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2012年12月29日

『文学 2012』日本文藝家協会(講談社)

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「2011年を考えるための1冊」

 年の瀬も押し詰まると、誰しも一年を振り返る事が多くなるだろう。『文学2012』はその一助となる。ただしここに収められているのは2011年の文芸雑誌に掲載された短編である。その意味では、振り返る一年は2012年ではなく、2011年つまり大震災と原発事故によって多くの人の人生が変わってしまった一年である。文学作品(しかも短編)を十数編読んだからといって、あの長かった一年の全貌を捉えられるわけではない。だが、例えレントゲン一枚でも、患部が大きければ偶然その断面を見ることができるように、これらの短編からも見えてくる姿がある。

 田中慎弥の『聖堂を描く』は、小説の取材のためにある町の聖堂を訪れた主人公が、いつまでたっても聖堂にたどり着けない姿を描いている。カフカの『城』のモチーフと似ているが、そこには主人公と現実との不思議な齟齬がある。時のずれではなく、コミュニケーションが成り立っていると思われるのにどこかが違う — 村上春樹とは違った形でのコミュニケーションギャップのような何か、が描かれている。この奇妙な違和感を持った作品が、震災前に書かれているのは興味深い。

 森内俊雄の『梨の花咲く町で』は、文章が緊密で飽きの来ない印象的な空間を作り上げている。ある雑誌に書いた文章の一場面の記憶が曖昧なので、確かめに来た主人公がいる。四国の大谷焼の里の駅に降り立ち、梨畑を見た記憶が問題の場面だ。再びこの地の駅に着いた時「空というのは、ふつう仰いでみるもので、高いところにある、と決めてかかっている。ところが、ここでは空がホームにおりてきていた。」と感じる。視覚と皮膚感覚に訴える幻想的なシーンである。記憶と時、場の関係を上手く繋いだ結末は、心地よいものとなっている。

 古井由吉の『子供の行方』では、大震災による津波の映像から終戦末期の空襲の記憶がよみがえる。実際に経験した悲惨な状況の記憶に音がない、視覚と聴覚の奇妙なずれが描かれる。恐怖の体験から逃れることはできない。しかし、いつでも、どこでも「日常」がある。その違和感に満ちた世界を「背後を見れば、ついさっきまで有ったはずのものがことごとく無くなっている。そればかりか、うかつに振り向けば、のがれてきたばかりのものに呑みこまれそうな恐怖に、追いつかれかねない。そして目の前には、劣らず不可解にも、日常がある。変わり果てた境遇でも、日常は日常である。」と表現する。世界を解釈するのではなく、ただ確認することしかできない覚めた意識がそこにある。

 木村友祐の『イサの氾濫』は直接的に大震災と結びついている。主人公は青森の八戸出身であり、東京で暮らしているが、明確な存在証明を持てないままに、暴力的で破天荒な叔父「イサ」に興味を持ち、彼について調べるために郷里に行く。八戸は「一人の死者しか」いなかったために、大した被害ではないと思う主人公は、父を含む故郷の人々の苦しみを理解できない。被害者が一人に過ぎないという意識は、死者が多かった他の地方の人々よりも被害者意識を持つべきではいという、間違った考えを導く。

 かつて、シベリヤのラーゲリから帰還した石原吉郎は、自分が広島の目撃者でなかった故に、広島についてどのような発言をすることも拒んだ。ジェノサイドという事実の受け止め方に疑問を持ったからだ。多くの人の死を統計的に捉えると、そこでは個々の悲劇が見えなくなる。「百人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ」と言ったアイヒマンの言葉に、石原は共感する。

 主人公の将司は、角次郎からそのたった一人の死者の「ドラマ」を聞いて、何も言えなくなる。大勢が死んだから大変だという考えは、残された人々の心を全く理解していない。遺族にとって「大勢」などは何の慰めにもならない。彼らにとっては、たった一人のかけがえのない存在こそが重要だからだ。「がんばって」という言葉の持つエゴイズムと難しさも、現地の人々の心境から見事に表現されている。2011年が生んだ珠玉の作品と言える。

 他の作品も、時代を切り取り、私たちの今を逆照射する意味において、非常に興味深い。


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『母の遺産 新聞小説』水村美苗(中央公論社)

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「Aujourd'hui, maman est morte.」

水村美苗の『母の遺産 新聞小説』は、主人公の美津紀の母が死に、入居していた老人ホームから戻ってくる金額を、姉の奈津紀と電話で話している場面から始まる。何とも即物的な会話だと感じられるが、その後亡くなった母がいかに大変な人であったかが、語られていく。「母に振り回されるうちに生きる希望が目に見えて枯れていっていた。」ほどなのである。

 美津紀はかつてフランス語を学び、姉がいる。母は重病の夫の看病をせず、愛人に夢中になる。この辺りは、作者自身の人生と重なり合う部分があり、私小説的要素があるのだが、純粋な「私小説」ではない。むしろ作者の人生と近いからこそ、興味本位で読んでいては、重要なメッセージを読み落とす可能性もある。

 この作品には2つの文学作品のモチーフが使われている。何度も繰り返し出てくるのは尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、通奏低音のように背景を形作っているのがカミュの『異邦人』である。「Aujourd’hui, maman est morte — 今日、母が死んだ」あまりにも有名な書き出しであるが、主人公ムルソーは精神的な母殺しの罪で斬首刑となる。母を幼老院に入れ、母の遺体を見ようとせず、母の年齢を明確に言えず、遺体の前でたばこを吸い、ミルクコーヒーを飲み、次の日に海岸で女性と出会い喜劇映画を観て、部屋に連れ帰る。不条理人ムルソーは、より不条理な社会の道徳習慣によって裁かれる。

 ムルソーの直接的な罪は、知人の女出入りに関して、正当防衛(過剰防衛とも言える)の形で一人のアラブ人を射殺したことだ。国選弁護人との打ち合わせの際、ムルソーは母を愛していたと言いながら「Tous les êtres sains avaient plus ou moins souhaité la mort de ceux qu’ils aimaient.(健全な者なら誰でも、多かれ少なかれ愛する者の死を望むものだ)」と語る。この場面は『母の遺産』では登場しないが、美津紀が「初めて読んだフランス語の小説」である以上、美津紀の心の中には明確に記憶されているだろう。

 これは、美津紀の隠された自己弁護だろうか。だが美津紀はかなり献身的に母の介護をしている。時として、反発したくなる気持ちを抑えながら。しかも、夫に愛人がいる事実を発見して悩みながら。母や祖母の一生を思い起こしても、母に対する嫌悪は消えず、それどころか「ママ、一体いつになったら死んでくれるの?」と思わずにいられない。そんな母の血が自分の体に流れているのも確かなのだ。母が死に、夫と別れた後に、一人で暮らしていく経済的基盤があるかどうかを考えるのに、「母の遺産」は大きな役割を果たす。憎む母の血もその「遺産」に含まれているのであろうが。

 母の死と、夫との今後を考えるために、美津紀は一人で箱根のホテルに逗留する。そこで展開されるミステリー染みた話は、蛇足と考える人もいるかも知れない。だが、美津紀にまとわりつく自死の影を演出するための、一つのエピソードとなっていることは否めない。そして美津紀の次の言葉には、呪縛的な説得力がある。「老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間くらいは訪れるのではないか。それも、母親が老いれば老いるほど、そのような瞬間は頻繁に訪れるのではないか。しかも女たちが、年ごとに、あたかも妖怪のように長生きするようになった日本である。」娘もまた老いていきつつあることをひしひしと感じながらの、素直な告白である。


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2012年12月21日

『フランス人の流儀 日本人ビジネスパーソンが見てきた人と文化』日仏経済交流会(大修館書店)

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「フランス(人)との上手なつきあい方が学べる!」

 フランスに赴任する人や長期滞在を考えている人は元より、短期留学を考えている人、または単なる観光旅行よりももう少し深くフランス人と触れ合いたいと思う人々にとって、『フランス人の流儀 日本人ビジネスパーソンが見てきた人と文化』は必読書と言えるかも知れない。実際にフランスに長年住んで仕事や勉強をしていた人の証言は、どんな旅行案内書よりも役に立つ。

 資生堂、サントリー、トヨタ等の日本を代表する企業のフランス進出苦労話は、その辺の小説よりもよほど面白く、ドラマに満ちている。フランスの会社との合弁会社を作り、フランス人のクリエーターを採用し、「世界で一か所でしか販売しない香水専門ブティック」をパリに開く。発想の豊かさと、信頼関係に基づくコミュニケーションの確立が見られる。

 サントリーは苦労してシャトー・ラグランジュを買収するが、フランス的経営を学ぶために専門家に師事する。そこで日本とは全く違うフランスの習慣を徹底的にたたき込まれる。近隣のシャトーのオーナー(とは言え、一級のシャトーは別のサークルなので、招待することすらかなわないらしい)を招待して晩餐会を企画する時も、細部に至るまで「指導」される。筆者の永田氏は指定された1975年のシャトー・ディケムを探しにジュネーブまで出かけていく。

 一級シャトーのラフィットがサントリーの会長夫妻を歓迎するために開いた晩餐会では、何とラフィットの1900年ヴィンテージが饗されたという。オーナーのエリック男爵は言う。「やる時は、全て最上級のものでなければ意味がないよ。」こんな言葉の似合う人も、実行力のある人も、なかなかいないだろう。地元とのコミュニケーションを大切にし、思い切った設備投資をしたおかげで、今やラグランジュの品質の良さはフランス人の間でも評判になっている。

 かつてフランスでトヨタの販売店を回ると、必ずこう言われたそうだ。「安定性が良くない、乗り心地が悪い、内装が貧相、陰気だ、材質が安っぽい。」では何故売れるのかと尋ねると、答えは「故障しない。装備品は全部ついている。そのわりには安い。」だ。私もパリでタクシーに乗り、その車がトヨタである時、「トヨタは故障しない。何でもついている。」と運転手から良く聞かされるので、思わず笑ってしまった。

 フランス社会はエリート社会であると良く言われる。その「エリート」養成機関である、「グランドゼコール」で学んだ日本人の体験や、彼らとつきあう方法等も豊富に述べられている。フランス人は働かず、バカンスのことばかり考えているという伝説(?)も、正しくはないと言うことがよく分かる。カードルと呼ばれる管理職の人々は、日本人に負けないくらい良く働いている。しかし、バカンスもきちんと取る。まさに「アール ドゥ ヴィーヴルArt de vivre(生きるための美学)」が明確なのだ。

 物質的には豊かになったが、精神的にはまだ満足度が低い日本。最近ではその物質的豊かささえ脅かされているようでもある。そんな日本にとって、フランスから学ぶべき事は多い。そのためには、自国とフランスの文化、伝統を良く学び理解し、胸襟を開き真摯な姿勢でつきあい、フランス語を学ぶことが大切であるということが、情熱を持って語られている。


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