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2009年11月30日

『I’m sorry, mama.』桐野夏生(集英社文庫)

I’m sorry, mama. →bookwebで購入

「「唐突」な恐怖」

今夏一時帰国したときにお誘いを受けて、紀伊國屋サザンシアターで、福岡伸一と斉藤環の対談を聞く機会があった。どちらも旬で活躍している人達なので、大変に興味深かったのだが、その中で斉藤環が桐野夏生を高く評価しているのに気づいた。名前は知っていたが、彼女の作品は今まで読んだことはなかったので、今回手にとってみた。

 『リアルワールド』と『I’m sorry, mama.』の2冊を読んだが、後者を紹介したい。アイ子という、とんでもない悪女の物語である。桐野夏生の作品の特色は「唐突さ」だ。特に最初は全く予期しない出来事が起こる。冒頭に登場する保育士の美佐江と、彼女が担当する園児であった稔が、25歳違いにも拘らず結婚しているのは、珍しいことであれ唐突ではない。

 しかし、彼らが結婚二十周年記念に焼肉屋で食事をし、そこで働いているアイ子に偶然出会う。アイ子は美佐江の勤める星の子学園に、かつて稔と一緒にいたのだ。旧交を温めて、アイ子に連絡先を教える美佐江。稔と美佐江はその後カラオケで遊び、アパートへ戻る。二人だけの睦言を楽しんでいる時に、突然アイ子がやってくる。彼女は一言も発さず、黙って美佐江に灯油をかけ火をつける。稔と美佐江は「原因不明」の火事で死ぬ。

 読者はあっけに取られるだろう。なぜ彼らが殺されるのか、全く分らない。彼らに死の影はかけらもなかった。余りにも「唐突」な展開だ。だが、考えてみれば、私たちの人生は唐突な事に満ちていないだろうか。私が担当している日本人高校生たちも、ある日突然、全く唐突に、親からフランスに引っ越すよと言われたであろう。良い事も悪い事も、予定通り行くことは少ない。「唐突」こそが人生かもしれない。

 読者は少しずつアイ子の生い立ちを知らされる。誰が生んだか分らない子で、娼婦たちに育てられた。もちろんたっぷりといじめられながら。ママの靴を持ち歩き、靴と会話をする。金しか信用せず、そのためにいとも簡単に人を殺す。罪悪感がないためになかなか発覚しない。アイ子を育てたことのある夫婦からも、彼女の恐ろしさが暴露される。

 アイ子を知っているかつての娼婦たちの物語も後半で並行して語られる。悪行を続けるアイ子と娼婦たちの物語が交錯する時、この作品は終焉に向う。そして、アイ子の出生の秘密が明らかになる。そこには、やはり「唐突」な事実と最後がある。救いようのない魂などとアイ子を呼ぶのは簡単だ。だがそんな月並みな言葉しか出てこないほど、アイ子の姿は醜い。

 通り魔殺人の犠牲者たちの遺族は、どんなに考えても、何故彼らの大切な人達が死ななくてはならなかったのか、理解できないだろう。恐ろしいのは、加害者にもそれが理解できない時があるからだ。個の中に存在する憎しみや悲しみ、絶望が、大衆に向う時に、私たちはその因果関係を見つけることができにくい。そしてそれは「唐突」な形として、私たちの上に降りかかってくる。


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