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2014年04月08日

『自民党と戦後史』小林英夫(KADOKAWA)

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 「なぜ、自民党は長期にわたり政権を担当できたのか」という幅広の帯にある問いに、著者、小林英夫は「はじめに」で、つぎのように答えている。「まずは保守系の多彩な人材を抱えてきた、あるいは吸収しつづけた、その力をあげねばならない。そしてその人材吸収の範囲は幅広いし、党史の人脈をたどっていくと、その力は戦後突然に始まったものではなく、戦前、否、さらには明治の日本憲政史出発時から蓄積されてきたものなのである」。

 著者は、専門の満洲史や日本企業史の研究実績をいかして歴代政権を評価し、現代日本政治のこれからを読み解こうとしている。まず、戦後の日本の長期の高度成長を保障したのは、東南アジアという安定した海外市場を新たに得たことであるとし、そこには岸信介の「満洲組」人脈と満洲での見果てぬ夢があったことを、つぎのように述べている。「岸の組閣後の動きを追ってみると、明らかに一つの高度成長プランが浮かびあがる。それは、戦前の満洲国での官僚主導による戦時高度成長の見果てぬ夢を戦後のなかで実現しようという動きである。石橋内閣時代にその端緒がみられ岸内閣のもとで「新長期経済計画」として結実したその政策は、官の強力な支援体制下で、金属、機械、化学といった重化学工業を成長させるという意味では大いなる共通性を有していたといえる」。「中国やソ連との経済関係を断って、その代替地を東南アジアに求め、賠償を解決することでその足場を築いた政治家が岸信介である」。そして、「岸の東南アジアへの経済外交を具体化させる機構として活動」したのが、アジア問題調査会である。その事務局長が、岸をとりまく「満洲組」のひとりであった藤崎信幸で、アジア問題調査会はのちに通産省所管の特殊法人アジア経済研究所に繋がる。「岸や椎名[悦三郎]らの「満洲人脈」が中枢を占めた一九五五年から六〇年前後までは、次官、局長クラスはほとんどが「満洲人脈」の息のかかった、いわゆる「椎名門下生」で固められていたという」。

 岸についで東南アジアを重視したのは、福田赳夫であった。「彼は経済政策では、池田勇人、田中角栄とは対照的に、安定経済成長を唱えて軌道を修正し、外交政策では対アジア平和外交を推進した。一九七七年八月に福田は東南アジア歴訪の旅に出発し、マニラで「心と心のふれあい」をうたった「福田ドクトリン」を発表した。福田の東南アジア訪問は、三年前の田中角栄の訪問時とは様相を異にしていた。田中は、反日暴動の嵐にさらされたが、福田は東南アジアでは好感をもって迎えられた。この間の、田中訪問時の反発以降の企業の現地とけこみの努力もさることながら、東南アジアでも七〇年代前半の「民主化の時代」は終わりをつげ、後半は経済成長の重要性を認識する時代へと変わり、日本の経済力が必要な時代が到来してきていたことが大きかった。さらに中国に対しては、翌七八年八月に日中平和友好条約に調印した。ソ連の覇権主義に反対する「反覇権主義」を掲げて、尖閣諸島問題を棚上げにしての条約調印を行った」。

 著者は、「自民党の衰退は田中内閣をもってはじまり」、「「角影」の下では中心派閥が力をふるえず、また新規の人物が登場し実力をふるうことができないこと自体が自民党の衰退過程にほかならなかった」と結論している。「中曽根内閣が打ち出した内需拡大はバブル経済を生み出し、九〇年代以降の「失われた一〇年」の原因をつくりだした。日本経済が元気な中曽根内閣の時代にIT産業などの二一世紀型新産業への移行を準備できていたら、その後の日本経済がかくも苦しむことはなかったであろうと思われる」。「中曽根内閣同様、グローバル化の波がひたひたと押しよせ、社会主義体制が崩壊する前兆が随所にみられるこの時期[竹下内閣]に、なんらの対策も政策も打ち出せず、他の韓国や台湾などのアジアの国や地域が必死で二一世紀型産業ともいうべき半導体産業の育成を模索し、日本へのキャッチアップを官民あげて推進しているとき、アメリカからのプレッシャーがあったとはいえ、自民党の指導者が、かくも無邪気で牧歌的な国内需要優先型政策を実施していたというのは驚きというほかはなかった」。

 その自民党が、2度政権を失いながら復活できたのは、長年培ってきた底力ゆえか? 著者はそれをつぎのように否定し、民主党に期待を寄せている。自民党は八〇年代になると、「これまであった派閥間の抗争を通じた柔軟力の育成は影を潜め、政策の幅は著しく狭まり柔軟性を喪失し、派閥の強靱性も喪失していった。他方、非自民の中核である社会党でも七〇年代までの思想分岐は希薄となり、国対族が次第に力をつけはじめ議会ルール化の一翼に社会党も包摂されはじめていた。全体として自民党の初期にあった強靱性も柔軟性も失われていったのである」。そして、二〇一二年に自民党は再々度政権に復帰したが、「もはや旧派閥の力はなく、官邸主導の一極集中の強靱性のみが前面に登場し、かつての柔軟性は微塵もみられない状況となっている。したがって、一見強靱そうにみえるが、内外の変化に即応できる柔軟性は具備していない。したがって、経済成長の見通しが狂ったとき、あるいは予期せざる国際関係の変化(日中関係の激変など)が生じたとき、これに対応できるシステムが整っているわけではない。そのときは受け皿を失ったまま崩壊の姿が日本政治の前途に広がっていくのである」。

 それにたいして、1996年の結党から18年、「さしたる成果をあげることなく終わった三年三か月に及んだ」政権を経験した民主党の課題は、「一つは民主党らしい具体的なマニフェストづくりであった。当面の選挙目当ての口当りのよいスローガンだけではなく、財政的に裏づけをもった日本の将来展望を見通したプランづくりが求められたのである。そのためには、党の指導部の若返りと純化、政策で一致する必要性、党内の統一性が必要とされた」。「二つには、政治家として必須な研究と勉強と体験であった。・・・寄合世帯は出発時点から明らかだった。しかしその体質からの脱皮が課題だったのである。さいわい全体の六〇%を超える議員は、民主党が誕生したのちに入党し議員となった比較的若い世代の人々である。彼らがこれまでの経験を踏まえ失敗の原因を検討し、総括して再出発したときに、民主党は自民党と対決できる政党となるに相違ない」。「結党以降、年を経ていない民主党が、二〇一二年暮れの下野の経験を総括して生まれ変わることが、二一世紀の健全な政治経済軍事外交展開の重要な鍵であることは疑う余地がない」。

 「おわりに」で、著者は「多くの日本国民が拭い難い安倍総理の時代錯誤意識を感ずるのである」と批判する。本書を通読した者にとってはよくわかるが、安倍政権支持率からさらに多くの日本国民がそうは感じていないだろうことが想像される。貿易赤字の肥大化、財政赤字のますますの深刻化のなかでの「日本経済の建て直し」戦略に疑問をもつのはたやすいが、国家安全保障会議(日本版NSC)設置法や特定秘密保護法の成立、国家安全保障戦略と防衛大綱の閣議決定の問題は、少しは勉強しないと歴史と国際情勢の把握が充分でないことからきていることがわからない。疑問をもっても経済状況がさほど悪くなければ黙る、時間的にも空間的にも視野の狭い国民に、「安倍総理の時代錯誤意識」をわかってもらうことは難しい。残念ながら、その術は本書に書かれていない。

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2014年04月01日

『9・30 世界を震撼させた日-インドネシア政変の真相と波紋』倉沢愛子(岩波書店)

9・30 世界を震撼させた日-インドネシア政変の真相と波紋 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「9・30」と聞いて、すぐにわかる人はそれほど多くないだろう。それが、「世界を震撼させた日」であると言われても、怪訝に思うだけである。本書の核心は、そこにある。これほど重要な日であるにもかかわらず、事件が起こったインドネシアでも多くが語られず、それが日本を含む世界に大きな影響を与えたことがほとんど知られていないのはなぜか。本書は、そのなぞに挑もうとしている。

 9月30日に、なにが起こったのか。本書表紙見返しに、簡潔にまとめられている。「一九六五年一〇月一日未明に、ジャカルタで軍事政変が勃発、半年後の一枚のスカルノ大統領が発したとされる命令書により、権限はスハルトへと移った。中国では文化大革命が起き、東南アジアにアセアンが成立し西側反共主義陣営の結束を固め、日本は大規模な経済進出の足掛かりをつかんだ。政変を主謀したとされたインドネシア共産党は非合法化され、党員は逮捕され殺され政治犯にされた。国内全土に大虐殺の嵐が吹き荒れ、インドネシア経済を担っていた華僑への迫害がエスカレートしていく。膨大な一次史料と先行研究を踏まえ、いまだ謎に包まれた事件の真相を追求し、インタビューと現地取材を通して、事件の波紋の全体像を活写する」。日本では、「9・30事件」として知られる「事件」は、実際には10月1日に起こっている。にもかかわらず、「9・30」と呼ぶのはなぜか。この呼称にも、この事件の「真相」が隠されていることが、本書からわかる。

 著者、倉沢愛子は、本書執筆の背景をつぎのように説明している。「この一連の虐殺事件に関しては、インドネシアではまったく抹殺され続け、「あたかも何もなかったかのように」沈黙が強いられてきた。そして欧米諸国もそれを支えた」。「そのような状況が大きく変わったのは、一九九八年に、虐殺の責任者であるスハルトが三二年間の独裁の末に倒れ、「民主化」が始まってからである」。「筆者も二〇〇二年から、自らの足で虐殺者、被害者、そしてそのすぐ周辺にいた一般市民たちに対して集中的な聞き取り調査を始めた。それまで三〇年間にわたってジャワ農村の社会史を研究してきた筆者は、そのフィールド調査の過程で、村落の当局者によって調査の対象からは常に排除され、接触もままならない人たちが村のいたるところに数多く存在することが無性に気になっていた。事件の犠牲者の家族や元政治犯たちである。それは「喉に刺さった小骨」のように不愉快に私の体に残り、いつか九・三〇事件を大々的に明るみに出していかないと、村落の社会史は理解し得ないことを常々痛感するようになっていた」。

 この大きな変化を享受したのは、著者だけではなかった。本書を通読すると、ごく最近書かれた参考図書・論文が目につく。事件から50年が経とうとしている現在、アメリカ国務省文書をはじめ、各国の公式文書の解禁時期が重なったことも執筆を容易にした。だが、「著者からのメッセージ」で、「その真相をいまここに解き明かしたい」という意気込みを挫くように、まだまだ公開されていない資料があり、沈黙を守る人びとがいる。本書は、最新の研究状況を踏まえ、「真相」への第一歩を踏み出しただけかもしれない。しかし、その一歩はひじょうに意味ある重い一歩であることが、本書を通じて伝わってくる。

 そして、この事件の真相の解明は、わたしたち日本人にとって無縁ではない。著者は、「あとがき」をつぎのように締めくくっている。「この本を通じて私が訴えかけたかった一つのことは、多くのインドネシアの住民がこのようなとてつもない苦しみを被っている中で、「内政干渉」という便利な言葉を理由に日本も欧米諸国と横並びで口を閉ざしたことである。共産主義者であるポル・ポトの虐殺に対しては大声をあげて批判した国々が、である」。「九・三〇事件のあとインドネシアでスハルト新体制が確立するとともに、この国への大規模な日本の経済進出が始まった。高度成長を遂げた日本の経済がその余力のはけ口を必要としていたとき、インドネシアは日本企業にとってかっこうの投資市場となり、それを支えるための政府の経済援助(ODA)も大量に投入された。これを契機に、やがて日本は世界の経済大国へと上り詰めていくことになるのである。共産主義者が逮捕・虐殺され、強いナショナリストであったスカルノが排除されたことによって初めて可能になった大転換であった。そのように考えるとき、この事件は私たちが長いあいだ享受してきた富や繁栄と無関係ではなかったのだということを改めて痛感し、深いため息を禁じえない」。

 当時大学生だった著者にとって、九・三〇事件は「決して「歴史」ではなく、「同時代の」出来事で、しかも遠い世界のことではなく、自分たちの住む日本と深く結びついた出来事だった」。だが、当時小学生だったわたしにとって、同じ年に始まったアメリカによるベトナム北爆は、週刊漫画雑誌の巻頭を飾っていたこともあって「同時代の」出来事であるが、九・三〇事件は「歴史」で、しかも東南アジアに関心がなければ見すごしていた事件だろう。この差は、わたしたちにとってひじょうに大きく、問題としなければならない。わたしたちは、じつに都合よく自分たちの勝手で、記憶する歴史と忘れる歴史を選別し、次世代へ繋げている。日本と中国や韓国とのあいだの歴史認識の違いは、その選別の結果であり、問題となることで歴史を見直す機会を与えてくれた。しかし、九・三〇事件は、すくなくとも日本でも見直す機会があまりなかった。1965年という年は、アジア太平洋戦争敗戦後20年目にあたる。戦後再編成の時期と一致し、日本だけでなく世界が仕切り直しした時期でもある。この事件をインドネシアの「内政」だけで見ることができないことは、本書を通じてわかる。世界史のなかで本事件を考えるためにも、デヴィ夫人をはじめ生き証人がいる日本からこの事件を捉えることは、日本人の責務と言っても過言ではないだろう。著者は、それを自覚し果たしている。

 本書で取りあげられた虐殺事件が、長編ドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング THE ACT OF KILLING」になった。日本でも、今月から全国で順次公開される。そのパンフレットには、つぎのような説明がある。「男は粋なスーツに身を包み陽気に微笑んでいる。残虐なシーンのないこの映画が、しかし、私たちを最も慄然とさせる映画になった-」。「これが“悪の正体”なのだろうか-。60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちは、驚くべきことに、いまも“国民的英雄”として楽しげに暮らしている。映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち。しかし、その再演は、彼らにある変化をもたらしていく…」。その字幕監修を、本書の著者がおこなっている。

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2014年03月04日

『領域権原論-領域支配の実効性と正当性』許淑娟(東京大学出版会)

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 なぜ、領土問題は解決しないのか、本書を読めばわかる。だが、本書を読んでも、領土問題の解決の糸口どころか、ヒントも得られない、というのは言い過ぎだろうか。「領域権原および領域主権をもつことができるのは国家のみであるという前提」、遊牧民や海洋民のような定住していない者や「文明水準がヨーロッパの基準以下の場合は、その権原が認められない」、さらに2国間だけで解決しようなどという時代遅れな国際法を学んでも、なんの役にも立たないように思えてくる。

 著者、許淑娟は、そのような読後感にたいして、「あとがき」でつぎのように反論している。「今日において、世界を国境線で区切ることに対する批判は見慣れたものになり、主権概念の古臭さを語ること自体もはや古臭くなっている。しかしながら、私たちは依然として主権国家体制の中で生きている。グローバライゼーションや、地球共同体の価値、さらには9・11のインパクトを受け止めながら、主権国家の担う役割が変容しており、新たな認識枠組、新たな方法論、新たな概念が必要とされている(もっとも、こういう言説も既にありふれたものとなっている)。そのようななかで、領域権原という古めかしい概念を判例分析というオーソドックスな手法で検討することを通じて、領域主権について考察するという作業は、迂遠なだけでなく、随分と時代遅れなようにみえる。これに対して、本人は「あえて時代遅れ」なつもりで、この作業を進めていた。既存の概念や方法論を批判・再構築するためには、既存の方法論に依拠することは避けなければならないという指摘もあるだろう。19世紀以来、実証主義が支配的であったことに鑑みれば、既存の枠組から新たな価値や秩序を構想することは困難で、既存の枠組に肯定的に傾きがちなことは確かかもしれない。しかし、私は、概念や方法論を徹底させるというやり方をあえて選ぶことにした。既存のアプローチはその徹底さが足りないように思えたし、徹底した結果が現状肯定に繋がるのであれば、新たな枠組を導入しなくても、その枠組は十分に機能すると評価できるからである」。

 本書は、「領域の運命を決定するのはその人民であり、領域が人民の運命を決定するのではない」という「一節が問題としている「領域の運命」とはどのように決定され、その正当化はどのような法的構成のもとに成立しているのかを探求することを目的とする」。そして、「結語」で、つぎのように述べている。「ある国家がある空間を「領土」と呼べるのはなぜか。また、その領土に対する主権を他国一般が尊重するのはなぜか。この問いに動機づけられながら、本論考は、<領域権原>概念の意義や内容、領域や領域主権との概念的な関係を問い直す作業を展開をした」。「領域権原概念の変遷は、変動する国際関係と法理論に伴う法の変革の要請に応えつつも、秩序の安定性を維持することをめざす継続的な営みとして捉えられる。新大陸の発見に伴い植民地争いが生じた際に、ヨーロッパ列強間における植民地の領域規律が求められ、領域法が体系をもって論じられはじめるようになった。ヨーロッパ内における教皇の権威の位置づけの変化や、植民地経営の目的の変質、さらには自然法論から法実証主義の確立という法理論の移行に応じて、領域法はその形式ならびに基盤を変遷させてきた」。「本論考は、これらの領域法のあり方や領域権原をめぐる議論を所与のものではなく、それぞれの歴史的状況において選び取られたものとして、<領域権原の基盤構造>という分析概念を用いて整合的に論じることを試みた」。

 本書は、「序論」と3章、「結語」からなる。「第1章 取得されるべき客体としての領域主権-様式論」では、「「新世界の発見」とその植民地化に際して、ヨーロッパが構想した領域取得の正当化の論理が検討される。それまではヨーロッパの王の領土の遣り取りを規律する役割を果たしてきた領域法が、非ヨーロッパと出会い、領域法の再編が試みられた時代であった。それぞれの国際法学者の世界観と相俟って、領域法のいくつかのヴァージョンが示されることになるが、本書では、とりわけ、ベルリン議定書(1884年)の起草過程に顕著に現れる「無主地」の概念の検討を通じて、権原概念の基盤をめぐる議論の状況、および、「様式論」の意義を吟味する」。「第1章の結論としては、領域法理論における領域の客体化(ドミニウム的把握)と<実効性の要請>が、権原概念の物的基盤に議論を限定することによって、正当化(型)基盤をめぐる議論を後退させたことを指摘する」。

 「第2章 行使することで取得される領域主権-「主権の表示」アプローチ」では、「パルマス島事件裁定での当事国の議論および仲裁人の論理構成に対する考察を通じて、新たな領域法体系と称される「主権の表示」アプローチの導入過程が、領域法における<実効性の要請>とその基盤をめぐる議論とともに提示される過程として描き出される」。

 「第3章 「合意」に基づく領域主権」-ウティ・ポシディーティス原則とeffectivités」では、「1980年代以降の国際裁判判決の論理から、脱植民地化過程を規律するウティ・ポシディーティス原則の意義が、領域法の歴史的展開のなかに位置づけられる」。「植民地独立という過程において、領域権原における物的基盤が一時的に排除される場合には、権原の基盤はいかなるものとなるのかについて考察する」。

 本書を通じて、領域権原がヨーロッパの法的論理で考えられヨーロッパ以外を「無主地」としたこと、領土と結びつかない遊牧民や海洋民の統治形態が考慮されなかったことなどから、1494年にスペイン・ポルトガル間で結ばれたトルデシリャス条約で東西分割するなど、なぜヨーロッパ諸国が勝手に非ヨーロッパ世界を分割することができたのかがわかった。また、1648年のウエストファリア条約以降、国際法に慣れ親しんだヨーロッパ諸国が、非ヨーロッパ世界を植民地にしたり、不平等条約を押しつけたりしたことが、なぜできたのか、その根拠もわかったような気がした。近現代において、国際法に対応できる人材に乏しい非ヨーロッパの国々は、独立後もヨーロッパはじめ「先進国」のなすがままにされ、それを覆すには反乱しかなかったことが想像できた。

 結局国際法は、問題解決の一手段になり得ても、絶対的ではなく、国と国との信頼関係や国を代表する者の力量・人柄によって、その解釈は変わってくる。いったん解決したものが、国と国との信頼関係が崩れたときや、国を代表するものの不用意な言動で、蒸し返されることもある。つねに友好的な国際関係を築いていなければならないことは、いまの日本と中国や韓国との関係を考えれば、よくわかる。

 著者が、「時代遅れ」と言っている意味もよくわかった。国際法は国益に振りまわされるが、現代は国益より地球市民益のほうが優先される時代になっている。国益にこだわるあまり、人類の不利益につながることが、環境問題や資源開発などでみられる。国しか当事者になれない国際法を超えるコモンローが必要だが、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。したがって、著者が述べるとおり、本書のような考察が必要ということになる。たしかに、多くのことを学んだ。

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2014年01月14日

『海洋境界画定の国際法』村瀬信也・江藤淳一編(東信堂)

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 「陸は海を支配する」「国際法が主権国家の合意により形成される」ということを、基本に本書は書かれている。この大前提が近代の所産であり、これを変えなければならないと思う。「近代国際法の父」といわれるオランダのグロティウスは、1609年に『自由海論』を出版し、海はすべての人びとにとって自由に利用できるものであり、いかなる者も排他的に領有し得ないことを説いた。『自由海論』は、古代からの多くの先例をひいて体系的に論じ、また古代からのアジア諸国・地域との海上交易の慣習を重視して、東南アジアの海洋民が居住するマカッサルやマラッカの海事法を参考にした。その自由な海を、近代の主権国家が排他的に利用しようとしている。海を主体的に見、国境を越えて海とともに暮らす人びとの自律性を尊重する考えはないのか。さらに、海を人類共通の財産と見、個々の主権国家の利害から海を守る権利は「地球市民」にないのか。南極のように、自然を守るために開発を禁じる保護区を設けることできないのか。

 どうもそのような理想的で、悠長なことをいっている状況ではないことが、本書からわかる。そして、その主権国家間の紛争を回避するために、多くの人びとが努力してきたことがわかる。その基準となるのが、「国際法」である。しかし、「国際法」であるかぎり、その当事者は近代主権国家である。

 本書は、「国際法の観点から多面的に検討し、問題状況を分析するとともに、解決のための方策を考えようとするもの」で、その背景をつぎのように説明している。「海洋基本法の下で新たな海洋立国の実現をめざす、海に囲まれた日本にとって、その主権ないし主権的権利の及ぶ範囲を定める海洋境界画定問題は避けて通れぬ重要な国際法上の課題である。隣国間の画定問題については、すでに多くの条約慣行と国際判例の蓄積があり、わが国をめぐる海洋境界も、それらに準拠して画定されなければならない。もっとも、境界画定の原則にはまだ不確定のまま残された問題もあり、また、領土紛争がその海域に影を落としている場合には、境界画定が容易ではないことも事実である。場合によっては、境界画定を棚上げにして「共同開発」を進めることも一つの方法である。隣国間の問題に加えて、200カイリを越えて遠く広がる大陸棚の限界を定めるという課題も重要である」。

 国際法は、条約作成中、「各国は近隣諸国との具体的な事案を念頭に置きつつ、事態に適用のある法を自国に有利な内容とすることによって立場を強化しようとし、条約文の確定後は規定の解釈として自国の立場を明確に維持しようとしている国が少なからず存在するとみられる」。日本も個別に原則と例外を使い分け、実効支配している尖閣諸島と、実効支配されている竹島では、別の原則をとる。「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」で、「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と海洋法条約で定義されているにもかかわらず、日本は「高潮時にわずかに北小島及び東小島の二つの岩礁が約50cm海上にでるにすぎない沖ノ鳥島の周囲にEEZ[排他的経済水域]を設定している」。つまり、どこの主権国家も、「国益」を優先させ、「国際法」を無視するのである。

 そんな主権国家の主張に踊らされて、戦争に巻き込まれることはごめんであるが、それぞれの国民は偏狭なナショナリズムに絡みとられて、「地球市民」としての利害を忘れるようだ。近代主権国家が「国益」のために主張することを、それなりに尊重したうえで、個々の国民は国を超えた利害を考えることで「地球市民」としてのつとめを果たすことができる。そのためにも、それぞれの主権国家が、国際法とどのように向き合っているのかを知ることが重要で、本書がその参考になる。

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2013年07月02日

『日中対立-習近平の中国をよむ』天児慧(ちくま新書)

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 「中国とどうつき合うか?」 著者、天児慧は、2010年9月の「中国漁船衝突事件」以来、「大学の仕事以外に、日中問題を考え、書き、喋ることが筆者の日常で最も大きな比重を占める仕事となった」。それまでの数年間、「日中関係の前途に大きな希望を膨らませ始めていた」だけに、「できるだけ早く行き詰まった日中関係を打開する一石を世に投じたいとの思いが強くなった」。

 本書の概略は、表紙裏開きに、つぎのように記されている。「転機は二〇一〇年だった。この年、中国は「東アジア共同体」構想を放棄し、「中華文明の復興」を掲げて大国主義へと突き進みはじめる。領土問題で周辺国との衝突をためらわず、とりわけ尖閣諸島をめぐって日本との対立が先鋭化した。変化の背景には、共産党内部での権力闘争があった。熾烈な競争を勝ち抜き、権力を掌握したのは習近平。G2時代が現実味を増すなかで、新体制の共産党指導部は何を考えるのか? 権力構造を細密に分析し、大きな変節点を迎える日中関係を大胆に読み解く。内部資料などをもとに、中国の動向を正確に見究める分析レポート」。

 著者は、中国を専門とする研究者として、まず、中国が直面しているジレンマを、つぎの4つに整理している。「第一に、経済成長優先路線とそれが生み出した経済格差、蔓延する腐敗、劣悪化する環境公害などさまざまな分野での不平等社会のジレンマである」。「第二に、中国がこれまで重視してきた国際協調路線と、急激な台頭に伴って生まれてきた「大国主義」的思考にもとづく対外強硬路線の間のジレンマである」。「第三には、「中国的特色」「中国モデル」論などにみられる伝統的文化歴史へのこだわりを強める中国特異論と、世界のリーダーとして世界が共有する価値や国際公共財への積極的な関わりが求められる普遍主義とのジレンマである」。「第四は、中間層、市民の台頭、各階層の利益の多様化などに見られる多元社会・開放社会と、統治に関しては共産党体制を堅持し政治の多元化を認めようとしない一党体制のジレンマである」。

 つぎに、中国の日本にたいする複雑でデリケートな感情問題を、つぎのようにまとめている。「古来から周辺国・日本に多大な影響を与えてきた大国としての優越意識、近代史の中で台頭するアジアの大国・日本に追い越され屈辱・犠牲を強いられたという意識、第二次世界大戦以後は急速に復興・発展を実現し、アジアの大国として蘇った日本に警戒し脅威を感じる意識、改革開放時代は発展のために支援を受け「学ぶ対象」としてみとめざるをえなかった意識、そして今日台頭しGDPで日本を追い越した中国が、「失われた二〇年」と言われる日本に対して、ある部分でようやく「見下ろす」ことができるようになったという意識、しかしなお社会の「成熟」という面からみればなお大きく遅れているという意識、これらの意識が渾然一体になった状態こそが、中国の対日意識といえるだろう」。

 そして、「新しい日中関係を築くために」、つぎの4点を提起している。「①日中の多層的な相互依存関係、多重的な利益共有構造を構築し、ゼロ-サム的な武力行使は自らも手痛い打撃を受けるという認識を共有する。経済ではすでにプラス-サムの関係が生まれているが、他の領域、とくに安全保障領域でもこのような関係を構築していく必要がある」。「②政府間レベルでは実利思考をとくに最優先し、「挑発しない、挑発に乗らない」という姿勢をはっきりさせ、そのことを相手側にも常に発信する」。「③日中政府間の「危険管理枠組み」を構築し、日常的に機能させる。とくに、相互の立場を主張する「場」にしないで、立場の相違はあっても「相互抑制」「紛争未然防止」を重視し、その実現を目的とした情報の交換、率直な意見交換などを行なう」。「④メディアによる安易な反中、反日の雰囲気を煽る報道をできるだけ慎み、尖閣諸島問題とナショナリズムの癒着をできるだけ避ける努力をする。とくに、危機管理の枠組みでは、非公式メディアを含め動向をしっかりと把握・分析し、「衝突回避」のための事前対応を怠らないようにすることである」。

 さらに、中国が直面している4つのジレンマの克服のために、日本の存在が大きな意味をもっていることを、つぎのようにまとめている。「第一に、経済成長路線とそれが生み出した「社会的負」のジレンマである。...日本は税制度、医療保険制度、普通教育制度、省エネ対策、循環型社会システムなどの充実により、また自然環境保護の重視、法制度の充実などによって、長きにわたって「調和社会」を実現してきた。しかも、一九六〇年~七〇年代の日本は、現在の中国と同じような事態に直面し、それを克服してきた経験と知識をもっている」。「第二に、大国化と国際協調のジレンマである。そして第三に、中国特異論と普遍主義のジレンマである。これらのジレンマに関しても、日本の高度経済成長期に、「エコノミックアニマル」「日本型経営」などの日本特異社会論がはびこったが、やがて国際協調、普遍主義への融合を主としながら、逆に日本特異論の優れた側面を十分に活用しながら、国際社会に適合してきたことが参考になる」。「さらに第四の開放社会と一党体制のジレンマに関しても、「戦後五五年体制」と呼ばれる自民党の事実上の一党体制が一九九一年まで続いた。それでも、「表現の自由」「野党勢力の役割増大」など安定的漸進的に民主の実質化が進んだ。これらの日本経験は、もちろんすべてではないにせよ、多くの重要な部分でこれからの中国にとって、とりわけ将来「成熟社会」に向かうために大いに参考になるだろう」。

 他方、日本にとっても、中国はなくてはならない存在になってきていることを、3点あげている。「一つ目は、いうまでもなく日本の製造業の生き残りとして、比較的安価で優秀な労働力が確保できる中国の重要性である」。「二つ目には、日本にとっての巨大な「市場」としての中国である。そして三つ目はポジティブで創造的で優秀な中国人若手人材の活用である」。

 最後に、「あとがき」で「肝心なことは、双方とも自分の主張を一方的に繰り返すだけでなく、相手の主張にも耳を傾け、あるいは国際社会を意識しながら日中関係のあるべき姿を考え、展望することであろう」と述べ、「両雄並び立つ」創造的な両国関係の実現を目指すために、今後の重要な課題として考えておくべき3点をあげている。「第一に、こうした中国以外の国との関係改善・強化を進めることは日本の外交基盤を強化することになり重要であるが、そのことで日本が率先して反中国包囲網の形成を進めているとの印象を絶対に与えないことである」。「第二に、現在日中関係の最大の障害になっている問題は本論でも繰り返した尖閣をめぐる「主権問題」であるが、中国側はこれを第二次世界大戦の「歴史問題」と関連づけることにより、韓国、台湾、ひいては米国の賛同を得て、日本への攻勢を強めようとしている。...日本外交にとって微妙で重大な段階にある現在、歴史問題に関わる言動は慎重にすべきであろう」。「第三に、これからの日中関係を考える場合、さまざまなインフォーマル・ネットワークを強化・発展させ、その上で、そうしたネットワークの情報や意見が、直接・間接に政策決定者(機関)にとどき、政策に反映できるよう、意思疎通のパイプを開拓し充実させていくことである」。

 「尖閣問題」について、著者は、つぎのような「長期的な視野に立った解決のためのアイデアを提起」している。「日本が「尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本の領土」という主張は譲らない。中国も台湾も「中国の固有の領土」ということも譲らない。ならばいっそのことこの両者を包み込むアイデアを考え出したらどうだろうか」。「一つの島嶼を、日本側は「尖閣諸島」と呼び、中国・台湾側は「釣魚列島」と表現する」。「漁業・資源開発など経済活動に関しては当事者間で相談して決定する」。「海底資源に関しては「共同開発」を原則的に推進し、さらに領海の航行は双方が特別に配慮する」。このアイデアのおおかたは同意するが、巨額の資金と高度な技術が必要となる海底開発については、再考の余地があるかもしれない。日中関係だけでなく、資金も技術力も充分でない東南アジアの国ぐになどと中国との問題を考えると、資金も技術力もある中国が圧倒的に有利になる。巨額の資金と高度な技術を必要とする開発はおこなわないことを原則とし、開発する場合は当事国以外の国ぐにが主体となっておこない、開発しようとする資源の乏しい国が優先的に使うことができる、というのはどうだろうか。当事国同士の共同開発は、紛争の種になる危険性が高いし、事故が起き自然・環境破壊が起こる可能性も大きいように感じる。

 著者が何度も強調するように、「双方にとって、相手側は必要不可欠な存在であるとの認識をしっかりもち、相互信頼関係をはぐくみ、強めていくことこそ重要であるという認識を基本的な立脚点に据えるべき」であり、そのためには「現状維持が最善の策」であろう。

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2013年06月25日

『国際海洋法』島田征夫・林司宣編(有信堂)

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 「歴史的には、海洋法は、近代主権国家成立のはるか以前における、海を媒介した海運・商事関係に関する慣習法からの影響を強く受けている」。「条約の締約国と非締約国との間では慣習法が適用される。ただし、国際社会全般に広く受け入れられる条約は、その全体または一部が慣習法化し、すべての国を拘束するに至ることもある」。

 「海を利用する人々や都市、国家等が守るべきものとされた一連の法規則の歴史は古く、古代ギリシャ時代にまでさかのぼる」。「ローマ時代には海は万民法(略)において、「万民の共有物(略)」とされ、すべての人々に自由に開放され、私的な所有や分割が禁止されていた」。「中世においては、ベニス、ジェノバ、ピサ、マルセイユなどの地中海の都市国家が海洋にも勢力をのばし、各都市が法を公布し、一部は近くの海への支配権を行使した」。

 さらに、近世、「イギリスの海洋主権論、そしてスペイン・ポルトガルの海洋支配に正面から理論的に立ち向かった」「近代国際法の父」といわれるオランダのグロティウスは、1609年に出版した『自由海論』で、「海はすべての人類にとって自由なものであり、いかなる者も領有し得ないことを説いた。そして、聖書、自然法、発見、先占、慣習等もこれを否定し得ないとした。また、国家間の法によって海はすべてのものの自由な貿易のために開放されていると説き、ポルトガルによる海上通商の制限は根拠のないものであるとし、さらに海は無限であり、漁業資源に関しても、それは海が領有の対象にならないことから当然に、独占の対象とはなり得ず、再生産可能なこれら資源はすべてのものの利用のために開放されていると主張する」。「『自由海論』は、古代からの多くの先例・書物や、国際法の先駆者の理論にも頼りつつ、海洋の自由をはじめて体系的に論じ、今日の公海自由の原則の基盤を築いた」。

 海洋法は、ヨーロッパだけで通用した概念ではない。「海洋航行・通商の自由の原則は、インド洋や他のアジア諸国の間においても、古くから存在していたことも忘れてはならない。古くは紀元1世紀より、ローマとインド洋諸国の間には海上通商があり、西欧諸国のアジア進出以前に海洋と通商の自由の原則はすでに慣習法となっていた。また、13世紀末のマカッサルやマラッカの海事法典のように、こうした慣習法が法典化されたものもあった。グロティウスはこうしたアジアの伝統からも学び、その海洋自由論にも利用したと言われる」。

 以上のような歴史をみると、時代時代の「グローバル化」とともに、海洋法が重視されたことがわかる。現代のグローバル化においても、海洋法が重要になってきており、本書は近年の諸問題に応えるべく、「国際法の枠組みや基本的な原則・規則の体系的な解説を提供する」ために、また大学の授業でも使えるよう、編集・発行された。そのことを、「はしがき」冒頭で、つぎのように述べている。「われわれ両編者が、当時現行の海洋法全般にわたる手頃な入門書の不足を埋めるべく『海洋法テキストブック』(有信堂、2005年)を出版して以来、すでに5年以上が過ぎた。この間、ことにわが国ないしわが国の周辺海域に関連する海洋法関係の諸問題はめまぐるしく展開した。海賊や海上武装強盗の激増、わが国の調査捕鯨に対する過激な反対運動や国際裁判への提訴、漁業資源のさらなる乱獲・違法操業、マグロ等漁業資源の急速な減少、大陸棚の延伸や境界画定問題等々である。さらに、わが国としても、2007年には海洋基本法が制定され、それに基づき、内閣総理大臣を本部長とする総合海洋政策本部と海洋政策担当大臣がはじめて設置され、新たな「海洋立国」をめざす積極的政策が推進され始めた。またその一環としてレアメタルやメタンハイドレートなどの大陸棚の新鉱物資源の本格的探査が行われ、海賊行為対処法や領海等における外国船舶の航行に関する法律等が制定された」。

 この「基本的な原則・規則」をもってしても、海洋法が「慣習法」に基づくことから、今日の海洋諸問題に容易に応えることができないことは明らかである。たとえば、「人の居住または独自の経済的生活を維持できない岩は排他的経済水域や大陸棚を有することができない」と、海洋法条約121条3項で規定されながら、日本政府はどう見ても岩としか思えない沖ノ鳥島を「島」であると主張している。いっぽう、フィリピンとマレーシアの国境の島シタンカイ島では、珊瑚礁の浅瀬に杭上家屋が数千建ち並び、万を超える人々が「経済的生活を維持」している。「島」かどうかの明確な基準はなく、国際的に「認めてもらう」以外にない。

 昨日(6月24日)のNHKBS1のオーストラリアのニュースで、日本の調査捕鯨を厳しく批判していた。鯨につづき乱獲などで急減しているマンタ漁も「残酷」だと批判されるようになった。本日(6月25日)の『朝日新聞』では、「生活の糧」としてマンタ漁をつづけるフィリピンの島のことが取りあげられている。その記事は、現地調査をしている赤嶺淳(名古屋市立大学)のつぎのことばで終わっている。「絶滅が危惧されている種について保護の取り組みがなされるのは当然だ。だが、地域に根付いている食文化を否定したり、生活の手段を完全に奪ったりするような規制は適切ではない。漁師の生活や地域のアイデンティティを尊重しながら、より現実的な環境保護策を模索していくべきだ」。

 オーストラリアが、「害獣」であるカンガルーを何百万も「虐殺」していると批判し、反捕鯨をいう資格はないといっても、生産性のある議論にはならないだろう。慣習法は、時代や社会の変化とともに変わる。時代や社会のニーズに従うといえば、それまでだが、歴史や文化を抜きにすることも考えられないだろう。そして、いま環境問題など、未来を見据えて、地球規模で考えなければならない時代になった。国益を越えて、守るべきものはなにかを考えるためにも、本書から基本的な原則・規則を理解しておく必要がある。

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2013年06月11日

『南極条約体制と国際法-領土、資源、環境をめぐる利害の調整』池島大策(慶應義塾大学出版会)

南極条約体制と国際法-領土、資源、環境をめぐる利害の調整 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 南極条約は、1959年に作成され、61年に発効した。その後、人の住まない宇宙や深海底などにかんする条約(67年宇宙条約、82年国連海洋法条約など)に影響を与えたという点で、ひじょうに重要な意味をもつだけでなく、平和という意味で63年の部分的核実験停止条約、68年の核兵器拡散防止条約など軍縮にも大きな貢献した。まだ世界大戦の傷が癒えず、冷戦のなかで戦争回避を真剣に考えた結果だともいえる。その南極条約採択時の精神は、南極にたいしては今日まで続いているように思われる。しかし、近年、無人島や暗礁など、通常では人の住めない空間への排他的権利の主張が、ここかしこで聞かれるようになった。今一度、南極条約採択時の精神に戻れば、このような主張はしないはずである。そんなことを考えながら、すこし古い2000年発行の本だが、南極条約採択時の状況を知りたくて手に取った。

 「本書は、我が国において初めて、南極に関わる国際法の発展の歴史と南極条約体制全体を総合的かつ包括的に研究したものであり、その全体が、南極条約成立までの歴史的経緯(第1部)、南極条約の概要及び基本原則(第2部)、南極条約体制の成立・発展の過程とその内容(第3部)、及び同体制の抱える課題(第4部)の計4部で構成されている。全体としては、領土、資源(生物資源及び非生物資源)及び環境に関わる利害の対立を、南極条約当事国が中心となって、どのように調整し、南極という場所及び南極に関わる諸事項を管理してきたか、という点を国際法の生成・発展という視点から考察することに主眼が置かれている」。

 国際法を専門とする著者、池島大策は「南極に関する国際法の発展において特に顕著なことは、当該区域に固有の法として発展してきたその歴史と制度である」とし、つぎの2点を挙げている。「第1に、南極大陸だけが人類の領土獲得競争において地球上で唯一取り残された場所であるという点である。確かに、宇宙空間や深海底区域などの場所も国家による領域権取得の対象として考えられたこともあったが、これらの場所は、現実的には人間が通常、居住し、活動を行う場所としては時期尚早であるとみられている。自然条件による制約を別とすれば、南極は人間の居住や活動の可能な場所として、政治的にも法的にもその占める重要性は決して低くない」。

 「第2に、南極が世界の注目を集めてきたのは、領土問題、科学上の関心、資源問題、そして環境問題という順に、南極をめぐるトピックが変遷を遂げてきたことに主な理由があるように思われる。南極については、科学的にも未知の部分が少なくない。しかも、南極が置かれている状況は、その未知の部分をめぐって国際社会を巻き込み、何らかの国際的な対応を我々人類に迫るものであるといえよう。まさにこの局面において、国際法が作用する余地を生じることになる」。

 また、南極を研究するにあたって、つぎの3点の問題が生じると述べている。「第1に、南極という特殊な場所をめぐる歴史とはどのようなものであったのか、である。第2に、南極を現在規律している法制度、すなわち現行法は何か、である。第3に、現在どのような課題をもち、将来いかなる展望をもちうるか、である」。

 南極の領土権を主張する国ぐには、つぎの3つに分類されている。まず、歴史的経緯から領土権を主張している7ヵ国(英国、ニュージーランド、フランス、ノルウェー、オーストラリア、チリ、アルゼンチン)を「クレイマント」と呼ぶ。つぎに、「クレイマントの領土権又はその請求権を否定しながら、他方で、自国の領土権又はその請求権を慎重に留保する姿勢をみせてきた」米国、(旧)ソ連を「潜在的クレイマント」と呼ぶ。そして、日本、ベルギー、南アフリカ共和国など、「クレイマントの主張や請求権を否定し、認めない」国ぐにを、「一般に、潜在的クレイマントとともに、「ノンクレイマント」」と呼ぶ。

 このようにそれぞれ考えの違う国ぐにが、妥協しながら、南極条約に合意したことの意義を、著者は「締結交渉のプロセス」のなかに見いだし、つぎの5つにまとめている。「第1に、クレイマント、潜在的クレイマント及びノンクレイマントのすべての関係国を含む国家が、国連の枠外で合意に達したことである。南極条約は、南極の領土権紛争を始めとして、様々な事態に関わる国をもれなく当事国として内包している。また、これらの当事国には、国連安全保障理事会の常任理事国でありかつ核保有国である米、旧ソ連、英、仏の大国4ヵ国が含まれている。さらには、同条約は、国連を通じたいくつかの国際化の提案があったものの、結局は国連との関わりを経ることなく、作成され、締結された。この点は、後に、第三世界の国々が国連という場を利用して、主として南極条約によって規律されている南極の現状を批判する原因の1つにもなっていると考えられる」。

 「第2に、冷戦という東西対立を乗り越えた合意であったことがあげられる。第2次世界大戦の終了後に現れた冷戦構造の下では、米国と旧ソ連をそれぞれの陣営の盟主とする西側諸国と東側諸国との対立が厳しかった。その中で、旧ソ連が南極の問題に関わっていたことは、領土権をめぐる対立をさらに悪化させ、南極を国際紛争の表舞台に引きずり出すおそれもあったことを想起させる。しかし、条約締結に至る当時の国際情勢が一時的な緊張緩和の雰囲気に包まれていたことも手伝って、東西対立の余波を受けずに済んだだけでなく、同条約が軍縮条約の中でも評価の高いものであることなどは、注目すべきことである」。

 「第3に指摘できることは、クレイマント内部の強硬派を抑えての国際化に成功したことである。アルゼンチン及びチリの南米2国は、「アメリカン・セクター」の設定に代表されるように、共同歩調をとって南極の国際化に強硬に反対し続けてきた。セクターの重複する英国との度重なる摩擦は、既に指摘したとおりである。しかし、最終的には、両国も、クレイマントの地位を害さないことを確認することで、条約の当事国となった。そして、政治的な妥協によりこれらの2国を含めて、条約は成功裏に締結された」。

 「第4に、科学的協力を契機とする合意であったことも指摘できる。IGY[地球観測年]による国際的な科学協力への呼びかけが、南極条約作成の気運をもたらした根底にあったことは既に述べた。科学という学問及びその実践(知識の追求)が、1つの国にとどまるものではなく、国際社会全体に関わることは改めてここで指摘するまでもない。科学の分野における国際協力という、一見中立的な性格のように思われる事業であったことは、たとえ各国の本心がどうであれ、結束を容易にし、協力を加速させるに十分であったといえよう」。

 「第5に、国際化の動きが生じてから比較的短期間に合意に至ったことにも注意したい。上述したように、南極における領土紛争は、約半世紀の歴史を有するものであるが、国際化の本格的な動きは1950年代後半以降から末にかけてであったことに鑑みると、わずか2、3年のうちに合意に達したことは、非常に興味深い。領域的国際化の例によくみられるように、戦後処理の慌ただしい中で領土決着が短期のうちに行われることは少なくない。これに対して、南極条約の場合は、短期間ではあったが、一方的な圧力により慌ただしい雰囲気の中で強制的に締結されたという事情はあてはまらない、と言わざるを得ない」。

 だが、南極条約には曖昧な箇所が多く、微妙なバランスのなかで、守られてきたということができる。著者は、つぎの4つの点を指摘して、全体の結論に代えている。「第1に、国家の領土主権は、国際法上、最も重要な事項であり、最大限尊重されるべき価値であるが、南極の場合には、領土権の問題を棚上げにすることによって、一定の地域ないし区域を国際的に管理することを可能とした、という点に特色がある」。

 「第2に、南極条約体制は、ある特定の場所及び事項を規律する条約を中心に拡大し発展し続けた条約レジームであるという意味で、国際法の歴史の中でも非常に珍しい法現象であるということができよう」。

 「第3に、確かに、南極条約体制も国家間の条約を中心とした合意に基づく制度であり、一般的には条約の非当事国を拘束するものではない。しかし、実際には、南極に関して利害関係を有する国々がほぼすべて南極条約の当事国となっていること、米国やロシア(旧ソ連)のみならず、国連安全保障理事会の常任理事国のイギリス、フランスが原署名国として加わっており、中国も南極条約協議国会議の構成国となっていること、開発途上国の中でも中心的な存在といわれるインドやブラジルも同協議国会議を構成していること、などの事実は軽視できないであろう」。

 「最後に、南極条約体制の今後の展望については、内部的調整のみならず、外部的調整を含む、人類全体の英知に懸かっているということができよう。南極をとりまく自然環境は、南極だけに関連するわけではなく、今日では、地球規模の影響を及ぼすことが広く知られている。南極の環境保護は、ひいては、地球全体の環境保護に関わる問題であることに鑑みれば、南極条約体制内部の問題にとどまらず、国際社会全体が一致団結して取り組まねばならない課題であろうと思われる」。

 ここで注目すべきは、南極と対極にある熱帯の東南アジアから、1982年に採択された国連海洋法条約を契機として、「共通利益地域」としての南極にかんする主張があったことである。マレーシアのマハティール首相は、1982年の国連総会で、つぎのような一般演説を行った。「今や我々は海洋法についての合意を得たのであるから、国際連合は非定住地域の問題を明らかにするために会議を招集すべきであり、この地[南極大陸]に対してはあらゆる国が権利をもっていることを明確にしなくてはならない」。これより四半世紀前の1958年には、第1次海洋法会議の議長であったタイの皇太子、ワン・ワイタヤコンが、「開会の辞の中で、海域として採用されるべきすべての法的レジームは、「すべての者の利益のために」海洋及びその資源の保存を確保しなければならない」と述べている。多くの人びとが居住し、また行き交う東南アジアでは、古くから海を共有のものとし、排他的な占有を拒んできた。したがって、海洋と通商の自由の原則を慣習法としてもっている東南アジアの国ぐには、条約を結ぶまでもないと考えているかのように、南極条約を締結していない(2013年2月現在、協議国28、そのほかの締結国22)。

 このような万民共有物、国際広域、トラストといった人類の共同の財産としての概念に加えて、グローバル・コモンズという概念が、国際法上、脚光を浴びるようになったのは、1987年に「環境と開発に関する世界委員会」が国連に「ブルントラント報告書」を提出してからだった。この報告書では、「「地球は一つ」から「世界は一つ」へと意識の転換をすること(From One Earth to One World)が重要であると述べ、中でも共有する資源の管理をいかに行うかを論じ」た。たとえば、「伝統的な国家主権の形態から、『グローバル・コモンズ』とその共有する生態系-海洋、宇宙、南極-の管理において固有の問題が生じる。」と述べた上で、海洋法については、国連海洋法条約の批准をすべての国々に促し、乱獲防止のために漁業協定の強化を提唱する一方で、宇宙空間においては、静止衛星軌道の最も有効な利用と宇宙廃棄物の量の制限をめざして、宇宙の平和的利用のための体制の構築と運営の必要性を訴えている。最後に、1959年の南極条約に基づいて管理されている南極についても、将来に向けた新たな体制づくりを勧告している」。

 このグロバール・コモンズという概念は、人類の共同の財産に代替するものとして期待されるが、つぎのような限界があることも指摘されている。「人類の共同の財産は、非国家領域の場所(領域)や資源の占有や経済的な開発、それに対する国際的な管理・規制、及び開発途上国への配慮という側面を強調して、特に深海底及びその資源に関して国際社会に導入された概念であるところに特色があるといえよう。これに対して、グローバル・コモンズは、人類の将来の世代を考慮に入れて、非国家領域の環境保護の側面をより一層強調して、大気や気候などの地球的規模の事象までも広く含む概念として唱えられるようになった点に特徴がある。しかし、非国家領域の場所(領域)、資源及びその環境を指し示すために用語を様々に駆使してみても、これらの対象が具体的に何を指すのか、これらをいかにして国際法を根拠に規律するか(保護法益の特定、保護の方法、履行確保の方式などを含む)が明確にならない限り、グローバル・コモンズの概念も法的概念としてまだ発展途上にあるといわざるを得ない」。

 南極条約が合意したのも、曖昧さを残したからであり、そこにはいつ問題が発生してもおかしくない状況が存在する。それだけに、問題を発生させない努力がつねに必要となる。本書の副題である「領土、資源、環境をめぐる利害の調整」のための絶えざる対話が必要であり、いわゆる「靖國問題」や「尖閣諸島の国有化」は、いずれも対話を遮断する行為であったことがわかる。国際条約は国同士の信頼関係にもとづく「紳士協定」のうえに成り立っている。さらに、グローバル・コモンズを成り立たせるためには、「世界は一つ」の下、国が暴走しないために個々の地球市民が努力を積み重ねていく必要があることが、本書からわかる。

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2013年04月30日

『反市民の政治学-フィリピンの民主主義と道徳』日下渉(法政大学出版局)

反市民の政治学-フィリピンの民主主義と道徳 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 リピーターが多く、やみつきになる国や地域、社会がある。そんな国のひとつがフィリピンで、著者もその虜になった。「あとがき」で著者は、その理由をつぎのように述べている。「私は、フィリピンをこよなく愛している。いつもフィリピンに帰ることを待ち望んでいて、まるで日本で暮らす出稼ぎ労働者のようだ。誕生日もフィリピン独立記念日であり、運命を感じている。研究の道を進むことになったのも、学者になりたかったからではなく、フィリピンとの関わりを失わず、もっと深めていきたかったからである。フィリピンで得た複雑な感情や経験を、何とか言葉にしていきたかったのである」。「フィリピンを好きな理由を問われれば、最終的には「人が好きだから」と答えるだろう。彼らは、とにかく優しいのだ。フィリピンに行くまで、人にこんなに優しくされたことはなかったようにさえ思われる。フィリピンに行くたびに、彼らの優しさをどうにかして日本社会に持ち込むことはできないものだろうかと真面目に考えている」。

 「学部生時代にワークキャンプ活動を通じてフィリピンに惚れ込」んだ著者は、卒業論文を書く過程で、つぎのようなことに気づいた。「「フィリピン人」という共同性は、厳しい抑圧や貧困に抗して、より自由で平等な社会を作り出そうとする人びとの実践から作られているのだと知り、胸が熱くなった。何でも国家に依存しがちな日本人とは対照的に、フィリピンでは国家が人びとの豊かさや生活を保障しないため、市民が自ら立ち上がり率先して政治を変革しようとしているのだと知り、強い感銘を受けた」。

 にもかかわらず、愛すべきフィリピン人が願うように「自由で平等な社会」はなかなか実現せず、それどころかやたら流血事件が起き、多くの人が殺害される。その標的となるのが、事実を伝えようとするジャーナリストであり、フィリピンはジャーナリスト受難の国としても知られる。それでも、立ち上がる人びとが後を絶たないところに、著者は惚れ込んだのだろう。だが、本書はそんな著者の思いを背景にしながらも、きわめて客観的にフィリピン社会を眺め、考察した成果である。それが著者には気になったのか、「本書では、社会の分断、対立、敵意など、フィリピンの否定的な面を描きすぎたかもしれない」と吐露する。著者を「虜にしたフィリピンの魅力は、人びとの優しさや濃密な共同性」にあると、フィリピン人に直接かかわりをもたない日本人に伝えることがいかに難しいことか、地団駄を踏んでいるのは著者だけでなく、多くの日本人フィリピン研究者も同じだろう。学問的な社会分析が誤解を招くのではないだろうか、といつも心配になることも。

 本書は、序章、6章、終章からなる。序章「フィリピン民主主義と道徳政治」の冒頭で、「本書の課題は、現代フィリピン民主主義を、市民社会で争われる道徳政治、という視座から分析することである」と述べた後、つぎのように説明している。「ここでいう「道徳政治」とは、善とされる集団と悪とされる集団をつくりだし、両者の間に境界線を引いていく政治、すなわち善悪の定義をめぐる政治を意味しており、資源配分をめぐる「利益政治」と区別される。この道徳政治の分析にあたっては、市民社会において、いかなる勢力が「我々」を善と定義して正当化し、知的・道徳的主導権を打ち立てるのか、というヘゲモニー闘争への着眼が決定的に重要になる」。

 1986年にフィリピンでは、「ピープル・パワー革命によってマルコス権威主義体制が崩壊し、民主化が達成され」、「民主化以降、中間層出身の活動家が数多くのNGOを結成し、様々な分野で活発な政治参加を展開していった」。「こうした実践は、エリート支配から自律的な中間層が、高い道徳的意識を持つ市民として政治に参加し、民主主義の定着と深化に寄与していると評価されている」。「しかし、近年のフィリピンでは、道徳的市民を自負する中間層の活動や言説が、逆に民主主義を阻害したと解釈できる事例もある」。

 このような近年のフィリピンの状況を背景として、著者は本書の命題をつぎのように提示している。「市民社会におけるヘゲモニー闘争は、組織化されていない一般の人びとも含めて「我々/彼ら」という道徳的な対立関係を構築しており、その偶発的な変化の動態が民主主義の促進と阻害を強く規定している」。「フィリピンの場合、階層分断が特に深刻な影響を及ぼしており、本書ではそのことを分析の基盤にすえるために「二重公共圏」という概念を導入したい。これは、言語と教育、メディア、生活空間の格差によって分断された中間層と貧困層の生活世界および言説空間を、それぞれ「市民圏」と「大衆圏」として捉えるものである」。そして、「本書では、このような二重公共圏を舞台とする「我々/彼ら」の道徳的な対立関係の動態こそが、フィリピン民主主義の促進と阻害に決定的に重要な役割を果たしてきたことを明らかにする。そのうえで、善悪の対立に基づく道徳政治が、資源の配分をめぐって争われる利益政治を周縁化することで民主主義を蝕んでいることを主張したい」。「要するに、これまでのフィリピン市民社会論に欠けていたのは、一般の人びとも対象に含めながら、「市民」と「大衆」の対立や協働といった流動的かつ偶発的な関係が、政治過程と民主主義に与える影響を明らかにする分析枠組みなのである」。

 第1章「分析枠組みの提示」の後、第2~6章では、著者が2002年4月から翌年4月にかけてマニラ首都圏ケソン市の不法占拠地域に住み込んでおこなった大衆圏にかんする参与観察と、それを補完するために2008~10年におこなったインタビュー調査に基づいて、具体的な事例をあげながら議論が展開されている。

 終章「道徳政治を越えて」では、「フィリピンにおける道徳政治について得た知見を整理」し、つぎのような社会的分断に抗する処方箋を示唆して、本書を閉じている。「まず、複数公共圏の間で、具体的な人びとが出会う接触領域を拡大していくこと。次に、接触領域において、善悪をめぐる最終的な定義を保留したコミュニケーションを継続的に実践し、道徳的対立の昂進を抑制すると同時に、政治をあらためて利益のレベルに落として不平等の改善に取り組むこと。そして、「すべき」という道徳の統合力に頼るのではなく、人びとの自発的な共感や共苦を礎にして緩やかな共同性を新たに紡ぎ出していくことである。もっとも、これらの処方箋はまだ示唆の段階にすぎないため、理論研究を深めると同時に事例研究に基づいてその有効性を検証していく必要がある。分断を経たうえでの新たな共同性の可能性、これを今後の研究課題としていきたい」。

 日本に暮らすフィリピン人は20万人を超えている。日本人とフィリピン人のあいだに生まれた子どもはフィリピンに数万人いるといわれ、日本や世界各地に暮らす日本国籍、フィリピン国籍、「無国籍」の者をあわせて何人いるのか、その実態は定かでない。かれら/かの女らを支えているのも、「人びとの優しさや濃密な共同性」である。格差社会がすすみ、「豊かさや生活保障」をしなくなってきている日本や世界で、フィリピン人のもつ「優しさや濃密な共同性」が大切であると思ういっぽう、国家に頼れないむなしさも感じる。フィリピン人から学ぶことの大切さが、本書から伝わってくる。

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2012年10月30日

『「境界国家」論-日本は国家存亡の危機を乗り越えられるか?』小原雅博(時事通信社)

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 著者、小原雅博は、在シドニー日本総領事である。これまで、「アジア局地域政策課長、経済協力局無償資金協力課長、アジア大洋州局審議官などを務め」た外交官である。著書に、学術書に近い『東アジア共同体』『国益と外交』のほかに、『外交官の父が伝える素顔のアメリカ人の生活と英語』『15歳からの外交官が書いた国際問題がとりあえず全部わかる本』といった中高生を読者対象としたもの、中国人を読者対象として中国語で出版した『日本はどこへ向かうのか?』、そして、本書と「併せ手に取って」欲しいという新書『チャイナ・ジレンマ』がある。

 「本書はアジア外交に携わった者の回想も交えた個人的な思索の集成でもある」と著者は「あとがき」で述べ、つづけて著者の思いを読者と共有したいと、つぎのように述べている。「大復興」する中国と「アジア回帰」する米国との狭間に位置する「境界国家」日本の戦略は、明治以来の「アジアか欧米か」という二者択一ではなく、日米同盟と「日中協商」を共に追求する二者両立でなければならない。それは「境界国家」日本にとっての「究極の選択」であり、「外交の真髄」でもある。日本、アジア、そして世界へのインパクトを語り、激動する東アジア秩序の展開と展望を語ることによって、日本の置かれている客観的状況を明らかにし、日本に何ができ、何をしなければならないか、を論じたつもりである。外交の現場に身を置いた者が何を考え、何をしたか、本書でその思いを少しでも共有していただき、共に日本の再生に向けて力を合わせてくださればそれに勝る喜びはない」。

 著者は、「悲観的になる必要はないが、日本は「まだまだ大丈夫だ」とか、「いや世界で最も好かれている」とか、甘い認識を振りまくのは無責任だ」という。そして、現状をつぎのように認識している。「今やアジアの中心に中国がいる。「世界第2位の経済大国」で通用する時代は過ぎた。インドやブラジルなどの新興国も日本を追い上げている。一方の日本は、相対貧困率が15%を超えて先進国中トップの水準である。ワーキングプアは641万人に達した。国力の低下は外交の足腰も弱める。政府開発援助(ODA)は削減が続いている。かつて世界一の援助国として途上国の期待に応えた日本のODA額は、今や5位に後退した。文化予算は中国の5分の1で、韓国より少ない。海外に留学する学生もめっきり減って、世界の知価をリードするハーバードやケンブリッジといった海外の名門大学で日本人学生を見つけるのは至難の業だ。今や日本の存在感は悲しくなるほどに希薄になっている」。

 そのような状況を打破するためには、「国民が強い危機感」をもたなければならない、と何度も強調し、つぎの「2点を読者の方々に知っていただき、アジア太平洋の「境界国家」である日本の外交戦略と経済再生に向けた日本の国家戦略について、国民的議論を高めてほしい。それがこの本を書くに至った私の思いである」と述べている。「第1に、日本のしたたかな東アジア外交であり、私が外務省入省以来一貫して自らに問い続けてきた命題、すなわち日米同盟と「アジア重視」の「共鳴」を目指す外交戦略である」。「第2に、目覚ましい成長を続ける東アジアの統合プロセスに参画していくことによって日本を変革し、日本を再生するという国家戦略である」。

 本書に何度も出てくることばに、「慫慂(しようよう)」がある。『広辞苑』には、「傍から誘いすすめること」とある。あくまでも国民が主体であって、外交官の役割は「傍から誘いすすめること」にあるといっているようだ。著書は、つぎのようにも述べている。「国民を大事にしない国家はいずれ滅びる。太平洋戦争への道はまさにそれに絵を描いたような歴史であった。しかし、自分たちの国家を大事にしない国民もまたいずれ滅びる。国民が主人公である民主主義国家において、自らの選んだ政府をひたすらこきおろすだけのワイドショーに留飲を下げているだけではこの国の未来はない。何が課題で何をすべきなのか、そのために国民一人一人がどう声を上げ、どう行動すべきなのかを自らの問題として考え、社会を動かし、政治を動かす必要がある。世界中で機能不全に陥った観のある民主主義は、政治家任せではなく、圧力団体主導でもなく、「サイレント・マジョリティー」となってしまった圧倒的多数の国民の意識改革にかかっている。危機感を共有し、世界に目を向け、アジアに「国を開く」べく意識変革を行い、日々の生活でそれを実践していくことが、この国を目覚めさせ、奮い立たせ、再生させることにつながる」。

 著者が本書で国民に求めていることは、至極もっともなことばかりだ。判断するだけの基本的知識をもたない「サイレント・マジョリティー」にたいして、本書が書かれたことも頷ける。問題は、「サイレント・マジョリティー」は本書のような本を読まないし、議論もしないことだ。民意を軽視することはもってのほかだが、民意を信頼しすぎ、あてにすることも危険だ。危機感をもって民意を向上させるためになにをしなければならないかを考えることも必要だが、民意が向上しない場合にどうするかという対策も必要な深刻な事態に陥っている。このままだと、「独裁者」が出現すると「サイレント・マジョリティー」が文字通り黙ったまま従ってしまう。「世界中で機能不全に陥った観のある民主主義」をどう立て直すかが急務の課題であるが、その解決はもはや外交だけでは無理だろう。かつてのような狭義の外交だけではなくなっている。芸能やファッションなど、文化的なものはすでに「国境」を意識しなくなってきている。経済もTPPなど「国境」をなくす試みが活発である。政治だけが、時代に乗り遅れている。とくに東アジアでは、世界や地域が国家に負けず劣らず重要になっている時代に、国民統合や愛国主義が取りざたされている。国家を軽視するというのではなく、総合的に考えて、どう具体的に発言し行動するかが、ひとつの鍵になっている。Win-Winな関係が求められているなかで、両敗倶傷になる争いは避けたい。そのためにも、本書のような外交の現場からの「声」を大切にしたいが、それをどう国内外の民意と結びつけるかが大きな課題となっていることは、本書からも明らかだろう。

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2012年08月28日

『ヒューマニティーズ 政治学』刈部直(岩波書店)

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 本書のタイトルを「政治学」だけでなく、「ヒューマニティーズ」を加えた。普通、「ヒューマニティーズ」といえば、自然科学や社会科学にたいして使われる「人文学」「人文科学」あるいは「哲史文」すなわち哲学、歴史学、文学などのことを指す。「政治学」は社会科学の1分野とされる。それが、なぜ「シリーズ ヒューマニティーズ」の1冊に加えられたのか。その説明は、本書のどこにも書かれていない。はなはだ不親切なだけでなく、本書の位置づけがわからないため、本書を充分に理解できないという、執筆者にも読者にもたいへん不利益なものになっている。

 岩波書店のホームページを見ると、つぎのような説明があった。「断片化する学問のあり方に抗して、人文学的知の本質を問う。これからの人文学を担う世代のための新たな指針」。「現在の人文学的知は、グローバル化のもとでの制度的な変動とも結びつきながら、新たな局面をむかえつつある。学問の断片化、細分化、実用主義へのシフトなど、人文学をとりまく危機的状況のなかで、新たなグランド・セオリーをどのように立ち上げるのか。人文学のエッセンスと可能性を、気鋭の執筆陣が平易に語る」。

 本書の特色は、「1 その学問は、どのように生まれたか」「2 その学問を、学ぶ意味とはなにか」「3 その学問は、社会の役に立つのか」「4 その学問の、未来はどうなるのか」「5 その学問を、学ぶためになにを読むべきか」という、共通の問いに答える、5つの章から成り立っていることである。「この五つの問いに旧来の学問を投げ返したときに、いまなにが新しくみえてくるのか、そのことから、それぞれの学問のエッセンスが解き明かされます」。

 だが、本シリーズに、政治学や法学、経済学といった社会科学の分野が入っていることの説明はされていない。自然科学や社会科学といった近代に活躍した学問が、そのままでは役に立たなくなってきて、自然科学や社会科学にも人文学の知識や考え方が重要になってきていることは説明されていない。本書を、社会科学としての政治学の入門書と思って読んだ人は、期待はずれになるだろう。否、その前に読むのをやめてしまうかもしれない。我慢して最後まで読んだ者は、今後の政治学になにが必要なのかすこしわかったかもしれない。

 本書で、著者刈部直は、「高校での「現代社会」や「政治・経済」の学習内容と、大学で講義されている「政治学」関連のさまざまな学問の知識」との大きな断絶から話を始める。「二つのあいだには、質の違いと言ってもいいものが横たわっています。高校で「現代社会」や「政治・経済」が好きで成績がよかったので、同じようなものだと思って大学で政治学関係の講義に出席してみると、どうもなじめず、教師の話についていくことができない……そんな人に、この本は一番役にたつのではないでしょうか」。「それはなぜなのか。実はその問に対する答を全篇にわたって書いている」のが、本書である。

 そして、その結論は、帯の裏にある。「全体状況をリアルに見わたしてよりよい方向性を考えるとともに、過度な期待をみずから戒めること。その態度をとった上で、「政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセス」をふんでゆくこと。それはいかにも地味で、魅力に乏しいものであるが、一人一人の市民がその味気なさに耐えることこそが、政治を健全なものとして支えられる。-それが、現代において、一般の人間が政治にかかわるために適したあり方なのである」。

 本シリーズの「おわりに」で、著者自身がこのような入門書の書き手としてはふさわしくないと述べているものが目につく。本書の著者も、そのひとりである。それが本シリーズの特色であるにもかかわらず、著者自身にも充分に伝わっていないのだろうか。執筆者が胸を張って「わたし以外に、適任者はいない」と言え、読者が期待通りのものだったと感じられるような説明が、冒頭に欲しかった。この6月で、2009年5月に本シリーズ最初の『哲学』と『歴史学』が刊行されて3年間余で全11冊が出揃った。現代の人文学的知とななにか、シリーズ全体を通して流れるメッセージを各巻で確認しながら、読み進めたかった。


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2012年07月10日

『原理主義の終焉か-ポスト・イスラーム主義論』私市正年(山川出版社)

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 2012年6月30日、エジプト大統領選に当選したムハンマド・ムルシ氏が、正式に大統領に就任した。ムルシ氏は、穏健派イスラーム団体のムスリム同胞団が擁立し、自由な選挙で選ばれた初の文民大統領である。この報道を聞いた人の多くが、「イスラーム主義」の勝利と理解したかもしれない。しかし、著者私市正年は、「イスラーム主義運動は、一九八〇年代末に頂点に達し」、その後「ポスト・イスラーム主義」の時代に入ったという。

 まず、この「イスラーム主義」などのことばを、著者がどのような意味で使っているのか、つぎの文章で確認しておこう。「イスラーム主義(イスラーム原理主義)運動とは、現代においてイスラーム法(シャリーア)にもとづく国家を建設しようとする政治運動(多くは社会運動、文化運動をともなう)をさし、シャリーアにもとづく国家建設を主張しない広い意味での政治運動(トルコのAKP[公正発展党]など)をイスラーム運動と呼ぶ。両者を含む場合はイスラーム政治運動という言葉を使う」。

 本書は、つぎのような内容が5章にわたって書かれている。「一九六〇年代のナショナリズムの後退から、八〇年代のイスラーム主義(イスラミズム)の勝利までを前史として概略を記述した後、九〇年代のテロリズムと内戦の時代から、二十一世紀のアル・カーイダによるグローバル・テロリズムへといたる過程を、イスラーム原理主義の終焉とポスト・イスラーム主義(ポスト・イスラムズム)の時代への過程として理解、詳述し、それを踏まえつつ「アラブの春」の歴史的背景と意味を明らかにしたい」。

 このように時代を追って考察し、最後の「第5章 ポスト・イスラーム主義から「アラブの春」へ」で、イスラーム主義運動が挫折した直接的要因を、つぎの3つに整理して説明している。「第一は、イスラーム国家の建設というユートピアをあまりに急ぎ過ぎたこと。アルジェリアのFIS[イスラーム救済戦線]の場合も、エジプトのイスラーム団も大衆の支持をえたのち、イスラーム国家の建設を急ぐあまり、政治的プランや経済的プランの適用可能性を十分に検討しないまま、宗教的レトリックを優先したのである。第二は、権力の弾圧にたえ切れず、それとの直接対決に向かったこと。権力が圧倒的な武力によってさまざまな民衆運動、あるいは民主的改革を踏みにじるのはつねであり、これにたえて大衆の支持を保ち続けながら、粘り強い闘いを続けないかぎり、運動は成功しない。この点でアルジェリアのFISもエジプトのイスラーム団も、権力との直接的衝突から、暴力闘争に走ったことは大衆の支持を失う大きな原因となった。第三は、運動内部の多様な構成要素間の紛争・対立を平和的かつ民主的に解決する方法を見出せなかったことである」。

 この挫折の後の変化をになったのは、「西欧「民主主義」陣営の圧力やイニシアティブによってもたらされたもの」ではなく、「一九九〇年代以降に大人の仲間入りをした青年層や女性たち」で、「地域社会の内部から変革のうねりを生じ」させた。

 そして、著者は本書をつぎのようにまとめ、締めくくっている。「革命後、一年余しかたってない段階では状況が流動的であり、結論を急ぎ過ぎとのそしりを招くかもしれないが、これまでの考察からつぎのような見とおしをもっている。革命後の国会議員選挙で、チュニジア(ナフダ党)でも、エジプト(自由公正党)でも、さらにモロッコ(公正開発党)でもイスラーム政党が第一党の地位をえたことから、この政変をイスラーム主義の勝利とみる向きもある。だが、これらのイスラーム政党はいずれも、トルコのAKPと同様に、シャリーアにもとづく国家という理念を否定しているのである。社会運動組織としてのムスリム同胞団はシャリーアにもとづく政治体制という原理を放棄しないが、現実の政治はそれでは動かない(イスラーム主義に内在する矛盾)ということは、歴史体験から明らかにされた。したがって、これらのイスラーム政党がよって立つ原理は、政治と宗教のたがいの自立(反宗教的ではない)であり、その志向はいわばイスラーム的ナショナリズムである。イスラーム主義運動とは本質的に異なっているのである」。

 この「ポスト・イスラーム主義」時代と、われわれの生活がどう結びつくのか、本書からはわからなかったが、影響がないわけはない。注視してみていきたい。

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2012年06月26日

『政府は必ず嘘をつく-アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』堤未果(角川SSC新書)

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 著者の堤未果のもとに、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた日の夜、海外に住む友人たちから次々に連絡がきた。そのなかに、つぎのように警告した友人がいた。「気をつけて。これから日本で、大規模な情報の隠ぺい、操作、統制が起こるよ。旧ソ連やアメリカでそうだったように」。その根拠は、アメリカで9・11の同時多発テロ以降に起こっている「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義「ショック・ドクトリン」によって、貧困格差が拡大し続け」、「情報が操作され、市場化の名の下に国民が虐げられているアメリカの惨状」だった。「日本が二の舞になる」という警告を、どれだけの日本人が真に受ける受けないの知識をもっているだろうか。「ショック・ドクトリン」とは、「災害やテロ、クーデターや大規模伝染病など、人々が恐怖とショックで思考停止に陥っている間に、企業寄りの過激な市場化政策を推し進めてしまう手法だ」。

 本書は、2011年11月16日のウォール街デモの現場からはじまる。「アメリカでは上位1%の人間が、国全体の富の8割を独占している」。「想像を絶する資金力をつけた経済界が政治と癒着する<コーポラティズム>」が、「9・11テロをきっかけに加速し始め」、「大幅な規制緩和とあらゆる分野の市場化を実施、この10年でアメリカの貧困層を3倍に拡大させた」という。この<コーポラティズム>の最たる例が、「電力会社と官僚、学者、マスコミの4者がからむ利権構造である<原子力村>」で、「重要情報だからこそ出なくなる」という監視体制の強化も、たしかに3・11以降経験した。

 ことは、9・11と3・11だけではない。アラブの春も、TPPも、すべて同一線上にあるという。イラクのサダム・フセインは、「9・11後、テロの首謀者であるアルカイダと関係を持ち、大量破壊兵器を所有しているという理由で死刑にされた」が、いまだにアルカイダとの関係は不明で、大量破壊兵器はみつかっていない。

 そして、2011年10月、リビアのカダフィ大佐が殺害された。NATO軍は、「「カダフィ大佐の反政府軍に対する容赦なき弾圧から人民を救うために、あらゆる措置を容認する」という国連安保理決議を受け、以来2万回以上の出撃と8000回近い爆撃を行った」。

 しかし、本書では、つぎのように説明している。「カダフィは全ての国民にとって、家を持つことは人権だと考えており、新婚夫婦には米ドル換算で約5万ドルもの住宅購入補助金を、失業者には無料住宅を提供し、豪邸を禁止していた。車を購入する時は、政府が半額を支払う。電気代はかからず、税金はゼロ。教育、医療は質の高いサービスが無料で受けられる。もし、国内で必要条件に合うものが見つからなければ、政府が外国へ行けるように手配してくれる」。「大家族の食料費は固定相場、全てのローンは無利子でガソリンは格安。農業を始めたい国民には土地、家、家畜、種子まで全て国が無料で支給、薬剤師になりたい場合も必要経費は無料だ。42年前、カダフィが権力の座に就く前に10%以下だった識字率は、今は90%を超えている。これらの政策を可能にしていたのは、アフリカ最大の埋蔵量を誇る石油資源だった」。

 「ではなぜ、リビアは標的になったのか」。本書では、ロシア人ジャーナリストのつぎのような説明が引用されている。「リビアは144トンもの金を保有していました。カダフィはその金を原資に、ドルやユーロに対抗するアフリカとアラブの統一通貨・ディナの発行を計画していたのです。そこにはIMFや世界銀行の介入から自由になる<アフリカ通貨基金>と<アフリカ中央銀行>の創設も含まれていました」。そして、「統一通貨であるディナが実現すれば、アラブとアフリカは統合される。だが、石油取引の決済がドルからディナに代われば、基軸通貨であるドルやユーロの大暴落は避けられないだろう。これについて、フランスのサルコジ大統領もまた、リビアを「人類の金融安全保障への脅威」と呼び、危機感をあらわにしていた」。

 「2010年10月に突如としてマスコミに現れた<TPP>」は、「2015年までに工業製品、農産物、知的所有権、司法、金融サービスなど、24分野の全てにおいて、例外なしに関税その他の貿易障壁を撤廃する」という投資家や企業にとって〝バラ色の未来〟となるものであるが、「政府が外資の参入に対し国民を守る責任を放棄してくれるだけでなく、自分たちの利益を損なう規制に関しては、その国を相手に訴訟を起こす権利(ISD条項)までついてくる」。そして、アメリカの大企業だけが有利になることを、つぎのように説明している。「全加盟国の中でアメリカ政府だけが、自国の国内法と異なるルールが<TPP>の検討事項に挙がった際、議会の承認が得られないことを理由に拒否できるのだ。これは、<TPP>が自由貿易ではなく、アメリカ政府が要求するルールに支配されるものであることを示している。だが、日本政府は国会で追及されるまでこれを認めず、マスコミもほとんど報道していない」。

 しかし、アメリカの<失われた10年>で、最も打撃を受けたのは、「何と言っても<公教育>」だという。つぎのような高校教師のことばが、紹介されている。「<コーポラティズム>が支配を強めるアメリカでは、2001年と2002年に導入された<愛国者法>と<落ちこぼれゼロ法>という二つの政策が、異なる意見を押しつぶす空気を拡大させている」。「9・11以降、政府が進めてきた教育改革は、強力に規格化された点数至上主義と厳罰化による教育現場の締め付けでした。<恐怖>は国民を萎縮させ、統制するのに有効なツールです。テストでいい点数を取れなければ、生徒は学校から切り捨てられ、教師は無能だとして処罰される。効果はあったようです。その結果、皆が恐がってモノを言わなくなってきましたから」。そして、「アメリカ社会にとって深刻な問題を引き起こす事態」になっていると、つぎのように語っている。「現場をまるで理解していない政府は、<国際的に通用する人材>と<落ちこぼれ>の二極化が、インセンティブを生むという。ですが、学力を全て数値化する点数至上主義は、教育から多様性を奪うのです。生徒の好奇心や批判的思考、物事の根拠を追求する姿勢や正当性のない権威に抗議するような姿勢を圧殺することにつながる」。「子供たちは自分の頭でものを考えなくなる。<改革>というと何か希望をもたらす印象を受けますが、実態は新しいタイプのファシズムです」。イギリスで、サッチャー政権のときに失敗した「市場原理ベースの教育改革」は、大阪でも<教育基本条例>を掲げておこなおうとしている。

 このような絶望的な内外の情勢を伝える本書は、つぎのことばで終えている。「それでも、人間を壊すこの価値観に飲み込まれそうな世界の中で、未来をあきらめない大人たちの存在が、子供たちの勇気になると信じたい」。「世界が変わるのを待っていないで、それを見る私たち自身の目を変えるのだ」。そのためには世界を見るための知識が必要だが、民主主義を標榜している国ぐにの学生の学力低下には目を覆いたくなる現状がある。<コーポラティズム>の支配を許しているのは、民力の低下だろう。選挙に勝つことを第一に考える政治家の一時しのぎの人気取りに惑わされない民力をつけるだけの教育が必要であり、その民力がないなら民主主義は健全に機能しないことを自覚すべきだろう。政治家だけの責任ではなく、自分たちの責任だと。

 著者が「胸がいっぱいになってしまった」NHK総合テレビの「課外授業 ようこそ先輩」で、子どもたちが自身で書いたつぎの「憲法前文」を忘れないで、大人になってほしい。そして、その実現のために、子どもが勉強する意義と社会をよくしていく楽しさを学ぶ環境を整えるのが大人の責務だろう。まず、大人が「嘘をつかない」を子どもに示さなければならない。「そこでは、みんなが安心して暮らせ、毎日家族一緒に安全でおいしいご飯を食べ、学校には笑い声が響き、一人ぼっちで寂しい人は一人もいなく、動物が大事にされ、世界から信頼され、知らない人同士が『ありがとう』と言い合える。そんな幸せな国をつくることを、ここに誓います」。

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2011年08月23日

『世界政治叢書7 南部アジア』山影進・広瀬崇子編著(ミネルヴァ書房)

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 本書は、「世界政治叢書」全10巻の1冊である。しかし、ほかの巻のタイトルが聞き慣れた地域名・国名であるのにたいして、本巻のタイトルは「南部アジア」である。この聞き慣れないことばを使った理由を、編者のひとり山影進は「序章 南部アジア政治試論」で、つぎのように述べている。「南部アジアとは、普通には東南アジアと南アジアと呼ばれている別々の地域を一括してとらえる言葉として用いている」。「一括して南部アジアとしてとらえることで、従来は見えなかった(あるいは見えにくかった)「何」が見えてくるのか。この序章では、背景となる歴史を展望しながら、南部アジアにおける国内・国際政治を見る視点を打ち出す。つまり、南部アジアの政治を理解する上での重要課題を指摘することがこの序章の目的である」。

 まず、「背景となる歴史」について、つぎのように的確に展望し、歴史的に東南アジアと南アジアを別々に論じる意味がないことを説明している。「16世紀初頭に香料諸島(東インドネシアのマルク諸島)をめざして進出してきたヨーロッパ勢力も、当然のことながら、現在の南アジアと東南アジアとを区別したわけではない。ポルトガルのインド帝国はアラビア海に面したゴアを拠点にして、アフリカから東アジアまで散在する交易拠点をネットワーク化して統治する組織であった。スペインはフェリーペ(フィリップ)の領土(フィリピン)を新スペイン(メキシコ)と結びつけた(アカプルコ・マニラ交易)。17世紀になるとオランダ東インド会社は島嶼部に進出してポルトガル勢力を追い出し(東ティモールのみが、ポルトガル領で残った)、オランダ領東インド(インドネシアの前身)の基盤を築き、19世紀にかけて面の支配を完了した。イギリス東インド会社はフランス勢力を南アジアから駆逐し、政府から与えられた広範な特権を利用してインド統治に手を染めた。さらに中国をめざすイギリスは、ビルマ(現ミャンマー)をインドに組み込むと共に、マレー半島、シンガポールやボルネオ島の一部を勢力下に置いた。インド権益を奪われたフランス勢力は、東南アジア大陸部(インドシナ)に拠点を移した。そして20世紀初頭には、スペインとの戦争に勝利したアメリカがフィリピンを支配するようになった」。

 そして、今日、南部アジアの政治課題として、つぎの「6つの課題に直面していると概括することができるのではないだろうか」と問いかけている:「民族自決問題の解決」「エスニシティやアイデンティティをめぐる政治」「国民政治におけるイスラームのあり方」「民主化と社会の開放への圧力に対する政治の対応」「21世紀に入った今日のグローバル化する世界のなかで、アジア諸国が直面している国民政治」「アジアの国々が互いにどのような地域秩序を形成していくか」。

 本書は、6部15章からなる。5部12章までは、「南部アジア」という新たな地域枠組もその効果も感じることはあまりなかった。なかには、「第9章 ビルマ(ミャンマー)・カンボジア」のように、これまでの発想とは違う比較を試みているものがあったが。興味深かったのは、「第Ⅵ部 南部アジアの地域制度構築」の3章である。そこでは、南アジアや東南アジアをひとつのまとまりある地域としてみていなかったり、「南部アジア」をはみ出して考えたりしている。

 たとえば、「第13章 アジア地域主義における南部アジア」では、つぎのような地域主義がみられると紹介している。「第14章でも詳しく取り上げられている環インド洋地域協力連合(IOR-ARC)の他、ベンガル湾多分野技術・経済協力イニシアティブ(BIMSTEC)、そしてアジア協力対話(ACD)が挙げられる。IOR-ACRにおいては、「環インド洋」という地域に属するという了解の下で、東南アジア、南アジア、西アジアおよびアフリカに属する諸国が、連携強化をはかっている組織であると解釈できる。同様にBIMSTECは、東南アジアと南アジアに属する諸国が経済協力をはじめとする様々な協力・連携を通じた関係強化を「ベンガル湾」という地域設定の下でめざす枠組であると位置づけられよう。ACDは東南アジアと南アジアのみならず、西アジア、中央アジア、そして北東アジアまで範囲を広げた広域アジアでの協力を進めるための制度である。このように、南部アジアにおいては、これらの様々な地域主義の動きが連関・重複しながら展開してきている」。

 「第14章 地域協力の鍵を握るインド」では、つぎのようにインドの本音を垣間見せる。「自国の経済力とは釣り合わない小さな隣国を相手にするよりも、またパキスタンという、ときに「敵意をむき出しにする」挑戦国とつきあうよりも、冷戦後の国際政治とグローバル経済のなかでますます重要な位置を占めつつある中国やASEAN、さらにその向こうのアメリカ、EUとの関係を強化することにある」。「ベンガル湾との繋がりをもたないパキスタンはBIMSTECについては、加盟考慮対象とはならない。共にBRICsに数えられる中国をライバル視するインドにとってみれば、BIMSTECは、ASEAN諸国への橋頭堡として経済的実利を得つつ、パキスタン抜きで対テロ協力を進めることまで可能となる。インドからすると、すこぶる都合のよい枠組みに見える」。

 結局は、南アジア、東南アジアにかわる地域として「南部アジア」という枠組を使っても、今日はひとつの地域の枠組だけで語ることは、不可能であることがわかった。国家、2国間関係、近隣諸国との関係(南アジア、東南アジア)、大国との関係などに加えて、「南部アジア」という枠組で考えると、「従来は見えなかった」ものが見えてくることもあるということがわかった。それは、序章で図式された「南部アジアの構図」ではおさまりきらない何重にも張り巡らされたネットワークで構築されている。その絆は、時と場所によって現れたり消えたりする。帯にある「立体的に描く」という意味がわかった。

 本書は、現代の政治課題を読み解くもうひとつの考え方として、「南部アジア」という枠組を提起している。「序章」でわかったように、歴史的にも「南部アジア」を枠組として考察する必要がある。これまで、南アジアと東南アジアは別々の歴史空間としてとらえられてきた。本書、とくに第Ⅵ部を参考に、「インドシナ」「インドネシア」「東インド」といった「インド」を含む東南アジアの地域名の意味を考え、歴史を再考する必要があるだろう。そのためには、国家中心の政治史だけでなく、たとえばポルトガル私貿易商人やイスラーム商人のように、文献では見えにくい人びとの存在を意識する歴史像、地域像を考えに入れる必要がある。

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2011年07月05日

『アメリカの影のもとで-日本とフィリピン』藤原帰一・永野善子編著(法政大学出版局)

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 本書は、研究プロジェクト「アメリカの影の下で-日比両国における対米認識と社会形成の比較研究」の成果として提出された英文論文から選んで、翻訳したものからなる。このプロジェクトは、2006年に開催された「第一回国際フィリピン研究会議アジア地区日本大会」の全体会といくつかの分科会を組織するために立案された。

 この研究プロジェクトのねらいを、編著者は「あとがき」で、つぎのように述べている。「従来、まったく異なる歴史的過程を歩んできたと考えられてきた日本とフィリピンであるが、アメリカを光源としてこの二つの国を並列すると違いだけではなくむしろ共通点が見いだせるのではないか、そうだとしたら、「日比関係」という枠組みを超えた日本とフィリピンのつながりだけでなく、両国を新しい視座のなかで比較する方法を模索できるのではないか、ということにあった」。

 また、編著者の1人、藤原帰一は、「序章 二つの帝国の物語-後発植民地主義としての日本とアメリカ」を、つぎのように結んでいる。「アメリカの直接的支配のもとにおかれたフィリピンと日本というこの二つの国に、それは何を遺産として残したのだろうか。ここに私たちの研究課題がある。第二次世界大戦後において、アメリカと日本を帝国として比較することは無意味となった。探求すべき残された課題とは、ともにアメリカが創造し維持してきた進歩的で非公式な帝国の影のもとにおかれた、フィリピンと日本の比較であろう」。

 近現代フィリピン政治史は、アメリカとの関係を基軸に書かれてきた。いっぽう、戦後日本外交史もまた、アメリカとの関係を基軸に書かれてきた。ともに多くの研究があり、それぞれ政治・外交史を超えて、文化などあらゆる分野でアメリカの影がつきまとったことを明らかにしてきた。本書の基となったプロジェクトは、日本とフィリピンとの関係性を「アメリカ」という第三者の存在を視野に入れながら従来の研究を参考に分析し、それぞれ異なったかたちで異種混淆(ハイブリツド)した実態を明らかにすることによって、日比関係だけでなく比米関係、日米関係をも見直そうとしている。それは、大胆な挑戦以外のなにものでもなく、それは以下にあげる3部8章のそれぞれのタイトルからもわかる。そして、その挑戦が成功すれば、その後の朝鮮戦争後の韓国など、アメリカが深く関わることになる国や地域の「超大国アメリカの影」を理解する一助となる。

  第Ⅰ部 帝国と国民国家のせめぎあい
 第1章 フィリピンと合衆国の帝国意識
 第2章 戦後日本とフィリピンのエリートの継続性-アメリカの影響
  第Ⅱ部 錯綜するイメージ-国民国家・ナショナリズム・戦争
 第3章 日本との戦争、アメリカとの戦争-友と敵をめぐるフィリピン史の政争
 第4章 二つの戦後六〇年-比米戦争と第二次世界大戦の記憶と哀悼
 第5章 象徴天皇制とホセ・リサールの神格化との比較考察
  第Ⅲ部 三つの主体の出会い-アメリカ・日本・フィリピン
 第6章 対抗する陰影 <日本>と<アメリカ>-フィリピン系アメリカ人の想像のなかで
 第7章 権力の三重奏-フィリピン人、日本人、植民地権力の場所
 第8章 アメリカの磁場のなかの自己形成-山口百恵と小泉元首相をとおしてみるヨコスカと戦後日本のねじれ

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2011年05月17日

『東南アジア現代政治入門』清水一史・田村慶子・横山豪志編著(ミネルヴァ書房)

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 「日本とも関係が深く、多様性にみちた東南アジアには、いかなる特色があるのだろうか。本書は、各国の独立から国民国家建設、民主化、経済発展へといたる道筋をたどり、アジア経済危機のインパクトとその後の体制変動を明快に概観する。発展から取り残された、子どもや女性などの弱者にも目配りし、さまざまな角度から東南アジア地域を学ぶ面白さ、奥深さを味わえるテキスト」と、表紙の見返しに本書の内容が要領よくまとめられている。

 本書は、「序章 東南アジアを学ぶあなたへ」の後、ブルネイを除く10ヶ国が1章ごとに概説され、最後に「第11章 ASEAN-世界政治経済の構造変化と地域協力の深化」が収められている。各章のタイトルには、その国を象徴することばを含む副題が付され、最初の頁で「この章で学ぶこと」が簡潔に示されている。そして、本文の後に読書案内があって、さらに「Column」がある。このコラムがいい。「あとがき」によると、「コラムには、本文では書けないエピソードや虐げられた人々の物語を入れることで、本文をより理解できるようにした」という。そして、「コラムから伝わる執筆者の人となりを想像するのも、読者の楽しみとなるに違いない」と続けている。本文でわかりにくかったことが、このコラムでわかったという読者もいるだろう。

 各編著者・執筆者のさまざまな工夫にもかかわらず、本書がわかりにくかったとすれば、つぎの要因が思い浮かぶ。まず、おもな読者対象の学生が、あまりに東南アジアのことを知らなさすぎることである。目次の後にある東南アジア全域の地図と「東南アジア各国の基本情報」に加えて、各章ごとに各国の地図と基本情報をまとめたものがあると、イメージしやすかっただろう。なぜなら、多くの学生にとって東南アジアはあまりに多様で、それぞれの国の区別がついていないからである。つぎに、本書が「東南アジア現代政治入門」ではなく、「東南アジア各国現代政治入門」になっている意味を、本書のはじめのほうで理解してもらったほうがよかっただろう。その意味で、「第11章 ASEAN 」の終わりのほうの記述は、本書冒頭にもっていったほうがよかったように思う。

 その「第11章 ASEAN」では、なぜ「各国」で記述されたか、EUとはどう違うのかが、つぎのように説明されている。「現在のASEANにおいては、依然国民国家の枠は固く、国家間協力というこれまでの路線を維持している。ASEAN憲章には、EUにみられるような国民国家を超える機関(超国家機関)や主権の委譲という要素は、今の時点ではみうけられない。EUのような議会や裁判所も規定されていない。すなわちASEANはEUなどと比較して、各国民国家の意思を反映する形の独自の協力を進めているといえる」。

 また、「日本とも関係が深く、...」というのも、関係する記述が各国のなかに散りばめられていて、まとまって理解しにくいだろう。「政治」中心であるから「経済」に多くの頁を割くことができなかったのだろうが、日本との密接な経済関係がもうすこし詳しくはじめにまとめて説明されていれば、つぎの「第11章」の記述もより具体的に理解できただろう。「ASEANは、日本にとっても最重要なパートナーの1つである。政治的にも経済的にもASEANとの関係は不可欠である。また日系企業にとっても最重要な生産拠点である。日本と日本企業にとっても、域内経済協力の深化とASEAN経済共同体へ向けての展開はきわめて重要である。ASEAN日本包括的経済連携協定や経済協力を含めて、日本・ASEAN関係の一層の深化が求められるであろう。もちろん経済援助や技術移転も欠かせない」。

 さらに、第11章の最後の「東南アジアを見ていく際には、ASEANの分析は欠かせない。そして、ASEANを見ていくことは、世界とアジア全体の政治経済の構造変化を見ていくことにも繋がるのである」ということがわかれば、「東南アジア地域を学ぶ面白さ」がわかってくるだろう。だが、書店に東南アジアにかんする本が少ないことからわかるように、なぜ東南アジアを知ることが日本にとって、アジアにとって、世界にとって重要なのかを理解している日本人、とくに若者が少ないという基本的な問題がある。なげかわしいことに、自習用テキストとしては、東南アジアのことをなにも知らないことを前提に書かざるをえないのが現状だ。講義で基本的な説明を聞いて、本書が理解できるようになることを期待したい。

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2011年01月18日

『ビルマ仏教徒 民主化蜂起の背景と弾圧の記録-軍事政権下の非暴力抵抗』守屋友江編訳(明石書店)

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 「黄金の国」「パゴダの国」とうたわれているミャンマー(ビルマ)では、パゴダ(仏塔)に入るときに靴下まで脱ぐのにたいして、「微笑みの国」のタイでは靴下をはくことが許される。具足戒(出家者が守るべきすべての戒律)を受けた正式な出家者にしか許されない緋色の衣も、ミャンマーではエンジ色がかったものが多いのにたいして、タイではオレンジ色や黄色がかったものが多い。同じ上座仏教でも、多少は違うが、国家の危機にあって、集結し街頭で祈る姿は変わらない。タイでも、2010年5月にタクシン元首相派(通称「赤シャツ隊」)のデモ隊と軍隊の衝突で多数の死傷者が出た後、僧侶が(1941年フランス領インドシナとの国境紛争に勝利したのを記念した)戦勝記念塔前で平和への祈りを捧げた。

 ミャンマーの僧侶たちの祈りのデモは、1988年の国軍による武力弾圧以降、断続的におこなわれ、2007年9月には燃料費の大幅値上げをきっかけに全国的なデモが発生し、無差別発砲などにより多数の死傷者が出た。1987年に国連が「最貧国」と認定した翌年に成立した軍事政権下にあって、一般民衆は苦難の生活を強いられてきた。僧侶は、その苦しみから救うために立ち上がったのだ。

 僧侶と社会との関係を、本書ではつぎのように説明している。「古代王朝の時代から、伝統的にビルマでは僧院による寺子屋式の教育システムの恩恵を受けてきた。人口のほとんどは村落に住んでおり、僧院は村の生活に欠かせない、中心的な役割を担ってきた。昔から仏教徒の家庭では、子どもに読み書きを習わせるため僧院に通わせてきた。読み書きを習う年齢に達すると、両親はその子を見習僧(サーマネーラ、沙弥)として入門させた。そして二〇歳になると、その見習僧は二二七戒を授かって正式の僧侶(比丘)になれるかどうか、授具足戒式によって出家の懇請をすることが許される。本人が望めば、在家信徒に戻ることもできた」。

 「地域の人々が功徳を積むために布施をすることで僧侶の生活は支えられ、その一方で僧侶は人々に精神面の助言を与え、そして地域の社会、教育、医療面での要請に応えてきた。僧侶は「社会の良心」であり、人々の苦しみや喜びに対し機敏に対応した。例えば、人々が重税や強制労働、米の割当て徴収、強制移住を余儀なくされたときに、僧侶が人々の苦境を黙って見ているなどということはなかった」。

 「軍事政権下のビルマで、僧侶は、日常的な生活にこと欠き、子どもの教育費を払えない貧困状態に陥った在家信者の救済にあたった。僧侶は紛争地帯で孤児となった子どもたちや、苦境に置かれている子どもたちを引き取り、小さな学校を建てたりした」。このような僧侶の活動にたいして、軍政下の宗教省は支援をするどころか、1988年以降弾圧するようになった。「一九八八年八月から九月にかけて六〇〇名の僧侶が殺され、一九八八年では約一万名の死者が報告されている」。

 軍事政権側は、それにたいして、つぎのように説明しているという。「デモに参加した僧侶や見習僧は「仏教に対し有害な行動をとった破戒僧」にほかならない。よって「このような僧侶こそビルマの仏教を破壊するものである」という「論理」に基づいて、鎮圧に向かう兵士らを説得し、「破戒僧なのだから撃ってもよい」と命令するのである。「本当の僧侶」でない以上、逮捕もするし、拷問もするし、そして僧侶にとって最も屈辱的といえる強制還俗もさせてしまうのである。還俗は本人の意思によるもの以外、本来は無効であり、また長老の僧侶が立ち会って還俗のための儀式を行う必要があるのだが、立会いに同意する長老がいなくても、軍政は逮捕した僧侶を個別に脅して、無理やり還俗させている」。

 「本書では、二〇〇七年に起きたビルマ軍事政権に対する仏教徒の抵抗を明らかにするとともに、それがこの年にのみ起きた現象ではなく、それ以前から行われていたことを明らかにすることを目的としている」。本書は3部からなり、根本敬氏の「解説」の後、つぎのようになっている。「第Ⅰ部は、二〇〇七年夏にビルマ全土で起きた民主化蜂起とその弾圧に関する、二つの報告書とビルマ人僧侶による四つの発言をもとに編集した。第Ⅱ部は二〇〇七年以前からすでに仏教に対する弾圧が行われていた歴史的経過を示す記録を収録した。第Ⅲ部は資料編として、本書に関連する資料や年表をまとめた」。

 本書を読むと、副題の「軍事政権下の非暴力抵抗」の現実が見えて、その忍耐強さに感銘を受ける。しかし、いったいいつまで、堪え忍ばなければならないのだろうか。そして、その軍事政権を支援している国ぐにや人びとがいることを忘れてはならないだろう。日本政府は、軍事政権成立の翌年1989年に承認、ODA継続案件を再開し、2003年にようやく新規ODAを凍結している。

 さらに複雑なのは、キリスト教徒カレン人やイスラーム系ロヒンギャ人が、難民としてタイやバングラディシュなどに流出していることにたいして、仏教徒ビルマ人がどのように対応しているかである。弾圧を受ける側が、弾圧を加える側にまわることが、弾圧する「従順な」仏教徒ビルマ人の軍人ひとりひとりを生んでいるようにも思える。

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2010年11月23日

『難民への旅』山村淳平(現代企画室)

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 「うまれかわり、もう一度機会があれば、わたしたち[難民]は[定住先として]日本をえらびません」「[UN]HCR[国連難民高等弁務官事務所]は、欧米のNGOとともに新しい支配者としてやってきた」。著者の山村淳平が、日本に定住した元難民やバングラデシュで難民支援をしている地元NGOの医師から聞いたことばである。いま、日本で、世界で、難民になにがおこっているのだろうか。

 著者は、フィリピン、バングラデシュ、タイ、ザイール、パキスタンなどで難民のための医療活動に従事し、日本では外国人診療にたずさわっている経験をもとに、援助、民族、国家とはなにかを問いながら、難民が発生する原因や社会背景を探り、さらに「難民保護」や「人道支援」の名のもとに、どのような「暴力」がおこなわれているのか、その実態に迫ろうとしている。

 HCRは、東西冷戦構造下で共産主義陣営から西側に逃れてきた人びとを難民として受け入れるために、1950年に設立された。当初から政治性が強く、先進国を中心とした資金からなり立っているため、日本をふくむ先進国の「国益」を無視した「人道支援」ができないという。その援助金の多くも事務所経費や人件費などに使われ、実際に難民に届くのは2~3割だと言われている。そして、HCRの職員はファーストクラスの飛行機に乗り、豪華なホテルに泊まり、地元の有力者と優雅なパーティを楽しんでいる。

 いっぽう、日本の条約難民認定者は1982年から2009年までに538人で、認定率は7%にすぎない。2009年は22人、1%である。しかも、認定を待つあいだ、日本語教育もなく、仕事もなく、なにもしないだけでなく、外出することも許されず、あたかも犯罪者のように扱われたと、屈辱感をあらわにする者もいる。入管は難民条約の原則をやぶって強制送還をおこない、入国できても外国人収容所では差別と蔑視から暴行がおこなわれている。著者たちは、その実態を『壁の涙-法務省「外国人収容所」の実態』(現代企画社、2007年)で明らかにした。

 日本に長く暮らす外国人は、日本人の仕事仲間や隣人がとても親切だと言う。しかし、その日本人個人が、国家を意識するととたんに、国益を重視して外国人を排除する。戦争中、心優しい日本の兵隊さんが、上官の命令、つまり天皇の命令で、お国のためと言われたとたん、国家の忠実な下僕となって、住民を虐殺する無慈悲な人間に変貌したのとなんらかわりない、収容所などの日本人職員の難民を扱う姿が、本書に描かれている。グローバル化が進み、多文化共生社会が唱えられても、難民の居場所は、とくに閉鎖的な日本にはないことがわかる。

 本書を読んで、一方的で極端な見方だと、嫌悪を感じた人がいるかもしれない。その原因は、著者個人より、もっと深いところにある。本書で取りあげられた民族名を、すべて知っている日本人は、極々少数だろう。著者は、1991年のフィリピンで火山噴火の被災民の医療支援を通じて「目覚めた」。しかし、多くの日本人は、世界各地で難民となって生まれ故郷を離れざるをえなくなった人びとのことを知らないし、関心もない。まず、著者のように、これら一般の人が聞いたこともないような民族のことを理解しようする人が現れ、本書のように、その実態を知らせることが必要だろう。そのためには、これらの民族の歴史と文化を知る基礎研究が大切になる。著者のように難民とかかわりをもった者が、まず最初に困ることは、基本的知識を得るための一般書・教養書がないことだ。先進国や国際機関にだけ目を向けるようでは、いまの世界は理解できないし、未来も展望できない。

 本書は全6章からなり、その最後の章が「歴史をひもとく」である。暗記を要求される日本の学校の歴史の授業を苦手とした著者が、現代に起きている事象と過去の出来事とを結びつけることによって、未来を考えるようになった。その結果、難民を生み出したのは、「近代」が民族や国家によって人びとを分断し、争いを引き起こす意識を生んだからであるとし、難民を生み出さないためには、まず国家の武装を解くことだと説く。そして、この複雑な難問を解くために、複数の文化のあいだを行き交う「難民」こそが重要な役目を果たすことを指摘する。

 いま大切なことは、自分の国だけ、ある一部の国ぐに・地域だけの平和も繁栄も、あり得ないことに気づくことだろう。世界のどこかで戦争や紛争がおこって、不幸な人びとが出現すれば、それが巡り巡って自分たちの生活を脅かす危険性がある。「国益」を超えて考えることの意味を、本書は教えてくれる。

[本稿をもとに書いた書評を、11月22日に時事通信社から配信した]

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2010年11月09日

『天皇陛下の全仕事』山本雅人(講談社現代新書)

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 住所は、「東京都千代田区千代田 皇居 御所」、姓はない。職業選択の自由もなければ、定年も引退もない。休日出勤は当たり前、休暇先にも仕事が運ばれてくる。もし、天皇がいなくなったら、本書に書かれている仕事のかわりは、だれがどのようにするのだろうか。いなくてもなんとかなるのか、いたほうがいいのか、本書から考えてみよう。

 著者、山本雅人は、「昭和四二(一九六七)年、東京都生まれ、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業後、産経新聞社に入社」。「平成一五(二〇〇三)年二月~同一七年二月、宮内記者会(宮内庁記者クラブ)で皇室取材を担当」。その経験を基に本書を執筆したが、そのきっかけは、「宮内庁の担当として実際に毎日見る以前と以後との「天皇像」に大きなギャップがあり、一般の人もほぼ同様なのではないかと思ったからだ」。この手の本は、著者がどのような背景をもち、どのような意図で書かれたかによってずいぶん違ったものになる。

 たしかに、学校教育で習う天皇の仕事は国事行為で、「衆院の解散」「総選挙の公示」など数年に一度しかないものが含まれている。いっぽう、テレビニュースなどで映しだされる天皇は、「一般参賀や地方訪問での「お手振り」、展覧会鑑賞など」で、その全体像はあまり知られていない。その第一の理由は、皇居内での行事が多く、公開されないものが多いためだという。

 本書は、天皇制をめぐるさまざまな議論の前提として、「そもそも天皇はどのような仕事をしているのか」をきちんと知ることが重要だという観点で書かれた。その構成として、「まず、皇室の構成や天皇の行事の法的な分類、仕事内容の内訳について説明する。天皇の行為は、1憲法に明記された「国事行為」、2「公的行為」、3「その他の行為(私的行為)」の大きく三つに分かれる。「国事行為」と「その他の行為」の中間に、「公的行為」という分類があるのである。政府の見解によると、公的行為とは「象徴という地位に基づき公的な立場で行われるもの」だという。国体開会式も歌会始も外国訪問も、この「公的行為」に属している。国事行為以外に、この「公的行為」についてもきちんと知ることが、天皇というものを理解するうえで不可欠なのである」。

 つぎに、「このような概略説明に続けて、法的にもっとも重要な国事行為の実務である「執務」(上奏書類の決裁)、皇室内部でもっとも重要であり、天皇制存立の根幹にかかわる「祭祀(さいし)」、そして全仕事の約四分の一を占める「外国との交際(国際親善)」関係の行事、地方訪問も含めた国内のさまざまな「公的行為」の行事、「その他の行為(私的行為)の順に、天皇の仕事の解説を試みた。その際、宮内庁担当になったばかりのころの新鮮な驚きと一般の人の目線を大切にするよう心がけた」という。それは、「平成琉」とよばれる相手の目線と同じ高さで語りかける今上天皇から学んだことかもしれない。

 本書を読むと、劇的な時代を駆け抜けた昭和天皇とは明らかに違う天皇像がある。それは、本書の裏に羅列してある見出し語のいくつかを拾ってみてもわかる。「平成琉の「お声かけ」の後、「福祉施設ご訪問/ハンセン病療養所ご訪問/災害被災地へのお見舞い/広島、長崎のご訪問/サイパン島ご訪問/・・・」と続く。また、福祉とならんで、皇室の果たしている役割の柱として、芸術や学問など文化振興がある。「文化振興は世界の歴史をみても、近代国家の君主の役割として共通するものである。日本では戦後、天皇は政治的権限を持たない存在となったが、文化の分野は政治性が薄く国民の合意も得やすいため、象徴天皇の時代となっても引き続き重要な「仕事」として取り組まれている」。

 「天皇の政治的利用」がされないかぎり、天皇・皇族の存在は、日本国、日本国民に利益をもたらしているように思える。しかし、これまでも国民が気づかないうちに「天皇の政治的利用」が行われてきた。本書では、1989年の天安門事件後の1992年の両陛下の中国訪問が、「西側諸国が発動した経済制裁を解除させる突破口」に使われたことなどが紹介されている。いつ、どのようなかたちで、利用されるかわからないという危険性は否定できない。

 最後に、2002年の世論調査で、天皇制を「廃止するほうがよい」と答えた人が8%であったことを記している。ほかの調査でも、積極的に廃止に賛成する者はすくない。しかし、無関心である者が半数を占めるという結果もあるということは、なにかのきっかけで半数以上が廃止に傾くこともあり得るということである。いずれにせよ、年間数億円が「内定費」「皇族費」として使われており、少なからぬ影響がある存在だけに、もうすこしは天皇陛下の仕事を知ってもいいだろう。

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2009年12月01日

『川辺川ダムはいらない-「宝」を守る公共事業へ』高橋ユリカ(岩波書店)

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 ものごころついたときから川べりを歩き、泳いだり、釣りをしたりした川は、もうない。瞼を閉じれば、川面は浮かび、石の形まではっきりと思い出される。1957年に、突如、新聞報道でダム計画を知らされ、37年余の反対運動は95年に「終わった」。ダムは2005年に完成し、500戸近くが移転を余儀なくされた町の人口は700余世帯、2000人余まで減少し、町村合併で町の名は消えた。人生の大半を反対運動に捧げた人びとのほとんどは、解体されたわが家を地中に埋められ、町内に残ることなく散り散りになって、見知らぬ土地でさみしく人生を終えようとしている。

 この水没地区には、尺鮎もいなければ、急流下りもない。全国的に知られた子守歌もない。人びとは自分の食べる米を自分で作り、味噌も醤油も自家製で、四季折々に川で漁をし、すこしでも時間があれば山に入った。造り酒屋もあった。コンニャクをつくる者もいれば、ミツマタを栽培する者もいた。そこには、たしかに「ふるさと」があった。その「ふるさと」を、納得のいかない理由で失った。建設省や県の説明を聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、合点がいかなかった。やれることは、なんでもした。活動家がやってきて、「なにをしてあげましょうか?」と「親切に」言ってきたこともあった。やがて訳のわからぬ住民を離反させる工作がおこなわれ、ひとの和も失った。

 本書に書かれている以上のことが、全国各地で巨大公共事業の名の下に、おこなわれてきた。わたしは、母の実家で、その様子をずっと見聞きしてきた。そして、ダム建設がたんに「ふるさと」を失った以上に、深刻な問題であることに気づいた。本書の著者、高橋ユリカも、そのことに気づき、「エピローグ」でつぎのように書いている。「地方への富の分配手段であった必要な土木公共事業が、その役割を終えても、政策転換できず、自然を壊し続けた十数年だった。宝を壊す莫大な公共投資は、生産性に結びつかないゆえに明らかに日本経済失速の原因にもなり、ことに地方に暮らす人々から幸福感を奪っている。土木公共事業については、地方自治体にも中央と同じ構造的課題があり一筋縄ではいかない」。

 問題は、日本にとどまらない。世界銀行や日本のODA(政府開発援助)は、世界各地でダムを造ってきた。無駄な公共事業が世界に「輸出」されるだけでなく、世界の自然や環境問題にも悪影響を及ぼす虞れがある。すべての公共事業が悪いわけではない。助かった人もたくさんいる。しかし、時代や社会によっては、住民にも、国にも地球にも必要のないものがある。巨視的な眼でみることが必要な時代になった。だから、外国の日本研究者も黙ってはいない。日本の公共事業の論理が世界中に広まり、自分たちの生活を脅かすかもしれないから。

 本書の内容については、カバー見返しに、つぎのように要領よくまとめられている。「二〇〇八年九月に発表された蒲島郁夫熊本県知事による劇的な「川辺川ダム計画白紙撤回」宣言。しかしここに至まで、四二年前に国が決めた、無駄な公共事業の象徴ともいわれる巨大ダム計画に住民たちは翻弄され続けた。人々が川を財産として生業としてきた漁業や観光を立ち行かなくさせ、ときに生命と生活すら脅かす巨大ダム。受益者である洪水体験者も農家もいらないといったダム計画にあくまで固執したのは、国交省・農水省だった。清流の流れる故郷を未来に残すため、誇りをかけて闘った多くの人々に長年にわたって寄り添い、その声を伝えながら、地域を再生させるこれからの公共事業のあり方をさぐる渾身のルポルタージュ」。

 政権が民主党に移り、早速八ツ場ダム問題がとりあげられた。事業仕分けでも、ほかの公共事業にメスが入れられた。ひとつ気になるのは、「はじめに結論ありき」で、一方的に説明されることだ。八ツ場ダムもはじめから中止が前提であり、事業仕分けも廃止・削減が前提のようだ。そもそも採算性や効率性が悪くても、しなければならないことをするのが税金ですることで、それをいいことに必要もないものに多額の税金を使ってきたことが問題で事業仕分けをする必要がでてきたのだから、調査すればどの公共事業も採算性や効率性が悪いはずだ。大所高所に立って、判断するだけの力量があるかどうかが、民主党に問われている。「はじめに結論ありき」で一方的に決定し、状況が変わっても力ずくで押し通そうとするのであれば、旧自由民主党政権と同じことをしていることになり、民意は離れていくだろう。官僚に訊くのではなく、受益者に訊くことも必要である。官僚いじめで英雄に見える「仕分け人」も、受益者が相手だと「弱い者いじめ」に見えるかもしれない。

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2007年09月25日

『新安保体制下の日米関係』佐々木隆爾(山川出版社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、1935年生まれの著者、佐々木隆爾の「体験」を、客観的に見つめ直した書である。「六〇年安保闘争」時に「こわごわデモに加わった」著者は、半世紀を経て、「あの年に結ばれた日米安保条約(「新安保条約」)は一字一句も変えられないまま、今も生き続けて」いるにもかかわらず、「つぎつぎと姿を変えていく新安保体制という不思議な生き物を、歴史家として、また同時代人として把握しなおし」ている。そして、「その変化の様相を」「後世に語り伝えたいと書き上げ」、「行間にこめられた熱い思いを読みとって」欲しいと願っている。この「熱い思い」を、若い読者がどれだけ読みとることができるか、日本の将来がかかっている。

 本書を読み終えて、大きな流れとして、ふたつのことが読みとれた。ひとつは、「新安保体制下の日米関係」は、まさしく世界史、とくに東アジア史の文脈で読みとらなければならないということだ。「③-ベトナム戦争と沖縄返還協定」では、沖縄返還がベトナム戦争と密接に結びついていたことがよくわかる。そして、現在の基地返還問題も、日米間の問題だけでなく、世界や東アジアの国ぐにの理解が必要な国際問題であることがわかってくる。

 いまひとつは、戦後アメリカと同一歩調をとってきた日本が、いまやただたんに追随するだけでなく、独自の世界戦略をもつ必要あるということだ。「⑤-米軍再編下の日本」を読むと、日本が独自の戦略をもたないが故に、アメリカの戦略に翻弄されてきたことがわかる。すでに遅きに失したとはいえ、「世界のなかの日本」を抽象的にではなく、具体的に示すときがきている。そのことは、独自の軍事力をもつことではない! すでにおこなわれている「環境問題」への取り組みや、人権、貧困といった世界規模の問題に、日本という国家がどう貢献するかを明らかにしなければならない。軍事力抜きの「世界平和」を主張できるのは、「戦争の放棄」を謳った憲法をもつ日本だからこそである。

 それにしても、本書を読むと、日本の戦後は、良くも悪くも、アメリカとともにあったことがよくわかる。アメリカの庇護下のお蔭で、日本は軍事費を極端に抑えることができ、その分、経済発展のために国家予算を使うことができた幸運に恵まれた。そのいっぽうで、在日米軍の経費を分担する「思いやり予算」が1978年から正式の計上され、年々増額されて、90年代初頭には70%、アメリカ兵1人当たり2万ドルに達したことに驚かされた。湾岸戦争のときに、わたし自身、内定していた科学研究費が減額された経験がある。そこまでして、自国に外国の軍隊を駐留してもらう必要があるのか、疑問に思う人がいても不思議ではない状況になっている。

 本書に書かれているとおり、日本は日米安保体制下で「戦争協力」してきた。日本が独自に軍事力抜きの「世界平和」を構想したとき、アメリカはどこまで「協力」してくれるだろうか。1997年に「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書」にサインしなかったアメリカだけに、日本の要望に応えてくれるとはかぎらない。同盟関係は、一方的にではなく、相互に理解、協力し合うことによって、より深まる。そして、これからの2国間の良好な関係は、近隣諸国など国際的な理解のなかでしか長続きしない。否、国際的な理解抜きの2国間の良好な関係は、新たな国際紛争の火種になるかもしれない。日米関係も、新たな時代を迎えている。

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2007年07月17日

『憲法9条の思想水脈』山室信一(朝日新聞社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「本書を読み終えられて、「やっと人類はここまで来たのか」という感想をもたれた方と、「やはり軍備は必要なのだ」という確信を新たにされた方とに分かれることかと思います。」「その結論は、読者にお任せするとして、私個人は三十数年にわたって思想史を学んできていながら、初めて知ることのできた思想や運動の事実に、自分がいかに人類の一員として先人たちの恩恵を受けて今という時代に「生かされて在るのか」と気づかされることの多い執筆の日々でした。」

 著者、山室信一は、「おわりに-脆さへの慈しみを込めつつ」の冒頭で、このように述べている。「おわりに」に副題が付くことは、それほど多くないだけに、著書の思いが込められているように感じた。著者は、基礎研究を専らにしながら、事ここにいたらば、これまで蓄積したものを総動員し、新たに勉強して、世の人びとに判断となる知識と知恵を提供しなければならない、と日々の研究のなかで心がけていることが、本書からうかがえる。いま書かなければ、知識人としての存在意義が問われる、これまで先人が培ってきたものが無為になる、そんな著者の思いが伝わってくる。そのいま書かなければならないことが、「憲法9条」なのだ。

 そして、判断するためには、その場の雰囲気に惑わされることなく、今日まで続く「水脈」をしっかり理解することが必要だ。その「水脈」は、19世紀までさかのぼる必要があり、世界と日本の両方から考えていかなければならない。このことは、「はじめに」の副題「国境と世紀を越えるつながりを求めて」に表されている。日本思想史を専門とする著者による本書は、歴史学を専門とすることとは、普通の人より長い時間のなかで考え、とくに近現代史は世界史のなかで考えなければならないことを教えてくれる。

 本書の内容は、裏表紙の「紹介」で、要領よくまとめられている。「戦後日本を60年支えてきた日本国憲法、その改正手続きを定めた国民投票法案が2007年5月、国会で成立した。争点は9条である。」「人類の歴史のなかで、絶え間なく繰り返されてきた戦争。じつは、それゆえに平和を求める切実な声が途絶えることはなかった。日本でも幕末以降、軍備撤廃を論じ、戦争廃止を訴える思想が現れ、それらが第一次世界大戦後の「すべての戦争の違法化へ」という世界の動きと合流していった。」「憲法9条は、戦後、突然生まれたものではない。世紀を越え、国境を越え、脈々と流れてきた平和運動や非戦思想の到達点にあり、平和を個人の生存権として主張する画期的な条文なのだ。」「日本はいま「国益」「同盟強化」の名のもと、戦争を前提とした軍事力均衡政策が国民を守らなかった19世紀に戻ろうとしているのか?」

 著者は、声高に自分の主義主張を唱えているのではない。多くの異なった思想を紹介し、平和構築のために、人びとが判断とする材料を提供しているにすぎない。その背景には、充分な知識さえあれば、日本国民は判断するだけの良識がある、という希望的確信がある。著者は、これまでも大部で難解な専門書だけでなく、新書などで一般、とくに若者に向けて、研究成果をわかりやすく理解してもらおうと努めてきた。本書も、次世代を担う人びとを読者として想定しているのだろう。その努力がありありと見える。ひとりでも多くの人が、本書を読み、著者の「希望的確信」を裏切らないで欲しい。

 先日(2007年6月28日)、宮澤喜一元首相が亡くなった。日本国憲法の成立過程を肌で感じた人が、またひとりいなくなった。60年間も、この憲法9条が変わらなかったのは、成立当時の人びとの思いが凝縮されたものであり、それを守り続けてきた人びとがいたからであろう。肌で感じる人が少なくなった現在、われわれはその「水脈」をしっかり理解することによって、「護憲」「改憲」の二者択一の論理、あるいは「憲法による明文化」を越えて、「平和希求」のための確固とした考えをもたなければならない。

 個人的には、「近くて遠い存在」の著者が、またいっそう「近くて遠い存在」になった。見習わければならない存在としてより身近になったが、その背中はより遠くなってしまった。

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2006年08月15日

『本当に「中国は一つ」なのか-アメリカの中国・台湾政策の転換』ジョン・J・タシク・ジュニア編著、小谷まさ代・近藤明理訳(草思社)

本当に「中国は一つ」なのか-アメリカの中国・台湾政策の転換 →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 1996年3月、NHKBS1でフィリピンのニュースを見ていたら、マニラに日本の軍用船が50年以上ぶりに入港したと大きく報じていた。中華人民共和国(中国)軍が、台湾に直面する中国沿岸で軍事演習をはじめ、台湾の高雄と基隆の沖合にミサイル4発を発射したときである。日本の報道は、中華人民共和国軍の演習とアメリカの空母機動部隊の動きを中心にしていた。そのとき疑問に思ったのは、日本の海上自衛隊の動きが報道されなかったことだ。流れ弾が日本の領域に飛んでくるかもわからない状況で、日本が監視船を出していないのはおかしいし、監視船を出しているならそれを報道しないというのもおかしいと感じた。

 あれから10年、中華人民共和国の存在は、軍事面だけでなく、まずもって経済的に大きく発展し、政治力も増し、文化などあらゆる面で、「超大国」ぶりを発揮するほどになった。その存在があまりにも大きくなったために、わたしの専門とする東南アジアにも大きな影響を与え、その陰に隠れて東南アジアの存在が無視されるのではないかと危惧さえ抱くようになった。しかし、その危惧は、台湾に比べるとはるかに小さいことが、本書を読んでわかった。

 本書は、「アメリカを代表する有力シンクタンクの最重要提言!」で、「「一つの中国」政策は時代遅れの虚構である」と主張している。別の言い方をすれば、アメリカが台湾を見捨てれば、「民主主義国家となった台湾」の「民主主義」がなくなり、「アメリカの国益を損なう」ことになるという。「訳者あとがき」によると、本書は2004年3月の台湾総統選の直前の2月に開催されたシンポジウムをまとめたもので、「最大の特徴は何といっても、これまでタブー視されてきた曖昧な「一つの中国」を公然と論じた点」である。「アメリカの政府高官のなかにさえ誤解があるというアメリカの「一つの中国」政策の真の意味」は、「決して台湾の主権を中国に認めるものではないことが、膨大な資料を提示しながら説得力もって詳細に解説されている」。

 本書で何度も出てきて確認されていることは、アメリカ政府は、「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場をアメリカは認識」している、ということである。つまり、アメリカ政府は、中華人民共和国政府が主張するような、台湾には国家としての主権がなく、台湾は主権国家中国の一部である、ということは認めていないというのである。そのアメリカの基本的台湾政策が、「経済大国となり、軍事力を増強しつづけ、台湾を脅かしてアジアの覇権を握りつつある中国を前に」、「全体主義、独裁専制国家、領土拡張主義という言葉」を並べて、いわゆる「中国脅威論」が展開されるいっぽうで、「台湾問題をきっかけに中国の民主化を促し、世界に民主主義を拡大するという夢と希望が高らかに語られ」ている。

 この台湾をめぐる問題は、きわめて政治化していて、もはや従来の国際関係では解決しえない問題であるかのようにみえる。そして、それは当事国だけの問題ではすまされなくなっている。近隣諸国の一つである日本にとっても、いつその影響が直接に及ぶかわからない。だからこそ、本書が日本語に訳され出版されたのだ。また、台湾が、「一つの中国」という原則から、中華人民共和国が加盟している国際機関からはじき出されていることは、グローバル化する現代、どのような影響が世界全体に及ぶかわからない危険性がある。たとえば、2003年に「台湾のオブザーバー資格でのWHO参加が否決された」ことは、SARSや鳥インフルエンザなどの伝染病の拡大阻止に影響を与えることを意味している。主義主張を超えた解決の糸口を見つけるために、この分断国家の悲劇の原因をつくった日本に、なにができるのか。本書を読むかぎり、台湾の運命はアメリカの政策で決定されるように思えてくる。それでは、あまりに情けない。日本の「国際貢献」とは、このような問題の解決に努力することではないだろうか。

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2006年04月11日

『国際テロネットワーク-アルカイダに狙われた東南アジア』竹田いさみ(講談社現代新書)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書でとりあげている1990年ころからの東南アジアを、わたしもよく歩いた。ニュース報道としてとりあげられる事件と、実際に自分が見聞きした社会がどう結びついているのか、いまひとつよくわからなかった。それが、本書を読むことによって、多くの謎が解けた。

 「伝統的な書斎派タイプではなく、明らかに現場主義の研究者である」著者の竹田いさみは、本書の目的を「まえがき」でつぎのように述べている。「世界を見渡すと、実にさまざまなイスラム過激派やテロ組織が存在することに驚かされる。数あるテロ組織のなかで、本書ではアルカイダおよびアルカイダ系と呼ばれるテロ組織に限定して、その国際的なネットワークをあぶり出そうとしている。なぜ、アルカイダは東南アジアに進出したのか、またなぜ、東南アジアはそれを許したのか、その謎に迫りたい」。

 続けて、本書の構成と内容の要約を、つぎのようにしているのでわかりやすい。「第1章では、アルカイダの誕生から現代までの変化を追い、その組織の求心力とは何だったのかを考える。現代史のなかでアルカイダを捉えてみたい。第2章では、アルカイダが東南アジアに進出した要因をさまざまな角度から検証する。第3章では、東南アジアにおいて、どのようなアルカイダ系のイスラム過激派やテロ組織が存在し、なぜアルカイダと提携したのか、また、どのような国際テロネットワークを形成したのかを探る。第4章では、国際テロ組織やイスラム過激派と呼ばれる集団がどうやって資金を調達してきたのか、そのメカニズムを説き明かしたい。終章では、アルカイダの進出によって明らかにされた東南アジア地域の抱える問題を整理し、先進諸国、あるいは日本の役割について言及してみたい」。

 本書によって、大方の読者は「国際テロネットワーク」の概略を、理解できただろう。しかし、本書だけで満足することはできない。それは、著者への不満ではなく、本書が扱ったテーマが、ひとりの研究者、ひとつの研究分野だけで、扱えきれるようなテーマではないからである。マクロ的には、本書でも述べているように、「ちょうど米国経済のグローバル化とほぼ歩調を合わせるように、テロ組織における資金調達のグローバル化も進んだ」ことの検証が必要だろう。ミクロ的には、「なぜ、アルカイダは東南アジアに進出したのか、またなぜ、東南アジアはそれを許したのか」という著者自身の問いに、まだ充分に答えられていないことに答えることだろう。著者もそのあたりは承知していて、「あとがき」で「英語のみで調査」することへの「ご批判は覚悟のうえである」と予防線をはっている。「ご批判」するつもりはないが、東南アジアの民族間関係や社会の成り立ちは、一朝一夕に理解できるものではない。それが、インド洋を跨ぐ歴史的な積み重ねのうえでのイスラームとのかかわりが絡み、文献を重視しないイスラームや海域世界となると、いかにこのテーマが難しいかがわかってくるだろう。さらに、フィリピンではジャーナリストが殺害される報道が絶えない。世界有数のジャーナリスト受難の国だ。著者が終章で提起する国際テロネットワークの「根絶」策も、これらマクロとミクロの充分な把握があって、効果を発揮するだろう。それだけに、本書が議論の土台を提供した意味は大きい。

 それにしても、フィリピンは不思議な国だ。歴史的にみれば、16世紀後半に当時世界の最強国であったスペインの支配がはじまり、19世紀末には20世紀の最強国家アメリカ合衆国の植民地になった。日本の占領も、3年間以上経験した。フィリピンから宗主国を通して、世界も時代もみえてくる。しかも、中心からではなく、周辺という違った角度からみえてくる。今度は、本書からも明らかなように、フィリピンを通してテロ組織の実態がみえてくる。これらのことから、フィリピンを事例研究することの意味が、ひじょうに大きいことがわかるだろう。しかし、なぜ、この国から貧困が消え去り、正義がやってこないのか、もう30年間もつきあっているのに、みえてこない。

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2006年03月14日

『東アジア共同体-強大化する中国と日本の戦略』小原雅博(日本経済新聞社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 東アジア共同体が、現実味を帯びて議論されるようになった。その最大の障壁は、日中歴史問題だという人もいる。どこまで話がすすんでいるのだろうか。著者は、外務省アジア局地域政策課長などを歴任し、1999年に担当課長として「東アジアの繁栄を構想しながら日本の「第三の開国」を提言する「奥田レポート」」構想に携わった人物である。外交の裏側も見えるのではないかと期待しつつ、読みすすんだ。

 本書は、「まえがき」で目的、「あとがき」で結論が明確に書かれており、学生に書評選びの本を探すのに「こんな本を選びなさい」と言えるわかりやすい構成になっている。昨今、単著、単行本でも、著者自身が目的意識・問題意識に乏しいのか、整理ができていないために、学生に推薦できない本が少なくない。学術書でも、論文の寄せ集めで、単行本としての一体性・一貫性のないものは、このブログでもとりあげようがない。

 本書の目的は、つぎのように明確である。「本書は、多様で活力に溢れる東アジアの経済一体化の動きを踏まえ、東アジアの統合に向けた明と暗を明らかにしつつ、「東アジア共同体」を構想し、その実現に向けての条件と方策を探るものである。そして、その鍵を握るのは、名実共に大国として復権し台頭する中国、冷戦後唯一の超大国として東アジアの安定に欠かせない米国、東アジアの繁栄をリードしてきた経済大国日本、そして、東南アジアにおける共同体を模索し東アジア地域主義の議論をリードしてきたASEAN、これら主要プレイヤーの動向と相互の関係である」。そして、外務省の官僚らしく、日本のとるべき外交姿勢をつぎのように示している。「この東アジアの大きな枠組みを見落として表面的な経済の数字や抽象的な政治的言辞に目を奪われていると、問題の本質は見えてこない。今こそ東アジアの実相をしっかりと捉え直し、将来の方向性を見据えながら、「東アジア共同体」を構想しなければならない。その上で、日本の採るべき戦略を決定し、果敢に行動に移さなければならない」。

 そして、「あとがき」で、「日本の強み」は「技術とノウハウを製品に統合する能力の高いトヨタやキヤノンのような大企業から部品や素材一つ一つの良さを錬磨し続ける中小メーカーまで、一体となった「擦り合わせ」型産業」、つまり「ものづくり」であると明言している。しかし、それを維持するために必要なのは、「「人材力」を掘り起こし、新たな挑戦を続けていくしか道はない。それができるか否か、これからの十年が日本の国家としての盛衰の分岐点となろう」と、著者はけっして楽観視していない。

 その「人材力」という点で、最近の学生を見ていると、不安になることがある。どういう能力を大学で身につけて、社会に出ていかすのかが、わかっていない学生によく出くわす。グローバル化のなかでは、日本人のあいだでの競争だけでなく、直接・間接的に職を外国人に奪われることが少なくない。そのことに学生だけでなく、気づいていない人たちがいる。女子バレーボールで、タイが日本からセットを奪ったように、東アジア共同体のなかで労働移動がさかんになると、賃金の安いほかのアジアの若者が日本人の若者の職を奪っていくことになる。競争のためだけでなく、これからの社会を生きるための知識と実力が必要となる。

 東アジア共同体の成立の基本的問題として、本書でとりあげられた経済、安全保障、歴史問題、中国脅威論などのほかに、民際交流の促進の問題があるだろう。共同体は、国家間や経済界の合意だけで、いまや成立するわけがない。共同体が成立すると、モノだけでなく、当然ヒトの往来が激しくなる。対等につきあえるだけの人材の育成と、包容力ある日本社会の形成が、重要な意味をもつことになるだろう。そして、経済格差を超えて、互いの歴史や文化を尊重できるだけの知的教養を、日本人一人ひとりがもてるかどうかも、日本人が共同体内でリーダーシップを握ることができるかどうかの大きな鍵となるだろう。そのとき、同時に自分たちの歴史や文化を尊重し、多文化社会のなかで協調しながらいかにそれを守るのか、という考えも生まれてくるだろう。日本の「人材力」と「社会力」が試されることになる。

 もうひとつ、東南アジア研究者として心配なのは、東アジアのなかに東南アジアが吸収され、東南アジアが埋没して軽視される恐れがあることだ。日中、日韓関係がギクシャクするなかで、東南アジアの存在はキャスティング・ボートとして大きな意味をもつ。平時においても、東南アジアを主体性をもつ社会として認識することを、忘れないで欲しい。

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2006年03月07日

『戦後60年を問い直す』『世界』編集部編(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書は、1945年12月に創刊された雑誌『世界』が、ともに歩んだ戦後60年を、「改めて「戦後」の原点とは何であったか、私たちは何を目標とし、何を成し遂げ、何を誤ったのか、ここで検証したい」との問題意識のもとに開催したシンポジウム「戦後六〇年 私たちはどう生きてきたか? そしてこれからは?」の記録である。前半は、「政治、安保、国際関係、憲法などを中心に」、後半は「経済、社会、教育、労働などを中心に、基調講演とそれぞれ四名ずつのパネリストの討議」からなっている。

 正直言って、前半はがっかりした。雑誌『世界』が検証する戦後60年であるならば、前半で当然1949年3月号『世界』に掲載された「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」のことが話題になると思っていた。この「声明」は、1948年7月13日にパリのユネスコ本部で発表された「戦争をひきおこす緊迫の原因に関して、八人の社会科学者によつてなされた声明」にたいして、初代『世界』編集長である吉野源三郎が日本の科学者に呼びかけて実現したものだった。まず、この呼びかけに応じた安倍能成、大内兵衛、仁科芳雄の3名が主唱者となって研究会を組織し、自然科学者を含む当時代表的な科学者50名あまりが参加した。そして、7つの部会に分かれて討議をおこない、清水幾太郎が綱領(草案)を作成し、加筆・修正を経て「声明」の発表に至った。

 この書評ブログ2006年1月17日でとりあげた『ビルマの竪琴』の著者竹山道雄は、「戦争責任」を「戦争指導者の政治的責任」「国民の戦争責任」「戦争批判をしなかった知識人の不作為責任」の3つの層位から構成される、とした。竹山のいう「知識人の不作為責任」という考えから、この「声明」の知識人の「戦後責任」についても問うことができる。この『世界』に掲載された「声明」では、理想的な平和思想が語られるだけで、竹山と同じく戦後の知識人には戦場としたアジア、とくに東南アジアについて具体的なイメージがなかったことがわかる。本書の前半で、わたしが期待したのは、『世界』が世に問うた「戦後責任」についてであった。とくに帝国間の戦争に巻き込まれ、戦場となった東南アジアなどの弱小国・地域の人びとの戦後の生活再建について、考えが及んでいたかどうかである。しかし、そのことにかんするものはなく、「賠償は基本的に国家に対する賠償であり、それは現実には、アジアで当時現存していた寡頭支配・独裁政権への援助」や「日本ではアジアが非常に遠く見える」という指摘に留まっている。「戦争責任」「戦後責任」の問題が今日まで尾を引いているのは、この60年間、なにかが日本の知識人に欠けていたからであり、そのことこそが問われなければならないだろう。それが問えるのが『世界』だと、わたしは勝手に思いこんでいた。だから、前半を読んでがっかりした。

 中国や朝鮮については、数多の専門家がおり、中国や韓国の知識人の声もしばしば聞こえてくる。ここでは、わたしの専門とする東南アジアについて述べたい。まずもって、戦場に行った日本人は、東南アジアの歴史や文化について無知であった。竹山のように、歴史も文化もない野蛮な人食い人種が住んでいるというイメージしかなかっただろう。そんなところを戦場にして、人びとの生活を乱しても罪悪感は乏しい。東南アジアの歴史や文化を尊重する知的基盤がなかったという点では、一般の日本兵も知識人も同じだった。「声明」の作成に参加した科学者のなかには、蝋山政道のようにマニラなどの「戦場」に行った者もいたが、戦後の個々人・社会にたいする戦後責任を考えるには至らなかった。それは、研究対象として現地の人びとや社会を見ていたにすぎなかったためだろう。尊重すべき歴史や文化を創造した人間や社会として見ていないことが、現実の人間・社会不在の国家間の形式的な賠償に留まった原因と考えられないだろうか。

 では、本書から、「声明」の科学者とは違う、今日の科学者の見方が感じられるだろうか。いま必要なのは、東南アジアの臨地研究(フィールドワーク)を通して、歴史と文化を創造した人びとや社会を尊重したうえで、日本とアジアの新たな関係を築くことを考えることだろう。「戦争責任」「戦後責任」を乗り越えるためには、研究対象としてのアジアではなく、ともに生き・交流するためのアジアの人びとや社会の理解が必要である。戦後の知識人には、それがなかった。それができる若手研究者が、現在育ちつつある、と期待したい。

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2005年12月06日

『1冊でわかる グローバリゼーション』マンフレッド・B・スティーガー(岩波書店)

1冊でわかる グローバリゼーション →bookwebで購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 本書評ブログでは、原則としてひとりの著者の単行本を取りあげ、複数の執筆者からなる論文集は取りあげないことにしている。その理由は、具体的な個別テーマを解明することを目的とした論文とは違い、単著単行本では各章で取りあげた個別の問題とは次元の異なるスケールの大きなテーマを扱っており、勉強になることが多いからである。たとえ、単著単行本であっても、本全体の構想がよくわかる序章や終章のない論文の寄せ集めは、たいして勉強にならない。時間をかけて本を読むからには、たんなる事実を知るだけでなく、自分がもっていない違う次元の話やスケールの大きな話から学びたい、ブレイクスルーのきっかけをつかみたい、と思っている。

 本書で扱われているグローバリゼーションは、ひとりの著者によって書くことができるような生やさしいものではない。グローバリゼーションという「概念は千差万別で」、「世界規模での変容を多次元的に捉え、多面的に描き出す」ことが必要だからである。その手ごわい」グローバリゼーションという課題を、著者、スティーガーはひとりで執筆した。短所は、個々の章で扱われたテーマは専門家の眼からすれば不充分な点があることだろう。長所は、ひとりの著者の目を通した一貫した論調で、全体を俯瞰することができることだ。わたしは、その長所のほうを評価したい。方向性が定まっていた近代とは違い、いまはスペシャリストで且つジェネラリストであることが求められている。つまり、自分の専門性を相対化する眼が必要なのである。歴史学においても、かつて「世界史」は二流の研究者か学校教育に携わる歴史の先生が関心をもつものと思われていたことがあった。しかし、いまや「専門バカ」は、学際性や学融合が当たり前になった時代のたんなる「オタク」にすぎなくなってしまう。だからこそ、本書が千差万別の概念を複数の執筆者によるのではなく、ひとりの執筆者によって書かれたことを、まず評価したい。そのことは、著者も充分認識していて、「そうした包括的な知的営為はおそらく、あまりにも長年にわたってスペシャリストに比べてその地位が見劣るとされてきた、学問的ジェネラリストの復活を導くことになるだろう」と述べている。

 本書は、まず「概念をめぐる論争」を整理し、つぎに歴史的にみて「新しい現象」であるのかを検証した後で、個別の次元である「経済」「政治」「文化」「イデオロギー」からグローバリゼーションという複雑な問題を考えている。そして、「グローバリズムに対する異議」を理解して、「未来を評価する」ことで終わっている。たしかに、この構成で「1冊でわかる」ように思われる。しかし、そんな甘いものではないことは、本書を執筆した著者がいちばんよくわかっている。だから、著者は、「今日のグローバリゼーション研究者らが直面しているもっとも困難な課題とは、私たちのポストモダン世界において強まりつつある流動性と相互依存性とを正当に扱うようなやり方で、多種多様な知の脈略をつなぎ合わせ、総合することである」と述べている。つまり、訳者解題のタイトルである「グローバリゼーションへの多次元的アプローチ」が必要なのである。

 本書の参考文献は、原著のものと「日本の読者のために」訳者のひとりが精選したもののふたつがある。後者には、原著で取りあげられなかった「ジェンダー、子ども」についても、簡単な解題とともに紹介されている。驚いたのは、前者の原著者が取りあげた本の多くが、日本語に翻訳されていることである。このことは、このグローバリゼーションが日本にも大きな影響を及ぼし、世界的な動きを学問的にもいち早くつかもうとしていることの表れだろう。その意味でも、本書で基礎的なことを学習し、応用力をつける必要がある。

 その点で気になることがある。学生の学力低下の問題が指摘されて久しいが、当の学生自身がそのことの意味を充分に理解していないことである。グローバリゼーションのなかでは、たとえ日本経済が活況を呈していても、日本の若者が雇用されるとは限らない。いまや、日本企業は直接・間接的に多国籍化し、コスト削減目標もあって、低賃金で優秀な人材を世界中に求めている。日本のニートやフリーターの問題の一端は、若者自身の世界認識の不足と能力不足にあることを肝に銘じる必要があるだろう。日本の教育も、グローバリゼーションと無縁ではない。そして、その失敗はまずその教育を受けた者に顕著な影響が出るが、とくに大学教育に携わっている者がそのことをよく認識していて、このグローバリゼーションに対応できる人材を輩出しようとしているのだろうか。日本の教育の質が、いま問われている。

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2005年05月31日

『発展神話の仮面を剥ぐ−グローバル化は世界を豊かにするのか?』(古今書院)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 豊かな原材料と労働力をもつ国ぐにが貧困に喘いでおり、「発展途上国」への展望はまったく見えない。この結論は、1967年にペルー政府代表団の一員となって以来、ペルー国家のみならず低開発世界を代表して数々の重要ポストを歴任した外交官のものだけに、深刻に受けとめなければならないだろう。かつては豊かな原材料と安い労働力が先進国に搾取されただけまだましで、今日のグローバル経済は一段と洗練された商品とサービスを要求し、原材料と労働力をあまり使おうとしない。その結果、深刻な都市人口爆発に悩む国ぐにでは、生命維持資源である食糧・エネルギー・水の不足が大きな問題となっている。したがって、発展への展望が開けないこれらの国ぐにを「発展途上国」とよぶことは間違っており、事実過去50年間に発展に成功したのは、アジアの数カ国にすぎない、と著者は述べている。

 こういう本を読むと、現在のイラクなどイスラーム世界とアメリカ合衆国との対立が、「文明の衝突」ではないことがあきらかになる。著者は、「グローバル市場と技術革命が最も適した人間、会社、国民経済の生存だけを認めるという、自然淘汰と同じ法則の適用され」た今日のメカニズムを、国際ダーウィニズムとよんでいる。多国籍企業が支配的なグローバル市場では技術革新が非効率なものをすべて淘汰し、脱物質化と労働節約的方向を目指す技術変化は豊富な天然資源と安価な労働力をかろうじて国の発展の拠り所としてきた低開発国に深刻な打撃を与えている、という。先進国と低開発国の搾取・被搾取という関係を含む持ちつ持たれつの関係が、グローバル化のなかで壊されている。そして、著者は、究極的には「化石燃料に依拠した非持続的消費パターン(文明)と環境(自然)との正面衝突」がおこるという。この地球崩壊へのシナリオは、絶対避けねばならない問題だ。

 本書は、1998年にペルーで出版され、ラテンアメリカで大評判になった本が元になっている。翌年には英訳されて、日本語訳は言葉として7番目になる。訳者梅原弘光は、著者とほぼ同じ時期に、フィリピンを中心に先進国の経済発展が「低開発世界に広がる人々の貧困と失業という大きな犠牲の上に成り立っている」ことを肌で感じて調査してきた研究者である。研究者として著者の主張の根拠となるものに不安をおぼえながらも、発展へと離陸しない国ぐにを長年見てきたことが、本書の翻訳の大きな動機になっている。それだけに訳文はわかりやすく、「訳者あとがき」の解説で、よりいっそう日本人読者に著者の主張を納得しやすいものにしている。

 本書の最後の章「生き残り」で、著者は発展神話を捨て、「生き残りのための協定」を締結しようとよびかけている。「成長力欠如国民経済NNEs」に、いま必要なのは、「都市の人口成長を安定させ、水・エネルギー・食糧供給を増大させること」だという。ここで、この2月に訪れたミャンマーという国のことを思った。スローライフを実施しているように見えたからである。しかし、著者は、この「生き残りのための協定」締結の基本的前提条件のひとつに、「真に民主的体制をもっていること」をあげている。

 著者が指摘する「貧困化する低開発国」の現状を考えると、それは先進国をも徐々に蝕んでいくように思えてくる。先進国が早くその事実に気づき、グローバル経済に対応できるだけの、地球規模の平和と幸福のためのグローバル理論を構築する必要がある。

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