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2014年01月31日

『母』三浦綾子(角川文庫)

母 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「無償で無限な母の愛」

 以前、なぜか小林多喜二の『蟹工船』がブームとなったことがあった。格差社会が広がり、生活保護を求める人が増え、低所得者にとって辛い世の中になったことが原因であるとの分析も見られた。授業で扱ったこともあり、多喜二の作品は大体読んでいたが、多喜二の母の視点から語られる、三浦綾子の『母』は新鮮だった。多喜二の母セキは秋田から北海道に渡ってきたが、私の母方の祖父母も秋田からの入植者であった。

 セキは幼い時に近所の駐在所のおまわりさんに可愛がってもらった思い出があり、おまわりさんは優しい人だと思っていた。13歳で小林末松の所に嫁に入る。かつては裕福な家であったが、数年前に没落していた。その後義兄の慶義が小樽でパン屋として成功していたので、彼を頼って小樽に渡る。小さなパン屋を始めて、貧乏ながらも落ち着いた生活となる。

 築港の工事もあり、近所にタコ部屋があった。時々棒頭に折檻されるタコの声が響いてくる。警察に連絡しようとするセキだが、末松は「無駄だべ」という。幼い時の優しい駐在さんの思い出があるセキは、納得できない。「わだしは、警察は殴られてるもんを助けるもんだと思ってた。いじめられてるもんを、助け出してくれるもんだと思ってた。」一度は夜に逃げてきたタコを匿い、翌日パンと金を渡して逃がしてやった。働き者で人が好きなセキは、心優しい人である。

 そのせいか、子どもたちも優しい。弟の三吾がバイオリンに非凡な才能を見せたが、末松にはバイオリンを買うことができない。多喜二は弟のために、初任給でバイオリンを購入し、音楽の先生まで探してくる。三吾が練習する音を聞きながら、多喜二は小説を書いていた。
 多喜二の通っていた潮見台小学校は、貧乏な子が多く「オンボロ小学校」と呼ばれていた。合同運動会の時に、ここの生徒だけは運動服も校旗も校章もなかった。他の子供たちから「潮見学校、貧乏学校、運動服ないとてべそかいたーっ」と囃し立てられる。仕事があって見に行けなかったセキは、多喜二達が喜んで運動会に行っていると思っていた。だがそれは涙が出るほど辛いものだった。それでも愚痴を言わない多喜二が憐れで仕方がないセキである。
 腐ったリンゴしか買えない女性に対する哀れみの感情を妹のツギが口にしたとき、優しい心だけでは解決にならないと多喜二は言う。「だからね、母さん、貧乏人のいない世の中ばつくりたいと、心の底から思って、おれは小説を書いている。」この多喜二が殺されるのがセキには納得がいかない。「そんな考えがお上から見たら、どうして悪い考えだったんだべか。あんなひどい殺され方をしなければなんないほど、そんなに多喜二の考えは悪い考えだったんだべか。」

 セキは至る所で多喜二の優しかったことを語る。だが、語っているセキも優しい人なのだ。苦界に身を落としながらも、勉強したいというタミちゃんを、友人から借金までして救った多喜二を全面的に受け入れるセキ。タミの心根の優しさを心から愛するセキ。多喜二が何をしようと、多喜二がするのだから正しいことだと心から信じ応援するセキ。母の愛というものは、無償で無限であると心底分からせてくれる。もちろんそれは盲目の愛かもしれない。しかし、目を瞑ることほど恐ろしいことはないのだ。完璧の信頼がない限りは。

 周知のように三浦綾子とキリスト教の結びつきは深いものだし、セキも晩年は近藤牧師のおかげでキリスト教に触れ、安息を得ていく。だが、三浦はこの作品でキリスト教を描いたのではない。セキの想いを通して「母」という存在を描き、貧乏で無学な「母」がいかにこの世の真実を察知していて、何が大切かということを教えてくれるという事実を描いているのである。

 「わだしが思うに、右翼にしろ、共産党にしろ、キリスト教にしろ、心の根っこのところは優しいんだよね。誰だって、隣の人とは仲よくつき合っていきたいんだよね。うまいぼた餅つくったら、つい近所に配りたくなるもんね。むずかしいことはわからんども、それが人間だとわだしは思う。」


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2014年01月27日

『なぜフランスでは子どもが増えるのか フランス女性のライフスタイル』中島さおり(講談社現代新書)

なぜフランスでは子どもが増えるのか フランス女性のライフスタイル →紀伊國屋ウェブストアで購入

「フランスに学ぶ少子化対策」

 日本で少子化が問題となってすでに久しい。ところが、同じ経済先発国でもフランスでは子どもが増えている。私も長年フランスに住んでいて、子どもを持つ両親に対する保護政策が功を奏しているのだろう位しか考えていなかった。しかし、中島さおりの『なぜフランスでは子どもが増えるのか』を読むと、そう簡単にはまとめられない事情がからんでいることが良く分かる。

 話は、洋服の胸の開き加減から始まる。中島は日本とフランスの服の違いは、胸の谷間の深さの違いにあると言い、フランスの服は日本のものより5ミリほど深くなっていて「女がセックス・アピールを誇示することに対する社会の許容度の差が、あの五ミリの差なのである。」と述べる。
 私の家の近くに、日本人のシェフが経営するフレンチレストランがある。豊かな胸のウェイトレスが入ると男性客が急増し、彼女がやめると男性客が減ると、シェフの奥様が話してくれたことがあった。嘘のような本当の話である。たかが5ミリ、されど5ミリなのである。

 下着の話も面白い。日本では女性が下着を買うときに男性が付き添うのはなかなか抵抗があるが、フランスでは普通のことだ。そして、日本でヒットしている下着は、フランスでは売っていないらしい。つまり体型をカバーするような下着だ。これはフランスでは薬屋にでも行かないかぎり、ほとんど売っていないようだ。中島の結論は以下の通りである。

 「日本とフランスの下着は、目指す方向が逆なのではないかと私は思う。日本の女性下着の強みは、上に何か着たときに女性を美しく見せることだ。それは、万人向けに女性を美しくするが、それを脱がせる男のことだけは考えていない。」

 手をたたいて賛成している不埒な紳士の姿が見えるようだが…

 フランスでは元来「婚外恋愛」が基本であるというのも興味深い。かつての貴族らの結婚は財産相続が目的であり、それ故に夫婦間に恋愛感情は育たないし、そういった感情を持つことは「恥」であった。故に恋愛スキャンダルには寛大だ。クリントン大統領は、研修生との密会が大スキャンダルになったし、日本でも愛人問題であっという間に首相の座を下ろされた人もいた。だが、フランスのミッテラン大統領は、隠し子についてマスコミに質問されたときに「いるけれども、それで?」の一言で済んでしまった。

 フランスは恋愛に関して「大人」であり、カップルで人生を楽しむのが当然となっていて「子どもは神様」ではない。中島の夫はフランス人だが、娘が2歳の頃パパとママが仲が良いのに嫉妬して父親に「C’est pas ta maman!(あんたのママじゃない)」と抗議したらしい。日本だと父親はどうするだろうか。分かった分かったと言って、母親を譲るか、一緒に遊ぼうと言うのではないだろうか。だが中島の夫はあわてずに「Oui, mais c’est ma femme(だが、私の妻だ)」と言う。

 中島の考察は「母親というアイデンティティ一色に染まらなくてもよい。つまり、子どもを産むことによって失うものが比較的少ない。」となる。確かに日本では、出産すると夫と二人で出かける機会は極端に少なくなり、母親は家に縛り付けられ、友人と会う機会も少なくなる。せいぜいママ友ができるくらいだろうか。フランスでは幼い子をベビーシッターに預けて、二人で食事や映画に行くことは当たり前だ。要するに大人中心であり、カップル中心なのである。

 ピルが解禁され、専業主婦がほとんどいなくなり、パックスという「結婚」より緩やかな関係が存在し、3歳以上はほとんど子どもの教育費がかからない。こういった条件があるからこそ、フランスでは子どもを産みやすく、育てやすいのである。移民が多いせいだという人もいるが、移民が出生率に貢献しているのはせいぜい0.1%にすぎない。

 日本がフランスの制度を取り入れたからといって、すぐに子どもが増えるとはいえないだろう。培ってきた伝統が違うので、そう簡単な話ではない。だが、「草食系」男子が増えたから、若者が結婚しなくなったからと嘆く前に、結婚しやすく、子どもを産みやすく、子どもを育てやすくする方法を考えてみる価値はある。この一冊にはそのためのヒントが数多く潜んでいる。


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