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2013年07月27日

『ホテルローヤル』桜木紫乃(集英社)

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「登場人物の同伴者としての作家」

 石川啄木は「石もて追われ」た故郷であっても、やはり懐かしくてたまらなく、故郷の方言を聞くために上野駅に行ったことを詠んでいるが、「ふるさと」とは誰にとっても多かれ少なかれ重要な場所であるに違いない。そんな故郷から吉報が届くと、興味を持たずにはいられない。

 桜木紫乃は北海道出身の作家で、先日『ホテルローヤル』で直木賞を受けた。地元では売り切れでなかなか入手しにくくなっているようだが、読む機会を得た。一読して感じたのは、その割合安定した文体だ。少々分かりにくい暗喩が出てくるが、それ以外は安心して読むことができた。また、7つの短編の内容が、工夫を凝らされて繋がっている。全てを読んで初めて「ホテルローヤル」の輪郭が明確になってくる。

 「ホテルローヤル」は釧路湿原を見渡せる場所にあるラブホテルだ。このホテルを舞台として、様々な人々の人生が交錯する。ホテルが擬人化されているわけではないし、語り手となっているわけでもないのだが、作品を読み進むうちにこのホテルの存在が見知らぬ生き物のように熱を帯びてくる。この存在感は「ホテルローヤル」が単なる想像上の産物ではなく、作者の実家がラブホテルであったことが大きく影響しているだろう。

 最初の短編では、廃墟と化した「ホテルローヤル」に忍び込み撮影をするカップルが描かれ、最後ではこのホテルを作り経営に全てをかけようとする田中大吉と愛人のるり子が登場している。つまり、最初の作品から最後まで徐々に時間を遡った世界が描かれているのだ。それぞれの短編のラストでは、かすかな希望や不安が表現されているが、全編を貫くトーンは「哀感」と言えるだろう。せつないのだ。

 貧乏寺の経営を助けるために、先代から引き継がれた密約を遵守しようとする大黒の恐れと期待。両親の残したラブホテルを整理し、新たな人生に向かおうとする雅代。余裕のない生活の中で、ふとしたきっかけで夫とラブホテルに行き、そこに潤いを見つける恵。親に捨てられた教え子まりあとの偶然の道行きから、最終的に不可逆的な旅へと向かう高校教師の野島。苦しい生活をものともせずに働き続け、ひたすら我が子を信じる、ホテル清掃員のミコ。

 どこにいてもおかしくないような人々なのだが、桜木は彼らを冷徹な分析者の目で見るのではなく、まるで同伴者のようにそっと寄り添っている。自分にとって大切な人々のように、優しい親近感を顕現させている。そこにこの作品の個性があり、命がある。かつて遠藤周作は『沈黙』において、万能の父性神ではなく、無力ではあるが常に側にいてくれる同伴者としてのイエスを描いた。この同伴者としての作家の意識が感じられるために『ホテルローヤル』は哀感に満ちた、側に置いておきたい、読者との距離感の近い作品となっている。


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2013年07月26日

『ペコロスの母に会いに行く』岡野雄一(西日本新聞社)

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「可愛い老人の物語」

 日本は言わずと知れた長寿国である。しかし、同時にそれは老人大国である事も意味している。どんどん増えていく老人と比較すると、それを支える若者は逆に年年減少している。年金制度は破綻しかけ、日々の生活もままならない高齢者も多い。どのように生きていくかだけではなく、どのように去っていくかを考えさせる情報が溢れ始めているのも、当然のことであろう。

 フランスには在仏北海道人会がある。私も北海道出身なのでお手伝いをしているが、かつて日本の老人医療の専門家を招いて講演をしてもらったことがあった。種々の身につまされるエピソードを披露してくれたが、一番印象に残ったのは、介護してくれる人たちにできるだけ迷惑をかけない方法は何かという質問に対して「可愛い老人になって下さい」という答えだった。認知症であろうとアルツハイマーであろうと、お世話をしている人たちが可愛いと思える老人になることが大切だというのは、腑に落ちた。

 岡野雄一が漫画『ペコロスの母に会いに行く』で描く「みつえさん」は、まさに「可愛い老人」である。熊本の天草の農家から結婚するために長崎に出てきて、酒癖の悪い夫の世話をしながら二人の男の子を育て、夫の死後緩やかな認知症と脳梗塞の発作のためグループホームで暮らしている。作者はみつえさんの長男で、時々ホームを訪れ、みつえさんとのひと時を過ごす。

 こう書くと、今の日本ではどこにでもありそうな家族風景なのだが、特徴的な絵と長崎弁が独特な世界を作り上げている。顔の表情と単純な曲線が良い。方言の世界が豊かだ。そして感心するのは、母に対する作者の鋭い観察眼であり、母の心中を思いやる想像力である。例えグループホームで暮らしていても、介護というのは大変なものであるに違いない。だが「大変な苦労」と書いても、苦労の大変さは伝わってこない。99%の大変な介護の中にふと現れる静かで優しい瞬間。そこをきちんと描く時、描かれない99%が私達に伝わってくる。

 若い頃は酒癖が悪く家族に迷惑をかけた父は、晩年酒を止めて仏様のような好々爺になり逝った。認知症のみつえさんのところには、その父(みつえさんの夫)が時々やってくる。みつえさんは、父ちゃんが現れるならば惚けるのも悪い事ばかりではないと言う。記憶の浄化作用かもしれないが、人が生きていくというのは、そういうものだろう。というより、記憶を浄化しなければ、生きていくのが辛くなってしまうに違いない。端から見ると、あんなに苦労をかけられたのにと思うかもしれないが、本人にとって別な記憶となっている事も多いに違いない。

 かつて有吉佐和子が『恍惚の人』を上梓した時、私達はその慧眼に目を瞠った。有吉の予言が現実となった今、介護という厳しい日々に追われる時、同じ境遇にいる人からのユーモアに溢れた優しいメッセージには、癒やされる人が多くいることだろう。みつえさんの一言や牧歌的な表情に、私達は救われる。だが、松尾芭蕉の天の川を詠んだ句が美しいのは、背景に佐渡の悲惨に満ちた歴史が控えているからであるように、みつえさんと作者の日々にも、僅差で生死を分けるようなできごとがあり、長崎の原爆による被害もあることを、忘れてはならない。


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