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2013年11月28日

『ドイツと日本「介護」の力と危機――介護保険制度改革とその挑戦――』斎藤義彦(ミネルヴァ書房)

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「ドイツを「鏡」に日本の介護保険制度を考える」

2000年に導入された日本の介護保険は、ドイツの例を参考にしたと言われています。もともとドイツは、1880年代に、帝政ドイツの宰相ビスマルクの主導によって、世界に先駆けて三つの保険法(「医療保険法(1883)」「災害保険法(1884)」「廃疾・老齢保険法(1889)」)を成立させたことがあり、その後ナチスドイツによってそれら社会保険制度はひとたびは実質的な破壊の憂き目をみたとはいえ、いわば社会保険制度(病気や災害等々の保険事故に備えて集合的に保険料を拠出しておき、必要が生じた人に給付する制度)を先駆的に実現した歴史を持っています。介護保険についても、1994年に「介護保険法」が成立、1995年から在宅介護で、1996年から施設介護で給付が始まっており、こちらについても日本の先輩にあたります。

このようにしてみると、介護保険導入「その後」も含めて、ドイツに注目する意味はあるでしょう。もちろんこれは、素朴にドイツを「進んでいる」と見るのではなく、ドイツの場合はどのような経緯をたどり、どのような悩みを抱えているのかというところまで踏み込むことが寛容です。

まさにその作業を行っているのが、この本だと思います。著者の斎藤さんは毎日新聞の記者で、医療・福祉に関する取材を主要な担当とひとつとしており、ベルリン特派員の経験もあります(現在はブリュッセル特派員)。そうした経験の中で、ドイツの介護保険を間近に見ることができたのでしょう、この本では、介護サービスを受ける高齢者やその家族、介護施設など介護サービス提供機関、その他さまざまな立場の人への豊富な取材が織り込まれています。それらを通して、ドイツ介護保険の基本的な仕組みや、具体的な在宅介護の事例、施設介護の質に関する問題、介護保険制度改正の推移、日本の介護保険制度の推移およびドイツとの比較、そして政策提言と、実に幅広くボリュームのある内容を含んでいます。そのため、読みやすい文章にもかかわらず、読み通すには時間がかかる本になっているように感じます。また同時に、話のひとつひとつが興味深く、ついついじっくりと読まされるようなところがあります。

論点が多岐にわたるので、印象に残る部分を絞るのは少し難しいのですが、あえてひとつ挙げるならば、ドイツの介護保険は、これまでしばしば介護保険「単体」で紹介されてきたけれども、実は「社会扶助」との組み合わせによって、どうにか人々の暮らしを支えているという点を挙げたいと思います。社会扶助とは、自治体が払う生活最低保障のための公費支援(定期的に給付されるお金)を指します。日本の「生活保護」がこれに近いのですが、ドイツの「社会扶助」には、一般的な低所得者を念頭においた「生計扶助」のほかに「介護扶助」「医療扶助」「障害者統合扶助」など目的別の公費支援も含まれます。介護保険利用者の場合、まず要介護認定を受けて介護サービスの支給量が決まりますが(ここまでは日本と同じ)、それより多くの介護サービスを必要としており、なおかつ個人収入でその分までまかなえない場合は、各自治体の「社会局」というところに申請して、資産調査を受け、認められれば「介護扶助」を受ける、という流れになります。その際の資産調査は「生計扶助」に比べて緩やかであり、一定限度内で、収入や貯蓄、不動産や自動車の保持も認められます。つまり、平たくいえば「生活保護よりは緩い」資産調査を条件として、介護サービスの不足分を「介護扶助」が補うというやり方になっているのです(もっとも、あくまでも資産調査は受けなければならない、という点にも留意は必要ですが・・)。

しかし、このように認識することで、多くの人々にとって必要となる介護費用のうち、介護保険がカバーしてくれるのは実は一部分のみにすぎない(常に足りない部分を社会扶助に頼っている)という構図が浮き彫りになって見えます。もちろん、不足分をカバーする支援制度(ドイツの場合は社会扶助)が困っている人の困っている部分を的確かつ十分にカバーできるのであれば、(長い目でみてベストな形かどうかはさておき)とりあえずはそれでよいという見方もできます。つまり、「介護保険単体で人々のニーズをきちんと満たせる」という状態を目指すか、さもなければ「介護保険でカバーできない部分は他の公的支援制度できちんとカバーできる」という状態を目指すか、少なくともどちらかでなければならないように思えるのです。

ひるがえって日本の現状をみるに、やはり介護保険でカバーされる部分は、人々のニーズの一部分にすぎないことが少なくないように見えます。たとえば、私は昨年、難病患者等が自宅で暮らすことを想定したとき介護保険による訪問介護がどれぐらいの時間をカバーできるのかを試算したことがありますが、最重度区分に認定された人が訪問介護ばかり利用したとしても、おおよそ一日あたり3~4時間程度をカバーするのがせいぜいという現状が確認できました(CEAKS研究叢書『交響するアジア』 第3巻「障害との真の共生-医療・福祉・教育の連携と提言」2013年3月発行より第2章「医療的ケアを要する人はどこで生きられるのか:家族の内側/外側からの生きる場の創造の最前線」)。難病患者の中には、その不足分を障害者福祉サービスのひとつである「重度訪問介護」を利用することで補っているケースがありますが、これは上述した不足分を他の公的支援制度である障害者自立支援法(現在は障害者総合支援法)によるサービスによって補う例といえます。ただ、このいわば「組み合わせ技」は、スムーズに編み出されたものではなく、各自治体に理解が浸透せず対応がばらばらな中で苦労してようやくそうした利用形態をとる人が徐々に増えてきているという状態であり、また、一部の地域やケースを除いては、夜間や休日まではカバーしてくれないのが現状です。つまり「的確かつ十分に」カバーしてくれる状態とは、まだとてもいえない日本社会の現状が垣間見えるわけです。

もちろん、苦労して導入された介護保険制度それ自体のよいところも、ふまえるべきでしょう。少なくとも65歳以上の人の場合は、いつでも誰でも、介護が必要になったときに堂々と声を挙げて利用できる公的なサービスが確立されたこと、それによって制度へのアクセスに関して情報のムラが少なくなり、利用に際しての道筋もずっとクリアになった、このことの意義はやはり大きいと私は感じています。だから、「介護保険なんてあてになるものか」と破れかぶれになるのではなく、その不足部分が誰のどのような生き難さにつながるのかを丁寧に拾って分析し、不足分をカバーする制度も含めてトータルに「適切な利用のしやすさ」に向けて修繕を図りながら、同時に長期的にみて望ましい形はどのようなものかを継続的に研究していくことが大切なのではないかと思うのです。

ひとつのポイントから、ずいぶん大きな話になったようですが、要するにこのようなことを考えさせてくれる本です。なぜ「ついついじっくりと読まされる」のか、わかっていただけたでしょうか。これまでにふれた論点以外にも、介護を外国人労働者の安価な労働力に頼る実際の例や、成年後見人制度に関する内容も含まれています。さまざまな論点に応じて役立つ一冊だと思います。


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