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2006年05月24日

『からだの知恵に聴く―人間尊重の医療を求めて―』アーサー・W・フランク(日本教文社)

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「病と付き合える社会に向けて」

アーサー・フランクは、39歳の時に心臓発作を、そして40歳の時に睾丸癌を経験します。これら(特に後者)の経験は、医療社会学者としての著者に決定的な影響を与えますが、この本はその始まりを告げる自伝的な作品です。原著は1991年に書かれ、1996年に日本語訳が出版されています。

癌になる経験は彼を翻弄します。病は、自分の健康がいつまでも続くという幻想を打ち砕き、健康なときには当然だと思っていた仕事ができなくなることを思い知らせます。また、病は、自分がケアする人に依存せざるをえない存在であることも思い知らせます。それは、また、ケアする人の時間を奪い、彼・彼女を病む人の不安や怒りに巻き込むことでもあります。フランクは、そうした経験に自分自身が直面して考えたことを吐露すると同時に、社会学者らしい観察眼と洞察を発揮しています。

例えば、癌にかかっているのに「陽気な患者」というイメージを懸命に作りだそうとする人(本書92ページ)。彼女の振る舞いは、医療従事者や家族への気遣いを含んでいます。しかし、それは同時に、あくまでも「健康」に至上価値を置き、そこに戻ろうとするポーズによってのみ病者の存在価値を認める社会的な雰囲気に自らを合わせることでもあります。

あるいは、化学療法が終わった頃に彼が開いたパーティーにひょっこり現れた友人。彼は、衰弱がまだ残っているフランクのところに近づくことができず、部屋の隅で目を合わせないようにしています。おそらく、近づく勇気がないのでしょう。何と言葉をかけてよいのか分からないのかもしれません。しかし、フランクは言います。「病人とケアをする人からみると、『遠くからそっと気遣う』ことは、なにもしていないのと同じである」(本書148ページ)。

これらの例は、私たちが病と付き合うということが、いかに簡単ではないかを示しています。どうやら、私たちの社会は、健康で生産的ではない人間の経験との付き合い方が上手い社会だ、とはいえないようです。

ちょうどこの本を読み返そうと思っていた頃、幼い頃を共に過ごした私の大切な友人が、若くして自ら命を絶ったという知らせが届きました。しかし私には、この出来事を受け止めるだけの余裕はありませんでした。一緒に遊んだ懐かしい日々の一齣が、かなりぼやけた絵で頭に浮かびます。けれども、私はその細部をもっと思い出すよりも、つとめてその絵を頭の片隅に追いやるようにしたのです。「そんなことをして何になる? それよりも仕事に集中しろ」。こうして、私は、自分が悲しいのかどうかも分からないし、ショックを受けているかどうかすらわからない、という状態のままでした。今でも、私はこの出来事を受け止めきれていないし、彼の両親にかける言葉を自分が持っているのか、分かりません。このケースは、死への態度に関するものですが、病もそれにつながっていますから、やはり問題は通じていると思います。私も、フランクのパーティーにひょっこり現れた友人と基本的には何ら変わらない、ということかもしれません。

健康で生産的な人間によって営まれる生の営みと、そこからはみ出している病者や死にゆく人の営み。このふたつは、実際問題として、すぐ傍を流れるふたつの川のように、なかなか交わることのない流れであるように見えます。少し考えてみれば、両者の間にはっきりとした線引きはないはずなのに。(*注)

フランクが、私たちの社会が病ともう少し付き合えるために考えたことは、病者が自分の体験を自信をもって語ることでした。だからこそ、この自伝的な本も生まれたわけです。そして、この結論が、彼を「病の語り(illness narratibve)」というテーマへとさらに向かわせることになります。

私たちの社会が、病との付き合い方を真剣に考え、接点となる場を大事にしてゆくことは、いまとても大切なテーマだと思います。そのことをはっきり認識させてくれるのが、この一冊です。

(*注)小津安二郎監督の映画『東京物語』では、親の死に直面して異なった態度を示すふたりの登場人物が対比されています。戦死した次男の妻(=この物語のヒロイン)は、動揺して喪服すら忘れて駆けつけますが、他のきょうだいたちは、形見分けの話などをして、早々に帰ってしまいます。末娘が後でそのことを「自分勝手だ」となじると、ヒロインは「誰だって自分の生活が一番大事になってくるのよ」と諭します。末娘は不満げで、「みんなそうなっていくのかしら?お姉さんも?」と聞きます。ヒロインは「ええ。なりたかないけど、やっぱりそうなっていくわよ」と嘆息します。確かに、きょうだいたちの態度は冷たいのですが、それだけの問題ではなく、健康で生産的な人間による生の流れ(「自分の生活」)からはなかなか降りられるものではないのだ、ということがヒロインの嘆息とともに印象づけられるように思います。

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