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2007年10月31日

『1984年』ジョージ・オーウェル(ハヤカワ文庫)

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「ジョージ・オーウェルの予言」

 フランスでも携帯電話を持つ人の数が増えた。しかし、まだマナーは徹底していないので、電車やバスの中で携帯を使って大声で話している人もいる。パソコンも随分普及した。少し前になるが、数人の見知らぬ男女が一つの家の中で生活し、それをカメラが常時映し出し、視聴者の人気投票により少しずつ人が減っていき、最後の一人が賞金を獲得するという、悪趣味な番組が人気だった。

 「偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている」。ジョージ・オーウェルが戦後まもなく描いた世界は、今になって現実化しつつあるように思えてならない。オーウェルの作品は『動物農場(アニマル・ファーム)』が有名だが、この『1984年』の方が「恐ろしい」。この作品は1940年代末に、35年後の近未来小説として執筆されたのだが、60年近く経った今の私たちにこそ読まれるべきだろう。

 世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三大大国に分割されていて、主人公のウィンストンはオセアニアに住んでいる。この国を治めているのが「偉大な兄弟」であるが、実在しているのかどうかも分からない。「偉大な兄弟」の下には党内局員、その下には党外局員がいる。ウィンストンはこの党外局員である。残りの大多数は「プロレ」と呼ばれ、死なない程度に生きられるような生活を強いられている。

 三大大国の力は拮抗していて、常に小競り合いがあるが、大きな戦いはない。オセアニアを支配している「党」は、自己の存続のための方法を考え出す。「テレスクリーン」と呼ばれるもので党外局員を監視し、「新語法(ニュースピーク)」で思想統制を図る。党内局員は「二重思考(ダブルシンク)」で常に党にとって都合の良い方向に、自己の考えを調整する。党は党の為に存在し、党員もしかり。全ては党の権力が存続するためにあるのだ。

 人は言葉を失うと、考えることができなくなる。そのために「新語法」がある。un-で否定語を作り、強意はplus-、doubleplus-をつければ良い。goodがあればbadはいらない。ungoodで充分だし、「非常に良い」、「最高に良い」はそれぞれplusgood、doubleplusgoodとなる。名・動詞に-fulをつけて形容詞が、-wiseをつけて副詞ができる。speedfulはrapidを、speedwiseはquicklyを意味する。

 このように言葉を簡略化することによって、人々は考える力を失っていく。「自由」、「思想」などといった概念が消えていくのだ。「きもい」、「超きもい」、「チョベリグ(超very good)」、「チョベリバ(超very bad)」等の流行語は、「新語法」と共通点がないだろうか。若者たちが自己の不快な表現を、種々の「不快」があるはずなのに、全て「うざい」で済ませてしまうとしたら、「新語法」の理念と一体どこが違うのだろう。

 『1984年』の世界の大きな特色は、過去が常に改竄されていることである。過去は党にとって都合の良いものに常に書き換えられている。ウィンストンもその仕事の一端を担っている。彼は二重思考ができない故に、そこに疑問を持つ。そして過去を探し始め、プロレの店で(実は思想警察の出先機関なのだが)日記帳を見つけ、日記を付け出す。

 これは党にとって大犯罪である。なぜなら、過去を常に変えている党にとって、過去を記録されては困るからである。さらにウィンストンは「偉大な兄弟を妥当せよ」と書いてしまう。この時点で彼の死は決まる。だが、党を代表する党内局員のオブライエンは巧妙な手段でウィンストンに近付き、ジューリアとの恋愛の中で、いつの日か起こるだろうプロレによる革命を夢見るウィンストンを逮捕し、洗脳しようとする。

 すぐに死刑にはしない。なぜならそれは殉教者を作り、後に続く者を生み出す可能性があるからだ。ウィンストンが処刑されるのは、党や偉大な兄弟を愛した時だ。ウィンストンはいかに肉体が支配されようとも、精神は支配されないと考えていた。しかし、その人にとって一番恐ろしいものを与えられる洗脳室「101号室」において、彼の洗脳がほぼ完成する、後は時が熟成し、彼が心の底から偉大な兄弟を愛する瞬間を待つだけだ。そしてその瞬間は、取りも直さずウィンストンが処刑される時でもある。

 パソコン、携帯電話等の発達により、どこにいても種々の情報が得られる。それはしかし、自分たちの情報も誰かに見られていることにも繋がる。監視カメラ、防犯カメラ、人工衛星による映像、パソコンのカメラ、私たちのプライバシーはどこにあるのか。言葉の簡略化による思想の貧困を防ぐにはどうしたら良いのか。そういった問題を『1984年』は私たちに提起する。



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2007年10月28日

『花の都パリ「外交赤書」』篠原孝(講談社+α新書)

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「パリを通してみる官僚の内幕話」

 パリに暮らしていると、日本ではお会いできないような人たちと出会うことがよくある。かつて日本レストランでアルバイトをしていた友人は、その店で大島渚に出会い、知人は故ミッテラン大統領が孫娘を連れて日本料理を食べに来たのに出くわし驚いた。私の生徒が授業に遅刻した時に理由を聞いたら、学校のすぐそばで宮沢りえが撮影をしていたらしい。

 もちろん官僚にも出会う。しかし、なかなか官僚の内幕は聞けない。かなり昔に、ある議員のお世話をした友人から、面白い話を聞いたことがある。その議員はお忍びで来ていて、どうやら愛人を伴っていたらしいのだが、車でPorte de Versaillesを通った時に、彼女が議員に「どうしてヴェルサイユ宮殿がここにないの?」と聞いたそうだ。「ヴェルサイユ門」はパリ15区の南端にあり、ヴェルサイユ方面に向う道があるだけで、宮殿とは何の関係もないのだが、議員の答えは「ああ、引っ越したんだよ。」であった。友人は笑いをこらえるのに苦労したようだ。

 筆者の篠原孝は現在衆議院議員だが、以前は農林水産省の官僚で、1991年にパリのOECD(経済協力開発機構)の日本政府代表部へ出向となった。その時の体験をまとめたのが本書なのだが、実に面白い。そして、ここまで書いていいのかしら、と考えさせるほど赤裸々に色々な出来事を書いてある。故に「赤書」なのだ。

 冒頭から「農林水産省は、先々の重要な事項より、目の前のどうということもない仕事に忙殺されるという体質を持ち合わせている。」などという文が登場する。「英語ができない人の群れ」というタイトルもある。「役所の文章はいつも何を言っているのかよくわからないような文章にせざるを得ず」などとも書いてしまう。自国語を大切にするフランスと比べて「役人を先頭にわけのわからぬカタカナ日本語を乱造している日本」と切って捨てる。庶民にとって、なかなか小気味の良いリズムである。

 だが、大切な会議で質問に答えられなかった出張者の原因が、3つの課で順番にパリ出張となっているので、専門家でなくとも慣行通り派遣したとなると、笑ってすませられない。その出張者は、ただ会議に出席して、用意されたペーパーを読み上げて、後は黙って座っていれば良いと言われてきたのだ。子どもの使いではあるまいし、と言いたくなる。それが日本を代表する官僚ならば、私が教えている高校生の方が、英語ができる分だけ役に立つに違いない。

 商社や銀行等の支店長が、アテンド業務のせいで健康を害する話は、臨場感がある。私は生徒たちに時々「せっかくパリに住んでいるのだから、お父さんにおねだりして、フランス料理のレストランに連れて行ってもらいなさい。それも勉強だよ。」と言う。しかし、生徒によっては「ダメです、先生。お父さんは毎日のように星付きレストランへお客さんを案内していて、それだけは勘弁してくれと言って、家ではお茶漬けしか食べません。」などという答えが返ってくる。美食も仕事となると拷問かもしれない。

 もちろん仕事の苦労話も沢山ある。膨大な量の資料を短時間で読みこなして対処しなくてはいけない場面や、海千山千の各国の官僚を相手に根回しをする複雑さ、面子のみを考える上司への対応等、枚挙に暇がないほどだ。その中で筆者の活躍ぶりは、少々強調されている嫌いはあるものの、説得力がある。何よりも実行力のある官僚が必要だというのが、良く分かる。

 ワインに詳しくないので、ムートン・ロートシルトやロマネ・コンティをレストランで頼まれて、後で大目玉を食らう話は面白い(だがそれも税金から出ているならば、楽しめないが……)が、給料の話には驚く。筆者の基本給が約30万円に、在外勤務手当が約70万円。加えて住宅手当が45万円だが、担当者には50万円程度の家賃のアパートを勧められた。金銭感覚がおかしくならないだろうか。「日本での三倍仕事をしなくちゃ国民の皆様に申し訳が立たない。」という言葉が、真実であって欲しい。まあ、現在はスキャンダル等のせいで、減額されているらしいが。自宅での接待、フランス語の苦労等、面白い話がまだまだあり、筆者のエスプリが利いたエッセイである。

 官僚も間違いなく一つの職業に過ぎない。その意味において、民間と何の違いもない。だが、民間では少しのミスでも自社の損益につながり、首も飛びかねない。役人にはその「損益」が見えにくいのかもしれない。国の「倒産」が身近ではないからだ。それだけにボディーブローのように、後から効いて来て、我らが日本国の足腰が立たなくなるようでは困る。この「赤書」が官僚たちの自浄作用を誘うものであって欲しいし、私たちにとっては彼らを多角的に捉えるヒントとなりそうだ。


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