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2013年11月30日

『凍』沢木耕太郎(新潮文庫)

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「闘うことの楽しみ」

 手足の指の感覚がなくなっていく。休憩所に戻り手袋を脱ぐと、すぐにストーブにあたってはいけない。指を一所懸命こすり、感覚が少し戻ってきてから、遠くから少しずつストーブに近づいていく。酷い時には、先に雪でこすって感覚を戻してから、手足をこすり始める。その後は冷たいおにぎりと、熱々の豚汁が待っている。

 小中学校でスキー授業の時に、軽い凍傷になりかけた時の記憶がよみがえってくる。当時は今のような優れた防寒着や防寒靴はなかった。長靴の先に唐辛子を入れたり、毛糸の手袋を二重にしたりしていた。それでも長く滑っていると、指先の感覚がなくなってくる。そうすると、まずいなと思いながら、指を出してマッサージをしたりする。先輩達に教わった方法だった。

 こんな経験をしていても、沢木耕太郎が『凍』で描く山野井泰史と妙子夫妻の寒さとの闘いは想像がつかない。安易な言葉だが、天才的とも言えるクライマーである泰史と、超人的な体力と意思力を持つ妙子が、ヒマラヤのギャチュンカンに挑んだノンフィクションである。極地法、包囲法と呼ばれる、大勢で前進キャンプを設営しながら時間をかけて挑戦するスタイルと違い、山野井達の方法はアルパイン・スタイルと呼ばれる、少人数または単独無酸素で短期間に一気に登ってしまうのだ。

 高度順化が上手くいかない妙子は、殆ど何も食べられない状態で登り続ける。難所では300メートルを登るのに11時間もかかっている。もちろんその間は全く飲まず食わずだ。妙子の精神力の強さには泰史も驚愕の念を隠せない。彼は友人に冗談で語る。「妙子はたとえ病院でガンを宣告されても、『そうですか』と平然と帰ってくるだろう。そして、電車の中で掛けている保険のことなどをしばらく考えると、次にはもう夜の食事の献立について考えはじめているだろう、と」

 最終的に頂上へは泰史一人で到達するのだが、下山のための体力を失ってしまう。こんな時に妙子は素晴らしい力を発揮する。7千メートルの絶壁の途中で、妙子が斜めに削った10センチ足らずの「棚」に腰を掛けてビバークする。殆ど宙づり状態だ。気温はマイナス30度以下。高所が苦手な私は、この場面では殆ど気が遠くなってしまった。さらに雪崩が彼等を襲い、手足の指は酷い凍傷にかかり、疲労のせいか眼も見えなくなってきて、死を意識する。それでも「絶対に、生きて帰る」という強い意志は崩れない。

 7千メートル以上に無酸素で6日間にわたって滞在するという、不可能に近い試練を乗り越えて二人は生還する。その後は凍傷の辛い治療が待っていた。妙子が入院している病院に、小指を詰めた暴力団員が入院していて、あまり痛い痛いというので看護婦が言う。「小指の一本くらいでなんです。女性病棟には手足十八本の指を詰めても泣き言を言わない人がいますよ」しばらくしてその暴力団員は、妙子の病室に菓子折を持って訪ねてくる。

 退院するとすぐに妙子は包丁を持つ訓練をする。指が全くないのに、手のひらで包丁を包み込むようにして、使えるようになる。箸は「親指と人差し指の間にわずかに残った股にはさみ、手のひらで包み込んで」使う。本を読む時は箸の先でページをめくる。泰史は低い山から始めて少しずつ体を慣らし、残った五本の指でフリークライミングをする。そして、さらに高い山へと触手を伸ばす。

 情熱と才能が比例するとは思わない。しかし情熱と可能性は比例する。人は他者と自分とを比較して、相対的に幸・不幸を判断しやすい。「平均的日本人」などというものは存在しないのに、何と比べて幸・不幸を判断しようとするのか。妙子の姿勢は、そのような迷いから私たちを救ってくれるだろう。
 「一本の指を失っただけで、人は絶望するかもしれない。しかし、十八本の指を失ったことは、妙子を別に悲観的にさせることはなかった。好きなことをして失っただけなのだ。誰を恨んだり後悔したりする必要があるだろう。戻らないものは仕方がない。大事なのはこの手でどのように生きていくかということだけだ」


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2013年11月11日

『インパラの朝』中村安希(集英社文庫)

インパラの朝 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「日本の進むべき道を考えるための一冊」

 パリでメトロに乗っていると、小銭をもらうために車内を回ってくる人によく出会う。歌を歌ったり詩を朗読したり人形劇を演じたりして何か芸を見せてくれる人もいれば、自分は失業者で今日の食事のためのお金もないので助けてほしいと言いながら、帽子を差し出す人もいる。興味深いのは、彼等に小銭を上げて援助をするのは、裕福な身なりの人よりも、自分も生活するのがやっとではないのかと思われる人の方が多いということである。

 中村安希の『インパラの朝』を読んでいると、同じようなことを感じる。貧乏旅行をしている中村よりも、遙かに貧しい人々が彼女を様々にもてなしてくれる。食事、宿泊、土産、娯楽、運賃、何もかも面倒を見てくれて、お金は全く要求しない。自分たちの食べ物を削ってでも、彼女に美味しいものを食べさせようとする。

 彼等のことを「貧しい」と思うのは、先発国に住む我々の傲慢にすぎない。大都市に住み、高給を取りながらも、毎日忙しく朝から晩まで働き、体を酷使し、家族とのんびり過ごす暇もないような生活が、人生のレベルにおいて彼等よりも貧しくないと果たして言えるのだろうか。お金の多寡や、現代的な設備の有無で幸福度は測れない。私たちの方が彼等に恵んでもらうものが多いのかもしれない。そんなことを『インパラの朝』は教えてくれる。

 副題の通り、この作品は若い女性が一人でユーラシア・アフリカ大陸を684日間旅した記録だ。楽しいことばかりではないし、涙を流すことも多い。よく生きて帰って来られたと思えるような出来事も多々ある。しかし、作者はこのような旅から、素晴らしく健全な精神を学んでいる。

 かつてイラクで日本人人質事件があった時、東京にいた彼女は職場の同僚と新宿のスタバでコーヒーを飲む。同僚は何のためらいもなく「人質たちを冷たく笑い、軽蔑の言葉を口にした—共感と同意を求めるように、あたかも当然のことのように。」彼女は考える、事件に巻き込まれて死ぬのは嫌だが「国家という無責任な総体の、陰謀の一部を担いながら、誰かが死んでいく様を眺めているのも嫌だった。」同僚より遙かに健全な考え方である。

 パキスタンで出会った青年が言う。「僕たちはね、日本がとても好きだった。とても尊敬していたんだよ。日本の技術は世界一だ。日本はあれだけすごい技術と頭脳を持った国なのに、その力を武力の増強や核開発に使わない。すごい国だと評判だった。お金があって、技術があって、それでいて高いモラルのある国。信頼できる国だった。だけど突然、君の国は、アメリカ側にくっついてイスラム社会に牙を剥いた。イラクやアフガンに襲いかかった。僕らはとてもガッカリしたよ」ここには日本が本来進むべきだった道が示されている。

 アフリカの交通事情を見て、中村は考える。「多くが事故に巻き込まれ、車が凹み、ガラスが割れて、トラックやタンクローリーは勢いあまって横転し、バスはついに爆発し、乗客もろとも燃え尽きればいい。とにかく道路を作ればいい。とにかく発展すればいい。とにかく車をどんどん走らせ、環境をどんどん破壊して、どんどん事故を起こせばいい。何をやっても構わない—発展途上の国々は、先進国のごみ箱なのだ。」先発国のエゴイズムの結果がアフリカの現状なのだ。

 愛国心を持てと人は言う。だが日本は今世界から愛される国となっているだろうか。愛国心は人から強制されるものではない。皆が自然と愛することのできる日本を作り上げるためには、中村の貴重な証言が役に立つだろう。人を信じない者は、他者からも信じられない。懐疑の上に成り立つ関係ではなく、違いを認識し、認め合うことで、世界との距離は縮まる。世界は欧米諸国だけではない。これからの日本の歩むべき姿について考えさせてくれる刺激的な作品である。


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