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2009年02月18日

『浅草東仲町五番地』堀切利高(論創社)

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「懐かしの浅草物語」

 飛行機が日常的な「足」となった今では、地方在住の人が「東京」に持つイメージも変わってきたのかもしれない。しかし、以前は地方人にとっての「東京」という幻想が間違いなく存在していた。大きなビルが立ち並び、人々は皆お洒落をしていて、あまり生活感の無い街。そこに行けば何でもあり、力さえあれば何でもできる所……北海道出身である私は、若い頃そんな思いにとらわれていた。

 自分が東京で暮らすようになり、下町出身の妻と出合ってから、その幻想は少しずつ地に足が着いたものへと変化していった。とは言え、浅草の旅館柳屋の跡取り息子に生まれ、昭和前期をそこで過ごした堀切利高の体験は想像もつかない。『浅草東仲町五番地』はそんな氏の浅草物語である。

 旅館の玄関先でお客さんとの交渉がまとまると、番頭が大声で「闇、お二人さん! 紅葉の間」などと叫ぶ。宿賃は符牒で「三円が闇、二円が松、一円がだら」となると言う。「闇」になると茶菓子も違い、二の膳にお銚子までついたそうだ。面白い。映画の一コマのようだが、「松」より「闇」が上というのも不思議だ。

 永井荷風の『断腸亭日乗』に出てくる「アリゾナ」という洋食屋の話も面白い。しばらくぶりで訪れた筆者は、店は閉まっていたが女主人と出会う。歯切れの良い下町言葉を話す彼女から、アリゾナの古いメニューを贈られるのだが、それを見て驚いた。「ラグウーダニョー(フランス風シチュー)」とあるではないか。これは「Ragoût d’agneau」に違いない。

 Ragoûtはフランス語で「シチュー・煮込み料理」で、agneauは「子羊」だ。つまり「子羊のシチュー」または「子羊の煮込み料理」となる。戦後間もない頃に浅草でこんなものを出す店があるとは……ジンギスカンブームよって、東京人が羊を食べるようになったのはつい最近の事だと思っていた。北海道では普通の料理だから、小さい時から羊を食べてきた私は、東京人は慣れていない故フランスに来ても羊が食べられない人がいるのだなあと思っていた。ところが、こんなハイカラな料理が昔から浅草の洋食屋で出ていたのだ。

 池波正太郎のおかげで蕎麦文化も浸透したようだが、筆者は並木の藪蕎麦に空いた頃を見計らって寄り、「昔ながらの蕎麦味噌で菊正の樽を二本ほど呑んで、もりを一枚さらっといただいて帰るのが定番」のようだ。何とも粋な姿である。その他にも、人形師、歌舞伎俳優、日本舞踊、映画館、カフェ、祭り、芸者、下町と山手等、浅草ならではの興味深い話が数多く紹介されている。

 自伝的な回想記としては、明治末期を舞台にした中勘助の『銀の匙』という素晴らしい作品がある。『銀の匙』は静謐な世界だが、堀切利高の世界は何か弾んでいる。浅草ならではのリズムであろうし、氏が二代目餓鬼大将であったことの名残なのかもしれない。だが時代は違えど、両作品共に私たちにある種の郷愁を呼び起こしてくれる。そこにいた訳でもないのに何か懐かしい。それはもしかしたら、国も人種も関係の無い、人間のはるかな記憶につながるものなのかもしれない。


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2009年02月10日

『どこか或る家』高橋たか子(講談社文芸文庫)

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「気になる女性」

 女性にとってそのような男性が存在するものか分からないが、男にとっては不思議な存在となる女性がいるものだ。たまらなくその人に会いたい、会って色々な事を話してみたい。きっとその時間は素晴らしく甘美なものだろう。だが、一緒に暮らす事は絶対にできない。そう思わせる女性が時々いるのだ。私にとって高橋たか子はそんな作家だ。

 二十歳前後の頃、高橋和巳の妻が書いた作品という事で『空の果てまで』、『没落風景』、『誘惑者』等を読んだ時に、強烈な感情が湧き上がってきた。驚愕、嫉妬、恐怖、好奇心……そういった感情が渾然一体になったものだった。安部公房や大江健三郎の作品を読んだ時とは全く違った形の感情だ。男にはこんな作品は絶対に書けないな、とも思った。

 素晴らしい「女流作家」が活躍した頃だった。大庭みな子、三枝和子、倉橋由美子、河野多恵子。皆特異な才能を持った作家だが、何よりも男には近寄りがたい「何か」を持っていた。それは血を流す女性という、「性」の本質にかかわるようなものだろうか。とにかく自分が体験した事のない(また永遠に体験できないだろうと思わせる)身体感覚がそこには存在した。

 そんな作家の一人である高橋たか子の自選エッセイ集『どこか或る家』には、作家自身の姿が見事に表れている。彼女は何度もフランスへ来る。「最愛のところへは一人で行きたいではないか。最愛の人とは一人で会うのが普通ではないか。」という。もちろん「人」とはフランスの事だ。フランスで高橋は、自己の精神的基盤となっていくキリスト教と出会い、精神的交流を深めていく。

 1981年に3ヶ月ほど、私は初めてパリに滞在したが、同じ地に彼女がいると思い、不思議な興奮にかられた。サン・シュルピスの教会でパイプオルガンの音を聞きながら、彼女もこの教会で似たような体験をしたのだろうなあ、と考えもした。秋に帰国して、その2年後に今度は結婚して妻とともにパリに来る事になったのだが、妻との出会いにも、彼女の作品が影響していた。文学少女ではなかったのに、妻は彼女の作品を面白いと言ってくれたのだ。

 精神の分岐点にさしかかると、高橋たか子はフランスへ来る。そしてどんどん神の世界に惹かれていく。殆ど一人旅だ。さぞかし心細い事だろうと思うかもしれないが、彼女にとってはそれが心地良いようだ。通りに面していないホテルの部屋に一人で泊まる。窓から外を眺め、「パリの町の眺めの一点景として欠かせない」屋根の上に突き出ている「エントツ」を見ながら種々の想いを馳せる。外へ出て行くのではなく、自己の内部に下りて行く作家なのだ。そのために彼女にはフランスが必要なのだろう。

 「自分探しの旅」と言ってしまえば、余りにも俗な表現となってしまうが、やはり高橋たか子も旅を通して、自分の中へ不可逆的な歩みを続けているのだろう。故に「自分で小説を書くようになっても、私は小説を『生きている』のであった。」と書いている。彼女が神の世界に行き着いたのか、そこを通り抜けてまたどこかへ行くのかは分からない。しかし、気になる女性の半生を追体験する事は、妙に心が浮き立つものである。


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