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2009年04月30日

『アウシュヴィッツの音楽隊』シモン・ラックス/ルネ・クーディー(大久保喬樹訳、音楽之友社)

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第二次世界大戦が終結してから65年。戦闘員としての体験を自分の声で語れる人も少なくなりつつある。敗戦国となった大日本帝国とともに、ナチス・ドイツの行為を記した書籍は数多い。そうした中で、フランクルの『夜と霧』(筆者の2007年6月のブログを参照)は、ユダヤ人強制収容所に関する有名な一冊だ。

ヒトラーは政策のプロパガンダに音楽をうまく利用した。報道番組のテーマ音楽として利用された作品(たとえばフランツ・リストの交響詩《レ・プレリュード》)は、その強烈な印象からその後ほとんど演奏される機会を失ってしまった。旋律を聞いただけで、当時の記憶が戻ってしまうのだ。こうしたヒトラーのゆがんだ音楽利用に加担したとして、戦後苦境に立たされた演奏家も数多い。

同じ音楽家でもユダヤ系の人々は、ユダヤ系であるというだけで社会から排斥され、家畜同然の扱いで強制収容所に搬送された。しかし非人道的きわまりない強制収容所においても、音楽の存在は欠かせなかったと見られる。囚人の中から楽器を弾けるものが募られて楽団が構成され、囚人たちが毎日の肉体労働に出発する時と、そこから疲れ果てて戻ってくる時はもちろん、高級将校の誕生日パーティなどでも演奏したのである。慰安目的のコンサートも数多く行われた。同じ囚人でありながら、楽団員はかなり優遇されたという。もちろん「優遇」とは言っても一般の囚人と比較してのことであり、生命の保証もない劣悪な状況に変わりはない。

「百年に一度の経済危機!」などと目先の現実ばかりに目を奪われて過去の記憶が次第に薄れつつある今、本書が復刊されたことは、風化しかけていた戦争の痛みを再認識するきっかけとなろう。30年以上前に出版された『アウシュヴィッツの奇跡〜死の国の音楽隊』の新装版だ。タイトルは刷新されたものの、内容に関してはほとんど以前のままだという。

意外にも、読後の印象はそれほど重苦しいものではない。極限の状況の中で死と隣り合わせに生活していたにせよ、音楽隊の隊員として抜擢された幸運から、他の囚人とは異なる境遇に巡り合わせた者の報告だ。だからといって理不尽な暴力から隔離されていたわけではない。暴力による人の痛みをこのなく愛するサディストたちもうようよしている収容所だ。理由なき暴行、過剰な暴力行為は日常茶飯事だった。しかし音楽を通じてさまざまな苦境が少しでも緩和されたのだとしたら、これも音楽の持つ力なのだろうか。

アウシュヴィッツの音楽隊の演奏がどのようなレベルだったかはわからない。朝夕に演奏する行進曲は定番としても、その他はおそらくお祭り、ビアホールやキャバレーなどで演奏される庶民的なナンバー、つまり「洗練された」という形容詞とはほど遠いものが多かったのではないだろうか。お祭りで酔っぱらったドイツ人の浮かれようが目に浮かぶ。

2002年にヒットした「戦場のピアニスト」も、ナチとユダヤ系民族の排斥、そして音楽を軸にした映画だった。日本でも軍歌が愛唱されていた。戦争と音楽。本書の行間から何を感じ、何を想像できるか──史実を知るとともに、想像力を強く刺激してくれるノンフィクションである。

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