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2010年10月24日

『名文どろぼう』竹内政明(文春新書)

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「名文をばらまく鼠小僧?」

楽しい本である。休憩時間に読んでいたら、思わず何度も声を上げて笑い出したくなった。または一人でにやりとしてしまう。誰かに見られていたらよほど奇妙に思われたことだろう。竹内政明は読売新聞のコラム「編集手帳」の執筆者だ。『名文どろぼう』は彼が長年かかって集めてきた、名文、名文句を惜しみなく披露してくれている。ダジャレあり、語呂合わせあり、唖然とするものあり、ほろっとさせてくれるものありで、とにかくこちらの情緒をくすぐってくれる。

 老人ホーム協会で募集した「シルバー川柳」から「赤い糸 夫居ぬ間にそっと切る」。我々亭主族を落ち着かなくさせるが、何とも上手い。しかし森中恵美子の「ネクタイを上手に締める猿を飼う」となると、我々は人間とも見られていない。「ネクタイ」に労働の疲れが染み出ていそうで、せつなくなる。十七文字に込められた世界は深い。

 文人たちが色紙などに粋な文句を書くのは、驚かない。ところがお固いと思われる国文学者も負けてはいない。私もかつて古文の解釈で間接的にお世話になった事のある池田彌三郎は、旅先から以下のような短歌を書いた絵葉書をガールフレンドに出すそうだ。「××××× ××××××× あはれなり 思ふことみな 君にかかはる」空欄にはTPOに合わせて「信濃路に梅を訪ねて」とか「大和路に行く秋惜しみ」などと入れるらしいのだが、純真な好青年の横顔が浮かんでこないだろうか。

 ところが、この出典(?)を聞いて驚く。池田の師である折口信夫の作なのだが、折口の和歌山出身の教え子が若くして亡くなり、墓参りをした時に「紀伊の国の関を越え来てあはれなり思ふことみな君にかかはる」と折口は詠んだ。それを借用しているというのである。恩師の挽歌を自分の恋歌に使うとは、大先生もなかなかのワルである。この歌で一体何人の女性の目を潤ませたのか。

 外国語ネタも面白い。三遊亭歌之介によれば銭形平次と女房のお静はフランス語が話せたというのである。仕事に出かける平次に、お静が大事なものを忘れていないか聞く。
  「ジュテモタ?」
  「マダモトラン」
「十手持った?」「まだ持っとらん」ということだが、上手い! フランスに住んでいるので余計に良く分るのだが、フランス語で「私」は「Je(ジュ)」であり、「~トラン」と発音する単語はいくらでもある。雰囲気が良く出ている。噺家は耳が良いのだろう。

 かつてフランスに住んでいた写真家の知人が、日本から来たばかりの後輩にフランス語を教えていた。「もちろん」はフランス語で「エビダモン」と言うけれど「タコダモン」とか「イカダモン」とも言うと真面目な顔で講義をした。純真な彼女は(その後輩は女性だった)早速次の日にフランス人に向かって「タコダモン」や「イカダモン」を連発したのだが、もちろん通じるはずがない。彼女が、からかわれた事に気づくのは、充分に恥をかいてからである。


 泣かせる話もある。南極昭和基地で越冬する隊員に日本の家族から電報が届く。ある隊員への奥さんからの電報。
  「アナタ」
奥さんの声が響いてこないだろうか。こんな電報を貰ったら、雪原を越えて会いに行きたくなってしまうだろう。この二人がしばらくぶりに再会した時の第一声は、間違いなく奥さんの「アナタ」だったろうと考えてしまう。

 まさに笑いあり、涙ありの名文句が満載だ。仕事や家事に疲れた頭を休ませ、秋の夜長を楽しむための、珠玉の一冊である。


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『対談 現代詩入門』大岡信・谷川俊太郎(思潮社)

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「時代の預言者としての詩人」

 何かでこんな事を読んだことがある。明治の話だが、50年後の社会がどのように発展しているか予想してもらったということだ。それをグラフにすると、一般の人達の予想が最もゆるいカーブを描いていて、次に科学者がその上を予想する。ところが夏目漱石の予想はその上を行っていて、実際の発展はさらに急激なカーブを描いていたと言うのだ。これだけで判断する事はできないが、時として科学者よりも文学者の予想の方が、現実に近い事もあるとは言えそうだ。

 『対談 現代詩入門』は1980年代前半に谷川俊太郎と大岡信が詩の現在や未来を語り合ったものだ。彼らの説得力のある分析もさることながら、そこから見えてくるのは私たちの現在(彼らの対談の時点では約30年後の世界になる)そのものだ。戦後の詩人たちがある種のイデオロギー的なものに呪縛されていたのとは違い、80年代の若者は自由であるという。しかしその代わり「詩という、つまり可能性としては人間の最も深層の心理まで含むし、最も広い宇宙までも含み込むような一種の共同性みたいなものに若い人が向うのは、必然的だっていう気がしているのね。」(谷川)という状態になる。

 今の若者は他者との関わりを積極的に持たない傾向があると言われる。大学の学生寮などでも、皆のための共有スペースには人が集まらず、個室に閉じこもる傾向があるらしい。しかし彼らが孤独を望んでいる訳ではないだろう。幼い時から人と関係を持つ訓練を余りしてきていないから、どのように接触して良いか分からないのだ。だからSNS、掲示板、ツイッター等の間接的接触に人が溢れ、それが捩れていくと社会対個人の軋轢と思い込み、不特定多数への攻撃となったりする。

 「いま若い人たちは翻訳の詩集をあまり読まないという印象がある」(大岡)というのも同根だろう。海外への留学希望者も減っている。インターネットの世界には何でもあるように感じられてしまう。その反面「どれだけ選択をしてみても、自分が選んだものは膨大なもののある一部分にしかすぎないという不安と不充足感が、今の若い人に絶えずつきまとっているんじゃないか」(大岡)となる。その中で怯えながらそろそろと触手を延ばし、何かに突き当たると、すぐに手を引っ込めてしまうか、玉砕覚悟で突撃する。交渉と妥協の余地がない行動が目立つ。

 漱石は『こころ』に「自由と独立とおのれとに充ちた現代に生まれたわれわれは、その犠牲としてみんなこのさびしみを味わわなくてはならないでしょう。」と書いた。大岡は言う「いまの若い人たちの作品は、十年ほど前にバロック的といわれる試みをした人たちに比べても、もっと肩の力が抜けていて、自然な形でいろんな種類の試みができてしまう。だから逆に、自分はどこに重点を置くべきかというポイントを探しあぐねているんじゃないか。」自由に寂しさ、不安はつきものなのか。

 詩の行き着く先を探っていくと、社会(共同体)の行き着く所が見えてくる。「現代詩は、もしいまの状態が続いていくとすれば、おそらくごく少数の人の一種の手工芸品的なものに、位置としては、なってしまうだろう。」(大岡)共同体という言葉が風化する日が来るのだろうか。それだけは防ぎたいものだ。そのためにも、詩は身近なものであらねばならないだろう。谷川と大岡の30年前の対談は多くのものを教えてくれる。分りやすい現代詩がある事を教えてくれるし、21世紀を生き抜いていくためのヒントが散りばめられている。


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2010年10月16日

『僕はこんなものを食べてきた』三國清三(ポプラ社)

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「名伯楽名馬を知る」

 パリに長く住んでいると、何度かは三ツ星レストランに行く機会もある。しかし、日本に一時帰国した時に、日本で三ツ星級のフレンチレストランに行こうとは余り思わない。本場に住んでいるからという驕りのせいか、それとも円で考えると妙に高価に見えてしまうせいかは分らない。「オテル・ドゥ・ミクニ」の名前も、三國清三の名前も聞いていたが、自分と同じ北海道出身(しかも増毛という小さな町の)のシェフという以上の関心はなかった。

 ところが今夏札幌で会った知人から頂いた一冊の本を読んでいて、奇妙な一致に気づいた。三國は1954年生まれだからほぼ私と同じ年なのだが、彼の自伝的エッセイ『僕はこんなものを食べてきた』にこんな文がある。「額に汗してペダルをこぐ僕の脇を、近くの進学校にかよう高校生たちがおしゃべりしながらすりぬける。放課後の校庭からはテニスに興じる女子学生の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。」

 彼が中卒で札幌へ出てきて、昼は米屋で働き、夜は調理師学校へ通っている時だ。私はこの時期札幌の進学校で高校生活を送っていた。平穏無事と言えるような学生生活ではなかったが、それでも自分たちが社会的モラトリアムにいる中、大変だったろうなあと思った時、「住み込みで働いていた佐藤商店」という語句が目に入った。私の通う高校の近所にあったお米屋さんの名前だ。とすると、彼が朝晩働いている時に、おしゃべりしながらすり抜けていたのは、私たちであったかもしれない。妙に親近感が湧いてきた。

 三國はこの後札幌の最高級ホテル、札幌グランドホテルで働き始め、人並みならぬ努力をしてワゴンサービスを任されるほどになる。そして先輩の一言から発奮し、東京の帝国ホテルでパートとして働き始める。再び皿洗いと鍋洗いの日々だ。それに耐えかねて、伝説の総料理長村上信夫の「今日の料理」収録のアシスタントを勝手に務め始める。先輩たちからの叱責にもめげず鍋荒いとアシスタントを続ける。正社員として採用されない事に絶望を感じ、やめようと思っていたときに、村上からジュネーブの日本大使館付きの料理長として推薦される。

 この後も非常な努力をし、スイス、フランスの有名レストランで修行して、一流のシェフとなっていくわけだが、驚くのは村上の先見の明である。鍋荒いと収録の簡単なアシスタントだけをしていた三國を何故抜擢したのだろうか。料理一つ作って見せていないのである。三國は村上の著書『帝国ホテル厨房物語』から、こんな一節を引用している。

 「なぜ私は三國君を推薦したのか。彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。(中略)それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に『塩ふり三年』と言うが、彼は素材に合わせて、実に巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分るのだ」

何という自信と慧眼だろうか。千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらずと言うが、まさに名伯楽と言う他ない。しかも、三國の二十歳という年齢が不安で一旦は断る大使に対して、「私が全ての責任を負います。どうかこの村上を信じて三國をつれていってください。」と頭を下げるのである。三國が村上を「神様」と呼ぶのもうなずける。

 ヨーロッパでの修行時代や日本での苦労話も面白いが、何よりも三國が一流のシェフになったのは、人との出会いと自分の努力だということが良く分る。バーチャルな世界が洪水のように溢れて、ともすれば人の表面だけを見てしまいがちな昨今、地に足の付いた人生を送るために、若い人達に読んで欲しい一冊だ。


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2010年10月11日

『わたくし率 イン 歯ー、 または世界』川上未映子(講談社文庫)

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「平成饒舌体?」

力のある新人が出現する時にはどのような特徴があるのだろうか。私には例えばそれは一種の違和感、またはノイズとして感じられることが多い。阿部和重や平野啓一郎の時がそうだった。読んでいて独特の「ずれ」を感じた。それは取りも直さず、自分の持っている(または持っていると信じている)世界と、作品の中に出現する世界とのずれに他ならない。要するに私の知らない世界が、作品に滲み出てきているのである。 川上未映子の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』もまた違和感に満ちた作品だ。この作品は川上が『乳と卵』で芥川賞を受ける前年に芥川賞候補となったものだ。タイトルからして、訳が分からない。内容の見当もつかない。そして読み始めると、種々の作家の影響を思わせる文章に出会う。

他の作家の文章をあまり読まない作家は少ないだろう。大抵は若い頃に色々な作品を読んで、それが自分の中に溶け込んでいって、新たなスタイルを作り上げて行くことになる。この作品にはそういった痕跡が、未消化の食物のように妙に生々しく残っている。

主人公がオセロをしていて、相手の女の子がオセロのコマを口に含んで、唾液の糸を引きながら盤にコマを意図的に置く。「わたしはそれが非常な感じ、ああ今わたし裏返りたい、顔だけはこのお姉さんに向けたままオセロのあれみたいに裏返って立ち上がって隣の部屋の襖あけてもう帰りたいわ帰ろうやあと懇願したい、そやのにわたしは裏返られるはずもなく、唾液にぬれたオセロのあれを黙って裏返すのでありました、」白石かずこの詩の世界に見られる粘着質を思わせる。

「医師は顔から眼鏡を外して、引き出しからちょっと毛羽だった布を取りだして丁寧にレンズを拭きはじめ、わたしはそのときに初めて医師が眼鏡をかけてたことに気がつきました。この部屋ではなんでか色々なことに気がつくのが後手になる、」はカフカ的世界。歯医者に口の中を見せながら「わたしは初めてのことがつづいて興奮してて、その波打ちにあわせて目の前の医師の顔だけが少しずつ少しずつ小さくなっていって、しまいにはグレープフルーツぐらいの大きさになってゆくのやった」は川上弘美。

「そう思うようになってからこっち、……なんかぽやんと。」と15行に渡って読点のみで続く谷崎的文章等、種々のイメージが喚起される。作者がこれらの作家を読んでいるかどうかは知らない。だが、読み手に多くの示唆を与える文であることは確かだ。

青木という恋人がいるらしいのだが、いざ本人に会いに行くと、彼は別の女性といて、主人公の事を知らないと言う。まだ妊娠の徴候もないのに、産まれてくるであろう子供に日記で語りかける。自分は奥歯であると意識し、その意識が種々の方向に増殖していく。

ストーリーらしいストーリーも殆どないのだが、気になるのは語り口である。後半では数ページに渡って読点のみで語られる場面もある。かつて昭和軽薄体と呼ばれる文章が存在したが、それに倣うならば「平成饒舌体」とでも呼べようか。これらの「ノイズ」がこれからどのような形で美しく結晶していくのか、楽しみな作家である。


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