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2007年02月22日

『こちら禁煙外来』高橋裕子(新潮社)

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「38のちょっといい話」

「タバコをやめられないのは病気」というのが厚生労働省の見解となり、皮膚に貼って禁煙中のニコチン切れによる渇望症状を緩和するニコチンパッチのような禁煙補助薬の処方に保険が適用されるようになった。タバコを吸える場所も激減した。それでも吸う人は吸う。歩行喫煙もいまだに珍しくないし、喫煙者の上司がいる小さなオフィスでは「分煙」とはかけ声ばかり、いまだに煙モウモウのところも多いらしい。

私も3年前までは喫煙者だった。それもしっかり吸っていた方だろう。朝食のコーヒーとセットになったタバコは実においしかったし、タバコなしの酒席など考えられなかった。歩行喫煙もやった。葉巻も吸ったし、一時はパイプもやっていた。

自分が吸っていた時には気づかなかったが、喫煙者は臭い。これは何をどうしようとも、救いようのない事実である。しかし自分が発する悪臭に気づかないのが、喫煙者の恐ろしさだ。人に会う前に歯を磨こうが、フレグランスをふりかけようが、効果は薄い。どんなにおしゃれをしても“クサ〜イ”のだ。喫煙卒業生としては、受動喫煙による健康被害ウンヌンの前に、まずこの異臭に辟易してしまう。

やめて3年たった今でも、ふとタバコに郷愁を感じることがある。また本格的なフレンチのコース料理を極上のワインと共に堪能したときなど(メタボリックな私にとっては1年に1回あるかないかの珍事だが)、食後のデザート、コーヒー、そしてコニャックという佳境に至った時に、大人用の本格的なチョコレートをつまむかわりに葉巻を楽しむのもオツだろうなあ、などと憧れてしまう。

…と、書評とは関係のない話が続いたが、禁煙のきっかけ、その後の紆余曲折、そうした話題が読み切りの、心に響くエッセイ集としてまとめられているのがこの本だ。関西弁の語り口で、読みやすい。著者の高橋は内科医であるとともに、インターネット上で禁煙支援を提供する「禁煙マラソン」の主宰者でもある。何を隠そうこの「禁煙マラソン」は、私が禁煙の成功に至るまでのサポートを提供してくれたところだ。

「禁煙ねぇ…、いつかはしなくちゃならないんだろうなあ」と思いながらもそのきっかけをつかめない人の背中を押す助けになれば、と思って本書を紹介する。「禁煙して失うものは何もない」というのが、経験から得た実感である。思い立ったが吉日。いかがですか?

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2007年02月04日

『ピアノの巨匠たちとともに(増補版)』フランツ・モア 中村菊子訳(音楽之友社)

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「人間と信仰」

モアはドイツ人だ。祖国の敗戦をきっかけにアメリカに渡り、ニューヨークのスタインウェイ社に入社、その後多くのピアニストに信頼される調律師となった。スタインウェイ社のピアノを使って世界的に活躍するトップアーティストには、その人だけに合わせた特別のサポートが提供される。あのホロヴィッツが来日した時にアメリカから持参したピアノに同行していたのが、このモアだった(ピアノを持ち歩いて演奏旅行できるピアニストは世界でも数えるほどしかいない)。

モアはホロヴィッツばかりでなくルービンシュタイン、ギレリス、クライバーンやグールドなどと仕事をした。こうした「雲の上のピアニストたち」のプライベートな姿に触れられるだけでも貴重な本である。とくにホロヴィッツに関してはさまざまなシーンが語られている。また別の章にまとめられているピアノのことや調律師の仕事の内容も、わかりやすい。

しかし印象深かったのは音楽のことよりも、「信仰」に由来するさまざまな行為のことだった。神に全幅の信頼をおく──一般的な日本人には縁遠い世界だ。私自身も「正月は神社に行き、クリスマスはそれなりに楽しみ、納骨されるのはどこかの寺だろう」という典型的な無信仰人間だが、科学では説明できない何かがこの世に存在することは感じる。信仰によるコンバージョンという現象も否定しない。そればかりかベートーヴェンにもこうした体験があったに違いないと思う。史実としては何も残されていないが、これなしでベートーヴェンのあの精神力は納得しがたい。

モアは多感な17歳の時にドイツで敗戦を迎え、すべてを失った。両親は辛くも生き延びたが、兄は戦死している。モアはイエスに背を向け、神の存在を完全に否定する。そして人生の可能性を求めてアメリカへの移住を決心した。その過程で何が起き、どうしてまた信仰の世界に戻り、以前にも増して神と共に生きる道を実践するようになったかが静かに語られる。

クリスチャンではない読者としては「う〜む…」という気持ちももつだろう。しかし読んでいるうちにふと「心の平安とは何だろう」と考えてしまう。伝説のピアニストたちのことを知りたくて手にした本だったが、心に残った印象はまったく別のものとなった。「読み終わった」という気持ちの切り替えがうまくできずに、何となく複雑な心境である。

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