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2012年09月30日

『歴史を考えるヒント』網野善彦(新潮文庫)

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「「日本」という国名はいつできたのか?」

 「日本」という国の名前が決まったのはいつか? 一体どれだけの人がこの基本的な質問に対して正確に答えられるだろうか。網野善彦の体験によると、大学生の解答は「紀元前一世紀から始まって十九世紀まで、満遍なく散らばって」いたそうだ。国家公務員の研修でも結果は似たようなもので、ほとんどの人が知らなかったということだ。アメリカ人や中国人に同様の質問をした時は、1776年や1945年という答えがすぐに返ってきている。

 この事実だけで、日本人は愛国精神が足りないなどと判断するのは短絡であろう。しかし、「愛国」を振りかざして国民を「亡国」へと導いていく政治家達の、一体何名がこの重要な質問に答えられるだろうか。網野の『歴史を考えるヒント』によると「現在の大方の学者の認めるところでは、浄御原令という法令が施行された六八九年とされている」とのことだ。六八九年が遅いと思った人は、三世紀の卑弥呼を意識しているだろうし、早いと考えた人は、一五世紀に足利義満が「日本国王」と称したのが脳裏をかすめたのかもしれない。

 次いで、「日本」という国名の成立経緯を考察して、「日出づるところ」という意味から考えると、やはり「中国大陸の唐帝国を強く意識した国号」だと考える。理由は「自らを朝貢国と位置づけていた状態から、脱却を図った」からだ。故に「一部の人の決めた国名である以上、人の意思で変えられる、つまりわれわれ日本人の意思で変えることもできるのです。」という虚を衝かれる意見に至る。そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、網野が「最も問題なのは、我々がほとんど全く意識しないまま、『日本』をあたかも天から授かった国名のように、今もぼんやりと使い続けているということではないでしょうか。」と言う時、彼の考えの重要性が理解できる。

 地域や地域名に関する考察も面白いが、「普通の人々」を何と名づけるかというのは興味深い。国民、庶民、市民、人民等に加え、平民、常民等の名称に考察を加えていく。日本中世史が専門である網野ゆえに、今我々が何気なく使っている言葉も、かつては違う意味で使われていたことが分かり、面白い。そして、網野学説の基本をなしていると思われる、百姓=農民ではないということが解説される。種々の文献や事例を示してくれるので、分かりやすく説得力がある。

 被差別民の名称や制度化についての検討も示唆に富んでいる。ある時期においては神仏に使える優れた職能民であった人々が、なぜ差別されるようになったのか。網野によると、一三世紀後半に「穢多」という言葉が使われるようになり、その頃から差別的な見方が現れたが、その差別は「社会的に固定した状態」にはなっていなかったという。それが身分として固定されるのは江戸時代なのだが、差別の発生が「人間と自然との関係が大きく変化し、社会が『文明化』したためである」との指摘は鋭い。

 日常用語の考察も興味深いが、網野の意見は次の一文で明らかだ。「欧米の言葉を翻訳する際、それに対応させたがゆえに、かつて日本の社会の中に存在した言葉の多様な意味が消えてしまった場合が実際に少なからずあるのです。」「温故知新」ではないが、「日本」の姿が揺れている今こそ、自らのアイデンティティーを明確にするために、過去を振り返ってみることが重要なのかもしれない。


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2012年09月29日

『おそめ』石井妙子(新潮文庫)

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「伝説の銀座マダムの新たな伝説」

 「伝説の○○」という言葉はよく見かける。しかし、石井妙子の著した『伝説の銀座マダム おそめ』の、おそめほど「伝説」にふさわしい人はいないのではないか。そもそも「伝説」は噂によって形作られるものであり、そのもの自身の姿を正しく現しているかどうかは定かではない。おそめも「空飛ぶマダム」としてメディアに登場し、川口松太郎の『夜の蝶』が大ヒットし、伝説が生まれていく。

 だが作者は伝説を描こうとしたのではない。むしろ、伝説の「おそめ」と生身の「上羽秀(うえば ひで)」との違いを知り、それでも二者に共通する一人の女性の姿を描きたかったのではないだろうか。そして、それはとりもなおさず、新たな「おそめ伝説」の始まりのようにも見える。

 最初に十数葉の写真がある。川端康成、里見弴、小津安二郎、大佛次郎、白州次郎、吉井勇、丹羽文雄等々と秀が一緒に移っている。秀の店「おそめ」には、政財界、官界、文士を問わず、当時一流の人たちが集まっていたらしい。というより、秀の店に来られることで一流とみなされたといった方が良いほどだ。

 京都の裕福な石炭問屋の娘として生まれながらも、母の出奔に伴い家を出て、芸妓になり、旦那と別れてからバー「おそめ」を開き成功し、銀座に出店し東京と京都を毎週飛行機で行き来する。妻子のある男性と内縁関係になり、彼の家族や親族を養い、最後まで尽くす。それだけを見ると、少々変わった形のサクセス・ストーリーとも言える。しかし、石井妙子が何年もかけて追いかけざるを得なかった秀の姿は、このような記述の中にはない。

 秀の真骨頂は、人生に対する一途さにあるのではないか。どれほど事業で成功し有名になろうとも、自分の身を派手に飾らない。常に男を立てて、才女ぶった言動は一切ない。買い物をしてもお釣りをもらうことはない。千円の買い物に一万円を払って、お釣りをもらわなかったという。検札に回ってくる新幹線の車掌にも一万円を渡し、「車掌が通るたびにそれを繰り返し」た。タクシーを頼むと、誰が行くかで営業所中がもめたほど、チップをはずむ。

 おごりでも見栄でもない。金銭感覚に疎いのではなく、金銭そのものに対する考え方が違うのだ。お金は流れているもので、水商売のものがそれを止めてはいけない。「だから手元に置いといたらあかんのや。お金いうものは。すぐに流してやらんと。流してあげたら、また流れ得てくるのやから。」もちろん秀がこのように生きられるためには、恵まれた環境が必要だろう。しかし、金持ちの多くが秀のように生きているとはとうてい言えないだろう。どこか『桜の園』のラネーフスカヤを思わせる人なのだ。

 厳しく激しい夜の世界に生きながらも、内縁の夫俊藤浩磁に徹底的に尽くす。一世を風靡した一流の常連達も、年を取り老いていく。彼らを見捨て、新しい若い客を開発するのが、夜の世界に生きる女の処世術だが、秀は老兵に最後まで優しい。酒に強かったせいもあるだろうが、別のテーブルに移る時でも、決してグラスの酒を残していかない。色白で美しく、歩く人たちが振り返ったという姿を持ちながらも、秀の精神は頑固で融通の利かない名職人のそれに似ている。

 仕事としてではなく、本当にバーにいる時が楽しかった秀。幼い時に、大きくなったら何になりたいと聞かれて、女優か舞妓になりたいと答えた秀。着物をほめられて、その場で脱いで相手に着せてしまった秀。何が起こっても「さだめ」と潔かった秀。こんな秀=おそめの現役時代を一目で良いから見てみたかったと思わない人はいないだろう。そう思わせるのも、石井妙子の作り出した、新たな伝説の力なのか。


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