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2011年01月20日

『自立と支援の社会学――阪神大震災とボランティア――』佐藤恵(東信堂)

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「現場に学び、<支援>の核心に迫る」

今回は、いつも研究会でご一緒させていただいている先輩の佐藤恵さんの本を紹介します。

この本で取り上げられているのは、阪神大震災以後のプロセスにおいて、とりわけ障害者や高齢者といった(いわゆる「震災弱者」とされる)被災障害者に対して行なわれてきた支援活動です。1995年以来続けられているボランティア/NPOへの聞き取り調査にもとづいています。

大震災は、ある意味では健常者も含めて日常生活が崩壊し皆「弱者」化する出来事だったといえます。しかしその後すぐに、障害者の不利は際だったものになっていきます。たとえば、下半身麻痺で車いすの必要なA氏(68歳)は、自宅近くの中学校の体育館で避難生活を送りますが、車いすを屋内外で使うことを嫌がられる雰囲気を感じて、往来が激しく寒い出入り口付近に移らざるをえなくなります。Aさんは肺炎にかかってしまいますが、一晩中せきこむ彼には「うるさいから入院せえ」という声がかかったといいます(『自立と支援の社会学』93ページ)。この例だけでなく、ゆるやかな復興プロセスの中で、社会的な余裕のなさが、高齢者・障害者に向けたサービスを一種の依怙贔屓ととらえてしまったり(一律平等主義)、あるいは「地域に戻れる態勢が整うまで」という口実で実際には長期間障害者を施設に収容する(地域社会からの排除)といったことがおこったと指摘されています。

このようにして、阪神大震災以後のプロセスにおいて障害者や高齢者はますますヴァルネラブルな(vulnerable=傷つきやすい)存在になっていくわけですが、しかしその一方で、こうした人々はまったくの無力な存在ではなく、たとえば障害者の中には(震災以前の経験から)生活支援ネットワークを作る術に長けている人がいるなど、少なからぬ人が必要な手助けのもとで自分の生活を切り開いていける潜在性を持っている、ともいえます。この本でいう「自立」とは、まさにそのようにして必要な支援のもと「どこで、だれと、どのように生活したいか」を自己決定する過程を指しており(同書28ページ)、そのために必要な支援を具体的にとらえる枠組みと視点を提出しているのが、この本なのです。

一例として、支援者が被災者にとるアプローチないし関係のとり方について着目してみましょう。被災者が混乱や落ち込みなどでなかなか前向きになれなかったり、あるいは支援者が障害者と接した経験をあまり持っていなかったりする場合、支援者は何をしていいかわからないような状況に陥ります。また、かりに被災者のニーズがわかったとしても、何でもその言いなりになるわけではなく、場合によっては支援活動の維持のためにできることを限定するといったことも必要になってきます。これらのことは「自分たちは本当に役にたっているのか」「このような支援のあり方で本当によいのか」という疑問を抱え続けなければならないという、支援者のヴァルネラビリティ(傷つきやすさ)につながると考えられます。しかしこの本で取材されているボランティア/NPOは、そうした部分を「わからない」ものとしておいたまま、被災者の語りに耳を傾け、対話的にともかくも関係を継続することを信条としているようです。とかく(最近流行の)「共生」などという言葉を聞くと、どうしても「わかりあえる」「ニーズをキャッチできる」ハッピーエンドの物語を安易にイメージしがちですが、ここで浮かび上がる「共生」は、決して完全にはわかりあえない者同士が、時には弱さや限界ゆえに摩擦をおこしながらも、それでも何らかの形で耳を傾け、時には何らかのはたらきかけをおこなう、そのような持続的な関係を示唆しています。

ここでは「共生」への示唆を取り上げましたが、それ以外にも、たとえば、自己決定のための支援をとらえるための「要素」と「隙間の発見」という枠組みの提示や、行政との(対抗的というよりもむしろ)「ネットワーキング的」関係のとり方など、いろいろと考えさせられ、また頷かされる点が多々あります。これは決して震災に限定される話ではなく、ほかの多くの領域で<自立的な生に向けた支援>を模索する問題意識の持ち主に対しても、必ずや触発を与える一冊になるだろうと思います。


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