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2008年09月30日

『G8サミット体制とはなにか』栗原 康(以文社 )

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今年、7月7日から9日まで、北海道洞爺湖でG8サミット(主要国首脳会議)が開催された。1999年、シアトルのWTO会合が大規模な抗議行動によって中止に追い込まれて以降、2001年、イタリア・ジェノバ、2003年、フランス・エヴィアン、2005年、スコットランド・グレンイーグルス、2007年、ドイツ・ハイリゲンダムとG8が開催される地には、何万人という抗議者が集い、様々な行動が展開されている。こうした先進国が押し進める新自由主義とは異なった世界のあり方を提示していこうとする潮流は、反グロバーリゼーション、オルター・グローバリゼーション運動などと呼称されている。G8を中心に、WTO、IMFといった国際会合に対抗することは、世界では常識の範疇であり、そうした文脈のなかで、今年の洞爺湖にも世界中から多くのアクティビストたちが集うこととなった。

 
 本書は、ハイリゲンダムを経験し、日本でのG8対抗運動に参加していたアナーキズム・労働運動の研究者がまとめたG8とは何かをめぐる入門書である。G8がこれだけ強い影響力を持ちながら、それについての分析、検証が極めて少ないことに気づいた著者は、運動の側から、それを歴史的、理論的、そして実践的に支えるために本書を書きあげた。運動の過程において、運動的な必要性、必然性から、こうした書物が誕生したことは、何よりも強調されるべき出来事の一つだと言えよう。
 
 
 本書の特徴として、ニクソンショックと第一次オイルショックへを受けて、1975年にフランス・ランブイエから始まったG8の歴史的過程を丹念に検証し、国際法的に何の法的拘束力もない先進国による私的会合の欺瞞性を明らかにしていることを挙げられるのだが、より重要なのは、フォーディスムからポスト・フォーディズムへと移行し、ネオリベリラズムによって支配されている現在の世界秩序を、「ブレトンウッズ体制」と比較しながら、「サミット体制」と定義し、闘うべき敵は誰かを明確に名指したことにあるだろう。今の世界は敵が見えにくい、G8は祝祭的なだけで大きな役割を果たしていないなどと安易な分析をするのではなく、貧困を中心に現在の世界で起きている諸問題の元凶をーもちろん日本国内も例外ではないー、剥き出しの自由貿易体制を推進するサミット体制にあると断言するのだ。そして、それらに否を突きつけるG8対抗運動に、サミット体制とは異なった、別の新しい世界を提示する可能性があるのだと締めくくっていく。
 
 
 日本でのG8は7月に終わったのだが、2009年のイタリア・マッダレーナ諸島、2010年のカナダと続いていく。そして、それらに対抗する運動も、今後、増々大きな勢いを増していくに違いない。本書が、日本において、G8対抗運動、反グローバリゼーション運動が定着していく一つの契機となることを切に願いたい。


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『「悪なき大地」への途上にて』ベアトリス・パラシオス(現代企画室〔発売〕)

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ボリビア・ウカマウ集団の映画プロデューサー、ベアトリス・パラシオスが、1979年から2003年までに書き綴った18の文章をまとめた遺稿集である。ベアトリスは、2003年7月、病気治療でキューバに向かう飛行機で亡くなった。自身初の監督作であった『悪なき大地』を準備している最中であり、ウマカウ集団としても、常に演出を担当してきたホルヘ・サンヒネス以外が初めてメガホンを取る試みとなるはずでもあった。すべてに絶望したストリート・チルドレンたちが、「悪」の存在しない土地を目指して旅に出るさまを描くもので、その物語は巻末に収録されているが、完成した作品として届けられなかったのが何より悔やまれる。
 ウカマウ集団とは、『ウカマウ』(66)、『コンドルの血』(68)、『第一の敵』(74)、『地下の民』(89)などで、様々な圧政や搾取と闘う先住民を主人公に、先住民のための物語を撮り続けきたボリビアの映画制作グループである。白人支配が続くボリビア、ひいてはラテンアメリカにおいて、主人公となることはおろか、先住民がスクリーンに登場すること自体、大きな事件であったのだ。1960年代以降、キューバ革命の大きな影響のもとで、ラテンアメリカで新しい映画作りが開始される。ヌエヴォ・シネ・ラテンアメリカーナと呼称されたこの運動は、これまでのハリウッド的商業映画とは一線を隠し、第三世界である自らの地の低開発、貧困といった問題を直視し、独自のスタイルを築きあげていった。ウマカウもこの潮流に属していると言えよう。日本では、1980年に『第一の敵』が紹介されて以来、新しい作品が作られるごとに上映運動が行われている。

 ベアトリスの文章は、そうしたウマカウ集団の諸作品とは異なった位相で、彼らの理論、思想や実践を知らせてくれる内容となっている。当局の「介入」によって、完成されなかったドキュメンタリー作品『生きるための行進』の断片を伺い知ることができるのも極めて貴重だ。だが、しかし何よりも指摘されなければならないのは、ベアトリスが徹底して弱者ー特に女性労働者や子供たちーに向けていたまなざしの強度であろう。危険を顧みることなく、収集されたそれらの証言、時事記録は、ボリビアにおける、ラテンアメリカにおける闘争の歴史を、民衆の側から浮き彫りにしていくのだ。

 新自由主義が跋扈し、資本主義が唯一絶対のシステムとして疑われることのない日本の現在において、ベアトリスの発言に、ウカマウ集団の諸作品に触れることは、そこから逃れるための一つの契機となるに違いない。

 関連書籍として、太田昌国編『アンデスで先住民の映画を撮る ウカマウの実践40年と日本からの恊働20年』(現代企画室)も合わせて参照して欲しい。


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