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2012年11月27日

『ギャンブル依存との向きあい方:一人ひとりにあわせた支援で平穏な暮らしを取り戻す』認定NPO法人ワンデーポート編(中村努・高澤和彦・稲村厚)(明石書店)

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「支援の場を<ずらす>こと」

大学院の修士課程に入って研究をスタートさせようとしたころ、私はアルコール依存の人たちによるセルフヘルプ・グループ(自助グループ)に参加し始めました。そこでは、参加者たちが自分の体験を開示し語ること、しかもそれを続けていくことがたいへん重視されていました。集会ではそのような体験の語りが続き、誰もすぐには反応せず、ただ順番に参加者が語っていく。私としては、このようなとりとめのない独白的な語りを繰り返すことに一体どのような意味があるのだろうかと疑問に思ったものです。その後、時間をかけて、そのような「語り」がもつ意味について考察し、ようやく2009年に拙著『セルフヘルプ・グループの自己物語論』を上梓しました。

そこでも取り上げたアルコール依存のセルフフヘルプ・グループのひとつ「AA(アルコホーリクス・アノニマス、Alcoholics Anonymous)は、1935年にアメリカ合衆国で生まれたと言われるグループですが、断酒して生きるメンバーが少なからず現れることで、注目を浴びることとなり、セルフヘルプ・グループの古典的成功例とも呼ばれるようになりました。医療サイドからみれば、いわば「お手上げ」状態のところにセルフヘルプ・グループが登場したために、治療プログラムにセルフヘルプ・グループの集会を模したものが積極的に取り入れられています。また、そうしたやり方は、アルコール依存のみならず、薬物やギャンブルなどさまざまな問題にも波及していきます。(もちろん、そのようなタイプのものがセルフヘルプ・グループのすべてというわけではありません。むしろ、セルフヘルプ・グループの中のひとつのタイプと理解してください。)

この本の筆者のひとりである中村努さんは、自らがギャンブルに問題をかかえていました。生活が破たんしてもギャンブルはやめられないという生活を続けていた折、1997年にアルコール依存の本を手にしたことがきっかけでセルフヘルプ・グループの存在を知って、GA(ギャンブラーズ・アノニマス、Gamblers Anonymous)に参加するようになります。さらに、アルコール依存の人々が通所する施設に通った経験などから、ギャンブルについても同様の施設が必要と感じ、回復施設「ワンデーポート」(2000年4月~、横浜市)の設立に尽力します。

ところが、ワンデーポートをはじめてみると、来所者の中に「この人には、あまりGAは合わないのではないか」と思える人が交じっていることに、著者たちは気づきます。ミーティングに出て他の人の語りを聞いていてもピンと来ない。その一方で、ワンデーポートのような集団生活の場で、特定の場面や行動に強いこだわりを見せたりして周囲との軋轢を生む、そのような人です。おりしも、発達障害という言葉が人口に膾炙するようになってきたことから、著者たちは、ワンデーポートに来る人たちのすべてがGAを中心に回復をめざすべき「ギャンブル依存症者」なのではなく、その中には、発達障害や軽度知的障害としてアプローチすべき人も含まれるという結論に達します。

私が興味深く思ったのは、セルフヘルプ・グループにも限界があり相性の良しあしがあるという(考えてみればごく自然な)ことが、具体的に現れている点です。GAの集会のような語りの場にも、やはり参加者個人に期待されるものがあります。たとえば、他の参加者の語りを聞いて何らかの気づきを得ること(「自分も同じようなことをしていたではないか!」等々)があてにされているからこそ、そのような独白的な語りの場が、よいものとして営まれていると考えられますが、この本の中に出てくる人の中には、違う内容の体験談から共通部分を引き出す思考が不得手な人が含まれています。また、集会に何度参加してもまったく同一の内容を語ってばかりという人もいます。こうした例は、たとえばGAのような従来型のセルフヘルプ・グループの語りの場に相性がよくないと想像できます。

したがって、ワンデーポートの側からみたとき、支援の場や関わる人を、従来のものからずらしていくことが必要となり、また実際に手さぐりの試みがなされているのだろうと思います。たとえば、ワンデーポートでは、発達障害の診断やその傾向がある人だけのミーティングを2008年から開くようになったとありますが(本書99ページ)、そこでは、GAなどで採用される、独白的な体験の語りを皆が黙ってきくというやり方ではなく、自由に質問をさしはさめるフリートークのスタイルが採られました。すると、ギャンブルをやめようとして無駄に終わった過去の努力譚や、心の葛藤など(GAなどではよくおこる)話題はあまり出ず、その代わりに、「学校でいじめにあった」と誰かが言うと「自分も」という笑いがおこるといったことがおこったそうです。このことは、通常はミーティングのような場に相性がよくないと思われる人でも、参加者や会話のやり方を少し変えるだけで、実はそれなりの仕方で語ったり共感したりできる人がいる、ということを意味しています(もちろん、このような場にも参加できない人もいます)。

また、発達障害や知的障害という枠組みを得ることで、その人に関わる支援者として、精神科医や行政機関の障害者福祉担当者、ケースワーカーといった人たちが浮上してきます。さらに、支援制度についても、生活保護や障害年金、療育手帳といったものが利用できる候補として浮上します。人によっては、まずGAに通うよりも先に、これらの支援者・支援制度を用いてとりあえず生活を何とか回すことが先決であるような人もいると、著者たちは主張しています。このような支援者・支援制度も、これまでの「ギャンブル依存」の枠組みでは浮かび上がってきにくいものだといえます。

GAのようなセルフヘルプ・グループからすると、そのような「相性のよくない人」は、端的に「集会に来なくなる人」であったと思われます。しかし、その周りに通所ないし入寮施設ができることで、そこには多様な人が集うようになります。そのような人々に対応しようとする結果、多様で個別的な支援のあり方が模索され始めるのだろうと思います。その際、私が大切だと思うのは、「発達障害」というラベルがすべてを解決してくれるとあてにするのではなく、それが既存の支援をどう<ずらす>のか、またそれによってどのような人がどのような恩恵を受けるのか(あるいは、そこからもさらにこぼれ落ちるような人がいるのか)を、きちんと観察する、ということです。

ギャンブルの問題について(家族や借金なども含めて)どう考えればよいかを教えてくれる本ですが、私なりの関心で読むと、AAを出発点としてセルフヘルプ・グループが興隆してきたその先に支援の個別性が模索される、社会の流れの最先端を感じさせる一冊です。ギャンブルに関心のある方に限らず、セルフヘルプ・グループや、それに関連する支援に関心のある方に一読をお勧めできます。


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