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2011年08月31日

『プリンセス・トヨトミ』万城目学(文春文庫)

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「豊臣家と大阪城に捧げるメルヘン」

 日本へ一時帰国すると、書店めぐりをしながら、今どんな本が注目されているのか、平積みになっている作品を見て歩くのが常となっている。売れているから読みたいとは思わないが、気になるタイトルや、種々の書評等で取り上げられていた作家名を見ると、購入してしまう。今回は万城目学の『鴨川ホルモー』、『鹿男あをによし』、『プリンセス・トヨトミ』を読んでみた。

 一気に読ませる面白さがある。舞台は京都、奈良、大阪と、関西出身である作者に身近な土地が使われている。奇抜なテーマを扱うときには、時代設定を古くし、場所を遠くするのが楽なことは芥川龍之介も指摘していたが、万城目は現代を舞台にしている。もちろん京都、奈良などは、現代であろうと過去の歴史が深く息づいており、魑魅魍魎の類が出現しやすい場所であるだろう。

 その意味において、『鴨川ホルモー』では京都で鬼を使った戦いが平安時代から現代まで繰り広げられ、『鹿男あをによし』では奈良を中心に、卑弥呼の時代からなまずの尻尾を押さえ日本が崩壊しないように努力する鼠、狐、鹿と主人公たちの姿が描かれているのは、それ程違和感を覚えさせない。それは筆者の力量のおかげでもあるだろうが、ストーリーは全く破綻せず、ラストではまるで予定調和のような安心感を覚える。

 ところが『プリンセス・トヨトミ』は少々違っている。大阪という場所は、豊臣家の滅亡という日本史上の大事件と結びついてはいるが、京都、奈良のように寺社が無数に立ち並ぶ所と違い、人ならぬもの達の跋扈する所には見えない。故に万城目は一見荒唐無稽な人間ドラマを設定する。大阪人の男たちは、豊臣家の滅亡以来常に地下に潜む大阪城と豊臣家の直系の王女を守るために、緊急時の役割を与えられている。

 会計検査院の捜査官が社団法人OJO(もちろん「王女」である)に疑問を持つところから物語は始まる。やがて「大阪国」の存在に行き着き、そこで大阪国の人々と会計検査院の戦いが始まる中で、種々の秘密のベールがはがされていく。下手をするとB級エンターテインメント作品に陥りかねないテーマを、作者は見事にまとめていく。実在の地名が使われ、登場人物の名字に歴史上の実在人物が使われているくらいでは、それほど説得力は生まれない。

 主人公の大輔は性同一性障害の子供であり、それにまつわるいじめ、豊臣家に対する大阪人の心情、会計検査院という視点、親子の絆、携帯電話やインターネットに対する配慮等の現実を巧みに織り込んでいるからこそ、不思議な説得力が出ている。作者があとがきに代えたエッセイで述べているように、それらは全て大阪というふるさとに対する作者の思い入れの昇華したものであるようだ。不思議なテーマの作品に見えたものが、振り返ってみると何か懐かしい世界を描いているような気にさせてくれる。そこが万城目学の持ち味かもしれない。



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2011年08月22日

『破獄』吉村昭(新潮文庫)

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「脱獄の天才」

 毎年夏休みで日本に一時帰国するが、今回はJRを利用し故郷の北海道を一周した。網走での暑い一日、流氷館や網走刑務所博物館を訪れた。犯罪者が更生のために苦しんだ場所を、興味本位で訪れる事は気が引ける所もあったのだが、宿においてあったお菓子の袋に書かれていた「見るのは良いが、入っちゃいけねえ」に誘われ、ガイドさんの解説に引き込まれ、興味深い見学となった。

 中に、天才的な脱獄囚の話が出て来た。彼が破った独房も見られたし、天井の梁を逃げていく等身大の人形も展示されていた。最後に売店に寄った時、この脱獄囚をモデルにした、吉村昭の『破獄』と出会った。この囚人の背景も知りたかったし、脱獄の方法の詳細にも興味があったので読んでみたが、この作品から全く別の事を多く学んだ。

 脱獄の方法についての興味は、驚きと共に充分に満たされた。頑丈な手錠や小さな窓を腐食させるために、毎日みそ汁を少しずつ吹きかけていた事や、独房の壁の隅を使って数メートルの壁を登ったり、刑務所の外壁を斜めに走り上がって越えたり、彼の天才的なアイディアと人並みはずれた体力は、想像を絶するものだった。看守に向かって吐かれた「人間の作った房ですから、人間が破れぬはずはありませんよ。」という言葉には強い現実味がある。

 だが、この直接的な好奇心とは別に、二つの事を考えさせられた。一つは、人という存在の原点だ。主人公の佐久間は、虐待されると看守を脅す。あなたの当直の日に逃げますよ、と。そうなれば看守は責任を取らざるを得ない。それに怯えて佐久間に譲歩し、脱獄の条件を揃えてしまう者や、一層厳しい環境に佐久間をおき、そのせいで反発を買い結局脱獄されてしまう者がいる。

 しかし、府中刑務所長は違った。佐久間を「人」として遇しようとする。そこには「佐久間が看守たちの心理をするどく見抜き、やがて自分の思うままに引きつけてゆく神技とも思える能力には、感嘆すらおぼえた。」という心理が働いているだろう。札幌刑務所の戒護課長も「かれは、自分の内部に佐久間に対する畏敬に似た感情がきざしていることに気づき、狼狽した。」とある。結局人を力で抑えつけることはできない。力に頼った者は、力に屈することになる。佐久間は府中刑務所からは脱獄しない。

 もう一つ興味深かったのは、第二次世界大戦前後の刑務所行政であり、北海道における戦争被害である。自分の故郷でありながら、北海道の被害について私は殆ど何も知らなかった。根室が爆撃によって市街地の70%が焼失し、釧路も大被害を受け、室蘭、函館等もかなりの被害と死者が出ている。道路建設やニシン漁に囚人たちを使ったことや、食糧事情が厳しい中でも、暴動を防ぐために囚人たちには必要な食糧をきちんと与えていたことなども、知る事ができた。

 資料を緻密に読み込んで書く吉村だからこその面白さが、至る所で見られる。天才的な脱獄囚の人生を追いながらも、吉村が描きたかったのは、歴史に翻弄される人々の姿であり、それを通して浮き上がって来る、人と歴史の新たな関係への展望であるかもしれない。


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