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2010年12月21日

『伊藤一刀斎』好村兼一(廣済堂出版)

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「パリ在住剣豪の剣豪小説」

 『伊藤一刀斎』の作者、好村兼一は私のパリのアパートから徒歩数分の所に住んでいる。大学の時にパリに来て気に入って住み着いてしまった人だが、フランスの剣道界で彼の名を知らぬものはいないだろう。剣道八段、フランス剣道連盟の顧問である。全てを剣道に捧げているといっても過言ではない生活を送っている。好村氏に処女作の原稿を見せてもらったのは、何時の事だろうか。ストーリーよりも、戦いの臨場感が鮮やかだった事を覚えている。

 『伊藤一刀斎』は一刀流の始祖である実在の剣客だが、出生等諸説あり、判然としない部分が多いようだ。しかし、剣客小説であり、伝記ではないのだから、その辺りを詮索する必要はないだろう。要は小説としての価値が大切だ。そして、まず言えることは、面白いという事だ。特に立ち合いの場面は出色だ。間を計る呼吸や、刀の動きなど、迫真の戦いぶりが伝わってくる。これはもちろん筆者が剣道八段であり、剣道を深く知りぬいているせいだろうが、文体も練れてきて読みやすくなっている。

 数年前に日本から剣道の高段者が来仏し、模範試合を演じた事がある。八段同士の試合も観戦したが、四、五段の剣士たちと違って、あまり動かないのだ。そして、われわれ素人の目には、一瞬の内に勝負がついてしまう。何が起こったのかさえ分からなかった。後で好村氏に尋ねると、高段者の試合はお互いに静かに間合いを計りながら、僅かな隙を見せて相手を誘ったりするので、一見殆ど動いていないように見えて、その実火花を散らす戦いが繰り広げられているのだと言う。凄いものである。

 また別の機会に、やはり日本から高段者が来て、キリスト教の聖地であるルルドで合宿を行った事がある。何の予備知識もないのに、列車がルルドに近づくと彼らはルルドの「気」を感じていたと、同行者が語ってくれた。武道の高段者ともなると、我々凡人には及びもつかない力を身につけているようだ。そう言えば、明治期の剣豪に、取材に来る記者の動向を遠方から察知し、大震災を一週間も前に予知していた人物がいたと何かで読んだ事もある。

 作品は弥五郎(一刀斎の幼名)が伊豆大島を抜ける所から始まる。沼津の前原に流れ着き、前原弥五郎と名乗る。三嶋神社の宮司に剣術の手ほどきを受け、鐘捲自斎と出会うことにより、その才能が開花する。一年後には師を凌ぐ力をつけるのだが、あまりにも急激に強くなりすぎる感を受ける。しかし、実際に一刀斎は強かったようだ。諸国遍歴の時も33度戦い、一度も敗れなかったというのだから。その意味で、この作品は一刀斎の強さを充分に表現している。

 強いとは言え、人間である事に変わりはない。物事に動じ、泣き、笑い、私たちと同じ感情を見せる。しかし、修行に対する貪欲さと、継続の力は驚くべきものであるし、話に引き込まれていく。頂点を極め、「一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す」という境地を手に入れて、忽然と姿を消す。誠に魅力的な人物である。楽しい作品ではあるが、筆者があとがきで「一刀斎が築いた一刀流剣術は現代剣道の根幹を成しており、極意『切落し』は今なおそこに生き続けている。」と書く時、好村兼一の姿のかなたに一刀斎の面影が浮かんでくるようだ。


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『幼女と煙草』ブノワ・デュトゥールトゥル(早川書房)

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「フランス風ブラックユーモア」

 イギリス人のブラックユーモア好きは有名だ。かつてダイアナ妃が交通事故で亡くなった時に、同僚が尋ねた。「ダイアナ妃が最後に食べたデザートは何だか知っているかい?」私が分からないと言うと、「タルトタタンだよ」と言った。私が首を傾げていると「タルト・ランヴェルセ、さ」と付け加えた。それで意味が分った。

タルトタタンはアップルパイを間違ってひっくり返して出来たという説がある。そして別名タルト・ランヴェルセ(Tarte renversée)とも言う。Renverserはフランス語で「ひっくり返す」と言う意味だ。だが、もう一つ「車で人を轢く」という意味がある。その形容詞形なので、意味は「車に轢かれた」……何とも不謹慎な話だが、この同僚が英領北アイルランド出身だと言うと、でき過ぎだろうか。

しかし、ブノワ・デュトゥールトゥルの『幼女と煙草』を読むと、ブラックユーモアに関し、フランス人もなかなかイギリス人に引けを取らないと感じる。冒頭は一人の死刑囚デジレ・ジョンソンが処刑前の最後の希望を述べる所から始まる。それは一服の煙草だ。これが大問題となる。なぜなら刑務所は完全禁煙であり、煙感知センサーまでついているからだ。だが法律では「死刑囚は、刑の執行前に、習慣に適った最後の望みを果たす事が許されて」いる。

ベトナム系の所長(舞台はパリがイメージされているが、現在フランスは死刑を廃止している)は困惑し、処刑寸前に最高裁に判断を求める事になる。結局最後の一服が許可され、タバコ会社や無能弁護士がからんでくるが、何とジョンソンは処刑前に花を摘み「人生バンザイ」をテレビの視聴者にメッセージを送る。これがきっかけとなって、ジョンソンは大統領恩赦を得て、一躍英雄になる。

 ここまでだと、単なるフランス的ドタバタ劇の様を呈するが、それと並行して恐ろしい話が進んでいく。主人公は市役所に勤めているが、バスの中で子供たちの傍若無人ぶりに怒りを感じる。しかし、他の人は子供たちを優しげに見守る。微妙な違和感があるのだが、それが次第に明らかになる。この社会は子供を過度に保護し、全ての権利を与えているのだ。市役所内でも、子供が遊んでいれば邪魔をしてはいけない。
 
主人公はささやかな反抗として、市役所内のトイレの個室でこっそりとタバコを吸う習慣がある。子供たちのために役所も全面禁煙となっているのだ(フランスは2008年1月からレストラン、カフェ、公共施設等で禁煙を実施している)。だがこれが彼の運命を決定付ける。タバコを吸っている所を5歳の女の子に目撃され、彼女を叱ったために、とんでもない事になっていく。ジョンソンの話と主人公とが繋がるのは、同じ弁護士を通じてだ。だが、この弁護士が登場する辺りから、話は完璧に不条理劇となっていく。

  主人公の主張は捻じ曲げられ有罪となり、テロリスト集団が人質を取り「殉教者(マルティール)アカデミー」(もちろんこれはスターアカデミーの風刺である)を始め、作品はおぞましい大団円へと一気に登りつめていく。カミュの『異邦人』のムルソーやカフカの『審判』のKの姿が目に浮かぶ。

 最後は決して笑えないのだが、どこか不気味な滑稽さが残る。毒は毒でも甘い毒なのである。現代社会の風刺などという常套句では捉えられない面白さを持っている。読む人によって違うものを見つけ出すかもしれない。その辺りが「巧み」な作家のようだ。何せ主人公の飼っている犬の名前が「サルコ」なのだから(フランスの現大統領サルコジの親称)。


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