« 2012年07月 | メイン | 2012年09月 »

2012年08月27日

『北海道の旅』串田孫一(平凡社ライブラリー)

北海道の旅 →bookwebで購入

「自然と同化する旅」

 日本人がヨーロッパを旅行する時「ユーレイルパス」という、一定期間鉄道乗り放題のパスが買える。ヨーロッパ在住の日本人はそれを買えない代わりに、国際結婚をしているか、永住権を持っていれば「ジャパンレールパス」というものが買える。一週間または二週間、JRが乗り放題(一部の列車を除く)となる。

 昨夏そのパスを使い、私の出身地である北海道を二週間回った。有効に活用するために、一日で網走から稚内へ行ったり、稚内から函館へ行ったりした。時間はかかるが、汽車の旅は好きなので、苦ではなかった。各地方で自然とも多少は触れ合い、北海道の夏を満喫した…つもりだった。しかし、串田孫一の『北海道の旅』を読むと、幼い頃の北海道の風景と香りが蘇って来ると共に、自分は北海道の本物の自然とは大人になってから触れ合っていないのではないだろうかと、考えさせられた。

 串田の旅は1962年の事だから、私は小学生である。夏休みは毎日トンボ、チョウチョ、キリギリス、クモ等の昆虫採りに夢中で、子供なりに自然と触れ合っていた。その頃の北海道を串田は気ままに旅していたのだ。山登りの準備をしておきながらも、いつどの山に登るかなど明確な事は決めていない。俗化した場所は避けて、登りたくなった所に登る。そして「漂泊の楽しみを密かに味う者には、自分の周囲に物語を空想するのがまたちょっとした悦びなのかも知れない。」などと空想に耽っている。

 彼は珍しく今回の旅で道連れとなる青年に、有珠岳の頂上で出会う。18歳の朝倉君だ。一人旅を好む串田は「たとえ途中で友人に会って」も「わざわざ同じ旅館に泊まるようにしたこともないくらい」なのに、何故かこの青年と旅を共にすることになる。見た事感じた事等を友人に書き送った手紙と、自分のための備忘録をまとめたのが『北海道の旅』だ。

 大きな出来事は無い。ザックをかついでの気ままな旅故に、高級旅館に泊まる事も無く、贅沢な食事をすることもない。バスを数時間待つ間にその町を歩き回り、登った山で出会った鳥、植物、風景などが描かれる。だが、夕食に一杯のコーヒーがついて喜ぶ時に、私たちにもコーヒー(もちろん高級なコーヒーでは無いだろう)の素晴しい香りが漂ってくる。バスに乗っても汽車に乗っても、あまり居眠りもせず、車窓から広がる風景に目を凝らし、スケッチをする。大げさな感情表現を抑えた文章である故に、串田の静かな喜怒哀楽に私たちもそっと寄り添うことができる。彼はそれを独占せずに、私たちの参加を許してくれるのだ。

 それでも時として、感情が抑えきれない場面もある。十勝岳の頂上についた瞬間一本の杭を発見する。「第十普通科連隊重迫中隊登山記念、三六、九、四」これを見て「悦びのあるはずの、この二〇七七メートルの山頂の気分が、このためにだいなしにされてしまった。」と考える。ノシャップ岬で土地の人に「米軍が引き上げてくれて、あの灯台のある台地を歩けるようになったら、また私は必ず来ます」と言うと「米軍が引き上げても、自衛隊は引き上げないから同じことだ」と言われたエピソードも載せる。
 
 串田の人となりが理解できるシーンだが、幸福の欠片も想像できない、厳しい冬場に見た侘しい漁師の家を春に再び見て「旅人としての私は、このようにして春の陽をうけている彼らの家を外側から見て、言わば気やすめをしたかったのです。」と、細かな思いやりを見せる。自然を愛する者は、他者への思いやりが豊かだ。

 串田は何故旅に出るのか。そこには「生活の風化」という思いがあるようだ。「心の中にどうでもいいというような塵がたまりはじめて、それを拭い去る術もなく、たとえそういう機会があっても怠ってしまうと、人間は内部から風化し、それと同時にその人の生活もまた風化をはじめるというようなことがきっとある」鋭い指摘だ。忙しくて旅に出る暇がなかなか無くとも、このようなエッセイを通して旅の情趣を味わい、心の風化を避けることは、日々を新鮮に送るための有効な方法であるに違いない。


→bookwebで購入

2012年08月22日

『ホテルオークラ総料理長の美食貼』根岸規雄(新潮選書)

ホテルオークラ総料理長の美食貼 →bookwebで購入

「自信を取り戻すための一冊」

 S君という教え子がいる。数年前、東京のホテルオークラで友人と昼食をとり、エントランスの付近で午後から向かう会議の場所を地図で確認していたら、「どこかお探しですか?」と一人のドアマンが優しく声をかけてくれた。何と、S君だった。ホテルオークラに就職した事は知っていたが、まさかこんな所で会えるとは思っていなかったので、嬉しい偶然だった。

 就職が決まり、卒業前旅行にパリに来たS君と食事をしながら、ホテルオークラを選んだ経緯を聞いた。ホテル業界で仕事をしたいと考えたS君は、アルバイトでお金を貯めて、希望するホテルを泊まり歩いた。その中で一番素晴しいサービスをしてくれたのが、ホテルオークラだったそうだ。そして頑張って希望のホテルに就職することができた。教室で後輩たちにもその話をしてくれたが、非常に説得力があった。

 家内の実家が東京なので、東京のホテルオークラに宿泊する機会は無いが、旧生徒たちとの同窓会もあり、毎年のように京都に行く。その時は、S君への義理立てではないのだが(単に河原町や先斗町で遊んだ後、帰るのに丁度良い場所というのが理由だが)京都ホテル・オークラに泊まる事が多い。きめの細かいサービスは、心地の良いものがある。

 根岸規雄の『ホテルオークラ総料理長の美食貼』は、2001年から2009年までホテルオークラで総料理長を務めた筆者の回顧録である。ただし、氏がいかに「美食」を楽しんで来たかではなく、「美食」を作り上げるためにどのような苦労と努力をして来たかが、臨場感を持って描かれている。

 ホテルオークラ創立の経緯も面白い。帝国ホテルの会長であった大倉喜七郎が、戦後の財閥解体で職を追われ、1952年に復帰し帝国ホテルに足を踏み入れようとした時に、時の経営者から「ここはあなたがくる場所ではありません」と拒否された。激怒した喜七郎が、帝国ホテルを凌駕するホテルを作ると構想したのが、ホテルオークラ誕生となったというのだ。

 伝説のシェフ、小野正吉の指導の下、根岸は研鑽を積んでいく。日本に於けるフランス料理の曙の時代であるから、フランスから一流シェフを招いて学ぶ事も多く、まさに試行錯誤の時である。帝国ホテル系とホテルニューグランド系の料理人との対立もあり、ホテルオークラのスタンダードを作り上げるための苦労は並大抵のものではない。そうして作り上げて来たのが、看板料理であるダブルコンソメであり、ローストビーフである。

 創業当時、質の良い上フィレ肉を仕入れるために、買い付け担当者が上司に上フィレ肉が1本900円だったと報告すると、上司が言う「では1本950円で買いなさい。同じ質のものを買うのなら、常に50円上乗せして買うように」そうすると、業者は喜んで良い肉をホテルオークラに優先的に届けてくれるというのだ。良質のサービスをするための飽くなき追求の姿がある。

 将来のリーダーを育てるために経営陣も努力する。根岸は6年間に渡ってヨーロッパで修行するのだ。多くのレストランで修行し、数々の発見をし、技術を学んで来る。日本に帰って来て彼は気づく「自分の中で日本の味や食材に対する価値が高まった」と。「日本の食材を生かしたフランス料理があっても然るべきだ」と。

 今でこそ当然の考え方だが、40年前の日本におけるフランス料理界では、革新的発想であっただろう。しかもこれは奇しくもホテルオークラ創業者のコンセプトと一致している。「日本に西洋風のホテルを建てても、それは模倣の二流品にしかならない」、「世界からやってくるゲストに、日本古来の空間美を味わっていただくことこそが最大のおもてなし」、「日本の伝統美術そのものがユニバーサルな美術である」。

 長引く経済不況に加えて、東日本大震災、原発事故が続き、現在私たちは伝統的価値観に対する自信を失い勝ちだ。築き上げて来た伝統の力を信じ、それを継続するために全力を尽くす人々の姿は、私たちに勇気と力を与えてくれる。


→bookwebで購入

2012年08月09日

『羆撃ち』久保俊治(小学館文庫)

羆撃ち →bookwebで購入

「生と死に対する畏敬の書」

 北海道帯広市の隣に芽室という町がある。ここに弟一家が動物と共に住んでいるのだが、「フチ」という名前の北海道馬がいたことがある。名の由来を尋ねると、アイヌ語で「お婆さん」という意味だと教えられた。また、昨夏車で芽室の畑中を走っている時、用水路の側で「先日ここで山菜採りの女性が羆に襲われて死亡した。」という話を聞いた。山の中でも森の中でもなく、誰でも気軽に散歩していそうな場所だ。

 こんな下地があったからだろうか、久保俊治の『羆撃ち』と出会うことができた。日曜ハンターであった父の影響で、大学を卒業すると共にプロのハンターとなった、小樽出身の作者の半生が描かれている。十九世紀の話ではない、二十世紀半ば過ぎの話だ。自分と何歳も違わない人が、プロの羆撃ちになるという選択をした事に、驚かされる。

 羆や鹿との対決の描写は素晴しい。どんなに優れた作家が数多くのレトリックを駆使してもかなわないだろう。なぜならそこには、事実と体験という、本人にしか分からない感覚が描かれているからだ。鹿を撃ち、解体し、肝臓を食べる。「血の味といっしょに甘い味が口いっぱいに広がる。旨い。手負いで苦しんだり興奮して死んだ獲物に比べて、苦痛や恐怖をほとんど感じることなく斃された動物の肉はこれほどに旨いものなのか」人工的飼料と抗生物質を与えられ、苦しんで死んでいった肉を食べている都会の人間には、羨望すらも許されないような世界である。

 久保は経験と共に、感覚を磨く。何かが違う、と彼が感じる時、そこにはいつも重大な事実が隠されている。このような感覚を私たちは失ってきた。それは生きるための危機感のようなものかもしれない。そして、ハンターは誰よりも、斃した動物の生に畏敬の念と責任を持つ。内蔵や肉を無駄にしないように丁寧に解体したり、「生きるということの凄さ、生きようと懸命に努力する姿を目のあたりにする」ことであったりする。「自然の中で生きた者は、すべて死を持って、生きていた時の価値と意味を発揮できる」私たちは、肉親や大切な人の死から、何かをきちんと学んでいるだろうか。死を無機化することは、生の意味の冒涜に繋がるのではないだろうか。

 後半は、アイヌ犬「フチ」との出会いと別れが描かれる。優秀な羆猟犬として育っていくフチも見事だが、作者の愛情とそれに応えるフチとの強い絆には心を打たれる。私の弟の所にもアイヌ犬(現在は北海道犬と呼ぶらしい)が一頭いるが、身体はそれ程大きくない。こんな小さな犬があの羆に立ち向かうと考えると、その勇気に頭が下がる。飼い主との信頼感無しには有り得ないことであろう。

 アメリカのハンター養成学校での経験も、西部劇を髣髴とさせ興味深い。だが、この作品の素晴しさは、何よりも死と生とを等身大に捉えている羆撃ちの視線だろう。ハンターとは全く縁のない私でも、幼い時に朝から晩まで昆虫を採り、釣りをし、自然と触れ合っていた時の感覚が蘇って来る。キリギリスを見つけ、左手でキュウリの一片を縛り付けた割り箸をそっと出し、食いついた瞬間に右手に持っていた補注網をかぶせる時の興奮。虫かご一杯採って来たコオロギが、夜中に「脱走」してしまい、家中にコロコロと響き渡っていた鳴き声。

 人は他者の死によって生きている。例え菜食主義者でも、植物の死に支えられている。私たちはそんな明白なことを忘れがちだ。生を尊重することは、死を大切にすることである。この厳粛たる事実を『羆撃ち』は、私たちに再認識させてくれる。


→bookwebで購入