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2009年09月24日

『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ(文春文庫)

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「何を捨てるのか?」

 パリはすっかり秋模様だ。10時過ぎまで明るかった夜も、どんどん闇の迫る時が早まってくる。南国が好きな人達には、これからが長く鬱陶しい冬の始まりになるだろう。北国生まれの私は、長い夜がそれ程苦ではない。食事、ワイン、読書、ジャズと、楽しみは幾らでもある。だが、夏の名残もやはり懐かしい。主催しているワイン会の今月のテーマは「夏の名残のロゼ」とした。

 『八月の路上に捨てる』という奇妙なタイトルの作品を読んだ。作者の伊藤たかみは30代後半の比較的若い作家だが、文学作品のタイトルの役割は大きい。古典的な作品は『こころ』、『雪国』、『金閣寺』等、奇を衒っていないものが多いが、『砂の女』、『個人的な体験』、『風の歌を聞け』等、タイトルに惹かれてしまうものもある。この作品もそうだ。何を捨てるのか。人か、物か、それとも過去の思い出か。

 主人公の敦は自動販売機に商品を補充するアルバイトについている。正社員の水城さん(女性)と共に働いているが、描かれているのは水城さんがトラックに乗る最後の一日だ。普段あまり知ることのない職業の様子が臨場感を持って描かれているのも面白い。缶コーヒーを補充している時、缶が中でつかえてしまう。それを取るのがなかなか大変なのだが、思ってもみない世界だ。

 水城さんがトラックを降りるのは再婚するせいで、敦は逆に翌日に離婚届を提出する予定だ。逆方向へ人生の舵を切ろうとする二人の心境が、微妙に交錯する一日。敦は智恵子との出会いと結婚生活を回想する。「互いの夢に惹かれ合ったのか、二人はすぐにとろけ合って固まった。自分たちだけの世界を作った。」不思議な表現である。智恵子と焼肉を食べに行った時、彼女は生まれて初めて食べたミノを「ごりごりとかみ砕き、飲み下して、案外美味しかったんだね」と言った。

 妙に引っかかる表現が多い。落ち着かない違和感がある。中上健次の作品を読んだ時は、自己の世界とのズレを感じながらも、存在の根本を揺すぶられるような恐怖を感じた。そういった違和感とは違う。飲みかけのペットボトルの蓋を閉めようとして、蓋がねじ山に微妙に合わず落ち着かないような、そんな感じだ。川端康成が「夜の底が白くなった。」と書いた時、当時の人々はどんな感覚を味わったのだろう。今私が感じているものと同じだろうか。

 若い二人は夢と生活との間のギャップに疲れ始め、心もすれ違い始める。そんな時に敦は別の女性と浮気をする。悩む敦は離婚が心に浮かんだ時に「その二文字を思いついた途端、心はすぐに追いついてきた。今の今までどうして気づかなかったのかと、都合よく身体も順応」した。身体感覚のズレだろうか。私が外国に長い間住んでいるせいで、現在の日本の感覚を掴んでいないのだろうか。どうもしっくりこない。

 一日の仕事が終わり、最後に一人になった敦は「俺は一時たりとも遊んでなんかいなかったぞ。何もかも本気だったのだ。」と心で毒づくのだが、実感がない。彼が結局何を路上に「捨てる」のか、種々の暗喩が考えられるが、どうも明確ではない。惹きつけられる部分もあり、力量を感じる所もあるのだが、全体的に掴みどころのないような不思議な感覚の読後感だ。この作者の作品がどのような「凝固」を見せるのか、今後が興味深い。


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