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2013年08月31日

『紅梅』津村節子(文春文庫)

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「作家夫婦の愛と苦悩」

 高校一年生の時に、人生を変える本に出会った。ボーヴォワールの『人は全て死す』だ。不老不死を得た主人公が絶望的な不幸に陥っていく作品だが、衝撃的だった。限られた命しか持たない我々は、少しでも長く生きたいと思う事が多い。私も例に漏れず、小学生の頃から死を漠然と意識し、その恐怖から逃れる方法を生命の延長に求めていた。しかし、この作品は、人にとって大切なのは命の長さではなく質であることを教えてくれた。

 とは言え、それでも人の死は悲しい。特にそれが長年連れ添った伴侶の死であると、なおさらだ。二人同時に旅立つことができれば良いのかもしれないが、事故や特殊な伝染病でも無い限り、それは難しい。自身も作家である津村節子は夫である作家吉村昭の死を、『紅梅』という私小説的作品で表現した。

 夫婦共に芸術家であるというのは、私たちには想像のつかない苦労があるだろう。それ故にこそ津村節子は『智恵子飛ぶ』を著したのに違いない。智恵子は画家であったが、光太郎の芸術を応援するために、芸術家としての自分を諦めざるを得なかった。そんな苦しみがよく分かるからこそ、深い作品となっている。彼女自身も作家と妻という二つの存在の間で常に揺れ動いていたからこそ、智恵子の心の襞を捉えることができたのである。

 『紅梅』は主人公である育子の夫が舌癌の診断を受け、治療を受けるところから始まる。複雑な手術を避け、放射線治療で良くなると言われ、辛い治療を受ける。育子は自身も著名な作家である故、何かと仕事で出かけなくてはいけない。夫の面倒をできる限り見たいと思うが、夫は育子の仕事を案じ、病院に来るなと言う。他人に迷惑をかけないがために、夫は自己の癌を身近な人にすら徹底的に隠そうとする。お互いがお互いを思いやるからこそ、微妙なすれ違いも起こる。

 折に触れ、昔の思い出が描かれる。売れる前に同人雑誌に長い間作品を書いていたこと、生活のために北海道まで行ってメリヤス製品を売ったこと、姉夫婦から離婚を勧められたこと。育子は覚えていないが、その時に「あの人はひょっとすると、ひょっとするかもしれない。こんな苦労をさせられたんだから、今別れたら損をする」と言ったと、姉から教えられる。功利的な発言では無く、夫を信じている妻の愛が言わせたことだろう。

 治療が上手くいかず、数度の入院や手術の際も、夫は常に仕事のことを考え、痛みに耐えながらも書き続ける。徹底した現地調査と資料収集の様子も、思い出として描かれている。吉村昭の作品が臨場感を持つ所以である。二人で旅行する機会などは殆ど無いが、夫の取材旅行に偶然同行できた時の育子の喜びが伝わってくる。

 「夫の痛みと育子の肩凝りは正比例する。」夫を思う気持ちが、体にも影響する。夫は死が近いのを自覚し、遺言をしたため、細かな指示を与える。死を目前とした日記に「書斎に残してきた短編に加筆できないのが気がかり。」とある。夫が自宅で安らかな最後を迎えるために、育子は全身全霊で看護をする。記憶が無いのだが、最後の瞬間に育子は「あなたは、世界で最高の作家よ!」と叫んだと娘から教えられる。

 「育子が夫の背中をさすっている時に、残る力をしぼって軀を半回転させたのは、育子を拒否したのだ、と思う。情の薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負ってゆくのだ。」

 果たして育子は「情の薄い妻」であろうか。そうは思えない。作家と妻という二足のわらじを懸命に履き続けるのは、妻の望みだけでは無く、夫の希望でもあるのだ。仕事よりも夫を優先することを夫自身が望まないという環境にありながら、育子=節子は最大限の愛情を注ぎ続ける。お互いに作家であり、夫婦である津村と吉村の、人生に対する真摯な態度が結晶した、心打たれる作品である。


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2013年08月05日

『亜米利加ニモ負ケズ』アーサー・ビナード(日本経済新聞出版社)

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「真の愛国心とは?」

 アーサー・ビナードを有名にしたエッセイ集『日本語ぽこりぽこり』は確かに面白い。大勢に順応しない健全な精神は小気味良いし、権威というものの真の姿が現れている体験談も示唆に富んでいる。例えば、彼がある高校英語教科書の例文チェックのアルバイトをした時のこと。「大学の先生方のお書きになったものなのに、大部分が間違っていてチェックどころか、完全な書き直し。」日本の英語教育界はまだそのレベルなのだろうか。それとも「大学の先生方」の作成した例文というのは、もしかしたら大学院生のアルバイトの作なのか。

 このエッセイ集は面白いものの、視点があまりにも多岐にわたり、少々まとまりに欠ける部分もある。しかし、2011年に出版された『亜米利加ニモ負ケズ』は完成度が高い。面白いものは何でも書いてやろうという好奇心に満ちた精神のみではなく、種々の出来事を通して「事実」を見通そうという作者のエスプリが明確に感じられる。

 ビナードが見ているものは、為政者にとって都合の良い「真実」ではなく、「事実」である。湾岸戦争では「大量破壊兵器」という作られた「真実」によって多くの国民が踊らされ「金儲けのために原油が欲しい」という一部の人々の「事実」は見えにくかった。彼は祖国のアメリカについてであろうと「事実」を語る。米兵が日本で起こす問題に対しても「『綱紀粛正』でどうにかなる次元の問題ではまったくない。」と明言し「『再発防止』のために有効な手段はひとつだけ、軍の基地をなくすこと。」と明快だ。

 それゆえに「アメリカ人なのに反米ですか」と聞かれた事があるそうだ。もちろん、違う。「実際はその正反対だ。批判こそがぼくの愛国心の表われ。軍国の現実逃避から目覚め、世界の中で建設的な役割を果たしてほしいから、あえていうのだ。」彼のような人がいる限り、アメリカには希望がある。振り返って我が国を見ると、ビナードのような真の愛国心を持った人の姿は見えてこない。「愛国心」を振りかざして、亡国への道を盲進する人ばかりが目立つ。

 オバマ大統領の前に、ブッシュ大統領が再選された時、私の勤務するInternational School of Parisに一通のメールが回ってきた。送り主はハーバード大学やプリンストン大学等のアメリカを代表する大学の学生たちで、内容は「ブッシュ大統領が再選されましたが、49%のアメリカ人はそれに反対したことを忘れないで下さい。」というものだった。若者の「愛国心」と、当たり前の「事実」に感動した。日本では先の選挙で約四分の三の有権者が現政権に賛成しなかったのに、その声はなかなか聞こえてこない。都合の良い「真実」に隠された「事実」は何処に行ったのか。

 ビナードが言葉から探る日米関係のあり方は、鋭い。青森に対する愛情も素晴らしい。心が女性でありながら男性の身体を持って生まれた人々の苦しみに、生まれながらの女性が鈍感でありがちなように(もちろん逆の場合も同様)、日本にいる日本人は日本人である事の素晴らしさともろさに、鈍感となっているようだ。それを明確に指摘できるのは、海外在住の日本人であり、日本在住の外国人であるに違いない。


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