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2010年02月28日

『1968年グラフィティ』毎日新聞社編(毎日新聞社)

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 『1968年グラフィティ』は、「毎日ムックーシリーズ20世紀の記憶」の『1968ーグラフィティ・バリケードの中の青春』の新装版である。1998年に刊行が始まった同シリーズは、写真、テクスト、チラシ、ポスターなどの同時代の資料から、現在の当事者の発言、批評家、研究者による分析に至るまで、幅広い視点で20世紀という時代を歴史的に検証する画期的なシリーズであった。そのなかでも『1968』は、資料的な価値の高さから、60年代とは何かを知るための必読書であった。2008年に40周年を迎え、世界的に68年の再検証が盛り上がりを見せるなか、日本でも去年あたりから本格的に注目され始め、研究書、論集、発言集、インタビュー本などが刊行されている。日本において、68年研究、検証が進むこと自体は、何より肯定されるべきだが、それらに歴史的、思想的、運動的問題が、多々あるのが実状である。

 そうしたなかで、30周年に合わせ、幅広い意味において、現在の再評価を準備したと言えるだろう本書が、新装版で刊行されるのは非常に喜ばしい。本書の位置づけを、フランス文学者の鵜飼哲は、前書きで卓抜に以下のように指摘している。

  「当事者たちの『自分語り』とは適切な距離を設定しつつ、個人的・集団的経験の生産的な継承をこころざして個々の事実の集積ではない、終わらざる歴史としての『68年』を言語化することは、方法論的にもけっして容易な作業ではない。安易な道を取ろうとすれば、手痛い失敗が待ち受けているだろう。そのなかで『68年』30周年をあたる1998年、西井一夫が渾身の力を投入してまとめあげた本書は、そのような将来の作業の基礎となるべき、他に類を見ない、豊穣な記憶の活性器である。」

  責任編集者であった西井は、68年に先行した時代に学生運動を経験し、当時は新聞社に入社していたことによって、準・当事者にして特権的な観察者にしたのだと鵜飼は続けて指摘している。残念ながら西井は、2001年に亡くなっているため、この新装版は当時の編集者が引き継いだ形になるのだが、現在において必要とされているのも、68年当時の出来事に寄り添うのでもなく、また逆に現在性に安易に依拠し、学問的な客観性なるものを導入してそこから距離をおくのでもなく、そのどちらからも批評的な距離を置き、同時代的かつ脱時代的に、政治的かつ反政治的に、運動的かつ文化的に、検証、分析していくことなのだと言えよう。

 そして、私自身も参加しているが、同じく毎日新聞社からは、新聞連載を編集した『1968年に日本と世界で起こったこと』も去年刊行されている。また、20世紀の記憶シリーズとしては、ポスト68年を連合赤軍、東アジア反日武装戦線を中心に迫った『連合赤軍・"狼"たちの時代ー1969-1975』、60年安保前後を焦点とした『60年安保・三池闘争ー1957-1960』、60年安保から68年に至る高度経済成長期を検証した『高度成長ー1961-67』も『1968年』と同様に重要である。それらによって、日本において広く定着していると言える1968年の全共闘から72年の連合赤軍事件を一区切りにする1968年史観を容易に相対化することができるだろう。       

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『コロノス芸術叢書 アートポリティクス』コロノス芸術叢書編集委員会(論創社)

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「われわれの世界はいまもまた危機的な状態にある。そうしたなかで芸術家も批評家も研究者もその大多数は現実を見つめることから撤退し、現実を解明しようとする活動を忌避している。彼ら・彼女たちが現実になんら応答することのない作品や批評を量産するようになってから久しい。そうした停滞状況は、2001年の9・11によって、一時、振り動かされたかに見えたが、ふたたび芸術の世界は非反省的な蒙昧と停滞の時代に入りこんでしまった。しかし、芸術とは現実への応答ではなかったか。たとえそれが芸術活動という領野に留まりつづけるとしても。そして、現実と切り結ぶことのない芸術活動はありえないのではないのか。」(コロノス芸術叢書刊行によせて)
 
『コロノス芸術叢書 アートポリティクス』は、様々なジャンルの芸術家、批評家、研究者からなる編集委員会によって刊行された芸術叢書である。日本において、広義の意味で芸術に関わるとき、そのほとんどにおいて、美学的、芸術至上主義的な振る舞いを強いられる。政治的、社会的な表現や分析は排除され、現在の世界システムを所与とする限りにおいては、それを批判、批評することが許される。よって、芸術の価値は、売れるか売れないか、より高く売れる商品か否かに収斂するされることとなる。端的には、高度資本主義による芸術の回収と言うこともできるが、日本国内においては、商業主義とほとんど関わりがないと思われる作家、批評家においてすら、それが浸透しているため、事態はより複雑かつ深刻である。そうした日本的状況を、あるいは世界的状況を分析、批判し、芸術がギリシャの起源において、本来持っていた歴史的役割を取り戻すべく刊行されたのが本書である。
 
  美術、演劇、パフォーマンス、路上表現から都市、空間論にまで至る国内外の諸論考、インタビューは、これまでの芸術、美術、演劇誌、あるいは論集では、なかなか読むことのできない内容である。また異なった表現、分野であっても、相互が横断的に連関し合い、それぞれが「アートポリティクス」というタイトルに掛けられた方向へと進められていく。これはまさに一つの分野にとどまらない編集委員会による集団的作業の産物であろう。
 
  しかし、内容はもちろんだが、何より重要なのは、「コロノス芸術叢書」という運動によって、現在、芸術と呼称されている領域の外部に自らの自律的空間を創りだし、困難な状況のなかであっても、であるからこそ、真の「芸術」的理論と実践へと向かおうとする試みそれ自体だと言えよう。多くの芸術関係者が、こうした試みに呼応することを願うとともに、次巻の刊行も期待したい。 

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