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2005年07月30日

『五感”再生へ—感覚は警告する 』(岩波書店)

01gokan 

ここ数十年の間、世の中は明けても暮れても情報!情報!です。これが何を意味しているのか、私たちはもっとよく考える必要があるのではないか……。この本を読み始めてまず思いついたのはこのことでした。

現代ではきわめて多くの、かつリッチな情報接触を通じて人は成長し、それぞれの内的世界が形作られていきます。問題は、この内的世界の拡大が、自身の身体や感覚を経由しないかたち、すなわち感覚の代理体験、多くの場合「他人の視覚」を受け入れることで実現されているということです。

このことはみんながコミットし合う日常世界を分断し、多くの人にとってどことない違和感を感じたままの状態が続きます。また代理体験の多くは視聴覚優位で行われますが、そうした全身体感覚を喪失した知覚偏重は解消できない閉塞感をもたらし、感覚的な混乱を巻き起こします。 これが従来にない異様な社会現象を引き起こす原因となっているとも言えそうです。

この本では、こうした混乱のなかで、触覚、嗅覚、聴覚、味覚、視角といった諸感覚を通してバランスを取り戻そうとする数々の試み(時としては悲惨なあがきとも思えるものもありますが)の観察と分析、そしてそこから導かれる感覚統合の可能性にスポットが当てられています。

ところで、美術大学というところは視覚優位の牙城のように考えられていますが、その中にいる私にとって、この本は多くの考えるヒントを与えてくれました。改めて考えさせられたのは、「デザイン情報学」という理念を「デザイン」と「情報学」との掛け合わせで考えるときの立ち位置の問題です。

考えてみると「情報」の根底には区別があり、分節化があります。一方、「デザイン」という行為は要素を組み合わせ、新たなまとまりをつくり出すこと、つまり統合です。この一見相反するコンセプトの衝突によって何を生み出せるのか、まだ目鼻立ちさえはっきりしないデザイン情報学を考えていくうえで、この本にはいろいろなヒントがあるように思えました。

例えば、情報=「他者の視覚」をただ受け入れるのではなく、自分の身体を感覚を使って直接世界を経験することの重要性。身体を通して統合されることによって世界を意味あるものにしてくれる五感の働き。情報によって分節化された私たち自身の再 生……といった事柄です。

著者の山下さんには、これまでにも「五感喪失」(99年、文藝春秋)などの著作があります。私なりの理解では「五感」を時代と身体の接点としてとらえるというアプローチだと思うんですが、本書もその一つということになるのだと思います。読売新聞社発行の「ヨミウリウィークリー」に02年4月から03年9月まで随時連載された「シリーズ 五感は警告する」をベースにしたノンフィクション部分と、その解題とも言える最終章「喪失から再生へ」から成り立っています。抽象的な理念を語るのではなく臨場感あふれる観察記述を束ねていったことによって、私たちは新たな枠組みの世界に引き込まれていきます。

人としての全体性を取り戻すことを考えるのであれば、分節化された情報を組み立て、統合するにあたって何を目当てとすべきかが大きな問題になります。新しいレベルのモノ造り、コト興しの中核には、確かな感覚統合が必要だと思われます。本書からはそれを引き出すヒントを十分に読み取ることができそうです。