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2008年04月27日

『アドルフ』コンスタン(岩波文庫)

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「フランス流恋愛講座」

 フランスと言うと、ファッションやワイン等が思い浮かぶかもしれないが、ここは恋の国でもある。こちらでよく耳にする冗談に、世界最高の贅沢は、中国人の料理人、日本人の妻(?)、などと続き、必ず出てくるのがフランス人の愛人を持つことだ。公園を歩いていると、高齢のカップルが仲良く手をつないで歩いているのを見かけるし、私の教え子のような女子高生たちでも、一人でシャンゼリゼを散歩しようものなら、何度でも声をかけられるそうだ。

 そんなフランス人の書いた恋の話は面白い。いや、面白いで済ませてしまうには重過ぎる作品であるかもしれない。何せこの恋物語は、恋の成就の楽しさよりも、恋を得てしまった後の「苦悩」の分析と心理描写に殆どを費やしているからだ。作者のコンスタンは1767年にスイスのローザンヌで、スイス人の父とフランス人の母との間に生まれた。『アドルフ』は彼の人生が反映した、苦しい恋物語である。

 主人公のアドルフは、将来を嘱望された青年だが、P***伯爵の愛人であるエレノールに恋をする。彼女は年上であるし、貞節な性格なのだが、最後にはアドルフの情熱に答える。二人が手に手を取って駆け落ちする所で終われば、通俗な恋愛物語で終わるのだが、この作品の真骨頂はこの後から始まるといって良い。アドルフがどのような悩みを抱え、どのようにそれを乗り越えようとするかは、実際に本を手にとって主人公に感情移入しながら読んで欲しい所だ。

 「近代心理小説の先駆」をなす作品と言われるが、箴言に溢れてもいる。「社会はわれわれを世間一様の型にはめこまずにはいない。そしてその時になると、われわれはもはや、むかし驚いたことに驚くばかりで、われわれの新たな形の下に安んじてしまう。」人生の半ばを過ぎた人で、一度でもこのように考えた事のない人がいるだろうか。個人主義を標榜するヨーロッパにおいても、社会と個人の問題はかくも大きいのである。もちろん、個人主義の世界だからこそ、社会との軋轢は避けられないのかもしれないが。

 「およそ人間には完全な統一というものはないので、ほとんど決して、なんぴとも全く真剣であることもなければ、さりとて全く不誠実であることもない。」恋愛心理を見事に言い当てている。「私は彼女をこの世ならぬものとして見ていた。私の愛は宗教的崇拝の性質を帯びていた。」夏目漱石の『こころ』における、「先生」の静に対する愛や、武者小路実篤の『友情』における、野島の杉子に対する愛を思い出す。このような愛が決して古いものでないことは、近年の韓流ブームが示しているだろう。

 アドルフがエレノールに対し、言ってはいけない言葉を口にした時、「世には永いことお互いが口に出さずにいる事柄がある、しかしひとたび口に出されたが最後、それは絶えず繰り返されずにはいない。」とある。これも私たちが、日常的に経験する事だ。このように『アドルフ』は時代を超えた人間的なメッセージに満ちた物語である。コンスタンは政治家として活躍したが、性格は複雑で矛盾に満ちていたという。だからこそ、アドルフに自己を投影し、現代に続く永遠のテーマとなっている「自我」の問題を、かくも明確に提起しえたのであろう。


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2008年04月21日

『草枕』夏目漱石(ワイド版岩波文庫)

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「春の一日、仙郷に遊ぶ」

 フランスの学校に春休みはないが、4月に2週間程イースター休暇がある。今私はそれを利用して、ピレネー山中の小村に来ている。コトレというのだが、温泉が出るので一九世紀から保養地として知られている。読もうと持ってきた本の中に、なぜか夏目漱石の『草枕』があった。高校一年生の女子生徒が、今年の課題論文の作品として選択したので、久々に読み返してみようと思い持参したのだった。

 漱石の文は独特のリズムがあり、心地よい。有名な冒頭の「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」も、主人公である画家が山道を歩きながら思いにふけっている様子が、身体感覚を通じて伝わってきて面白い。

 もちろん、こういったリズムは、当時の文人達が漢詩に親しみ、俳句、和歌の世界に通じていたからこそ、現れてくるものに違いないのだが、漱石の場合はそれに彼特有の世界観が加わる。「世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる。」や「うつくしきものを、弥が上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものは却ってその度を減ずるが例である。」等という文を読むと、思わず頷いてしまう。

 漱石はロンドンに留学したが、あまり楽しいものではなかったようだ。雨に濡れながらみじめに公園でサンドイッチを食べていたり、文部省への報告書を白紙で出したりといったエピソードが伝わっている。官費留学のため費用も充分になく、イギリス人達に馬鹿にされないために苦労し、最後には心労のために発狂の噂が出た程だった。

 そんな彼の、西洋に対する負けん気の強さには、思わず笑いを漏らしてしまう。「一体西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根位なものだ。」と主人公はのたまう。だが、考えてみると、確かにフランス料理でも今のように色とりどりの美しさを重視するようになったのは、二十世紀後半のヌーヴェル・キュイジーヌからだ。そしてそれは日本料理の美しさをふんだんに取り入れている。

 別の所では「余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好だ。」と、甘党で胃を悪くした漱石自身の本音が出ている。それに続けて「クリームの色は一寸柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹程の重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。」と、非常に面白い。デザートにあまり関心がない私にも、フランスの種々のデザートが思い出されてしまう。

 もちろんこんなに楽しい文ばかりが並んでいるのではない。「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの技法によってこの個性を踏み付けようとする。」などという文は、まるで現在を予言しているようではないだろうか。グローバリゼーションの名の下に、個性を抹殺しかねない大国のエゴに対する警句として、見事なものだ。

 『草枕』は小説ではあるが、漱石の思想が随所にちりばめられた、哲学的エッセイとしても読める。画家が絵に描こうとする、温泉場のお嬢さん那美も、幻想的で魅力的な女性である。春の一日を、漱石の作り上げた仙郷に遊んで、下界を眺めてみるのも一興ではなかろうか。


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