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2010年03月29日

『鷗外の思い出』小金井喜美子(岩波文庫)

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「妹から見た鷗外」

 明治の文豪というと、夏目漱石と森鷗外の名前が必ず上がってくる。確かに作品も多く、人口に膾炙している。特に漱石は今でも人気がある。それに比べて鷗外はどうだろう。『高瀬舟』や『舞姫』は今でも多くの人に読まれているのだろうか。私は授業で中学3年生に『山椒大夫・高瀬舟』を読ませ、高校生に『舞姫・阿部一族』を読ませることが多い。それぞれ明確なテーマがあるので、生徒たちは結構一所懸命に読んでいる(ようだ)。

 作品を通して知ることのできる作者の姿は限られている。評伝を読めば大体の形は分るのだが、もっと臨場感溢れた作者の生き様を知りたいと思う事がある。そんな時に、近親者の書いたものが役に立つ。小金井喜美子は鷗外の妹である。星新一の祖母と言った方が分りやすい人もいるだろう。彼女の『鷗外の思い出』は、作品には表れてこない鷗外の一面が見えて非常に面白い。

 代々津和野藩の御典医として仕えてきた森家も、明治維新と共に没落する。その家を再興するための期待を一身に集めて生まれてきたのが鷗外である。当然妹である喜美子は兄の事を「私などは幼い時から、お兄様は大切の方と、ただ敬ってばかりいるのでした」と思っていて、鷗外の最初の妻である登志子の妹が鷗外に甘えている姿を羨む。簡単に甘えられる存在ではないのだ。だが、鷗外が妹に細やかな愛情を見せる場面もある。

 鷗外は家族の期待通り優秀な軍医となるが、かの有名なエリス事件が起こる。『舞姫』はもちろん虚構であるが、多分に鷗外の経験が生かされていることは間違いない。エリスというドイツ人女性が存在し、日本に鷗外を頼ってやってきた事も事実だ。鷗外の弟篤次郎と喜美子の夫の小金井良精がエリスを説得して帰国させるが、喜美子は書く。「思えばエリスも気の毒な人でした。留学生たちが富豪だなどというのに欺かれて、単身はるばる尋ねて来て、得るところもなくて帰るのは、智慧が足りないといえばそれまでながら、哀れなことと思われます。」

 明治32年に鷗外は九州の小倉第12師団勤務となる。鷗外が左遷だと思っていた事が鷗外自身の手紙によって良く分る。「学問力量さまで目上なりともおもはぬ小池局長」と述べ「謫せられ居るを苦にせず屈せぬ」と書いている。左遷ではなく鷗外の勘違いだという研究もあるようだが、それよりも鷗外が左遷だと思っていた事が大切だろう。

 喜美子は鷗外にとって、文学を語る相手でもあったようだ。彼女の作った歌の添削もしている。喜美子は数々の翻訳も手がけている。鷗外が文学上偉大な人物であったために、その陰で余り目立たないが、中々の才能の持ち主である。彼女が鷗外の妹でなかったら、もっと注目されていたかもしれない。それにしてもやはり私たちの心を打つのは、鷗外が死んでから30年も経って詠まれている次のような歌だ。
 「ながらへてまたかかるもの書けるよと笑みます兄のおもかげ浮かぶ」
 「命ありて思ひだすは父と母わが背わが兄ことさらに兄」

 この作品には、そんな作者の想いがたくさん詰まっている。


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2010年03月22日

『吉本隆明自著を語る』(ロッキング・オン)

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「吉本隆明が分る!」

 吉本隆明の『共同幻想論』を高校3年生の授業で扱ったのは、もう20年近い前の事である。もちろん、中々大変だったが、一部の生徒は夢中になって読んでいた。何か自分が今まで出会ったことのない考えと出会うのは魅力的な「事件」であるし、難解であればあるほど向って行きたくなるのは、若さの特権であろう。とは言え、吉本のある種の作品が「難解」であるのは事実である。

 彼の作品に魅せられながらも、なかなかその本質を捉えられなくて苦労している、私を含む多くの読者たちにとって『吉本隆明 自著を語る』はありがたい作品だ。ロック評論家の渋谷陽一が吉本にインタビューする形の対談集だが、実に分りやすく語られている。吉本の主著をテーマに挙げながら、執筆の目的、心情等見事に聞き出している。

 一番大切なのは、吉本は常に現役の「詩人」であるということだろう。そして、彼がかつて「軍国少年」であったことだ。吉本の優れている所は、その事実を隠そうともしないし、自分をごまかしもしない所だ。逆に、何故自分は「軍国少年」であったのか。誰のために死のうとしていたのか。天皇制とは何なのか。というように、そこを自分の考えの出発点としている。これはある意味科学者の目である。そして好奇心に充ちた子供の心である。

 小林秀雄が吉本の前に立ちふさがる。そして吉本は小林と同じ方法を取ろうとはしない。独自の文芸批評の道を探す。物事を感性で捉えるのではなく、その捉え方の構造をきちんと探っていくのが、彼の手法だ。人を理系文系で単純に分ける事はできないが、それでもやはり理系の力を持っている吉本ならではの理論だと思える。精神世界を明確に分析しようとの試みは古代から綿々と続いているが、吉本はその基本構造を考えるのに「対幻想」という画期的な概念を作り出した。

 種々の分野に対し意見を述べるので、彼の本質が見えにくくなるのかもしれないが、吉本はあくまでも文芸批評を考えているのであり、それに多くの分野の知識を生かしているだけである。故に、専門的知識の末梢において、専門家から批判されようと、彼にとって意味は無い。彼にとって一つの例を示しただけであり、真に伝えたい所はその向こう側にあるのだ。そのシステムを理解しないと、吉本の論は分りにくい。

 「基本的に文学作品の価値は作者の価値、作者の持ってるあらゆる技術から精神性を含めたものの総和で決まる」という考え方は、従来の文学批評が曖昧な感性の問題として捉えていた部分を、まるで数学の公式で解くように体系づけようという試みでもある。そしてそれは、今の為政者たちが「このまま普遍的な国際性に滑り込んでいけるって思ってる気がする」と批判し、現状は「戦前と同じで相当追い詰められている」と指摘する事に繋がる。

 吉本隆明の中で、こういった多分野での発言は、明確に一つに繋がっている。それは、彼が一生をかけて一篇の詩を書こうとしていることだ。自分の納得できる一篇の詩を書くために、彼は種々の知的活動を繰り広げているように思える。その精神世界を理解するために、この対談は非常に有効且つ楽しい作品だ。


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2010年03月21日

『火宅の人』檀一雄(新潮文庫)

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「無頼派の人生の旅」

 パリは「芸術の都」や「花の都」と呼ばれる。確かにここでは多くの芸術家が誕生し、公園には常に花が咲き乱れている。だが、最後の無頼派と呼ばれた壇一雄にとっても居心地の良い場所であったようだ。アメリカとイギリスを回ってパリへ来た時に、モンマルトルに滞在した後、凱旋門近くのアムラン小路のアパートに住む。料理が生き甲斐の一つなので、キッチンがある事を喜び、しばらく滞在する。このアパートは、私がパリに来た当初14年間住んでいたトロカデロから徒歩10分ほどの所だ。小説の情景が目の前にあるというのは、何か不思議な気がする。

『火宅の人』は壇一雄が20年の歳月をかけて書き続け、死の数ヶ月前に完成した作品だ。中心は恵子という愛人(私小説的作品なので、実在のモデルがいる)との生活なのだが、無頼派の名前に恥じない、酒・女・仕事・料理(作る方である)の繰り返しである。特に、酒と女は甘美な麻薬のように、主人公にとって必須のものだ。仕事もかなりの量こなしている。そうでなくては本宅、愛人宅含め4件の家庭を保つ事はできないだろう。

愛人と事を起こす前に「私は現在の妻に、何の不満も持ち合わせていない。」と考える。なのに「私を信じきれぬならば、私も自分を天然の旅情に向ってどえらく解放してみたい。自分ながら賢者のなす業ではないと繰り返し思ったが、時にまた、おのれの愚に即いてみたいと願う事だってある。」という思いを振り切れない。幼い時に母親に去られたために料理を覚え、それが楽しみとなり、多くの人のざわめきの中にいることを至福としながら、その関係を長続きさせようとはしない。

嫉妬に狂う寂しがり屋であるのに、現前の愛を大切にする事には不器用な存在。「愛とは男女を持続して管理する生活術のようなものか。」と思う。太宰と親交のあった壇の、太宰との共通項が見えてくる。寂しがり屋なのに自分を寂しい所へ追い込んでしまう。そんな自分に嫌気が差し、酒に溺れる。悪循環であろうが、いかにも人間臭い。私たちの心に薄まって(意図的に薄めて?)ある何かが、凝縮して現れているようだ。

パリで食材を買い込み、料理を作るときは非常に楽しそうだ。種々の食材やその値段まで克明に書いている。魚の頭を切り落とされて慌てる所など、今も同じだ。我が家も頻繁に刺身を食べるが、切りそろえて売っているはずもなく、一尾買ってきて、3枚や5枚におろし、自分で作るしかない(もちろん私の場合は妻に作ってもらうのだが)。マルシェで買い物をするのは、料理好きに取って何よりもワクワクする瞬間であるに違いない。

アメリカ、ヨーロッパの旅から帰国し、しばらくして当の愛人とも別れる。体の不安も現れ、年齢ゆえの衰えも感じる。孤独を身に纏うようになりながら、一人でホテル暮らしをする。そこで最後に思い出すのは、パリで迎えた新年の事だ。31日の夜から元旦の朝にかけて、シャンゼリゼを歩く。種々の国籍の人達が「ボナネ(新年おめでとう!)」と言い合い、ビズー(キス)を交わし合っている。そこへ行きたいと強く思う。

最後の章は病床での口述筆記だという。松尾芭蕉の辞世の句「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」が思い出される。「旅情」を追いかけた孤独な作家の姿が、心に染みる。


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