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2007年08月27日

『分野別実践編 グラウンデッド・セオリー・アプローチ』木下 康仁編(弘文堂)

分野別実践編 グラウンデッド・セオリー・アプローチ →bookwebで購入

「グラウンデッド・セオリー・アプローチを物語論的に読む」

前回はグレイザー&ストラウス『質的研究の基礎』を取り上げました。これはグラウンデッド・セオリー・アプローチの方法論に関しては必読の一冊ですが、経験的研究にこのアプローチを用いた実践例(どのような研究者がこのアプローチを欲するのか)をもっと知りたいと思う方には、こちらの一冊を勧めたいと思います。
この本では、グラウンデッド・セオリー・アプローチを独自に発展させたM-GTA(Modified Grounded Theory Approach)を提唱する木下康仁さんの指導を仰いだ執筆者たちが、それぞれの研究をどのように進めたか、経験を振り返る形で書き寄せています。トピックは、ソーシャルワーカーによる退院援助(第1章)、ホームヘルパーによる相談援助(第2章)、乳幼児健診での保健師による関わり(第3章)、高齢者による行動の意味づけ(第4章)、統合失調症を持つ人の服薬に関する意味づけと行動(第5章)、特別養護老人ホーム入居者の適応(第6章)、学校の保健室を頻繁に利用する生徒による来室行動の意味づけ(第7章)、障害児の母親の意識変容(第8章)となっています。ざっと見てお気づきの通り、これらのトピックはいずれも医療、福祉など、いわゆるヒューマン・サービスの領域に属しています。また、各執筆者はいずれも何らかの現場経験を持っています。こうした領域で現場経験を持つ人々の中に、グラウンデッド・セオリー・アプローチを求める人がいるということには、それなりの理由があるかもしれません。

各章で紹介される研究の共通点は、援助の対象となる人々の意識、行動、あるいは相互行為のプロセスを一つのストーリーの形で抽象化しようとする点です。執筆者たちは、そもそも現場で何が起こっているのか分らないという危機的な感覚から漂流しています。先行研究は、しばしば現場での感覚とかけ離れていて、実践を方向づけるヒントさえ与えてくれません。このような悩みから、執筆者たちは、グラウンデッド・セオリー・アプローチに出会い、プロセスのストーリー化という研究を採用します。出発点においては、しつこくデータに基づく分析が行われますが、最終的にはデータの個別性を捨てた理論的ストーリーの構成が目指されています。

私は、このような執筆者たちの悩みと選択それ自体が、複雑性ないし多様性に直面する現場からの反応の一形態としてとらえらるのではないか、と考えています。つまり、ヒューマン・サービスの領域においては、定型的な役割遂行としての援助ではなく、あくまでも対象となる人々の生活、自己、あるいは人生にとって有益である援助とはどのようなものであるかを気にする機運が、日本の社会においては以前にも増して高まっているように見えます。このような機運は、「そもそもそこでは人々の中で(あるいは、人々の間で)何が進行しているのだろうか」という根本的な関心を刺激します。そうした関心への応答として、人々の変化をある程度の一般性を期待できるストーリーの形に結晶化させようとする研究が生じるのではないかと思うのです。

こうした社会の流れについては、以前(2006年3月)このブログでご紹介したパトリシア・ベナー『エキスパートナースとの対話』の場合とも通底しています。そこでも、背景となっているのは、あまりにも多様な状況の中で、時には自分の直感に頼ってどのようなケアをするかを決断しなければならない看護の現場です。ただし、ベナーのケースでは、エキスパートナースたちの経験した個別のケースの物語を作ろうとしているのに対して、今回紹介しているこの本の場合は、人々の変化をある程度統一的に表せる物語が目指されています。つまり、これらのケースは、ある物語を共有する集合体――同じ援助実践者や調査対象者などから成る集合体――を作ろうとする点において共通していますが、それぞれの物語が持つ個別性においてまったく異なる、ということがいえます。

私自身も、個々の研究実践例を通してグラウンデッド・セオリー・アプローチの理解を深めようとして読み始めたのですが、読み終わるころにはこんなことを考えていました。方法論の本から社会の流れを感じられるという点で面白かった一冊です。


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