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2012年03月28日

『蛇・愛の陰画』倉橋由美子(講談社文芸文庫)

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「「どこにもない場所」とはどこか?」

 パリでは先日「Salon du livre」という書籍展が開かれていた。今年の招待国が日本で、大江健三郎、辻仁成、平野啓一郎等の作家や、萩尾望都、ヤマザキ マリ等の漫画家まで、多彩な顔ぶれが来仏していた。大江健三郎とル・モンドのジャーナリストとの対談を聴きに行ったが、非常に興味深かった。『ヒロシマ・ノート』および昨年の原発事故の関連から、福島についての発言も多かった。広島の悲惨さを目撃した者として、福島の悲劇を何としても繰り返さないために全力を尽くす大江の姿には真摯なものを感じた。
 倉橋由美子の『蛇・愛の陰画』の解説で小池真理子は、当時の学生たちの本棚にバイブルのように並んでいた本について次のように述べている。

 「それは大江健三郎であり、安部公房であり、吉本隆明であり、高橋和巳であった。また、ジャン・ジュネであり、サルトル、カミュ、ル・クレジオであり、ボリス・ヴィアンであり、ベケットだったりした。そして、倉橋由美子も間違いなく、その中の一人だったのである。」

 その通りだ。私の本棚にも彼らの本があり、倉橋由美子の『パルタイ』、『暗い旅』、『聖少女』等を夢中になって読んだ。本を頭脳に知識的な記憶として残す人もいるだろうが、私には感覚として残っている。倉橋由美子の作品は、羊水に包まれているような生暖かい心地よい感覚と、そこに麻薬と毒薬が混在しているかのごとき、誘惑と官能とがあった。

 『蛇・愛の陰画』は『パルタイ』で一石を投じた倉橋が、その後の5年間で書き上げた作品を集めてある。これを読むと、彼女がその後書いていく作品群を俯瞰しているような奇妙な感覚にとらわれる。『パルタイ』の余韻が残る『貝のなか』、安部公房の『壁』と比較すると面白い『蛇』、そして倉橋文学の原点であるKとLのシリーズ。後期の作品群は、これらが昇華して、余分なものを削り落とし、ジャコメッティの彫刻のような姿になっていく。

 かなり前になるが、教え子の一人(高校3年生の女子)が倉橋由美子の作品で口頭発表を行った。テーマは「『どこにもない場所』とはどこか?」であった。倉橋はエッセイ等の中で、自分は「どこにもない場所」を探していると書いていて、それをヒントにしたものだった。彼女の結論は「『どこにもない場所』とは倉橋由美子の子宮の中だ」というものだった。説得力のある見事な論だと感心したのを覚えている。

 もちろん「どこにもない場所」という言葉自体矛盾を含んでいる。安部公房の『壁』において、主人公が最後に自己の内部で増殖する壁に同化していくようなものだ。しかし、日本の現状を見ると、このような一見矛盾した考えの中に活路を見いだすことでしか、政府や大手企業、大手メディア等によって作り上げられた虚像から脱却することはできないのではないか。倉橋由美子の作品には、そのためのヒントが隠されているようだ。


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