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2012年10月22日

『ピアニストになりたい!』岡田暁生(春秋社)

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「芸術家である」ということには、単に一芸に秀でているだけでなく、人間としてのバランスがとれていることも含まれるのではないだろうか。「エキセントリックな」という評価が先行するアーティストは別にしても、人生をかけてひとつのことに精進してきたという事実が、その芸と人格に言葉では表現できない重みと価値を与えるもののように感じられる。音楽も例外ではないはずだ。

そうしたバランス感覚は、モーツァルトの時代では自明のことだった。神童として画期的なデビューを果たしたモーツァルトの父レオポルトが出版した『バイオリン奏法』やバッハの息子エマヌエルがまとめた鍵盤楽器奏法に関する『正しいクラヴィーア奏法』その他の理論書をひもとけば、当時のそうした傾向を読み取ることができる。

ピアニストも芸術家の予備軍だ。しかし楽器を達者に弾きこなせるレベルに到達するまでには、厳しい訓練が必要となる。両手10本の指を鍛えぬき、超人的な速度と精密さで自分の意志通りに動かせることが、とりあえずの目標だ。目標が明確になれば、そこに至るまでの過程が見えてくる。いかに効率よく指を鍛えあげるかが大きな課題となり、さまざまなトレーニング方法が論理的に配列された練習曲集が出版されるようになった。そればかりか、手指の筋肉を個別に鍛えたり、関節のストレッチを促進するための器具も数多く考案された。現代のスポーツジムにあるようなトレーニングマシンの手指版ができたと思えば良いだろう。

こうして心情の充実や音楽への理解よりも、演奏に必要な手指の訓練が教育プログラムの中でより大きな比重を占めるようになったのだ。本書はこうした「いかにしてピアニストの手を鍛えるか」に関する歴史がまとめられたものである。今となっては廃れてしまったトレーニング器具の興味深い図版も多数掲載されているし参考文献一覧も充実しており、貴重な資料集としても価値があるだろう。

ここまで徹底したエクササイズが普遍化した裏には、それなりの理由もあった。ピアノのアクションが丈夫になって渾身の力で弾きなぐっても壊れなくなった反面、鍵盤は深く、重くなった。こうして筋力を誇示したり曲芸じみた演奏で目立とうとする演奏家が出現し、もてはやされるようにもなったのだ。

音楽が一部の特権階級の専有物だった時代から大衆の享楽となって以降、「純粋な芸術としての音楽を求める人」の存在は今も昔も少数派のようだ。音楽を媒体にして「その他大勢」の嗜好を満たすものを提供するところにこそ、ビジネスチャンスも埋もれているのだろう。そう考えれば現代の大音量とともに低重音をふんだんに使ったロック系のサウンドや、美形の男女がグループになってダンスを披露する“歌”に絶大な人気が集まることにも「本質は同じだな」と納得できる。

楽器演奏のトレーニングに限らず、細分化することによって効率の向上を図ろうとする世相は、さまざまなものに影響を及ぼしていった。以前はひとりの職人がひとつひとつ手作りで仕上げて完成させた製品が、産業革命後は工場で大量生産されるようになったことは、改めて述べるまでもないだろう。複数の工員が細分化された工程に配置され、単純作業をくり返すことによって、より効率よく製品が生産されるようになっていった。西洋医学もそのような方向で発展してきたに違いない。医者は患者全体を診るのではなく、どうしても個別の臓器の病変に気をとられてしまう。

音楽もまた「心のオアシス」として隔離されたユートピアではなく、効率化の対象として扱われていたのだ。何にも影響を受けない営みなど、人間界にはあり得ないのだろう。およそ文化とはそういうものなのかもしれない。

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