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2013年11月05日

『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』佐々木俊尚(NHK出版新書410)

レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる →紀伊國屋ウェブストアで購入

アベノミクス効果によって経済は上向き、給与も上がり、消費は増加し、日本はまた活気を取り戻すのだという。信じたいのはやまやまだが、本当にそんなバラ色の近未来がくるのだろうか。しかし「祇園精舎の鐘は鳴る…」と始まる平家物語にもあるように、「もののあわれ」が世の摂理であることも、少なからぬ人は感じているに違いない。満開の桜もいつかは必ず散る。日本はすでに栄華の頂点を極めてしまった国なのか、あるいはこれからが正念場なのか…?

「歴史はくり返す」という。飽きもせずにくり返される戦争もそうだが、歴史をもっと大きなスパンでとらえれば、地球上に文明が発祥し、発展し、最盛期を迎え、その後は衰退し、そしてまた別の場所に違う文明が芽生える、という大きな波も見えてくる。学生の頃に習った世界史のように「試験用に暗記するための知識」ではなく、もっと生きいきとした視点から流れを大きく見直してみよう、というのが本書のポイントのひとつだ。

今わたしたちが享受している社会システム──日本を含む欧米社会の常識となっている民主主義──は、有史以来ベストのシステムではないかも知れない、と言われると驚かれるかも知れない。本書にも書かれているが、「民主主義によって人民の平等を維持しようとする西欧的なシステムこそが平和への近道であり、アルカイダが象徴するようなイスラム的な思想は暴力的だ」というのは、実は西欧システム側からの視点でしかない。また、基本的に国を単位として成立している現在の社会システムは、それ自体に非常に好戦的な傾向があるという。

このようなことを部分的な抜粋として紹介したのでは、大きな誤解を招く恐れがある。佐々木の文章はテレビのニュース解説の寵児、池上彰の説明にも似てわかりやすく、本来堅苦しくなりがちな話題がとても読みやすくまとめられているので、ぜひご一読をお薦めしたい。中学や高校で世界史を履修中の学生諸君も、本書にまとめられている世界史のストーリーを把握してから授業を聴講すれば、より理解が深まるだろう。

最大の問題は、今私たちがしがみつき、終わるわけがないと思いこみ、今一度活性化したいと思っている社会システムが、実は終焉を迎えつつある、という点だ。著者の佐々木はこのシステムを「ウチとソトを区別することによって成り立ってきたシステム」と位置づけているが、インターネットの発達にともなって、この「ウチとソト」がとてもあいまいになりつつあるのがその原因だ。

そう指摘されれば、思い当たるところはたくさんある。私の専門分野であるクラシック音楽界では、19〜20世紀には顕著だった「国、民族と言語によってくくられる文化圏に深く依存した表現」が消えつつある。「ドイツならでは」「フランスならでは」といった現役のアーティストは、もうほとんどいない。問われるのは「その作品の演奏が上手か下手か」ということと「その演奏が好きか嫌いか」ということで、「ドイツとフランスの文化の違いを知ることが文化人としての嗜みである」という時代は、もはや過ぎ去ったに等しい。

アップルのような会社の経営理念、部品の調達と製品の組み立て方法や流通の管理、あるいはグーグルのようにとらえどころのないネット管理会社、そして巨大なショッピングサイト、アマゾン──こうした新しいタイプの会社は、ごく最近になって台頭してきた。これらは決して「時代のあだ花」ではなく、これからの新しい文明に順応し、覇者となり得る先駆者のようなのだ。

インターネットとクレジットカードで誰でも簡単に買い物ができるようになって以来(セキュリティに関する不安はまだまだ払拭できないが、買い物の手順自体は簡便だ)、日本国内の販売拠点を利用するのと、海外から注文する時の差は、購入者にとってはほとんどなくなってきた。しかし行政にとっては頭の痛いことになりそうだ。消費税を徴収できなくなるのは、財政上の大問題だからだ。

「新しい文明の中で、一般の個人はどのように生きていけば良いのか」はまだわからない。だが、まずは今まで起こったこと、今起きていることから目をそらさずに、きちんと自分で評価してみることが大切だろう。同じ著者による『キュレーションの時代』(ちくま新書887)にも、新しい社会システムに順応しきれなくなって衰退を余儀なくされつつあるさまざまな業界のシーンが紹介されている。こうした状況を知ることによって、より具体化された「新しい未来」が見えてくるのではないだろうか。

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