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2014年03月31日

『〈第九〉誕生 1824年のヨーロッパ』ハーヴェイ・サックス(春秋社)

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「第九」とはもちろんベートーヴェンの作曲した交響曲第9番のことである。聴覚を失った最晩年のベートーヴェンが創作した大規模な交響曲だ。最終楽章で混声合唱による「歓喜の歌」が高らかに歌われるこの作品が日本における年末コンサートのプログラムとして定着し、多くの人に愛されていることは、御承知の通りである。

有名だが、決してわかりやすい作品ではない。鑑賞したときに感じる圧倒的なエネルギーはともかく、作品の細部に託されているさまざまな意図と目的を解き明かそうとする作業は、一筋縄ではいかない難行となる。しかしこうした「作品を哲学する」ような研究も、また楽しいものだ。ベートーヴェンファンならなおさらだろう。ベートーヴェンに関する諸々は研究対象としても充分な手ごたえがある上に、未だに研究しつくされたとはいえない、奥の深い世界なのだ。

ベートーヴェンに関する書籍は枚挙にいとまなく、テーマを第九に特定した書籍も、かなりの数にのぼる。アジア地区で最大の音楽図書館である国立音楽大学の図書館で調査してみたところ、タイトルに「ベートーヴェン」が含まれる和書をキーワード検索すると379冊、「第九」のキーワードでは28冊がヒットした。加えて「Beethoven」がタイトルに含まれる洋書は約千冊。大変な数である。本書もその中の一冊だ。

著者のサックスはフィラデルフィアのカーティス音楽院で教鞭も執っているが、自身は本書冒頭の「はじめに」の中で「私自身は音楽学者ではないことをここで告白しておかなければならない」と述べている。「きちんと学んで学位を取得した人々のように学者を名乗る資格はない」というのだ。しかしフルタイムの作家としての活動や指揮者としての経験、そして旺盛な好奇心を満たすべくさまざまなことにチャレンジし、吸収し、自分の知見を充実させた末の今、著者はより広い視点から見たベートーヴェン像をわれわれに提示してくれる。

本書ではベートーヴェンとその時代の文化を、難解と言われる「第九」を軸にしながら観察するわけだが、登場人物は音楽関係者のみならず、作家や画家、そして政治家など多岐にわたっている。さまざまな文化や歴史が激動する「渦中のヨーロッパ」、そしてそこに仁王立ちしていたベートーヴェンとその作風が、さまざまな切り口から解析される。

本書193ページ以降で展開される第九交響曲の音楽描写は、サックスが指揮者としての側面を縦横に発揮した、興味深い内容となっている。CDとミニチュアスコアを用意して、この解説を読みながら音楽の進行をたどっていくと、今までは何となくやり過ごしていた多くのアイデアや意味づけはもちろんのこと、ベートーヴェンの驚異的な作曲手腕にも気づかされるだろう。あくまでも著者の主観であり、ベートーヴェン自身がそう思って作ったかどうかは定かではないにせよ、芸術の域にまで完成された音楽作品がいかに繊細かつ堅牢に構築されているかを思い知らされることになろう。また、これを参考にしながら異なる指揮者とオーケストラの演奏を聞き比べてみれば、いままで漠然と感じていた違いが、より具体的かつ鮮明に把握できるに違いない。

「純粋に音楽が好き!」という面々には、少々くどい内容かも知れない。しかしベートーヴェンの音楽に盛り込まれているくどさとしつこさは、もともと並大抵のレベルではないのである。作家としてそれを語るためには、おそらく相当の覚悟が必要だったことだろう。

音楽の内には音楽以外のさまざまな営みから生じるエネルギーが渦巻いている。その渦中にいて、流されずに自分の理想に向かって着実に歩んでいった偉人たちの精神力と行動力には、改めて驚嘆させられる。19世紀前半、いわゆる「ナポレオン後」というヨーロッパ史の中でも興味深い時代を、音楽も含めた文化面全般から俯瞰するにはうってつけの書籍ではないだろうか。

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2014年03月24日

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎(岩波書店)

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「活字離れ」が心配される今どきの小学生や中高生にとって、活字を読んで文脈を理解するのはしんどい事なのだろう(もちろん大学生以上も例外ではない…)。必要に迫られない限り、文字ばかりの本を自発的に読むことは、あまり期待できそうにない。受験の課題にもなっている長文読解対策あたりが、本と出会える限られた接点なのかも知れない。

幼少の頃から「本の虫」といわれる人もいるが、私はそうではなかった。「読む(見る?)」といえば漫画。漫画だけは寸暇を惜しんで愛読した。私が幼かった時代にも漫画週刊誌はたくさん発行されており、友人間のコミュニケーションのためには押さえておくべきポイントのひとつだった。『紫電改のタカ』『おそ松くん』『鉄腕アトム』『サイボーグ009』『エイトマン』『あしたのジョー』その他の作品は、いまだに忘れることができない。

そうした漫画と並行して読んでいたはずの「活字の作品」に関する記憶は、かなり曖昧だ。しかし中学に進学してから半ば強制的に読まされた作品の印象は強烈で、それは自分に突きつけられた「大人の世界」への入口となった。

私が進学したのは私立の男子校だったが、文部省(今日の文科省)の指導要領からはかけ離れた独自のカリキュラムによる教育を行う学校で、「中学生向け」などという配慮はどこ吹く風の本が新一年生全員に手渡された。1冊目は高見順の『激流』だった。その後に配られた北杜夫の『楡家の人々』にしても本格派の文芸作品であり、数十年経った今も私の書棚に並び、未だに衰えることなくその存在を主張している。その当時、こうした作品を読むことは「何としても最後まで読破すべし」という忍耐の訓練のようにも感じられた。

こうしたいわばコワモテの書籍と並行して配布された一冊が本書である。装丁も文体もずっと親しみやすい。中学生になって「これから大人の世界に近づいていくのだ」と気負っていたさなかにこの本に出会い、いろいろ考えさせられたことを、鮮明に覚えている。

若年層向けに書かれていながら、大人が読んでも充分な手ごたえがある作品は数多い。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』もそのひとつだろう。初めて読んだ時に感じたこと、しばらくたってから再読して発見したこと、ずっと後になってから改めて読み返して見つけたこと──こうした名作は読む人の成長とともに、さまざまなことに気づかせてくれる。

物語の主人公は本田潤一、あだ名が「コペル君」という15歳の中学生だ。でもこのコペル君は戦前の中学生であり、あなどってはいけない。現代の中学生と比較するとずっと大人だし、賢そうだ。偉いのは「自分で考えよう」としていること。今の若者に不足している側面だ。いくら知識ばかり豊富でも、「指示待ち」「マニュアル遵守」ではだめなのだ。

このコペル君が、大学を出てから間もない法学士の叔父さん(コペル君の母の弟。大銀行の重役だった父は2年前に逝去)との交流を通していろいろ感じ、考え、行動する様子が描かれている。すごいのはコペル君だけではない。くだんの叔父さんも「大学を出てから間もない」にしてはずいぶん大人だ。何から何まで21世紀とは様相が異なるようである…。

私自身も久しぶりに読み返してみたが、読み応えは充分だ。文章は平易だが、そこにはとても大きな「何か」がある。「何か」は読む人によってさまざまだろう。大人になってから初めて読んだとしても、とても新鮮に違いない。

自分で読み、何かを感じ、その本を子や孫にプレゼントし、いつかその印象を語り合えるのならば、こんな素敵なことはない。携帯端末のゲームのように孤独なデジタルの世界に一旦距離をおき、今一度「本を読んで、その感想を語り合う」というアナログな世界と時間を取り戻すためのアイテムとしても最適ではないだろうか。筆者の手許にあるのはワイド版岩波文庫のものだが、通常の岩波文庫ポプラポケット文庫など、複数の選択肢が提供されている。

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2014年03月02日

『ブルクミュラー25の不思議 なぜこんなにも愛されるのか』飯田有抄・前島美保(音楽之友社)

ブルクミュラー25の不思議 なぜこんなにも愛されるのか →紀伊國屋ウェブストアで購入

話題となっているのは初心者向けのピアノの教材だ。楽しげな語り口で語られていく内容は、とても充実している。また学術的なリサーチとしても充分な価値がある、貴重な一冊だ。

ブルクミュラーは1806年にドイツで生まれた作曲家で、ショパンと同時期にパリで活躍していた。そのブルクミュラーが作曲した練習曲の数々は遠く日本まで渡来し、わが国における西洋音楽の黎明期である明治の時代から教材として使われ始め、今日に至っている。同じ練習曲でもチェルニーが作曲したものよりメロディックで各曲にタイトルもつけられ、お洒落なのだ。「練習曲」とはいうものの、機能一辺倒のところがない。チェルニーの練習曲が原因でピアノが嫌いになった子は多いが、ブルクミュラーでピアノが大好きになった子供たちもたくさんいた。著者達もこれに漏れず、ブルクミュラーの大ファンなのである。

そんなわけで著者達はなかば「ピアノを習ったのにブルクミュラーを知らないことはあり得ない」という前提で話を運んでいるように感じられた。それはそれで熱意が感じられて応援したくなるのだが、「そこまで詳しくない」読者は少々取り残されてしまうような感を抱くかも知れない。ほかでもない、実は私がそうだったのだ。

私も子供の頃、ブルクミュラーは勉強した記憶がある。しかし全部ではなかった。教師となって以来ブルクミュラーの指導もしてきたが、頻度はそれほどではない。まして普段の職場である音楽大学では、ほとんど耳にしない。管弦打楽器や歌科の学生が履修する副科ピアノならともかく、音大にピアノ専攻で入学してからこれを教わっているようでは卒業が危ぶまれる。

そんな事情もあり、「知っていて当たり前」かのように出てくる作品のタイトルを見ても、即座にその曲のメロディーやリズムが脳裏に浮かんでこなかったのだ。本書の中で章を割いてかなり詳細に追跡されている《スティリアの女》もそのひとつだった。惜しまれるのは、これだけ詳細にさまざまな角度からの研究が展開されながらも、対象となっている作品のメロディー譜例がないことだろうか。全曲と言わずとも、話題になっている作品の冒頭数小節だけでも掲載されていれば、「あ、これね」ともっと自由に楽しめたに違いない。

さて、愚痴はさておき内容を追ってみよう。

大きくまとめれば「日本のピアノ教育におけるブルクミュラー練習曲の位置づけ」「個別の作品(抜粋)の魅力と編集上の紆余曲折」「出版に関する情報」「作曲家ブルクミュラーに関する情報」「日本におけるブルクミュラー受容史」「ブルクミュラーの指導法を通して見た日本のピアノ教育における意識の変遷」「今日のブルクミュラー使用法」「ディスコグラフィー」「その他の情報やインタビューなど」ということになろうか。そして付録として「ブルクミュラーゆかりの地の旅行記」があり、最後にブルクミュラーの主要作品目録が掲載されている。すべて誠実に検証された情報で、出典などに関してもきちんと明記されていてすがすがしい。章ごとにまとめられた注釈もていねいだ。珍しい写真も目にすることができる。

冒頭でも述べた通り、学術書としての内容も包括しながら一般読者への楽しい読み物としてまとめられており、ブルクミュラーファンには「とっておきの一冊」となろう。

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