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2013年05月30日

『テレーズ・デスケルウ』モーリアック(講談社文芸文庫)

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「テレーズは誰なのか?」

 テレーズは何者だろうか。『テレーズ・デスケルウ』の序文で、作者モーリアックは「テレーズ、あなたのような女がいるはずがないと多くの人がいう。だがぼくには、あなたは存在しているのだ。」と告白する。また訳者の遠藤周作にとって、この作品は彼の一生を決定づけたものであるかもしれない。舞台となったアルジュールを旅した遠藤は、その荒涼たる風景に何を感じたのだろうか。テレーズの姿を垣間見ることはできたのだろうか。 

 自らの嘘と、家名を守るための夫の虚言により免訴を勝ち取ったテレーズの描写から話は始まる。それは決して「勝利」と呼ばれる類のものではない。テレーズにとっては、むしろ永遠の苦役の始まりといっても良いだろう。テレーズを憎みかつ恐れながらも、家族の名誉を守るために、嘘をついたベルナールの下に戻る旅の中で、テレーズは過去を回想する。

 どちらの家もその地方の名家であり、財産の結びつきを考えるならば、いわば必然的な結婚の一つであったはずだ。それにテレーズも納得していなかったわけではない。だが結婚式当日に彼女は「自分が失われていくのを感じ」る。さらに新婚旅行において、夫との肉体的結びつきに官能的な歓びを見つけられない。二人は旅立ちから既にすれ違っている。テレーズの幼馴染であり、ベルナールの妹でもあるアンヌの恋愛問題が勃発し、テレーズが妊娠し、忙しい日々を過ごすが、それは倦怠に充ちた日々でもあった。
 
 理由の無い死への恐怖から、ベルナールは砒素療法に従うことになる。そしてある日、近郊の火事のニュースに気を取られていたベルナールは、コップの中に「いつもより二倍の分量の薬」を入れて飲んでしまう。さらにその後彼は「おい、おい、おれは薬を飲んだかい?」とテレーズに尋ねるが、妻の返事を待たずにまた薬を入れる。その夜ベルナールは吐き、涙を流す。
 
 これは全く偶発的な「事故」である。だが問題は、医師が日中の出来事を尋ねた時に、テレーズは「食卓で見たことは黙っていた。」のである。過去を回想して、その時に「話したいという欲望さえも感じていたかどうかわからぬ。」と思う。テレーズにこのような行動を取らせた「何か」は「まだ形こそなしてはいないが、心の底の奥深いところから浮かびあがりはじめ、意識の閾をなかばひたしていた」のである。
 
 テレーズは彼の病がこの薬のせいか確かめるために「再実験」をし、それを繰り返すうちに、彼女の行為が発覚する。そして裁判が行われる冒頭につながるわけだが、この作品の命はテレーズが犯行に至った理由の不可解さだろう。夫と衝突があったわけではない。義理の両親とも、すれ違っていただけで、それ位は多くの家庭でも見られることだ。免訴後家に戻る時も、夫が「もし彼が腕をひらいて何もたずねなかったら!」と考えたりもする。
 
 「心の底の奥深いところ」から浮かび上がってきたものは何だろうか。旧家にありがちな、家族の対面を守り続ける意思に対する倦怠と恐怖だろうか。それは『人間失格』で葉蔵が感じた恐怖とどこか似ているのではないか。テレーズが自殺を思い立った時「もし神というものが存るなら、それが手遅れになる前に、この手を払いのけてくれるはずではないか」と思うのは『沈黙』におけるキチジローの神に対する思いと似ているのではないか。
 
 「存在の不安」、「存在証明」等、数多くの文学作品の水脈につながる「確固たる曖昧さ」とでも言うべきものを、テレーズは間違いなく持っている。多くの人にとってテレーズを探すことは、確実に自分探しの旅になることだろう。


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