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2008年07月13日

『春琴抄』谷崎潤一郎(新潮文庫)

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「禁断の愛、それとも純愛?」

 毎年この時期には、高校2年・3年で扱う文学作品を高校一年生と相談する。最後の2年間が国際バカロレアではディプロマ・プログラムと呼ばれ、大学入学資格取得試験へ向けての準備が始まる。数多い選択肢の中から、代表的な文学作品の解説をして、生徒たちの希望を聞く。

 その中で、谷崎潤一郎の『春琴抄』は結構人気がある。テーマは決して軽くないし、谷崎の文体はどうみても読みやすいものではないのだが。谷崎は終生「美」を追及した作家と言って間違いないだろう。ただ、その美には時として妖艶で悪魔的なものが付き纏っている。あまりにも有名な『痴人の愛』では、主人公譲治がナオミに翻弄される姿が描かれているが、彼女の武器は自己の肉体である。ナオミの肉体は存在感があり、想像力を刺激する。

 『春琴抄』でも、主人公の春琴(というより、主人公は彼女に全てを捧げる佐助なのかもしれないが)は類稀なる美女である。幼くして踊りの才能を認められたが、9歳の時に風眼(花柳病の一種)で失明し、以後琴三弦に打ち込み名人となる。溢れる才能、盲目、美女とくるだけで、好奇心を誘う存在だが、そこに佐助が登場する。

 春琴の家は大きな薬問屋であるが、そこへ佐助が奉公に来る。春琴9歳、佐助13歳である。佐助は春琴の「目」となり、日常生活を色々と助けるのだが、次第に春琴に惹かれていく。春琴は気難しく怒りっぽいのに、佐助はそれをものともしないどころか、喜んで春琴に使えている。もちろんここに、サド・マゾ的関係を読むのは容易い。しかし、事はそれ程単純ではない。

 佐助は憧れの春琴にあやかろうとしてか、少ない小遣いをためて三味線を購入する。皆が寝静まった深夜、押入れに隠れて熱心に練習する。そのうち家のものに知られ、結局春琴が師匠となり三味線を教えるのだが、気性の激しい春琴のため、4歳年上の佐助はいつも泣きだしてしまう。後に二人きりで暮らすことになるが、「お師匠様」と「佐助」の関係は全く変わらない。二人の間に子供が生まれても、だ。二人ともその子供を認めようともしない。

 春琴のこのかたくなさは何だろうか。子をなした仲であるのに、それを認めようともせず、佐助をあくまでも使用人としてしか見ない。それでいて他の者と結婚するわけではない。二人はこのまま暮らしていくのである。しかも春琴は日常生活において、自分の手を使うことは殆ど無い。トイレや入浴も全て佐助が面倒を見る。確かにこの世界は異常だ。

 圧巻は春琴が深夜誰かに熱湯をかけられて、顔に大やけどを負ってしまい、春琴の美しい思い出を保つために、佐助が自分の目をついて盲目になるところであろう。佐助はそれを歓喜と共にお師匠様に報告する。これでようやくお師匠様と同じ世界に入れましたと。熱湯事件の犯人は分からない。しかし、二人は満足して暮らし、春琴は天寿を全うし、佐助はそれからさらに二十年以上、一人で春琴の思い出の中で生きる。

 私たちはこの愛をどのように捉えたらよいのだろう。確かにこれも愛情の一種なのだ。愛の形が複雑に変化する現代。男・女を離れた形も珍しくはなくなってきた。そのような状況では、春琴と佐助の物語がある種の「純愛物語」のように見えてきてしまう。谷崎はこの作品にどのような想いを込めたのだろうか。世紀末を越えてなお世紀末の観を呈している今、春琴と佐助は現代の若者にとって、どのように映っているのだろうか。一度生徒達とゆっくりと話し合ってみたいと思う。


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