、看護師の非難、そして医師の葛藤はすべて省かれています。代わって長男の嫁が相対的に前面に出てきますが(原作では癌であることを告知する場面でたまたまその場に居あわせるだけ)、この登場人物は、かいがいしく姑の世話をして、告知の場面では見えないところで涙を流す人物、つまり感情を抑制する性格付けがなされています。

このような表現の仕方の違いを、みなさんはどのように感じられますでしょうか。私の考えを述べますと、これら対極的な表現は、死にゆく人と死を看取る人との相互行為が私たちの社会においていかに重要であり、またいかに危険をはらむものであるかを示しているように思います。この相互行為は、「先生、ありがとうね」の例でみてきた通り、死の迎え方を「よかったよかった」と思えるようにするには不可欠の部分でありますが、その一方で、人々の否定的な感情が爆発したり、あるいは結末が「よかったよかった」というふうにはならなくなったりする危険も孕みます。片方のタイプの表現はこの不可欠な部分への関心をストレートに表し、両者の相互行為を丹念に容赦なく描こうとしますが、もう片方のタイプの表現は、危険を孕む相互行為をオブラートにくるむようにして抑制し、静かな死を描くことになる――このように私は見ています。

日本におけるホスピス運動の展開を語るうえでは既に古典となった観のある本ですが、私たちの好む死のあり方を鏡のように映し出し、そのことについて深く考えさせるという点で、いまなお意味深い一冊だと思います。

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2006年03月13日

『エキスパートナースとの対話――ベナー看護論・ナラティブス・看護倫理――』パトリシア・ベナー(早野真佐子訳)(照林社)

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「物語の共同体としての看護師集団」

私は現在、東京で定期的に行なわれている「セルフヘルプ・グループとナラティヴ研究会」で、いわゆる世話人の役割をしています。研究会といっても数人のこじんまりしたものなのですが、自分の研究上最も関心のある部分で議論したり刺激を受けたりする場としては、むしろ少人数の研究会の方がよいかもしれません。とはいえ、この研究会を通じてさまざまな関心を持っている方と交流できたらいいなと思います。
今回は、この研究会で話題にあがった本をひとつご紹介します。著者のパトリシア・ベナーは、カルフォルニア大学バークレイ校看護学部の教授で、主に終末期ケアやクリティカルケア(例えば集中治療室など生命危機状態にある患者へのケア)などを中心に、洞察力に富んだ看護論を展開しています。

この本が私たちの研究会で話題になったのは「患者の物語(ナラティヴ)に耳を傾けましょうという内容かと思いきや、看護師が物語を語りましょうという話だった」というふうにでした。つまり、医療人類学や医療社会学、あるいはナラティヴ・ベイスト・メディスンやナラティヴ・ベイスト・プライマリケアといった研究・実践においては、病を持つ人、あるいは援助の受け手と考えられる人が物語の語り手として注目されるのですが、ベナーの看護論においては、看護の専門家の側が物語の語り手としてとらえられているのです。これは、看護師の物語を(うまくいった話が中心ですが、うまくいかなかった話も含めて)収集し開示することが、ケアの経験的学習の基本である、とベナーが考えているからです。したがって、この書の第一部では、そのような趣旨で集められたエキスパートナースたちによる15の物語が並べられており、それぞれにベナーのコメントが付されています。第二部は、物語を収集し経験的学習に役立てることの重要性などを論じた部分で、第三部は終末期ケアあるいはクリティカルに関するいくつかの論稿が収められています。

おそらく、看護師たちが自分の行なった看護について物語を語るという営み自体が(少なくとも「ある患者の物語」という形でならば)新奇だとは考えられず、それらは何らかのインフォーマルな場でなされていたのではないかと思います。ただ、ベナーの看護論は、それを明確に看護師集団のコミュニケーションのあり方として定式化しようとしているところが興味深いところです。これは、別の言い方をすれば、看護師集団を物語の共同体とする見方が現れてきた、ということになります。

しかし、なぜ物語がこのようにクローズアップされるのでしょうか。決して充分とはいえないと思いますが、私がこの本を読んで考えたことを述べてみます。

ひとつは、「ケアリング実践と治癒との関係性は命題化できない」(138ページ)と述べられている部分がポイントだと思いました。例えば、この本の中には、交通事故で昏睡状態になった患者のために、地域の人々による励ましのメッセージをテープに録音して聞かせることを思いついた看護師の物語があります。患者はやがて意識を取り戻しますが、そのテープを聞かせたのが患者の治癒とどう関係があったのかは、医学的には謎のままです。しかし、物語の形でなら、そうしたケアリング実践がきっと意味のあることだったのではないか、と語ることができます。このように、援助者のアクションがしばしば根拠の曖昧な直感によって開始されたり、あるいは科学的には掴みどころがなかったりする場合には、ケアリング実践と治癒との関係は因果的に立証したり記述したりするのは困難ですが、物語という形でならばそれを説得的に提示することができます。そうすると、物語という方法が明示化されるということは、これまで医療の周辺に押しやられていたそれらのケアリング実践の重要性をクローズアップしようとする動きとしてとらえられるかもしれません。

また、この本は、看護師が一人称で語ることがたいへん重要だと述べています。つまり、「患者にとっての潜在的危険性を分析し、その危険性を最小限にする行動をとった」とか「情緒的支援を提供した」といった記述ではなく(170ページ)、看護師が一人称で登場し、何を考えて、具体的にどのように行動したのかを記述することが求められるのです(だから、ここでいう「物語」は「自己物語」の色彩が強いといえます)。これは、「どんな事業者・専門職者であれ、その人が実践の世界で有能になると、その状況には、パターンの数と同じほど多くの『危険』と『チャンス』があることに気づく」(164ページ)と言われていることとも関係があるようです。つまり、あまりにも多様な状況の中で、時には自分の直感に頼ってどのようなケアをするかを決断しなければならないような現場では、そうした決断は常に患者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)に決定的な影響を与えるチャンスにもなるかわりに、常にさまざまなリスクとも背中あわせだと考えられます。そうした状況の中で看護師が自分の経験以外に頼りにできるものがあるとしたら、それは他のエキスパートナースが似たような状況の中で何を考え、どのように振舞ったかという物語ではないでしょうか。ただし、そもそも状況が多様なのに、そううまく「似たような状況」の物語が思い浮かぶかというと、少々疑問も残ります。むしろ、そうした緊迫した状況でも物語の主人公のように自分自身を見られる(つまり、語り手の視点という少し離れた位置から冷静に見られる)というところに鍵があるかもしれません。ともかく、ここからは、医療の周辺に押しやられていたケアリング実践の重要性がクローズアップされるとともに、ケアリング実践がますます緊迫したストレスを与えやすいものとして認識されるようになってきている時代の変化が垣間見えるように思えます。

そして最後に、この本に収められている物語には患者が亡くなる物語が一定の割合で収められています。そこでは、結末は治癒ではなく死です。しかし、終着点こそ違っても、ケアリング実践とクオリティ・オブ・ライフとの関係が焦点になっている点では変わりないように見えます。つまり、死にゆく人へのケアリング実践としては、例えば「静かに傍に居る」といった(ある意味では)とらえどころのないことも多いと考えられますが、そうした実践も患者にとってはよかったのではないか、と語り手が納得する作業として物語が産み落とされるのです。詳しい話は別の機会に譲りますが、近代社会においては、人々にとっての「良き死」の実現に際して、例えば神のような超越的な視点との関係よりも、個別的で具体的な周囲の他者との相互作用の方がウェイトを増しています。このような変化の中で、死を看取る専門家もまた、個別的な相互作用について「あれでよかったんだ」という納得を調達する作業が必要になると考えられます。そうした看取りの物語としての側面も、この本に収められた物語たちには含まれているようです。

われわれの社会におけるケアや物語のあり方について深く考えさせられる一冊です。


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