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2009年09月30日

『生存学 Vol.1』立命館大学生存学研究センター編(生活書院)

生存学 Vol.1 →bookwebで購入

「研究者でもあり支援者でもある、ということ」

この本は、文部科学省によって国際的にも先端的で優れた成果が期待できるものとして採択された「グローバルCOEプログラム」(創成拠点:立命館大学)の成果報告として刊行されたものです。3つの特集(「1.生存の臨界」「2.臨界からの生存」「3.90-00年代の変動」)を主要な部分としており、生命・医療倫理を扱った論稿や、医療保険制度に関して政策・経済分析を行う論稿などをはじめとして、現代社会における生きにくさ、あるいはそうした生きにくい中を生き抜いていくことに関わる多様なテーマが収められた、非常に刺激的な一冊です。

それらすべてのテーマについてコメントすることはできませんので、ここでは特に、独居ALS患者支援のケース・スタディを扱った諸論稿(「特集(2)臨界からの生存」)について述べてみます。

取り上げられているのは、S(60歳男性)さんのケースです。Sさんは、一般企業に長年勤務していましたが早期退職、最後の職はタクシー運転手でした。10年ほど前から単身生活をしていましたが、2007年6月にALSと診断されました。人工呼吸器を装着しないと事前指示書にサインしていました(ALSを持つ人にとって人工呼吸器装着の有無が持つ意味については2008年12月の当ブログを参照)。事の発端となった出会いについて、論文の執筆者の一人である西田美紀さん(看護師であり、立命館大学の大学院生でもある)は次のように振り返っています。

(*2008年)三月二十二日 デイケアのフロアに涙目で顔を歪めているSがいた。声をかけると「体が…体が…どんどん動かなくなっていく」「痛くて…痙攣も強くて…眠れなくて」と泣き崩れた。数分後、Sはこれまでの経過や現在の生活について話し出した。(略)事前指示書のサインについては、「一人暮らしやし、家族には頼れないから、迷惑かけたくないから…あー書くしかなかった。仕方ない…」(略)「あの…Sさんは仕方ない、と思ってるんですか? 介護する人がいないから? いたらどうですか? 生きられる環境があれば?」(筆者)。「そりゃー生きたいわ、誰でも生きたいやろ」(S)、「独居だろうが、誰だって生きる権利はあるんじゃないでしょうか」(筆者)(『生存学 Vol.1』、168ページ)。

こうして、立命館の大学院生を中心とする支援者たちが集まり、Sさんの独居に向けて活動が展開されます。しかし、そのプロセスは決してスムーズではありませんでした。Sさんは、転倒を繰り返し、在宅生活の再構築のために入院します。しかし、退院の期日が迫っても、ケアプランがなかなか十分なものにはなりませんでした。この本では、そうしたプロセスについて詳細に報告されています。

詳しい経過については是非この本をお読みいただきたいのですが、ここでは、なぜスムーズに運ばなかったのか、私なりに理解したことを整理してみたいと思います。

第一に、現在の支援制度には、難病を持つ人にとってまだまだ細やかでない点があるようです。Sさんは、手は右手のみが辛うじて動く程度で、歩くのも困難であり、何度も転倒していました。在宅で安心して暮らすには、常に見守って、動く時に手を貸せる人が付いていなければなりません。Sさんの場合は独居ですから、周囲に見守ってくれる人はいません(同居家族がいる場合は、その家族が役目を果たすこともできますが、そうすると今度は家族の肉体的・精神的な負担が問題になってきます)。この課題をクリアするには、介護保険によるサービスでは足らず、障害者自立支援法による介護給付(重度訪問介護)も併用する必要がありました。障害者自立支援法を利用するためには、認定調査を受けて障害程度区分の認定を受ける必要がありますが、Sさんの場合、認定調査から障害程度区分の認定が出るまで約2か月かかっています。その間に退院の期日も迫り、Sさんは不安な日々を送らねばなりませんでした。さらに、Sさんに限らず病状の進行スピードが速い人の場合、せっかく調査を受けても、認定が出た時点では既にその人の状態を精確に反映した障害程度区分ではなくなっている、という問題も生じえます。これらの問題は制度の運用に関わる問題の例ですが、Sさんについてのケース・スタディからは、その他の点も含めて支援制度が、進行性の難病を生きる人々にとって、必ずしも細やかに行き届いたものになっていないことをうかがい知ることができます。

第二に、利用すべき複数の制度が、いわゆる<畑違い>同士であることによる問題があります。介護保険は高齢者福祉として整えられた制度であり、障害者自立支援法は障害者福祉としての制度です。これらの制度を横断して使いこなすには、それぞれの<畑>の専門家(ケアマネージャーやソーシャルワーカー、福祉事務所や行政など)に何度も相談したり問い合わせたりしながら、自分が使える支援制度にはどのようなものがあり、どのような準備と手続きが必要なのかという情報を手元に整えていくことが必要になってきます。そのような意味で、患者(あるいはその家族)が精神的にタフで、情報収集に積極的であることが求められます。ところが、そもそも患者は(家族も)病気になったことで精神的にダメージを受けており、そう簡単にタフで活動的になれるものではない、というところが問題です。Sさんの場合、そうした落ち込んだ部分を(立命館大学の大学院生を中心とする)支援者たちが積極的にカバーして、24時間介護のもとでの独居を実現させようと奔走します。しかし、そうした中で、他の支援者である医療・福祉の専門家たちとの間で、Sさんの現状に対する見方や支援のあり方に関する見解の違いがあらわになり、支援者同士の間であつれきが生じてしまいます。

そして第三に、支援制度の構成要素となるべき社会資源がそもそも不足していることがあります。例えば、障害者自立支援法による重度訪問介護を実際に受けるためには(重度訪問介護に従事する)ヘルパーを派遣してくれる事業所を見つけることが必要になりますが、重度訪問介護の報酬は低く、ヘルパーも人員的に不足しているので、そのような事業所は少ないのが現状です。Sさんの場合、同じように独居を実現させた先行例(K氏)に対応した経験を持つ事業所が隣の市にあり、幸いにもその事業所がSさんにも対応してくれることになりました。また、K氏やSさんの場合、友人・知人の輪を通じて、あるいは大学生の有償ボランティアを募るやり方によって、支援者を集め、重度訪問介護従事者養成講座を受けてヘルパー登録をしてもらう、という人員獲得の努力が行われています。このように、現状においては、それぞれの地域や個人の状況に応じて、不足する社会資源をいかにカバーするか、ということを考えていかなければならないわけです。

ところで、このSさんのケース・スタディにおいては、研究と支援活動との区別はなされず、両者はむしろ一体となっています。このような手法は「アクション・リサーチ」と呼ばれます。社会学の調査研究に関するひとつの考え方として、研究者はあくまでも記述し、分析し、説明する存在であり、研究対象の営みそのものに介入したり影響を与えたりするべきではない、というものがあります。しかし、アクション・リサーチの場合、研究者はむしろ積極的に研究対象の活動ないし営みにコミットしていきます。Sさんのケース・スタディも、アクション・リサーチの一種といえるのではないかと思います。

研究=支援者が対話の相手となって積極的に関わることによって(「Sさんは仕方ない、と思ってるんですか? 介護する人がいないから? いたらどうですか? 生きられる環境があれば?」)、Sさんの生存への意思は、はっきりとした<声>になっていきます(「そりゃー生きたいわ、誰でも生きたいやろ」)。このように積極的に関わることで初めて、Sさんの<声>はかき消されずにすんだといえるかもしれません。しかしその一方で、他の支援者である医療・福祉の専門家たちの中からは、「本人の思いを直接聞いていない」「生への誘導のように感じる」といった疑問の声が挙がります(同書176ページ)。つまり、研究対象の<声>の形成に深く関与するような研究(=支援)のあり方は、生存の可能性に対して直接的に寄与する反面、どこまでが病いを持つ自身の<声>でどこまでが支援者の<声>なのかという疑義に対して傷つきやすく、そうした病いを持つ人の意思に関する信憑性の揺らぎが、支援者間のあつれきや温度差の温床になりやすいのではないか、と考えられるのです。

もちろん、どのような関わり方が良い/悪いという問題ではありません。大切なことは、このように長短を洞察することで、同種のアクション・リサーチにおいて何に留意しておくべきなのか、という教訓を得ることだと思います。

このように、詳細な事例の記述を通して、後続する実践にとっても、また研究方法の観点からも、豊富なインプリケーションをもった研究報告だということがおわかりいただけるかと思います。この本の他の論稿にも、すぐれて現代的なテーマに挑戦するものや、現代史上の出来事や推移を詳細に追ったものなど、魅力的なものが含まれており、一読をお勧めできます。


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