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2011年09月20日

『朽ちていった命 被爆治療83日間の記録』NHK「東海村臨界事故」取材班(新潮文庫)

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3月の福島原発事故から半年以上の時間が過ぎた。広範囲の地域に被害がもたらされ、津波によって家を失わずとも戻れない方々がたくさんおられる。これからどうなるのか、子供たちの健康は…などなど心配はつきない。

1986年4月26日、ウクライナのチェルノブイリであった大事故のことは、まだ覚えておられるだろう。あの時、私は家族とともにウィーンで暮らしていた。事故のことは大きく報道されたが、目の前の風景はそのままだ。事故後ものんきに郊外の湖でボート遊びをしていたぐらいだから、それほど深刻に受け止めていなかったのだろう。結果、私たちもそれなりの量を被曝したに違いない。

しかし驚いたのは翌年になってからである。庭のチューリップが例年の倍以上の背丈に生長したのだ。放射性降下物の影響以外には考えられない。放射線による被曝は線量計で確認する以外は何も感じないだけに、実感として捉えようがない。それがかえって不安感をあおる。

今回の事故で、幸いにも直接大量の放射線を浴びた人はいなかった。その後の復旧作業の中で国が基準とする許容量を超えて被曝してしまった人は少なくないに違いないが、それでも「すぐさま生死に関わる影響が出る」というレベルではなかったことと思われる。

しかし、1999年9月30日に茨城県東海村の核燃料加工施設で起きた臨界事故の際には作業中の大内久氏と篠原理人(まさと)氏の二人が瞬時に大量被曝してしまい、その後加療の甲斐なく亡くなった。大内氏は83日、篠原氏は211日の闘病だった。本書はそのレポートだ。十年以上まえの事故であり、また「原子力村の隠蔽体質」の影響もあってか当時の現実が風化しつつあるが、放射線に被曝して健康被害を受ける恐ろしさが克明に綴られている。数葉のカラー写真も、戦慄的な事実を伝えてくれる。

広島と長崎の原子爆弾が発した放射線で亡くなった方々の症状も、おそらくこのようだったのだろう。しかし戦時中には克明な記録を残す手段も限られていた。しかし東海村の事故によって、放射線によって人間がどうなってしまうのか、という状況が明らかになったのだ。治療法も何も確立しておらず、手探りで対処するしかない医療チームの苦悩が伝わってくる。放射線によってDNAがすべて破壊されてしまった結果、皮膚も、臓器も、血液も、すべてが再生不能になってしまうのだ。それがどれほど悲惨なものか、苦痛を伴うものか、私には想像もできない。まさに「生きたまま朽ち果てていく」しかないのである。

「何とか助けてあげたい」という医療チームの気持ちもわかる。「助かるのだったら何でもやってもらいたい」という家族の気持ちもわかる。しかし、患者本人はどうだったのだろう。まだ言葉を発することが可能だった時、「自分はモルモットじゃない」と言ったという。意識がなくなって回復の望みがゼロとなっても大量の強心剤などで限界まで延命した行為は、果たして正しい選択だったのだろうか。大内氏への治療は「未知のデータ集め」ではなかったのだろうか。

もし自分が大内氏の立場だったら、どうしてほしかっただろう。自分の家族がそうだったら、どう願っただろう。もし私が、あるいは私の家族がそうなったら、苦痛を最小限におさえる以外の延命は望まない。被曝事故による健康被害の恐ろしさもさることながら、終末医療のあり方を考えさせられる、今再びタイムリーとなった貴重な一冊である。

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