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2009年08月30日

『サルコジ マーケティングで政治を変えた大統領』国末憲人(新潮選書)

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「何でこんな男がフランス大統領になれたの?」

 アメリカ大統領のオバマの名前を知らない人は殆どいないだろうが、現フランス大統領のニコラ・サルコジの名前を知っている日本人はどの程度いるだろうか。私は一度サルコジと「接近遭遇」したことがある。パリ16区のローリストン通りに古くからあるレストランで食事をしていたら、一つ置いたテーブルにサルコジがいるのに気づいた。彼の同席者は男性が一人。15年程前の話なので、思えばサルコジはシラクににらまれて不遇の時代をすごしていた時だった。しかし、彼が大統領になるとは、その時には微塵も想像できなかった。

 国末憲人の『サルコジ』の帯を見て驚いた。「なんでこんな男が、フランス大統領になれたの?」その上には「移民出身の小男。離婚2回で現妻はスーパーモデル。酒が飲めず文化にも興味なし・・・・・・」とある。フランスに住む多くの日本人が、思っていてもなかなか口に出来ないことが、印刷されている。これは、買って読むしかない。

 大統領選挙に勝利した直後、サルコジは友人の実業家の所有する豪華ヨットに乗り、地中海で遊んでいる事を報道され、世の顰蹙をかっている。それに懲りもせず、「友人」たちの援助で豪勢に遊びまわっていたが、それを筆者は「つまり、成り金なのである。」と切り捨て、数々の暴言や奇行に関しても「地でもわがままだが、演じてもわがままなのである。」と容赦ない。

 小気味が良い所が多いのだが、国末は決して主観のみで判断しているのではない。朝日新聞のパリ支局員、支局長として、他の日本人ジャーナリストが関心を持たない部分まで、徹底的に取材している。サルコジの番記者(フランス人)に混じり、ただ一人の日本人記者として大統領の外国訪問に随行してもいる。筆者にとってサルコジは気になる存在であり、それを通してフランスを、そして世界の動きを敏感に理解しようという姿勢が見える。

 サルコジは二度離婚しているが、特に二番目の妻セシリアとのエピソードは興味深い。セシリアは元々人気テレビ司会者のジャック・マルタンの妻だったが、結婚式の時ヌイイーの市長だったサルコジと出会い、紆余曲折の末サルコジと再婚している。夫をコントロールしているような、かつてのビル・クリントンに対するヒラリーを思い出させる行動に出たりもするが、セシリアは「もう一人のサルコジ」のようだと、筆者は分析する。

 そのセシリアと現職大統領として離婚し、スーパーモデルで歌手でもあるカーラ・ブルーニと再婚する。強烈なスキャンダルなのだが、サルコジは私生活を権力把握のために「活用」する。離婚を発表するのも、フランスで大規模なストが行われている日だった。一大ニュースのせいで、ストが霞んでしまった。これを狙ったのだとしたら、恐ろしくなる。カーラも再婚だが、三面記事的エピソードには事欠かない女性である。

 国末はサルコジがここまで登りつめた要因は、ビジネスの世界で行われている「ストーリーテリング」のおかげだと言う。今までの大統領―ド・ゴール、ミッテラン、シラクのような「国父的存在」とは一線を画した新しい指導者である。サルコジに厳しい目を向けながらも「サルコジのような人物こそ、この現代社会に合致する指導者なのかもしれない。」と冷静に判断している。日本でも衆議院選挙が行われた。サルコジの姿を捉えることは、例え反面教師的意味であったとしても、日本の行く末を考える良い機会であるに違いない。


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2009年08月28日

『あめふらし』長野まゆみ(文春文庫)

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「暑さを忘れる異空間」

 長い一時帰国(7週間)から、先週末にパリに戻ってきてホッとしている。一番の違いは、時間の流れ方と人との関係だろうか。ここでは、時は自分に合ったリズムでゆっくりと流れ、人はあるがままの姿なので、こちらも自然体でいられる。日本滞在の後半に、暑さを少しでも忘れるために、久し振りに長野まゆみの作品を読んだ。

 長野まゆみには懐かしい思い出がある。もう20年ほど前になるが、教え子の高校一年生が彼女の作品で論文を書いたことがある。『少年アリス』や『野ばら』を使ったものだったが、作品に表れる「色」の効果について分析した、興味深い論となった。良い出来だったので、作家本人にコピーを送る事を勧めた。そうしたら、何と本人から直筆の手紙が届いたのだ。

 几帳面な小さな字で、丁寧なお礼と、自分でも考えていなかった視点からの論が興味深かったこと、そしてこれからも頑張って書いていくので応援して欲しいこと等が書いてあった。当時デビュー間もない作家とはいえ、高校一年生の女子に向かって、何と真摯な手紙を書いてくれたのだろうと、私も感激した事を覚えている。

 初期の作品の主人公は少年で、彼と「異界」との干渉作用を描いた、ファンタジーとも怪奇物とも言えないような、不思議な魅力のあるものだった。今回読んだ『あめふらし』はそれから15年以上経って書かれた作品だが、以前とは違った世界が出現している。

 この作品では主人公は少年ではなく、橘河という大人になっている。いや、「大人」とは言えないかもしれない。彼は死者の魂を捕らえておくことのできる「あめふらし」なのだから。かつては異界との交渉を持つことの出来る少年が主人公だったが、とうとう異界の住人が登場している。橘河が魂を捕らえて種々の仕事に使っている副主人公たち(仲村や市村)も死者であったり、蛇の化身であったり、普通の存在ではない。

 彼らが種々の「事件」に出会い、橘河の助けも加わり、それらを解決していく。何だか単なる荒唐無稽なドタバタ劇に聞こえるかもしれないが、そうではない。あまりにも人間的な少年愛的同性愛が作品を柔らかくしているし、現実味を出すための比喩も巧みだ。例えば太陽が薄い雲に包まれる時を「火にかけた酢水のなかへ落とした卵はたちまち白い衣をまとって黄身をつつみこむ」と表現し、まとまらない意識を「清(すまし)の椀のなかをたゆたう蜆のむき身がなかなか箸でつかめないのと似ている」と表す。

 不思議な世界を表現してきた作家たちは多い。泉鏡花や稲垣足穂がいるし、最近では川上弘美も活躍している。しかし、長野まゆみの世界は、その全てに似ているようで、やはり違っている。まさに彼女のフアンが「長野まゆみワールド」と呼ぶ、独特の世界だ。それ程鋭角ではない。だがぬるま湯でもない。かすかに違和感が残るのが心地良く、少々不安でもある。たまには現実を離れてこんな空間に身を置いてみるのも、避暑として悪くない。


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