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2005年11月17日

『Aをください』練木繁夫(春秋社)

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Aは「エー」ではなく、「アー」と読む。ドイツ語だ。先日この書評ブログに彗星のごとく登場した、世界を股にかけて活躍中のピアニスト、練木繁夫が初めて書き下ろした本である。練木がいかに文才に長けているかは、書評空間にある投稿文を読むだけで一目瞭然だろう。

“A”というと、事と次第によってはかなりアブナイことを指す場合もあるが、音楽家である練木のAは「ラ」の音のことである。ポ、ポ、ポ、ポ〜ンという時報の時に聞こえる、あの音だ。これは、複数の演奏家が合奏する際、事前にお互いの楽器のピッチを合わせるために使われる。一説によると、赤ちゃんがこの世に生まれた時に発する「おぎゃー」という泣き声のピッチは世界共通で、時報の音と同じだという。「本当?」とも思うが、あながち嘘ではないらしい。

サブタイトル「ピアニストと室内楽の幸福な関係」からも推察できるように、ここには室内楽ピアニストとしての練木の、さまざまな経験や飽くことのない探求心に裏打ちされたメッセージの数々が熱く語られている。その内容は多岐にわたり、彼の博学には感嘆させられるばかりである。練木は指導者としても常に第一線で活躍しているが、そうした視点からのアドバイスも貴重だ。同業者としては、たくさんの仲間、とりわけ若い人たちに読んでもらいたい。ピアノを勉強している学生にとっては必読の書と言えよう。

ところで、練木の私人・公人としての生きざまは、私があこがれるもののひとつである。以前は彼を「雲の上の大先輩」として見上げるしかなかった私も、年を経るに従って年齢だけは「彼が少し先輩」の域まで追いついた。しかしこれが限界で、今後並ぶことも、追い越すこともできないだろう。それほど大きな存在なのだ。私の拙文ごときで「ネリキ」などと呼び捨てにしてはいけないのはわかっている。しかし書評の中、尊敬をこめた表現ということで、お許しあれ。

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2005年11月04日

『ベートーヴェン研究』児島新(春秋社)

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“学者の研究”と聞くと、敷居が高そうに感じるものだ。専門用語が並び、難解な言い回しが続く。「今日は日曜日です」ですむものを「さまざまな考察と明治以降の近代日本における歴史的習慣をふまえた上で、本日が日曜日である、という事実を認定するのに特段の支障はないものと思われる」と書かれたのではたまらない。

未知のことを解明するのはスリリングな作業である。殺人事件の犯人捜しと同じだ。研究は疑問からスタートする。「なぜ?」という知識欲だ。それに対して「真相はこうではないか」という仮説をたてる。

実はこの仮説がくせ者であることは、犯罪の見込み捜査失敗談などからも想像がつくだろう。しかし、何はともあれ「なぜ?」に対する答えをみつけ、そこに至った理由をつまびらかにし、それが自分だけの思いこみではないことを他の専門家たちに検証してもらえる形にして発表するのが論文だ。書きようによっては小説仕立てにもできるが、それは行き過ぎ。冷静さと客観性を欠かしてはならない。

音楽の分野では「なぜ?」に対する答えが常に明確な形で得られるとは限らない。論文執筆の準備は資料集めから始まるが、そもそも“音の響き”として味わってなんぼの音楽の根本であるべき音響資料は、ちょっと時代が古くなれば皆無に等しい状況となる。「A夫人がB嬢より遅めに演奏したところ、作曲家が“これぞ理想のテンポである”と叫んだ」ことは史実として確認できても、それが具体的にどんな速さなのかは「神のみぞ知る」である。

児島新はボンのベートーヴェンアルヒーフの研究員として活躍した、日本の誇る研究家だ。惜しいことに今から20年以上前にまだ50代の若さで亡くなってしまったが、その業績は素晴らしい。本書は児島の論文集だが、何より「読んでわかりやすい」のが嬉しい。専門的な題材ではあるが、「音楽学者が追求していること」の具体像を得るには格好の書籍ではないだろうか。

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