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2009年01月14日

『バレンボイム音楽論─対話と共存のフーガ』ダニエル・バレンボイム 蓑田洋子訳(アルテスパブリッシング)

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バレンボイムは実に多才な音楽家だ。演奏にはたぐいまれな安定感がある。若い時から、「危うさ」を感じさせない演奏がバレンボイムの魅力だったように思う。そして彼のレパートリーの広さと量も並大抵ではない。天才、なのだろうか? ずばぬけて頭脳明晰な人物であることは間違いない。若い頃は主にピアニストとして活躍していたが、現在は指揮者としての仕事が中心になっているようだ。

今年(2009年)の正月にはウィーンフィル、ニューイヤーコンサートの指揮者として指名され、世界70カ国以上のテレビでその姿が放映された。そのコンサートステージから「2009年が世界に平和、中東に人類の正義が訪れる年になることを望む」と呼びかけたバレンボイムは、ブエノスアイレス(アルゼンチン)生まれのロシア系ユダヤ人である。現在の国籍はイスラエルだ。

イスラエルとパレスチナの抗争は今も続いているが、この人種問題に関してもバレンボイムはさまざまなメッセージを発信している。昨年末にはパレスチナ自治区ガザの情勢について「極めて憂慮している」との声明を発表し、双方の武力による暴力を批判、共存を呼びかけた。

バレンボイムはこのように紛糾した社会状況の中で音楽家として何ができるかを常に考え、行動に移している。イスラエル人、それにパレスチナ人をはじめとするアラブ諸国の音楽家が所属する混成オーケストラを結成したこともそのひとつだ。このオーケストラではイスラエル人とパレスチナ人が隣り同士に座って同じメロディーを弾く。力を合わせ、より完成された演奏のために努力するのだ。音楽に向かって集中することによって得られる一体感を通じ、何か人の心に変化が生じるのではないか、という試みである。

本書に掲載されている内容は、もちろん音楽に関することだ。しかしサブタイトルに「対話と共存のフーガ」とあるように、中東の人種問題に関する話題にも多く触れられている。常に複雑で流動的な状況に直面し、自分のオリジンとアイデンティティについて考え続ける音楽家の感覚には、何か他の人とは違うものが宿るのではないだろうか。そしてその思考の緻密さにも驚かずにいられない。このように高性能な思考回路をもった人間が音楽から感じることの片鱗に触れてみるのもまた一興だろう。

バレンボイムは今年9月にミラノ・スカラ座とともに来日する。その演奏が素晴らしいものであろうことは想像に難くない。しかし音楽は人の心に直接作用する。彼が普段考えていることを少しでも知っていれば、コンサートホールで彼の音楽に身を委ねながらも、また一肌違った感興も得られよう。音楽に不可欠なもののひとつに「直感」があることは間違いない。しかし直感だけで構築するには、クラシック音楽の作品は大きく複雑になり過ぎてしまった。必要なのは「知性」──これがバレンボイムのキーワードだろうか?

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