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2009年06月30日

『バカと東大は使いよう』伊東乾(朝日選書)

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「東大とは? 教養とは?」

フランスには「グランゼコール」と呼ばれる学校がある。エコール・ポリテクニック、フランス国立高等師範学校、国立行政学院等だが、これらの学校に入学するには、まずBAC(大学入学資格取得試験)で好成績を修めなければならない。その後「プレパ」という特別クラスに1~2年通い、受験する事になる。大変な苦労だが、グランゼコールを卒業すると、明るい将来が保証されている。

 日本でこれらの学校に「近い」位置にあるのは、やはり東大であろう。東大を論じた本を時々見かけるが、東大出身者によって書かれたものが目立つ。他大学出身者が東大を評すると、やっかみや僻みと取られかねないからだろうか。もちろん、内部を知る者が一番確かな批評をなしえるということは言えるだろうが。

 伊東乾の『バカと東大は使いよう』は、筆者が東大出身かつ東大の教員であり、物理学と音楽という異なる分野を専門としているという意味において、非常に興味深い内容となっている。冒頭は筆者が経験した、現役東大生の「あきれる」話が豊富に紹介されている。「なにやったら優くれんの?」と聞く学生。医学に興味がないのに「医学部」を目指す学生。例題を板書して説明しないと、怒る学生。

 私たちは、これでも東大生かと思うかもしれない。しかし伊東は、これこそが東大生であると指摘し、その原因を追究しようとする。高校時代までは文科省の「指導要領」に沿った授業が行われるために、ステレオタイプの問題にしか答えられなくなる。最近の社会は即戦力を求めているのに、応用力を鍛えるための教養課程が機能していない。この辺りを、芭蕉の名句「古池や 蛙飛び込む水の音」の英訳を考えたり、シェークスピアの「To be, or not to be: that is the question.」の和訳の歴史を見たりして、説得力を持って主張している。

 第二章からは、本格的に大学とは何か、大学はどうあるべきかと言う事を論じていく。東大はもともと富国強兵のための人材養成、つまり当時の国家にとって都合の良い人間を作るための工場であった。そのような大学が改善されるために最も必要な物は「ディシプリン」だと言う。これは「現実社会で通用する専門知のトレーニング」だ。これがどのような形で現れるべきかが詳述される。

 大学に見切りをつけて小説家になった夏目漱石の心情や、伊東個人の種々の体験等を織り交ぜて語る文章には、奇妙な力がある。タイトルのみを見ると、軽いエッセイのように思われるかもしれないが、この一冊は間違いなく大学改革のための「論文」である。それにしても、かつてハーバード大学に学んでいた久保正彰が、寮内で「教養とは何か?」という議論になって、激論の末に出た結論が「教養とは、喋ることと食べること」であったというのは、頷ける。


 海外から日本を見ていると、かつては格調高いと言われていたNHKでも、お笑い芸人たちがあまり上品とはいえないイメージをばら撒いている。「食べる」番組も多いようだが、はたしてそこに「教養」は現れているのだろうか。


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