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2012年01月30日

『摂食障害の語り――<回復>の臨床社会学――』中村英代(新曜社)

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「<人々による>回復の物語を際立たせる:社会学のナラティヴ・アプローチにできることのひとつ」

今回は、私自身の研究と同様の研究方法「ナラティヴ・アプローチ」を用いた作品を、ご紹介します。著者の中村英代さんは、研究会でよくご一緒する若手研究者です。

「ナラティヴ」は、「語り」あるいは「物語」と訳されることが多い言葉で、一般的には、病いを体験する人が自分自身の病いに対して行なう意味づけ、ないしはそうした意味づけに関わる言葉を指しています。私たちが何か理解しがたい出来事、納得しがたい出来事、あるいは理不尽な出来事に遭遇したときに、どんな言葉を発するでしょうか。しばしば発すると考えられるのが、「なぜ?」という言葉だと思います。この言葉には複数の側面があって、「なぜよりによって<私>が?」という孤独な気持ちが含まれるでしょうし、あるいは「何が原因なのか純粋に知りたい」という不思議さなども含まれるかもしれません。ただし、「原因」を求めるときには、たいてい「解決」がセットになって、「その原因が取り除かれることで解決する」ことが期待されるわけです。そしてその期待がかなえられた場合、「私は病いになった。原因がわかった。そしてそれが取り除かれて健康な私に戻った」という自分を主人公とする物語(自己物語)を語ることが可能になるわけです。

しかし、少し考えてみるとわかることなのですが、「原因」が必ず「解決」を導くとは限りません。確かに、たとえば細菌学による病原菌の発見が、その後(一定の時間差をおいて)ワクチン療法という解決法を見出し、華々しい成果をあげたケースも確かにあります。しかし、他の多くの病気については、「原因」がわかっていても「解決」に結びついていなかったり、「解決」に結びつくような「原因」が特定できていなかったりします。また、逆に、「原因」とは無関係に「解決」が導かれるという場合も、ありえます(「原因」と「解決」はセットだという思い込みを脱すれば、別にそれでもいいじゃないかと考えることもできます)。

この本の著者である中村さんが研究の過程で体験し悩んだことは、まさにこのことに関わっています。中村さんは、思春期に摂食障害と呼ばれうる状態(彼女の場合は過食・嘔吐)に陥ります。「治さなければ」という思いから、本屋で巻末に医療施設のリストがある本を探し、あちこちの医療施設を受診するも、回復にはつながらず、事態は悪い方向に向かうばかり(本書「まえがき」より)。このときの絶望感が、彼女が過食・嘔吐を脱したその後、研究のモーチベーションへと変わっていきます。

摂食障害に関する科学的説明としてどんなものがあるのか。中村さんは、これを大きく分けて三つに整理しています(本書第1章)。一つ目は、原因を個人に求めるパーソナリティ障害や成熟拒否による説明。二つ目に、原因を家族に求める母子関係論や家族システム論。そして三つ目は、原因を社会に求める社会学。社会学的説明はさらに細かく三つに分かれるのですが、たとえば、女性の身体が見られ評価されるようになってしまう社会の病理を問題にするフェミニズムからのアプローチなどが挙げられています。

これらの説明が、実際に摂食障害になった人にも妥当なものとして受け入れられ、その人を開放していく場合もありうるのですが、しかし皆が皆そうだとはいえないかもしれません。実際、中村さん自身がそれらの説明に違和感を感じているし、また、彼女が出会ってインタヴューに応えてくれた18人の摂食障害体験者たちの多くも、やはりそれらの説明ではとらえられないような語りを展開しています。

かくして中村さんは、「インタヴューに応えてくれた摂食障害体験者たちは、一体どのようにして自身の回復を語っているのか」と問います。それに対して導かれる答えは、先に挙げた科学的説明と見比べると拍子抜けをするかもしれない物語なのですが、そのような物語を敢えて名指すところにこそ中村さんの意図を感じるべきだと私は思います。つまり、特定の「原因」を必ずしも前提にしない物語にも輪郭を与え際立たせておくことで、これまで提出された科学的説明を使っては自分を物語れないと思う人たちの息苦しさが軽減されるかもしれないし、そのことを通して社会における物語の布置がいくぶんか是正されるかもしれない。このような意図のもとで、この本自体が差し出されているのです。

科学的説明それ自体もひとつの物語として扱う点や、自分自身の研究もまたひとつの物語と扱い、それにどのような意味があるのか自己省察する点には、ナラティヴ・アプローチの考え方の特徴がよく表れています。終章で「再請求」「解釈権」「解決権」に関する著者のスタンスを練り上げられなかった点など発展途上の部分も見受けられますが(「概念を理論的に詰めていく作業は、そうしたことを得意とする専門家に委ねたい」(265ページ)などと言わず、今後の研究の中で考え続けてほしい)、自分自身の根本的な問題関心を常に自問し続けた苦労が遂に結晶した力作だと思います。摂食障害に関する既存の説明に飽き足らない人はもちろん、摂食障害を分かったつもりの人にも一読をお勧めできます。

*今回の書評を専門家・専門職向けに簡潔にまとめた書評を『N:ナラティヴとケア』第3号(遠見書房)に掲載しました。よろしければそちらも併せてご覧ください。


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