« 2014年01月 | メイン | 2014年03月 »

2014年02月28日

『夏の流れ 丸山健二初期短編集』丸山健二(講談社文芸文庫)

夏の流れ 丸山健二初期短編集 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「日常と非日常の狭間」

 ホッとしてしまう。何故だろう。世代の近い作家だからだろうか。いや、そんなことではないはずだ。自分では気づかないうちに、その頃の文学の流れにゆったりと浸かって心地よかった時を反芻しているのだろうか。しかし、若い時は本を読むことが常に「心地よかった」訳ではない。新しい作家が世に出る度に、戦うような気持ちで読んでいたのだから。加えて、丸山健二は文壇の主流を歩いてきた作家ではない。内容が予定調和的なものでもない。

 丸山の初期作品集『夏の流れ』の解説において、茂木健一郎は丸山の作品はジェームズ・ジョイスの『ダブリン市民』に通じるものがあると言う。特に人はいかに生きるかという倫理的感覚において。一理あるとは思うが、丸山の作品には『ダブリン市民』に溢れる倦怠感や諦念はあまり見られない。確かに主人公たちはある種の「閉鎖状況」に置かれているが、そこから永遠に出ることのできない諦念よりも、いつか何かが起こりその閉鎖状況は崩壊するのではないかという「予感」の方が重要だ。

 表題作となっている芥川賞を受賞した『夏の流れ』の主人公の佐々木は、死刑囚を担当する看守だ。良く釣りに一緒に行く親しい同僚の堀部、新人の中川、新たに入った凶暴な死刑囚を中心に話は進む。それと並行して、2人の子供と3人目を妊娠している佐々木の妻がいる家庭の様子が描かれる。つまり、非日常的世界と日常的世界が同時に存在している。だが、佐々木にとっては死刑囚も死刑執行も日常的世界に過ぎない。

 中川にとっては、非日常的世界が日常的世界に変わらない。死刑囚に暴行を受け、その翌日その死刑囚の執行を担当させられるのだが、それを受け入れられなく、佐々木に仕事を辞めると言う。堀部が執行担当の役割を変わってやるが、やはり中川は辞めてしまう。佐々木達も自分達の「日常」が日常である事を納得するために、誰かがやらなくてはいけないとか、死刑囚は人を殺したのだとかいうことを考える。他者による死が「非日常」であるとすると、佐々木達は自己の「日常」を獲得するために、他者にとっての「非日常」を作り出すという矛盾の中で生活している。

 酔って佐々木の家へ来て仕事を辞めると大声で叫ぶ中川に、コップに水をくんで飲ませ、何とかなだめすかして送り出した後の表現は腑に落ちる。「妻は玄関の鍵を掛けた。私は部屋に戻り、中川の飲んだコップを台所に持って行き、蛇口の下に置いて強く水を流した。」蛇口を強くひねる佐々木の動作に、やりきれない焦燥感、何処に向けて良いか分からない怒りが見事に表されている。

 雨の中嫌がる囚人の死刑執行を終えた瞬間、佐々木は囚人の足下に突然空いた穴を覗き込むが「暗くて何も見えない」この暗闇に潜むのは死に神か、それとも生と死の境目に住む魔か。以前新聞に何度も死刑を執行したことのある刑務官のインタビューが載っていた。彼はその「仕事」による特別手当を家に持って帰ることはなかった。その日はその金をすべて飲み尽くすまで酒場をはしごするのが習慣だったそうだ。

 佐々木は処刑の翌日の特別休暇に、家族を連れて海に行く。「おなかの赤ちゃんが動いたの」と言う妻に向かって彼は「子供たちが大きくなって、俺の職業知ったらどう思うかな?」と呟く。カミュの『ペスト』でタルーという、作者の分身的存在が描かれる。父親が死刑を命じる立場であることを知り、タルーはそういった世界から一番遠いところを探して旅をしている。彼が見つけた「聖人」は、一日中食事のための豆の数を数えている老人だった。つまり死刑を執行する社会と最も関わりの薄い存在である。裏を返せば、私達は全てが死刑執行人である。『異邦人』のムルソーの結論もそうだった。

 日常は繰り返すであろうし、繰り返しこそが日常でもあろう。だが、その中で「日常」や「社会」の本質を探る試みは、答えが出ないか、出てもどうにもならない現実を自覚するかだ。それでも、そこからどのように進んでいくかが、私達一人一人に問われている根源的問いであるに違いない。丸山健二の作品は、その問いを私達に鋭く突きつけている。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2014年02月25日

『渋沢栄一』鹿島茂(文春文庫)

渋沢栄一 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「官尊民卑と闘った男」

 渋沢栄一には以前から興味を持っていたが、なかなかその人となりを詳しく知る機会はなかった。20年ほど前に古牧温泉を訪れたときに、そこに移設されていた旧渋沢邸を見たことがあっただけだ。書店で『渋沢栄一』を見つけたときに、著者が鹿島茂であることに驚いた。種々の雑誌等の洒脱なエッセイでお目にかかる仏文学者が、なぜ渋沢の伝記を書いたのかと疑問に思って入手した。

 どんな人にも、大きく人生を変える出来事がある。渋沢にとってそれはまず郷里の血洗島村で、父の名代として代官に会ったときに受けた屈辱である。御用金を頼まれた方なのに、頼んだ方が渋沢の人格を全く認めずに権柄ずくめの態度をとった。当時としてはこれはむしろ当然のことなのだが、それに対して憤りを感じるところに、鹿島は渋沢の「新人類」を感じる。

 もう一つは、幕末にパリ万博へ赴く徳川昭武のお供として、パリへ行ったときのことだ。渋沢が色々とお世話になった銀行家フリュリ=エラールと、昭武の教育監督であった役人のヴィレット大佐が、全く対等の交わりをしているのに驚愕するのである。つまり官と民が対等であるということに驚き、何としても日本でこれを実現させたいと強く願う。もちろんこの体験には、前述の代官による侮辱が大きく影響しているのは間違いない。

 フリュリ=エラールからサン・シモン主義を学び帰国した渋沢は、紆余曲折の末大蔵省で腕を振るうが、彼の本来の目的は「民」の地位を上げることであるから、官職を辞し第一国立銀行の創設等、経済界の基盤を作り上げる。明治という特殊な時代性はあっただろうが、巻末に上げられている「渋沢栄一関連事業一覧」を見ると、信じられない思いがする。銀行業界のみならず、保険、海運、陸運、製紙、麦酒製造、ガス、電気、ホテル、教育関係等、ありとあらゆる経済界の基礎を打ち立てているのである。とても一人の人間のなした業とは思えない。

 鹿島はこの超人的な活躍を「フランスで欧米風の生活習慣になじんだ渋沢は、日本に帰ってきて、これが日本にはまだないからつくろうという発想で、業態をあらたに起こしていったのではないか」と分析する。また渋沢は優れた民間外交も成し遂げている。「渋沢級の人物が日本にあと何人か、いや、あと一人でもいてくれたら、日米開戦という悲劇は起こらなかったにちがいない。」という鹿島の嘆きも納得できるところがある。

 会社経営においては、作り上げた会社をどんどん後進に譲り、私腹を肥やそうとは思わない。今ならばインサイダー取引になるだろうが、儲かる情報など山のようにあっても、自らは手を出さない。客だけではなく社員も大切にする。「いくら『お客様は神様です』のモットーを掲げて企業を運営していても、もし、そのために身内の社員を酷使し、彼らが本来享受すべき利益を搾取していたのでは、それはいささかも王道にかなってはいない。」ブラック企業と言われる会社の経営者に聞かせたい言葉である。

 鹿島は「いずれにしても、明治も二十年代を過ぎると、政界に人を得ず、むしろ財界のほうに傑物が集まるという傾向が強まってきたことは確かだ。残念ながら、この傾向は今もなお変わってはいないのである。」と述べるが、妙にうなずいてしまう。もちろん渋沢は単なる聖人君子ではない。艶話が得意の鹿島であるから、渋沢の女性関係もしっかりと描いている。

 渋沢の壮大な人生を、フランスで出会った一銀行家と大佐の関係を軸に描いたところに、仏文学者としての鹿島の面目躍如がある。それにしても、どう見ても舵取りが上手くいっているとは思えない現在の日本に、渋沢のような人物がいてくれたらと考えずにはおられないのが辛いところだ。


→紀伊國屋ウェブストアで購入