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2007年01月20日

『日本音楽の再発見』小泉文夫・團伊玖磨(平凡社ライブラリー)

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「欧米の後を追いすぎる日本」

1983年に急逝した小泉は「伝統音楽」に造詣が深い音楽学者だった。日本はもちろんアジアやアラブ諸国の音楽を詳細に研究し、それまで常識だったクラシック音楽崇拝の風潮に大きな波紋を投げかけた。小泉の理論に影響された音楽家も数多く、坂本龍一もそのひとりである。

團も2001年に鬼籍に入ってしまったが、童謡《ぞうさん》を作曲したのはこの人である。もちろん「ぞーさん、ぞーさん、おーはながながいのねー」はあくまでも團の“それ以外の作品”として紹介されるべきもので、オペラ《夕鶴》をはじめとした日本の題材を軸とした魅力的な作品を多数創作したばかりか、『パイプのけむり』という随筆集の作家としてもよく知られている。

このふたりが明治維新このかた“西洋かぶれ”の状態にある日本の音楽界の状況を憂い、嘆き、日本音楽の未来を語る対談集である。対談が行われたのはおそらく70年代後半だろう。お二方とも50歳前後で人生最盛期の頃のものと想像される。私自身は西洋音楽ででメシを食っている身ながら、「そう言われてみればもっともな話だ」と考えさせられる話題が豊富に提供されている。そしてほぼ30年前に指摘された状況は、21世紀になっても大して変化していない。

曰く「日本語の歌詞に西洋風の音楽をつけるとする。1番は「海」で始まり、2番は「山」で始まる。言葉の抑揚は逆なのに同じ旋律で良いのだろうか?」 曰く「ピアノを習う生徒は先生宅の玄関で靴を脱いで、畳の上に敷物をひいた部屋にあるピアノでレッスンを受け、ピアノの上にはガラス箱に入った博多人形が飾ってある。これで真面目なんだな。」

ヨーロッパの伝統芸術では個性が最も重視される。それを、個性的であることを本質的に嫌う日本人(サラリーマンのスーツ姿、中高生の制服姿、「出る釘は打たれる」などの格言を思い出してほしい)に国是として強要して良かったのだろうか。ヨーロッパの音楽が自国を含めたどの文化圏のものより優れている、と信じてきたのは正しかったのだろうか。

團は幼い頃ピアノの前に座って「ドとミの鍵盤を一緒に押した時に、なぜレの音が鳴らないのか」と考えたという。発想の柔軟性とは何と魅力的だろう。発想の転換も脳をリフレッシュする。そのために適度の刺激を与えてくれる一冊である。

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