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2007年09月16日

『ヒロシマ独立論』東琢磨(青土社)

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「場所」について語ること  東琢磨の転換点」

「独立宣言や憲法草案をひとりでコツコツ書いているあいだは俺は狂人か?という気持ちでいたが、これで晴れておおっぴらに狂人だ」と、著者は後書きに書いている。これを読んで私は思った。ーー東は曲がり角を曲がったな、と。あのいけすかない南九州の半端な芸人知事のほうじゃない。ラテン音楽に深い愛情を込めて書いてきた友人の東琢磨のことである。見える所を歩いていた彼がふいに横に曲がり、どこに続くか分からない自分のストリートを歩きはじめたのである。これで次に会うのが楽しみになった。

いうまでもなく、書くことは孤独になることである。狂人になることである。これは文学に限られた話ではない。「批評」の類いでも変わらない。現に10年くらい前には私自身が、「若いフリーターたちを新しい階級として考える本を書きたい」と言ったら、例外なくすべての編集者たちが「頭がおかしいんじゃないか」という反応をした。特に団塊の世代の人たちほど、二の句が継げないといった憐れみの眼をしてこちらの顔を見た。それでも人は予感と畏れに戦きながら書くのである。

私のような全共闘最後尾の落ちこぼれ世代と違って、海外の批評状況や研究動向をよく押さえてきた東琢磨には、どうしても「カルスタ」的なところがあったと思う。「文化左翼」と呼ばれもする少々軽い意味も含めて、と言っておこう。音楽を論じても、エスニック、ジェンダー、都市、ディアスポラ、そしてクラスと並べて、決定的な重心設定を回避するのがこの傾向の特徴である。重層的決定、脱構築、ディアスポラ批評といった思考がそこに流れ込んでいったからだが、そういう綱渡りをやって見せるには、その始祖たちと同じくらいの恐るべき跳躍力を必要とする。私も含めて人々はそれを忘れたいのである。

私たちは、スチュワート・ホールでも、デリダでも、サイードでも、ポール・ギルロイでもない。殺し、犯し、焼き尽くしてきた側の末裔なのである。あらためてそう思い知った時から、私は自分の家の床下を掘りはじめた。「日本の底」ではなく、東京でも新宿でさえなく、「新宿2丁目旧青線街」という極小のピンホールのような「場所」。庭などないから床板を剥がしてひたすら掘る。そうやってできた最初の果実が『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』という狂った鼠の本である。地中からどこに通じているのか分からない鼠たちの坑道は、google earthやGPSや監視衛星では決して辿れないだろう。

東京で食い詰めた東琢磨が故郷・広島に帰り、そこに何とか住み処を確保しながら内外各地とのジグザグ運動を続けているのは、正しい階級的移動の経路である。そういう動線を生きている人々が無数にいる。見えないまま、外資と富裕層による不動産証券化によって超高層一極ネオリベ都市と化したTOKYOにとって、それ以外の地域はすべて打ち棄てられたインナーシティか、単機能に特化した下僕都市である。例えば、インナーシティとしての夕張や足立区、基地都市としての沖縄、そして平和=軍事都市としての広島、etc.

『ヒロシマ独立論』はこういう捩じ曲がった列島空間の中から現れた。私としては、TOKYOに抵抗する「東京」を地面の下から掘り出すしかないだろう。
これは東琢磨自身の独立宣言でもある。

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