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2014年04月15日

『人の移動事典-日本からアジアへ、アジアから日本へ』吉原和男編集代表(丸善出版)

人の移動事典-日本からアジアへ、アジアから日本へ →紀伊國屋ウェブストアで購入

 この事典は、項目の性格からすくなくとも二通りの利用の仕方がある。ひとつは、これまでの研究成果を理解するために読む、ストックの情報としての利用の仕方である。もうひとつは、現状を理解するために読む、フローの情報としての利用の仕方である。前者の有用性については語るまでもないだろうが、後者は今後どう変わるか、何年後かに読むとまた違った読み方ができる楽しみもある。加えて、巻末の28の付録(4つの法令、18の統計、6つのアソシエーション)が役に立つ。眺めているだけでも、いろいろイマジネーションがわいてくる。

 本事典の重要性は、今日のグローバル化のなかで人の移動が活発になってきていることから容易に想像がつく。「刊行にあたって」では、つぎのように説明している。「<人の移動>を包括的にとらえて総合的に研究することは、このような時代にあって日本の現代および近未来の人口構成に起因する諸問題に関わる多くの議論に貢献できるであろう。ここでいう<人の移動>とは、従来は国際移住・国際労働力移動・移民、さらに観光(ツーリズム)に伴う移動など、学問分野あるいは方法論の違いからさまざまな用語で表現されてきた現象を包括的にとらえようとする試みであり、英語ではおそらく<マイグレーション>が相当する。日本では「移民」という用語をその名称に含む学会や研究組織がいくつもあるが、基盤になる学問分野の違いから「移民」という用語の含意にはズレがみられることがある。また、「移民」という用語にこだわらずに進められる研究も多い」。

 「<人の移動>は他の社会現象にもまして単一の学問分野からだけでは解明しにくいため、基礎的な総合研究をめざす複数の分野での<人の移動>についての先端的な課題を、本事典では六つの部門に分けて取り上げる」。第Ⅰ部「近現代日本と人の移動」では、「日本人が海外のアジア諸国へ出かけて行った結果として、それ以降の日本へのアジア諸国からの一定規模の人の移動が生まれたことに注目し」、歴史的に4つの時代に分けて論じられる。第Ⅰ部にたいして、第Ⅱ部から第Ⅴ部までは、「アジアから日本へ来た人々に関わる現状を主に考察している」。「第Ⅱ部「グローバル化と移民労働者」ではアジアからの外国人の主な来日目的である経済活動が取り上げられるが、グローバリゼーションの概念やその関係での<人の移動>が多面的に論じられる」。「第Ⅲ部「現代アジアの人の移動と日本の対応」では、アジアから来日した人々に関わる入国管理政策と彼らを受け入れるわが国の制度的対応や国民統合について論じられる」。「第Ⅳ部「アジア系コミュニティと構築されるエスニシティ」では、日本国内で形成されるアジア系住民と彼らのエスニシティおよびその表象のされ方が論じられる」。「第Ⅴ部[変容する移民コミュニティと多重化するメディア」では、日本におけるコミュニティやネットワークの形成と変化、生活実態およびコミュニケーション媒体の発達と多様化が論じられる」。そして、「最後の第Ⅵ部「観光とライフスタイル移住」では、出入国目的としての観光および近年の日本人にもみられるようになったライフスタイル移住が考察され、アジアにおける<人の国際移動>が論じられる」。

 冒頭で述べたように、第Ⅰ部はストックの情報として、オーソドックスな事典の読み方ができる。だが、第Ⅱ~Ⅵ部はグローバル化の進展にともなって、大きく変わるものもあるだろう。巻末の付録とあわせて、2013年時点の「人の移動」を理解したうえで、今後の変化に注目したい。そのためにも、本書の出版はひじょうに有意義なことであり、第Ⅱ~Ⅵ部の追跡情報も欲しいのだが・・・。

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2013年09月17日

『エビと日本人Ⅱ-暮らしのなかのグローバル化』村井吉敬(岩波新書)

エビと日本人Ⅱ-暮らしのなかのグローバル化 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「二〇年経った」で始まる本書は、『エビと日本人』(岩波新書、1988年)の続編である。著者、村井吉敬は「この二〇年、エビとそれを取り巻く世界もかなり大きな変化に見舞われた。その変化が何なのか、そのことを本書のなかで記していきたい」という。

 「この二〇年の間にエビ生産に関して起きたもっとも大きな変化は、二〇年前にすでに予兆があったことだが、養殖エビの大隆盛である」。それより大きな変化は、消費の側でおこった。20年前には、世界第2位の経済大国日本が消費者で、生産者はアジアの第三世界の国ぐに・地域だった。アジアの南北問題として語ればいい単純なものだった。それが、つぎのように変わった。「この二〇年ほどの間にエビ輸入(消費)の世界で起きたことは、北米や中国、ヨーロッパでエビの消費量が伸びた一方、日本では一九九七年をピークに消費量が減少傾向にあり、輸入世界一がアメリカにとって代わられたということだ。もはや「日本人は世界一のエビ好き民族」と言えない状況になってきている。アメリカが輸入世界一になっただけでなく、中国、韓国、マレーシア、タイなどアジア新興工業国が台頭してきている。中国は輸入金額で第八位、マレーシア一二位、韓国一三位、タイ一八位となっている。エビは「経済成長商品」であると言えよう。『エビと日本人』で、わたしは「北は食べる人、南は獲る人」と言った。この構図は大きくは変わっていない。二〇〇四年の輸入金額データを見ると、アメリカ、日本、EUの世界輸入全体に占める割合は実に九三・四%にもなる。EUすべてが先進工業国でないとしても、二〇年経った現在も「北は食べる人」の構造は変わっていない。しかし、南は「獲る人」だけでなく、今や「養殖する人」にもなった。そして「南」であったアジアは経済成長のなかで「食べる人」に変身しつつある」。

 国単位で考えてきた近代の関係が、グローバル化のなかで複雑になってきたことがわかる。「にもかかわらず、エビ貿易の世界に「民主化」という言葉が当てはまるかどうか分からないが、「食べる・生産する」の南北分業から見る限り、エビ貿易の民主化はまだまだという現状がある」。つまり、国と国との関係だけではなくなっても、生産、流通、消費の基本構造は変わっていないということである。

 著者は、「エビを通して見えること」で、エビは「食べ過ぎ」だろうかと問い、「安易な結論を出すつもりはないが」、つぎの4つの要因をあげて、「やはり食べ過ぎであると言わざるを得ない」と結論している。「まず第一に、養殖エビは環境にやさしくない。多くの養殖池は、マングローブ林を破壊して成り立っている」。「第二に、エビは安全な食べものかどうかということに対してはっきりと「イエス」とは言えない面がある。わたしが池の現場で目撃した抗生物質やその他の薬品について、残念ながらはっきりした答えが出せていない。日本の検疫でも食品衛生法違反の事例が多数あげられている」。「第三に、輸入に依存しすぎるという問題がある」。「自給率一〇%にも満たない」。「ひとたび輸入に多くを頼ると後戻りするのは至難の業なのかもしれない」。「第四、これはもっと厄介なことである。背ワタを朝から晩まで取り続ける労働者のこと、あるいは池でその日その日に雇われ、最低賃金水準すら稼げない人びとのことである。労働疎外や貧困に関わることである」。

 そして、著者が行き着いたのがフェアトレードである。つぎのように説明して、本書を閉じている。「フェアトレードの「商品」を通じて見ると、思わぬ関係性が見えてくる。この「商品」は、ただ需要と供給という市場原理で価格づけがなされる商品ではない。安全性、公正、環境の持続性、これらを含む新たな価格づけがなされた「商品」である。消費者も生産者も、この新たな「商品」に自覚的に向き合うことが求められる。ひたすら背ワタを取り続ける労働は疎外労働である。ただ電子レンジで「チン」するだけの消費行動は人間的な消費とは言えない。労働者も生産者も消費者も、やはり、互いに「顔の見える関係」に向かって歩んで行くのがよいと考える。その意味で、「フェアトレード」はそのための大事な手だてではないだろうか」。

 1988年発行の『エビと日本人』は、構造が単純でわかりやすかった。しかし、20年後、世界的に見ても、1国内で見ても、より複雑になってきている。「最上流」の労働者も「最下流」の消費者も、なにも考えなければ、ただたんに生活のために小金を稼いだり、うまいものを求めて食べたりするだけである。「フェアトレード」は、たしかに生産者と消費者を結びつける。著者は、「石油やエネルギー」もフェアトレードできないか、「やや真面目に」考えはじめていた。FTAだのTPPだの、モノやヒトが動けば動くだけ、利益を得るものがいる。大量に扱えば扱うほど、支配力が強くなる。そんななかで、フェアトレードがどう生き延びるのか、本書が提起したことを今後も考えていきたい。

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2013年09月10日

『エビと日本人』村井吉敬(岩波新書)

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 本書が出版された1988年に、『あるくみるきく』が廃刊になった。民俗学者、宮本常一が所長を務めていた日本観光文化研究所から1967年に創刊された雑誌である。研究所も翌1989年に解散した。「あるく」「みる」「きく」は、宮本の研究に対する姿勢と調査方法を端的に表したことばであった。本書の「プロローグ」の最後の見出しは、「歩く・見る・議論する」である。

 四半世紀前に出版され、2007年には『エビと日本人Ⅱ-暮らしのなかのグローバル化』が、同じく岩波新書の1冊して出版されている状況で、本書を読む価値があるのか? 残念ながら、本書で取り上げられた問題の多くは、いまだ改善されていないどころか、悪化しているものもある。したがって、本書は今日の問題の原点としても読む価値があると言える。また、本書と姉妹関係にある1982年に同じく岩波新書の1冊として出版された鶴見良行『バナナと日本人-フィリピン農園と食卓のあいだ』とともに、その後、東南アジアの地域研究のためのフィールドワークのモデルのひとつとなったという意味で、読む価値があるだろう。

 バナナに続いて、エビを取りあげることになった経緯について、著者村井吉敬は、つぎのように説明している。「何回かの話し合いで「バナナのつぎはエビをやろう」と、私たちは決めた。バナナのように巨大多国籍企業による支配構造があるのかどうかすら知らなかった。ただ、日本と第三世界との関係を考えてゆくにあたっては、格好の商品のように思えた」。「まず第一に、エビは人気食品である。〝輸入果物の王者〟がバナナであるなら、〝輸入海産物の王者〟がエビである。エビを通じて話を第三世界へとつなげてゆけるとしたら、多くの人たちに、第三世界について語りかけることができる」。「第二に、エビの輸入先は第三世界が多い」。「第三に、エビ生産地、輸出地から、いくつかの問いかけがあった。それは私たちには耳の痛いものだった」。

 本書は、「プロローグ」と5章、「エピローグ」からなる。それぞれの章では、「エビを獲る人びと」「エビという生き物」「エビを育てる人びと」「エビを加工する人びと」「エビを売る人、食べる人」が、著者たちが「歩き、観察し、インタビューしたなかから得た情報の主要な部分」をもとに紹介されている。

 「エピローグ」では、「「現場」情報を消費者に」伝えた後、「エビ輸入と第三世界」との関係を整理し、著者たちの「関心事に対する答え」をつぎの3点にまとめている。第1点は、「エビを大量に第三世界から買うことは、第三世界の経済にどのような影響を与えているのか」である。これにたいして、著者は、つぎのように答えている。「個別の問題から言うと、雇用創出への貢献(冷凍工場や流通業)や外貨獲得に貢献している」。「ただし、分配は均等ではない」。「貧富の格差は大きくなったと言えるだろう」。第2は、「食糧・資源・エコロジーの問題として考えてみたい」で、つぎのように答えている。「どう考えてみても、美味しい大型のエビは、第三世界の人びとの口に入りにくくなった」。「資源量自体、断定的には言えないが、かなり減っていると判断されうる。同時に、トロール漁で混獲される「くず魚」は、大ていの場合、海に棄てられているので、この面でも資源の無駄を招いている」。第3に、「資本制漁業が伝統漁業を破壊し、伝統社会を資本主義に巻き込んでいく」という指摘をしている。

 そして、最後の「顔のみえる関係を」では、「エビを獲り、育て、加工する第三世界の人びととエビ談義ができるような、生産者と消費者のあいだの、顔のみえるつき合いを求めてゆきたい。私はそのように思っている」と結んでいる。「あるくみるきく」との違いは、「議論する」というところにある。それは、「現場」の人びととの議論だけでなく、研究会のメンバーとの議論も含まれている。本書でも、多くの人びとの調査結果や体験が引用されている。このように議論しながら「歩く・見る・聞く」の調査方法も、フィールドワークのひとつのモデルを提供した。本書が、42刷(2011年6月6日)を重ねているのは、内容の古い新しいが問題ではなく、「歩く・見る・聞く」の基本が、「現場」の人びとや仲間との対話とともに語られているからだろう。

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2013年09月03日

『戦争社会学の構想-制度・体験・メディア』福間良明・野上元・蘭信三・石原俊編(勉誠出版)

戦争社会学の構想-制度・体験・メディア →紀伊國屋ウェブストアで購入

 まず、いろいろ学ばなければならないことがたくさんあることを教えられた。第Ⅰ部「「戦争」研究の系譜と社会学」では、「この分野を切り拓いてきた代表的な研究者」から、「自らの学問を生み出すに至った経緯やその社会的・学問的背景」について学んだ。第Ⅱ部「「戦争」を社会学するための方法論」では、「戦争社会学を構想するうえで必要な方法論」について考えさせられた。そして、最後の第Ⅲ部「戦争の社会学/社会史の展開」では、「戦争社会学の今後の可能性に向けて」、比較的若い世代がさまざまな試みをしていることを教えられた。

 つぎに、本書の基本は、タイトル通り、「社会学」であって、本書「第11章 「歴史学と社会学の交差」についての偶感-『戦争社会学ブックガイド』をめぐって」で、一ノ瀬俊也氏が批判的に、つぎのように述べていることとは違うと感じた。「なぜ「戦争学」ではダメなのか」、「「戦争学」には歴史学、文学をはじめとする人文学、社会科学、ひいては理系の諸学問分野も入ってくるだろうが、戦争を学問的に論じるのであれば、名前だけでも誰かを排除するよりは誰にでも開放されている名付け方をしてスタートしたほうがいいのではないか」。近代西ヨーロッパを基盤に成立した社会学は、その後近代化した西ヨーロッパ以外の国ぐにでも受け入れられ、国民国家のための学問となった。本書でも、方法論は欧米、事例は日本中心に議論されている。日本が戦場とした東南アジアについては、だれもなにも語っていないし、参考文献にもあがっていない。執筆者の視野にあるのは、せいぜい沖縄や小笠原までである。したがって、本書で議論されていることは、近代の学問としての社会学を基盤としており、それを越えるという意味での「戦争学」ではない。

 「はじめに」の「二 領域の定義をめぐって」では、「しいて定義めいたものをするとすれば、「戦争と社会との関わりを考察する研究領域」といったところであろうか」と述べ、つぎのように説明している。「戦争社会学の範囲や境界を明示的に確定させることに、さほどの生産性があるとは思われない。何が戦争社会学であり、何がそれでないのかを定義したところで、そこに知的な膨らみはあるまい。「戦争と社会との関わり」およびそれを駆動する社会的な力学を問うことが第一義であって、その思考を豊かなものにするためには、当然ながら(狭義の)社会学以外の分野から吸収すべきものもあり得よう」。

 本書は、「まずはこれまでの研究蓄積や方法論をいったん整理し、さらに今後の広がりを考え得るような書物」の必要性を感じたところから企画された。その限界については、つぎのように説明されている。「もっとも、本書が「戦争と社会」をめぐる研究のすべてを網羅できているわけではない。ことに欧米圏に目を向けると、軍事社会学や近接する政治学・平和学の研究蓄積には相当に厚いものがある。それらも当然に戦争社会学に密接に関わるはずのものであろう。一部の章ではそれらの整理・言及がなされているものの、これらの領域を包括的に扱えていないのは、本書の限界かもしれない。だが、ひとまず、おもに日本の研究者によってなされつつある仕事を整理することにも、一定の有用性はあるだろう。別の見方をするならば、それに絞ったとしても、全十五章に及ぶ分量を要している。これまでの戦争社会学の方法論を俯瞰しつつ、今後の新たな展開をどう構想していくのか。本書を通して、こうした議論が喚起されることを願っている」。

 本書の「構想」は、戦争社会学研究会の発足を契機とし、つぎのような「呼びかけ」をおこなった。「第一に、(さしあたり)研究と議論の対象をアジア・太平洋戦争に関わる戦争と人間に絞ってはどうかと思います。理由は三つあります。一つ、アジア・太平洋戦争は、日本近現代の戦争の総帰結(戦後の戦争体験を含めて)であり、戦争と人間の研究にもっとも多様な問題を投げかけているからであります。二つ、アジア・太平洋戦争は、韓国・朝鮮や中国をはじめ多くのアジアの人びと、また沖縄や広島・長崎の人びとを巻き込み、苦難と犠牲を強いた戦争であったという意味でも、日本近現代の戦争の総帰結だからであります。三つ、残されたわずかな機会において、アジア・太平洋戦争の生き証人の体験を聞いて記録することは、社会学がなすべき焦眉の課題だからであります。ただし、さしあたりアジア・太平洋戦争に対象を絞るといっても、研究は、日本近現代の戦争と人間の全般に関わる問題群と不可分の関係にあります。したがって、研究の射程は、当然、それらを包摂せざるをえません。第二に、戦争体験の研究といっても、中身は多様なテーマから構成されます。研究会においては、テーマを限定することなく、会員が各自の関心をもとに研究を進め、議論し、その中から戦争社会学の形成に繋がる発見(実証と理論)を蓄積していくことになるのだと思います」。

 アジア太平洋戦争を事例に、実証と理論を蓄積するためには、日本が戦争空間として密接に関わった「大東亜共栄圏」全体を視野に入れて、議論していく必要があるだろう。しかし、本書の視野に、東南アジアは入っていない。研究の進んでいる日本、中国、韓国・朝鮮にたいして、研究の遅れている東南アジアは事実関係を確認するだけで大量の時間を消費し、深い考察になかなか入っていけない。ましてや、現地語や植民宗主国の言語の習得に時間を費やし、なんとか論文を書いた大学院生や若手研究者が、「戦争学」の基本さえ知らない、と日本や中国、韓国・朝鮮を研究している人に批判されると、新たな研究者が育つはずがない。出てきても、地域研究のなかに埋没し、「批判」される外の世界へ出て行こうとしなくなる。また、中国や韓国の研究者と議論するような場も、東南アジア関係だと限られてくる。日本語文献を読むことができる東南アジアの研究者が、ひじょうに少ないからである。日本の東南アジア研究者や東南アジアのアジア太平洋戦争研究者を含めて、アジア独自の方法論で「戦争学」を議論することができるようになるのは、いったいいつの日のことだろうか。

 「これまでの戦争社会学の方法論を俯瞰しつつ、今後の新たな展開をどう構想していく」かを考えるのなら、これまで議論されてこなかった分野・領域やテーマにはどのようなものがあるのか、考える必要があったのではないだろうか。わかるところから研究し、議論を深めていくという近代のスタイルから脱し、わからないことも視野に入れたうえで研究するのが現代の挑戦ではないだろうか。そう考えるようになると、進んでいない研究への関心や配慮も違ってくるだろう。

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2013年04月16日

『グローバル社会を歩く-かかわりの人間文化学』赤嶺淳編(新泉社)

グローバル社会を歩く-かかわりの人間文化学 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 フィールドワーカーの本音が聞こえてくる。それは、編者の赤嶺淳が執筆者に、「「わたし」という一人称を主語に文章を綴ってほしい」とお願いしたためである。かつてのお行儀のいい研究成果報告ではなく、現地の人びとと苦労や悩みを分かち合いながら試行錯誤している様子が伝わってくる。

 本書の目的は、「グローバル社会のフィールドワーク-編者あとがきにかえて」の冒頭で、つぎのように述べられている。「社会学や文化人類学など、人間と自然、人間と文化/社会といったさまざまな関係性(かかわり方)について学ぶわたしたちが、フィールドワークの過程で感じたこと、悩んだこと、考えたことに焦点をあて、今後の人文・社会科学系学問のあり方を提示することにあった」。

 「具体的には、わたしたちが日本をふくむ世界各地で実施してきたフィールドワークの具体例をつうじて、①「グローバル社会」がかかえる問題点をあきらかにするとともに、②そうした問題群に対し、調査者がいかにかかわってきたのか、③そうした「かかわり」をとおして調査者がどのように変化し、④結果として、そのことが調査研究にいかなる変化をおよぼしてきたのか、を再帰的に考察することが本書の目的であった。七名の調査者の個別経験を束ねることで、複雑怪奇なグローバル化時代の動態をあぶりだす手法としてのフィールドワークの意義はもとより、よりよい社会を構築していくための学問-人間文化学-の実践的ツールとしてのフィールドワークの可能性を再確認したいと考えたことが、本書編纂の意図である」。

 本書は、Ⅲ部6章からなり、それぞれの部は2章からなる。第Ⅰ部「人間と環境」では、「一九七〇年代以降の現代社会を特徴づける環境主義-野生生物を守ろうという社会運動-の世界的高まりのなか、野生生物を利用してきた人びとや地域がかかえる問題を紹介し、そうした問題群に地域社会がいかに対応しているかを報告」している。第1章「ともにかかわる地域おこしと資源管理:能登なまこ供養祭に託す夢」では、「いわゆる絶滅の危機に瀕した野生生物の国際取引を規制するワシントン条約」の「俎上にあるナマコにやどる地域史をほりおこす作業」が紹介されている。第2章「自然の脅威と生きる構え:アフリカゾウと「共存」する村」では、「野生動物保護を夢みて青年海外協力隊員として東アフリカのタンザニアで理数科教員として働いた経験をもつ」執筆者が、「もっとアフリカのために役立ちたいと大学院に進学し、環境社会学を修め」て、「外来のものではない、村人たちによる内発的な野生動物管理の方法を試行錯誤」している様子を伝えている。

 第Ⅱ部「ことばと社会」では、「南ヨーロッパの少数言語と中・西部アフリカの手話言語の保護と普及の問題」を扱っている。第3章「言語を「文化遺産」として保護するということ」では、「言語に「絶滅」というラベルをはりつけるのは研究者だと主張し」、「国連やユネスコといった国際機関が少数言語の保護をうたうということの政治性を、自身が研究するフランスやイタリアの地域的文脈から問いなおして」いる。第4章「フィールドワーカーと少数言語:アフリカと世界の手話話者とともに」では、「手話言語を少数言語ととらえ、日本手話、アメリカ手話、フランス語圏アフリカ手話など複数の手話言語を話す」執筆者が、「フィールドワーカーと少数言語との関係は、調査手段と研究対象以外にもあるはずだ、という疑問にはじまり、コートジボワールでの調査経験をふまえ、手話言語を習得し、手話言語で発言していくという行為が自身の研究の遂行に必須であり、かつ調査対象である少数言語集団の権利の擁護に貢献するという実践的側面をもつことを指摘して」いる。

 第Ⅲ部「調査と現場」では、「自主避難」と日本の社会調査について論じている。第5章「「自主避難」のエスノグラフィ:東ティモールの独立紛争と福島原発事故をめぐる移動と定住の人類学」では、東ティモールと福島という一見なんの繋がりもないかのようにみえる両者を、ともに「故郷に帰るべきである」というイデオロギーに拘束される人びとの苦悩という観点で、その移動と定住の日常性を描いている。最後の第6章「海外研究・異文化研究における調査方法論:社会調査の前提をとらえなおす」では、「日本の社会学が想定している社会調査が自文化(つまり日本社会)のみを対象としてきたことを指摘し、人類学や地域研究の方法論と比較しながら、異文化理解のための社会調査の方法について示唆に富む提案をおこなって」いる。

 歴史学には、ある失敗がある。ヨーロッパ中心史観という批判はもう半世紀以上前からあるし、ナショナル・ヒストリーへの批判もいわれるようになって久しい。にもかかわらず、いまだ同じ批判が繰り返され、その批判が克服されないまま歴史教育がおこなわれている。理由は簡単である。ともに近代化を中心に扱ったからである。近代をリードしたヨーロッパの概念であらゆる時代・地域の歴史を観、近代化を目指した国民国家の視点で自国史を観てきたからである。とすると、いま、グローバル化している面を中心に観ていくと、以前からその社会に存在していたグローバルな面を近年起こったように認識したり、グローバル化とは無縁な現象を切り捨てたりするおそれがある。グローバル化を相対化しないで、現代をグローバル社会と位置づけると、見落としたり見誤ったりすることが起きてしまう。

 本書で、それぞれの執筆者が、悩み、傷つきながら、調査地の人びとと向き合っているのも、近代のようにものごとを単純・合理化してとらえることができないからだろう。それは、帯にあるつぎの文章からもよくわかる。「人やモノ、情報が瞬時に国境を越えるグローバル社会。人類社会が単一化・均質化していっているかのように見えるなか、さまざまな地域に生きる人びとといかにかかわりあい、学びあい、多様性にもとづくあらたな関係性をともに紡いでいけるのか。フィールドワークの現場からの問いかけ」。本書から、この問いかけに応えることができる人材を育てようとする意識も伝わってきた。

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2013年04月09日

『草の根グローバリゼーション-世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』清水展(京都大学学術出版会)

草の根グローバリゼーション-世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略 →bookwebで購入

 本書は、著者、清水展(ひろむ)が1997年から2009年までの12年間に毎年必ず1度は調査村である北部ルソン山地のイフガオ州ハパオ村に出かけ、集中的な調査をおこなった成果である。本書の論述と考察の中心は、ふたりの男の活動と語りである。「一人はハパオ村で植林運動を推進するリーダーのロペス・ナウヤックであり、もう一人は世界的にも著名な映像作家キッドラット・タヒミックである。英語によるアメリカ式の高等教育を受けたキッドラットは、考え方や感じ方までアメリカの影響によって染めあげられてしまった自分を真のフィリピン人として作りなおすために、ナウヤックを「魂のグル」あるいは心の師と仰ぐ」。

 著者は、ふたりとの出会いを通して、自分自身の研究対象がどのように変わったかを、「あとがき」でつぎのように述べている。「ハパオ村に興味を持ったのは、ナウヤックが主導する植林運動、とりわけ「グローバル」というネーミングと意味づけの仕方に説得力があり、バギオの彼の自宅で初めてお会いした際に魅了されたからであった。また、キッドラットの運動への関わり方とナウヤックに学ぶ姿勢にも啓発された。当初の研究テーマは植林運動と棚田・環境の保全であった。後に開発に関する、次いで文化資源に関する科研プロジェクトのメンバーに加えていただいたことにより、関心の対象が広がった。しかし時間の経過とともに拡大(拡散?)していった関心が、最終的には書名が示すようにグローバリゼーションを考えることを主テーマとして収斂していったのは、初心に戻ったということであろう。それは、ナウヤックとの出会いの際の新鮮な驚きという初心であるとともに、自身の研究テーマの初心である出来事への注視という回帰でもある」。

 著者がふたりの男の活動をきわめて興味深いと感じたのは、つぎの3つの点においてだった。「まず第一には、キッドラットがナウヤックの理念と言動に深い敬意と関心を抱き、二〇年近くにわたって、その植林と文化復興の活動をドキュメンタリー映像として撮影し続けてきたことである。フィリピンにおける英語教育の優等生として自己形成してしまったキッドラットにとって、ナウヤックは、魂の脱植民地化を成し遂げ、自己のアイデンティティをいったん解体し再構築するための模範やインスピレーションの源泉となっている」。

 第二に、「ナウヤックがグローバル化の進行という時代状況のなかで村人たちが固有の文化を保持する先住民として誇りを持ち、豊かに生きてゆく方途を探り実践していることである。ハパオ村にまで迫り来るグローバル化の大波を拒んだり、それから逃げたりするのではなく、それと対峙し積極的に便乗し利用してゆくチャンスとして捉えている点が興味深い。歴史を振る返ると、フィリピンがスペインに植民地化されて以来、イフガオもまたグローバル大の政治・軍事パワーの代理勢力による遠征介入を断続的に受け続けてきた。それらに対する果敢な抵抗は、先祖伝来の地を守るための陣地防衛戦であった」。

 その観点から、著者は自身がかれらに受け入れられた理由をつぎのように解釈している。「彼らから見れば私は、かつては山下[奉文(ともゆき)]将軍に率いられた大軍を送りこみ、しかし今は経済的に豊かになりJICAが気前の良い援助をしてくれる日本から来た、利用価値がおおいにありそうな人間であった。本書は、そのことを直視し、私自身が巻き込まれやがては支援者や同伴者として深く関与してゆく植林運動について、その渦中で見聞し入手した情報や資料に基づく報告と考察である。すなわち、ハパオ村を中心とするフンドゥアン郡およびイフガオ州の一帯をコンタクト・ゾーンとし、古谷[嘉章]の言う「人々が自らの文化をめぐって他の人々と交渉」してきた歴史のなかで、人類学者として私自身もまたそうした交渉の一端に巻き込まれ、日本からの支援の獲得に深く関与したことの記録である」。

 そして、第三の点は、「ナウヤックを発起人かつリーダーとして住民主導で始められ進められてきた植林と社会開発、文化復興ならびに住民のエンパワーメントを目指した運動が、参加型開発の可能性と問題点を具体的に示していることである。ナウヤックは、北部ルソンの山奥の辺鄙な村をグローバルな関係の広がりのなかに位置づけ、とりわけ日米両国と歴史的に深いつながりを持つことを強調する。それによって、私自身を運動の同伴者や協力者として引き込み、日本のNGOやJICAから資金援助を得るために巧みに操り、一九九〇年代の半ばに手弁当で始めた草の根の植林運動を、郡庁や州政府まで巻き込んだプロジェクトとして拡大展開することに成功した。二〇〇〇年から八年間のあいだに日本から獲得した助成金の総額は八〇〇〇万円を超える」。

 著者は、これら3つの側面を、学問的に「それぞれ、表象、グローバル化、社会開発とコミットメント、というキーワードを核として、大きな広がりを有する問題系と直接に結び」つけ、つづけてつぎのように説明している。「いずれも重要であり、それぞれ個別に章を設けて報告し考察を加えてゆく。が、本書のタイトルで示しているように、この小さな村の事例が何よりも興味深いのは、二〇世紀の終盤に至って加速度を増しながら進むグローバル化という事象あるいは問題系に関して、フィリピンの山奥という途上国の辺境に暮らす先住民の側から、もうひとつの視点と視界を提供してくれるからである。それはニューヨークやロンドンや北京や東京などのグローバルな中心からでなく周辺からの、そして多国籍企業や帝国のパワーエリートたちによる上からではなく下からの、貧しく小さな者たちに主導された新たなフローへの着目と理解である」。そこには、「巧みに操」られながらも、著者自身の戦略も存在している。

 以上のことを簡潔に理解しようとするなら、本書の第1章のタイトルとそのなかの3つの節のタイトルをみればいいだろう:「第1章 北ルソンの山奥でグローバル化を見る・考える-応答する人類学の試み」「1 山奥でグローバル化に対峙・便乗する二人の男-そこに巻き込まれ、深く関わる人類学者」「2 グローバルとローカルが接合する人類史」「3 山奥から見えるグローバル化の風景」。この第1章につづく4部9章の概略を理解しようとするなら、4頁にわたるカラー写真の口絵をみればいいだろう。それぞれの頁には、つぎのようなタイトルが付されている:「1995年に世界遺産に登録されたイフガオの棚田」「木を植える男、ロペス・ナウヤック」「日本の草の根の国際協力と交流」「海外出稼ぎの形でグローバルに散開出撃する村人たち」(キーワード?のフォントが大きい)。

 著者が本書の結論として言いたいことは、最終章である「第10章 草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編」にまとめられている。その課題と展望は、つぎの6つの節のタイトルからうかがえる:「1 宇宙船地球号イメージ」「2 共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3 暗い未来に抗して」「4 グローバル化と地域社会」「5 「グローカル」な生活世界」「6 遠隔地環境主義の鍛え直し」。そして、つぎの文章で本書を終えている。「北部ルソン山地のハパオ村で進行する草の根のグローバル化は、個々人の出稼ぎやNGOとの連携をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークによって、人々の生活をグローカルに再編成している。それがもたらす、地球を超えた地球大の規模でのつながりの自覚は、地球環境の深刻化という危機に対抗する活路を開き、あるいは国際市民社会を創り出すための草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。

 著者の思惑通り、グローバル化をこれまでとは違う視点からみることができ、学ぶことがひじょうに多かった。さらに本書で明らかになったことを理解するには、本書で何度も強調される「山奥」も、海域世界に属しているということに目を向けることだろう。ムラユ(マレー)世界ともよばれる海域東南アジアは港と後背地の関係が深く、歴史的に海域が騒がしくなるとその後背地も大きな影響を受けた。フィリピンではスペインによる植民地化、アメリカによる植民地化、日本軍による占領などがその時期にあたる。流動性の激しい海域世界では、後背地のヒトやモノもさかんに動いた。それは「巻き込まれた」わけではなく、ここをチャンスと外へうって出たからである。近年のグローバル化にたいしても、主体性をもって巧みに利用している。その意味で、グローバル化は中央から周辺へという近代システムと違い、周辺からも中央やほかの地域への発進力があるということだろう。

 そこには国や組織を超えた個人と個人との人間関係、信頼関係に基づいた判断、行動がある。たとえば、本書では、フィリピン共産党の軍事部門である新人民軍が活動拠点として入り込んで問題が起きたときに成立した停戦合意を、当事者であった郡長は、つぎのように説明している。「新人民軍とある種の停戦協定を作るための話し合いを始め、合意に達しました。それは文書に書かれたわけでなく、フィリピン政府や国家警察軍が認めたものでもありませんでした。しかし国軍も国家警察軍も、直接に関係する部隊は密かにその合意を尊重してくれました。それは一ヶ月ごとに、新人民軍と国家警察軍が交替でフンドゥアン郡内で自由に活動するというものでした。一方が活動しているあいだは、他方は部隊を引揚げ、いっさいの干渉や攻撃を控えるというものでした」。このことは、「重要なことは口頭で」という人と人との信頼関係に基づいた海域世界の論理が有効であったことを示している。

 また、著者もこのことを理解していて、つぎのように述べている。「グローバル化の弊害は、極論すれば、流動的で暴走しがちな資本が引き起こす。その悪影響への対抗策となりうるのが、国境を越えて活動するNGOのネットワークであり、それをハブとしてさらに広がる草の根レベルの対抗的・主体的なミクロなグローバル化の動きと可能性である。本書で紹介したハパオ村の「グローバル」植林運動も、そのような視点から見直せば、将来に向けたひとつの可能性を示してくれている」。

 実際、国家が暴走したことで取り返しがつかないと思われた人間関係も、草の根の交流によって修復された例が、とくに日本人にとってうれしいことが、本書でつぎのように紹介されている。「ハパオ村の一帯は、戦争末期に大量の日本兵が逃げ込んできたために、村人たちは山の奥深くに避難し多くの犠牲者を出した。イフガオの側では戦争の記憶がまだ鮮明に残り、語られているのに対して、戦後にハパオ村まで訪れる日本人は遺骨収集や山下財宝探しを目的とするグループか棚田見物に来る少数の観光客以外は、ほとんどいなかった。だから日本と日本人のイメージは日本兵のイメージと結びつけられており、必ずしも良いものではなかった。平地民と異なり、海外出稼ぎ先として日本を訪れたものはハパオ村で一人もおらず、現代の日本に関する情報は限られていた」。「ところが、日本人の一橋大学、新潟大学、立命館大学の学生(略)が村に住み、植林と環境保全と生活向上のためにいろいろと工夫をして手伝ってくれた。実際に植林活動や社会開発にどれほど役に立ったのかは別として、村人たちの共通の評価は、「彼女たちの行動を見ていると、無償の奉仕、友愛の気持ち、一所懸命さを強く感じるし、それが確かに伝わってくる。それで、日本人が大好きになった、日本人のイメージがすごく良くなった」という言葉に集約される。等身大の若い女性、生身の、優しい、まっとうな日本人と身近に接し交流できたということが、村人にとってはとてもうれしく、日本人と日本に対する具体的なイメージと好感を抱く大きな要因となった」。

 ハパオ村の人びとは、世界遺産となった棚田をもっている。木彫りの技術ももっている。それらをもって、「巻き込まれる」という消極的な受け身ではなく、ここをチャンスとグローバル化の波に泳ぎだしている。著者も恰好の「獲物」として巻き込まれた。その「文化実践と生活戦略」の具体例を、「元気が出る民族誌」である本書から学ぶことができた。

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2013年03月26日

『村を癒す人達-1960年代フィリピン農村再建運動に学ぶ』フアン・M・フラビエ著、玉置泰明訳(一灯舎)

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 訳者の玉置泰明は、「今ごろなぜ一九六〇年代のフィリピンの農村開発の記録を取り上げる価値があるのか」、気にしている。しかし、副題にある通り、「学ぶ」ことがあり、それを他人にも説明できて「学ぶ」ことを共有できるなら、古い新しいは問題ではない。訳者の「学ぶ」説明の前に、本書および「フィリピン農村再建運動」について説明をする必要があるだろう。

 本書は、「一九六〇年代に一民間団体[フィリピン農村再建運動PRRM]によって農村に派遣された青年医師の村での経験を描いた記録である」。「続編として、同時期の体験を著者の出会った印象深い村の人物を中心にまとめた」もの、「二冊の好評に応えて未収のエピソードを集めた」ものがあり、三部作として、「フィリピンで広く長く読まれ続けている」。その後、著者のフアン・フラビエは、1977年にPRRM総裁、92年に保健大臣となり、95年から上院議員、上院議長などを歴任した。

 フィリピン農村再建運動は、1952年に中国人学者イェン(晏陽初)によって創設された。「イェンの「郷村建設運動」の基本原理は、「民の中へ その中で生活し 彼らから学び 彼らと共に計画し 彼らが知っていることから始め 彼らがすでに持っているものを基礎として建設する」というモットー」に集約される。「イェンは、貧農の基本的な問題は貧困、非識字、病気、市民的無気力の四つにあるとし、この四つは相互につながっているとして、四つの要素からこれらを改善する統合的なアプローチ(略)が必要だとした。四つの要素とは、「貧困と闘うための生計向上、無知や迷信と闘うための教育、病気と闘うための保健衛生知識、無気力と闘うための社会組織と自治の技術」である」。

 「イェンは一九五二年に「国際平民教育運動促進委員会」を代表してアジア諸国、中東などを回り、その一環としてフィリピンを訪問した。その際のマニラ周辺の大学での講演で、若者に都市を離れて農村で働くことを訴え、熱狂的な歓迎を受ける。三〇〇〇名がボランティア志願し、二〇〇名が試験プロジェクトで働くことになった。そしてそのうちの二四名を中心として、一九五二年七月にPRRMが発足した。発足時のキリノ政権および次のマグサイサイ政権は、農村部における反政府ゲリラである「フク団」への対抗組織としてPRRMを重視し、最大限の支援を行なう」。本書の著者、「フラビエは、一九三五年に生まれ、一九六〇年にフィリピン大学医学部卒業後、医学部で講師をしていたが、誘われてPRRMの活動に参加した」。イェンは、「彼が影響を与えた世界の農村リーダーの中でもフラビエに最大限の評価を与えている」。

 訳者は、「本書から学ぶ」ことについて、「大きく言えば、まず古くて新しい農村開発の諸問題であり、さらには、異文化=他者を見る眼であるといえよう」と述べ、具体的に「村に「滞在する」ということ」「村での居住と調査での注意点」「土着知(ローカル・ナレッジ)、文化・社会的価値への視点」「農民を美化しないこと」の4つをあげて、それぞれ説明を加えている。

 「村に「滞在する」ということ」では、「まずPRRMの農村との関わりで現代にも十分訴えかける点は、その時間的なスタンスである。著者は、町から来て、村々への短時間訪問を繰り返していた若い殺虫剤セールスマンとの出会いから説き始め、「PRRMでは、農民たちと過ごすことに時間をとって、彼等のやり方を理解しなければ効果はないことを見出した。彼等のやり方に理由を見出し、彼等に歩み寄るとき、変革のための適切なアプローチが明らかになる」と指摘する」。

 「村での居住と調査での注意点」では、「著者が列挙している村に住み込む若いワーカー(RRW)への具体的な留意事項は現代のワーカーあるいは研究者、学生にも十分通用するものである」と述べ、「ワーカーが住む下宿の選定は非常に重要であり、一般的指摘として、ホストの家が村の中心に近く家主が尊敬される家族であるべきこと、家族がゲスト(ワーカー)を負担と感じるようにならないため支払いに関してきちんとした取り決めが必要であること、下宿先を移るときには非常に気配りが必要であること、などを挙げている」。

 「土着知(ローカル・ナレッジ)、文化・社会的価値への視点」では、「著者は、学校教育をほとんど受けていない農民たちの固有の知識への素直な驚き、共感を表明している」。「村の年長者が時計を持たずに花や葉の開き方から時刻を言い当てたり、水の入った瓶の外側についた水滴から雨の降る方角を言い当てたりするのに素直に驚き感心した後、「農民の生活について洞察したいなら、農民のやり方を理解しようと努力することが重要だ。外部の者が何か変化を起こそうとする時、大きな落とし穴の一つは、それを行う本人の生活様式や標準、先入観を人々に押し付けようとする傾向である」と指摘する。これは当たり前のようだが、二一世紀に入っても重要性を失っていない指摘である」。

 最後に、訳者は「農民を美化しないこと」をあげる。「著者の農民および農村社会への深い共感・理解が価値をもつ理由の一つは、彼がそれを「美化」していないことである。第二章で彼の農民への理解の基本的スタンスが述べられる。「農民とは何だろう? 私にとって農民は、もう一人の人間にすぎない。恐れも希望ももてば、徳も悪徳ももち、憎しみも心もある人間だ。彼は村という状況でこれらを組み合わせたものにすぎない。彼は、固有の環境で、固有の状況とニーズに反応しており、他の人間と異なっているところはない。基本的なことは、彼をあるがままに理解することであって、我々と同じように理解することではない」。

 そして、訳者は「訳者による長い後書きと解説」の「おわりに」をつぎのようにはじめ、まとめている。「前述のように、初期PRRMの開発手法自体は、たしかに今となっては「古い農村開発」として批判され、乗り越えられるべきものであるかもしれない。しかし、著者フラビエや若きワーカーたちの住民との「ラポール」の築き方、そして現地の文化への深い共感と理解は、現在の農村開発ないし開発援助に多くの示唆を与えてくれる。それは、一九九〇年代以降、長らく「過去のもの」として忘れ去られた戦後日本の「農村生活改善運動」が再び注目されて、様々に研究され再評価されている事実とも通じる面があると言えよう」。

 さらに、つぎのようにも述べている。「このような運動の記録は、食糧自給率の向上や農村の再開発が必要とされる現在の日本にとっても非常に有益であろう。また、閉塞感が広まり、氾濫する情報に振り回されている若い人達にとって、大切なものは何かを考えなおすきっかけにもなるだろう」。

 訳者のいうとおり、本書からわれわれが学ぶことは限りなくある。それは、現代のわたしたちと同じ立場に1960年代の著者が立って、自国の農民を見ていたからともいえる。フィリピンは、それだけ都市のエリートと地方の農民との距離が大きかった。現代の都市の日本人も、農村との距離が大きいともいえる。TPPが論議されている今、日本の農村の現実も理解する必要があるだろう。このままでは、補助金によって農民の生活は維持できても、農村自体が成り立たなくなってしまう。自立できる「農村再建運動」が今の日本にも必要で、そのためにも本書から学ぶことは実におおい。

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2013年01月01日

『ミャンマーの国と民-日緬比較村落社会論の試み』髙橋昭雄(明石書店)

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 「ミャンマー(ビルマ・緬甸(めんでん))研究を始めて三〇年、訪問したミャンマー国内の農村は優に二〇〇を超える。私は一介のミャンマー研究者として、と同時に、日本の農村で生まれ育った、専業農家の長男として、いわば二つの顔を持ちながら、通訳なしに直接ミャンマー語で無数の村人と語り合ってきた。本書は日本の農民の子供であるミャンマー研究者が見たミャンマー農村社会に関する叙述である」。

 こんな出だしで始まる本書は、「房総半島の南端に位置する農村に生まれた農家の長男で末っ子である」著者だからこそ書けたミャンマー農村の素顔であり、その素顔を見たからこその日本村落社会論である。

 本書の目的を、著者はつぎのように述べている。「まずミャンマーの村を日本の読者に紹介することである。本書で語られるのは、私が農村で調査を始めた時から続いてきた社会主義政権、軍事政権といった抑圧的な政権のもとに置かれたミャンマーの村と村人たちのお話である」。

 「第二の視点」は、「日本の村とミャンマーの村、日本の村人とミャンマーの村人との比較である」。その違いを、著者は「心の問題としてではなく、日本とミャンマーの村の構造の違いに起因するものであるという観点から考えてみたい」という。具体例として、第二次世界大戦中、「食糧や家畜そして労働力を紙くず同然の軍票で挑[徴]発し、町や村を破壊し、多数のミャンマー人を死に追いやって、ミャンマーの人々に大迷惑をかけた」ビルマを占領して戦場にした日本軍兵士が、這々の体で逃げてきた時にミャンマーの村人たちが優しかったことをあげて、比較を試みている。「ビルマの人々は仏教の慈悲をそのまま実行するとか、素朴で純真であるとか、村人の心情も情景も戦前の日本とそっくりであるとか」言って、「ビルマが好きで好きでたまらないという「ビルキチ」」の旧兵士は、「ミャンマーの村人と村のすばらしさを褒め称えた」が、「戦争中敵国アメリカの兵士が日本軍に終[追]われて逃げ込んできたら、日本の村人は優しくアメリカ兵を迎えたであろうか」という著者の問いにたいして、「村八分」になると答えている。そこには基本的構造の違いが存在しているのに、なぜ「そっくり」だと旧日本兵は感じてしまうのか。

 「本書の第三の目論見は、日緬の農村比較を通じてミャンマー農村の特質を抽出し、ミャンマー村落社会論の構築を試みることである。そして、さらにはミャンマーの心に迫ってみたい」。「抑圧的な体制下にありながら村人たちはなぜ「自由」であるのか、という問いに、日本の農村との比較のなかから答えていきたい」という。この問いにたいして、第2章「ミャンマーの村と村人たち」のなかで、つぎのように答えている。「農地は国有で売買、譲渡、小作、相続、質入等が禁止され、国が指定した作物しか作れない」が、末端役人を「抱き込めばそれがすべて可能になる。こんな行為はもちろん違法であるが、ナーレーフム[なあなあでやる]があるから大丈夫だと農民は言う。供出に関しても、農地の権利移転に関しても、厳しい国家統制はこのようにして末端で緩和されてきたのである」。

 第一の目的、第二の視点については、第4章の最後で、つぎのようにまとめ、「あとがき」でも同様の内容を繰り返している。「生産の共同体でもあり、生活の共同体でもあった日本の村では、生産の共同体の崩壊とともに生活の共同性も希薄になった。仮に生活の共同性だけでも存続させようとするならば、代々家を継ぐとか村の慣習を守るとかという発想を棚上げして、今こそ、やりたい者がやる、参加したい者が参加する、やりたくなくなったらいつでも離脱できるといった、ミャンマーの村のように個人が自由に考え行動することができる村落コミュニティが構想されるべきであろう」。「日本の村はすべて共同体であるという「共同体」ではなく、ミャンマーのような出入り自由な個人が独立したコミュニティを、村だけではなく家においても創造する時が来ているように思われる」。「個人を束縛する共同体から着脱自由なコミュニティへ、生産と生活の共同体から生活のコミュニティへと向かう日本の村々」の「モデルがミャンマーには無数にある」。

 これまで「あれこれと問題点ばかり指摘してきた」著者には、「ミャンマー農村に住み込み、村人と話し続けることによって、私自身が生かされてきた、という感覚」があり、それが「豊かなミャンマー、貧しい日本」にいきつき、自然とミャンマーから学ぶという視点が生まれたのだろう。著者が伝えるミャンマーの素顔から、日本社会の問題点もみえてくる。

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2012年12月04日

『僕らが育った時代1967-1973』武蔵73会編(れんが書房新社)

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 本書は、武蔵高等学校中学校卒業40周年記念論集で、7人の編集委員による座談会、16人の執筆者による論稿と31名のアンケート回答からなる。武蔵高等学校中学校の「建学の精神」「武蔵の三理想」は、「1.東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物 2.世界に雄飛するにたえる人物 3.自ら調べ自ら考える力ある人物」で、かれらが在籍した1967-1973年当時、「開成と麻布に並ぶ「御三家」と称され、高い東大合格率を誇るエリート校のひとつだった」。世代的には、60年安保世代や「団塊の世代」の後の「ポスト団塊世代」にあたる。

 この6年間をかれらはつぎのように捉えていることを、「刊行にあたって」の冒頭で述べている。「一九六七年から一九七三年までは、日本の政治、経済、文化、芸術等において激動の時代だった。戦後の復興をひとまず成し遂げた日本は、経済的に先進諸国に追いつき、国際的にも認められるようになった。その象徴的なイベントは一九六四年に開催された東京五輪である。東京の街は整備され、東京と大阪を結ぶ新幹線が開通し、日本列島の距離は一挙に縮まった。そして奇妙な安定期に入ったこの時代に、文化や芸術はすでに退廃的な爛熟期を迎えていた。それは来るべき時代への期待と不安がないまぜになった揺籃期だったのかもしれない。いずれにしても、稀にみる「激しい季節」であったことは間違いない」。

 本書は、1年間月1回のペースで編集会議を継続的におこなった成果で、座談会「われわれは武蔵で何を学んだのか」に議論されてきたことが集約されている。そして、3・11東日本大震災を機にスタートした意味を、編集委員を代表して西谷雅英(読者によっては、筆名西堂行人のほうが馴染みがあるかもしれない)は、つぎのように「あとがきにかえて」で語っている。「こうした時期だからこそ、われわれの人生にとってもっとも根源的であった時代に遡って語り継いでいこうと考えたのだ。現代の表層的な危機を憂いていても、何も始まらない。まず過去に立ち返り、考えてみる。それによって初めて未来への提言が可能になるのだろう。中学高校時代を過去へのノスタルジーにしてはならない。過去から現時点を概観することで、ようやく未来を語れるのだ」。

 50代後半になり、すでに一線を退いて第二の人生を模索している者もいれば、組織のトップとして重責を担っている者もいる。いずれによ「今の仕事を始める前の準備期であり、今につながる時間の胎動期」を共通体験した同窓が、「明日への希望を感じると同時に、われわれの責任も痛感」しながらまとめたのが、本書である。「共通経験である武蔵在学中の日常生活や遭遇した事件等がさまざまな形で検証されていった。その過程で、埋もれていた記憶が次々と掘り起こされ、同時に自分たちが直面している現在と重ねられていった」成果でもある。

 わたしは大阪の公立高校「御三家」出身で、かれらのひとつ下の学年である。大阪と東京、公立と私立中高6年一貫の違いも大きいが、学年ひとつの違いもこの時代は大きいように感じた。東京で中高一貫のため、かれらはすこし「オマセ」だったのかもしれない。本書の編集委員のひとりが大学の先輩で、論稿執筆者の別のひとりが同じ地域の研究をしているため、より具体的にわかる部分があった。いま多くの同窓会でメーリングリストが開設されているように、わたしの高校同期にもある。同い年で3年間同じ「空間」を共有した者が、なんの前提もなく語ることができる場でもある。それを外に向けて発信することは、簡単なことではない。本書は、同じ世代に読ませたい1冊である。また、1970年6月20-23日の反安保闘争にかんする高校1年D組の議事録は、いまの高校生、大学生に読ませたい貴重な記録である。

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2012年07月31日

『地域・生活・国家』水島司・和田清美編(日本経済評論社)

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 本書は「21世紀への挑戦」全7巻の1冊で、「刊行にあたって」本シリーズが目指したのは、「人類史、社会史の劇的変化の解明」である。ほかの6巻のタイトルは、つぎの通りである:「哲学・社会・環境」「グローバル化・金融危機・地域再生」「日本・アジア・グローバリゼーション」「技術・技術革新・人間」「社会運動・組織・思想」「民主主義・平和・地球政治」。それぞれ3つのキーワードのもとに、「進行している人類史、社会史、ひいては歴史総体の変動とそれが抱える問題を解き明かす突破口を開いて」いこうとしている。

 本巻のキーワードは「地域・生活・国家」で、「地域と国家を両端に置き、その間に生活を置くという配置となっている。それは、個の営みである生活という視点から見た場合、それが地域および国家とどのような関係をもつべきか、地域と国家との関係は生活を挟んでどうあるべきか、国家の主権と地域の自治、あるいは中央集権と分権という問題にまで踏み込んだ場合、両者の間にどのようなバランスが築かれるべきかなどの問題が、より鮮明に浮かび上がるであろうと期待するからである」。「国家、より正確には国民国家」の存在感は相対的に低下してきているとはいえ、「なお、何よりも強力に共同性を主張し、かつそれを実体化させる強制力を有している」。そして、それにとってかわる地域像や地球像が、まだ明確にみえてきていない。本巻は、「国家からグローバルに至る重層的な諸関係が埋め込まれており、むしろ身近な生と生活空間に関わる具体的な事例から出発することによって、私たちが生きている社会の構造」をみようとしている。

 「本巻で扱われる事例は、主として日本からのものであり、生活の諸側面から地域と国家との関係を扱っている。しかし、それらの事例は、決して日常的なレベルの問題としてとりあげられているのではなく、私たち、および、ともすれば「私たち」の意識には含まれてこない人々も含めて、この二一世紀初めの時点で生きていくことの意味と、その向かう先について考察するためにとりあげられた題材なのである」。

 具体的には、つぎの8章である。「第1章 自治体における健康・医療行政の可能性-岩手県沢内村を事例として」「第2章 「障害と開発」と地域社会の戦略-ケイパビリティ・アプローチと社会関係資本の視点から」「第3章 教育の拡大と国家役割の縮小-高等教育機会の地域間格差」「第4章 外国人への言語支援と地域資源-奈良県の夜間中学を事例として」「第5章 生活の環境問題とエコロジー」「第6章 開発と環境」「第7章 戦後の住宅事情と二一世紀の居住政策の課題」「第8章 コミュニティ形成・まちづくりの系譜と現代的位相-地域、分権、自治、国家の二一世紀的展開」。

 編者のひとり、水島司は「序章 生活、地域、そして国家」で各章の紹介をした後、つぎのように「序章」を結んでいる。「『地域・生活・国家』と題する本巻は、以上簡単に紹介してきたように、医療、教育、障害、環境、居住、まちなどの題材をとりあげ、生活の中から地域と国家との関係を論じ、最後にコミュニティ、共同体の真のあり方とは何かという問題を政策論との関係で論ずる形で終始させた。「ここに、今、共に、ある」ということの意味を考えようとする読者からの批判を乞うてやまない」。  本書を読んで、結局国庫に納めている税金が有効に使われていないことが、問題の基本にあるように思えた。その解決のひとつは、第1章で示されていた。国家が保障してくれない生活を村の決断で決めた事例である。「税金が上がるかもしれない。他の事業を抑えないといけないかもしれない。こうした切実な問題を何回も話しあって、納税者である村の人たちも議員も意を決して日本で最初に老人医療無料化を決めたのである」。

 税金は、なんのために使われるかわからない「とられる」意識があるかぎり、納税者の不満はおさまらない。税金がどのように使われるのかを納得したうえで納めることが重要になる。いまの日本の社会を維持していくためには、消費税10%でも追いつかないことは、ちょっと考えればわかることである。今後、20%、30%と増加していくにさいして、地方自治体に直接納めることを含めて、議論し、住民が自分の生活を守るためになにに「投資」するのかを考えねばならなくなる。「納める」ではなく「投資する」という意識から、空約束と「ばらまき」をするポピュリズムに打ち勝つ民意が生まれる。本シリーズ第7巻で議論されている「民主主義」の発展は、コミュニティ形成・まちづくりにも不可欠なことである。

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2012年04月17日

『3・11複合被災』外岡秀俊(岩波新書)

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 1995年の阪神・淡路大震災のときは、すぐに2階から震源地の見える実家に行き、その後の復旧状況も具に見たが、しばらくすると報道を見聞きすることができなくなった。今回の東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の報道も、しばらくすると見ることができなくなった。被災地に行くかわりに行ったのが、玄海島だった。島は、2005年3月20日に震度7と推定される地震(福岡県西方沖地震)に見舞われ、全225戸中173戸が全半壊し、ちょうど1ヶ月後の4月20日に最大余震5強で半壊住宅がすべて全壊した。人口700人ほどのすべてが、代表者10人ほどを残して島外に避難した。

 博多埠頭から福岡市営渡船が日に7便運航し、約35分で玄海島に到着する。周囲4.4キロの島は、6年たってようやく周回道路で1周できるようになっていた。港付近の平地には数階建ての集合住宅が建ち、そのひとつのエレベーターで屋上まで行くと、高台の一戸建て住宅街にいたる道があった。そして、そのさらに上に玄海小学校・中学校があった。玄海灘の南に面した住宅街は、東日本大震災のような津波に襲われることはないかもしれないが、ひとつの復興モデルが示されていると感じた。その体験は貴重で、震災後宮城県名取市などと交流している。

 本書は、震災後現地を歩き、1年たって回顧しながら、全体像を描こうとしたものである。著者、外岡秀俊は、その3月に新聞社を退職し、退職後フリーの立場で取材を続けた。そして、本書の目的・目標をつぎのように語っている。「東日本大震災について、何が起きたのかを、できるだけわかりやすく、コンパクトに伝えることを目的に書かれています」。「たとえば震災から一〇年後の二〇二一年に中学・高校生になるあなたが、「さて、3・11とは何だったのか」と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本のひとつとすること。それが目標です」。

 たしかに本書では「何が起きたのか」を書いているが、気になったのは「何かが起きたかもしれない」福島第二原発、東海第二原発のことも書いてあることだった。福島第一原発については、当然、今後詳細な検証がされるだろうが、同様のことが福島第二原発や東海第二原発でも起こった可能性があるなら、それは原発そのものの危険性を示すことになり、検証の仕方も意味も変わってくるだろう。北海道開拓記念館の常設展示では、数百年に一度襲う大津波が地層にあらわれている展示がある。「想定外」という言い逃れがさかんに使われたが、「想定」はどの程度の対策をとるのかという結論があって、逆算して導き出されたものだろう。すこし調べればすぐにわかることだし、このブログで震災前にとりあげた岩波ジュニア新書(西尾漠『新版 原発を考える50話』)を読んでいれば、事前に「想定」できたはずである。できなかったのは、はじめから変更不能のシナリオができていたからであろう。それが「安全神話」になってしまった。

 この「神話」について、著者は、10年後の読者に、つぎのように語りかけている。「それまで、原発について政府や電力会社は、事故を起こさないため何重もの防護装置を施してあるので、絶対に安全だといってきました。事故が起きて重点的に避難する地域も、原発から一〇キロ圏内にとどめ、事故が起きた場合に司令塔となる防災施設も、原発のすぐ近くに置いていました。そのため、実際に「想定外」の事故が起きたときに、政府の対応は遅れ、被害は拡大してしまいました。どんな場合でも、「絶対に安全」ということはできません。それをなぜ、どのように「神話」にしてしまったのか。「3・11後」を生きるあなたに、考えていってほしいと思うのです」。「絶対に安全」でないものはすべて拒否するのか、災害や事故を完全に防ぐことはできないことを前提に容認するのか、難しい問題を次世代は考えなければならなくなった。

 そのためには、この複合災害の事実、とくに科学で解決できないことを、人びとの心を考える人文力で補ったことを忘れてはならないだろう。科学力だけを根拠とせず、人文力の助けを借りながら、どう科学と向き合うのか。そのことを、著者は「はじめに」で、つぎのように語っている。「大災害であっても、「今」を生きることに懸命な日々がかさなると、つい意識から遠ざかり、「なかったこと」にしてしまうようになりがちです。失われた命、失われた故郷を思う人々と共に生きるには、忘れないこと、いつまでも記憶し続けることが何よりも大切だと思うのです。そしてそのことが、次の大災害で、あなたや身近にいる人の命を、ひとりでも多く、救うことにもつながるのだと思います」。

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2012年01月24日

『超高齢者医療の現場から-「終(つい)の住処(すみか)」診療記』後藤文夫(中公新書)

超高齢者医療の現場から-「終(つい)の住処(すみか)」診療記 →bookwebで購入

 著者、後藤文夫は70歳を過ぎた医師である。本書を出版しようと思い立ったのは、本書に登場する85歳以上の超高齢者の「終焉がわたくしの心に強く響いた」からである。「その「心に響いた」病歴には、「こうありたい」と思う終焉がある一方で、「どうしたらこのような最期を避けることができるか」と自問自答するもの」も少なくなかったという。その理由を、つぎのように「おわりに-おだやかな超高齢期とリビング・ウィルの普及を期待して」で書いている。

 「男性は女性よりも「社交性」に劣り、「おだやか」な生活に慣れていない点が問題と指摘されています。わたくし自身その通りで、社交性に劣ることを強く認識しています。さいわい、医師という資格を持ち現職時代の経験を生かして大学を定年退職したのちも医療職を継続しているため、社会とのつながりが維持できています。しかし、きわめて近い将来、体力が低下して医師の業務を続けられなくなることは間違いないことで、その際には本書に引用させていただいた方々を思い浮かべ、リビング・ウィルを明確にしておこうと思っているところです」。

 著者が院長を務める「高齢者施設に囲まれた高原の小さな病院」で、いまなにが起こっているのかは、本書の11の章と終章のタイトルを見るとだいたい想像がつく。「第一章 実の娘の介護放棄」「第二章 おだやかな死と「死の質」」「第三章 認知症の合併症による家族とのトラブル」「第四章 認知症患者の悪口雑言とクレームに疲弊する介護職員」「第五章 在宅介護と介護ストレス」「第六章 入院三ヵ月・これからどこへ?-高齢者介護施設が足りない」「第七章 要支援・要介護者数の急増に対応できない介護政策」「第八章 姉が妹の障害年金を流用」「第九章 超高齢者に多い病気」「第十章 認知症の種類と症状」「第十一章 安楽死・尊厳死を考える」「終章 超高齢期を前向きに生きて呆けの進行を遅らせよう」。

 著者は、「死の質」を問うている。残念ながら、日本は「死の質」世界ランキング、40ヶ国中23位で、発展途上国レベルといわれている。第1位から3位は、英国、オーストラリア、ニュージーランドで、「豊かな死」を迎えられると評価されている。いっぽう、日本は、「医療費の高さや医療と介護に従事する人員の不足などのせいで」低い評価だという。原因も対策もわかっているのにできないのは、ひとびとの考え方によることのようだ。

 その考え方のひとつに、「看取り」をどう考えるかがある。「看取り」は、「家族が高齢者に寄り添って静かに命の終焉を見守る」ことが基本で、「施設で看取る方針であれば、入院の是非を問う前に介護の方針を家族で話し合い、施設とも確認する必要」がある。しかし、その方針が決められないために、「看取り介護」ができないことがある。その理由は、超高齢者や施設の状況をいちばんよく理解している家族の考えを尊重しない、ほかの家族に原因があるようだ。介護にあたって、どうすればいちばんいいかという答えは、そう簡単ではない。それぞれの状況、それも日々刻々と変わる場合のある状況と、超高齢者本人や実際に介護にあたる家族の考えを考慮して、総合的に臨機応変に判断しなければならないからである。施設の職員は助言できても、最終的には本人と家族で決めなければならない。実際に介護の中心になっている家族の責任が重いわりに、ほかの家族がそれを充分に理解していないで、個々勝手に「正しい」発言をすると、収拾がつかなくなってしまう。

 本書でも紹介されているように、どうしようもない家族がいることは事実だが、多くの家族は親身になって考えようとしている。にもかかわらず、みなが「やさしく」なれない理由のひとつは、介護の中心になっている家族ひとりに負担が集中し、ほかの家族が事実上頼り切っていることにある。しかし、頼り切っていることに気づいていない家族も多いし、気づいていてもその具体的状況を理解していない家族も多い。ひとりで超高齢者との1対1の関係が長く続くと、介護するほうもされるほうも疲れて、心のゆとりをなくしてしまう。いつでもかわりに介護してくれる家族がいると、気持ちがうんと楽になり、その苦労が具体的にわかり相談にも乗ってもらえる。家族会議のときにも説明しやすく、意見をまとめやすくなる。だが実際には、最初に介護を引き受けた家族が「貧乏くじ」を引くことになる場合が多い。

 本書は「超高齢者医療の現場から」の実例を基に、著者自身が自分自身のことも考えながら書いているだけに、説得力がある。しかし、実際に死と向き合うと、理屈ではいかないことが多々ある。「看取り」をした家族、職員がいかに「心に響く」終焉を迎えるかを期待するより、「どうしたらこのような最期を避けることができるか」を考えることのほうが現実のようだ。

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2011年11月29日

『老い衰えゆくことの発見』天田城介(角川選書)

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 こんな本、読みたくない! そう思って、書店でタイトルを見て、目をそらしている人もいるのではないだろうか。病人でもないし、障害者でもないが、ほっておけなくなった家族を抱えていたり、自分自身にその徴候が現れて、この先が怖くなっている人にとって、現実を知るだけ怖くなる。その「困った人」を抱えていたり、その「困った人」に自分がなろうとしている人にとって、個人個人の状況があまりに違うから、他人の例はあまり参考にならないこともわかっている。

 では、本書を読むことは無駄か? 結論からいうと、これからの日本の社会を生きていく者として、この現実を確認することは最低限必要なことに思えた。目を背け、かかわりあうことから逃れることは、どうもできそうにない。それならば、正面から向き合うしかない。

 本書は、著者、天田城介の専門書を一般書として、書き改めたものだ。第1章から第4章までは、具体的事例に基づいて臨床の現実が描かれている。最終章である第5章は、社会学者として、戦後日本社会が生んだ現実を直視している。

 「はじめに」で、著者は<老い衰えゆくこと>を、社会的出来事としてとらえて、つぎの3つに要約している。「第一に、年を重ねる中で次第に身体にままならなさを抱えるという経験だけではない。むしろ、ままならない身体の中で「あたしはもう駄目じゃ。馬鹿になってしもうた。生きとってもなんの楽しみもない……」と嘆きながらも、必死(ひつし)にそれに抗おうとする経験である」。「第二に、家族や夫婦などにとって、<老い衰えゆくこと>とは、たんに「介護」を誰がどのように提供するかといった問題に収まるものではない」。「第三に、先述したように、<老い衰えゆくこと>とは、それまでその当事者がどのように生きてきたのか、どのように食っていくことができたのか、いかなる資源を獲得してきたのか、等々によって形作られるものである」。

 その社会的出来事は、「戦後日本社会における歴史と体制のもとで作り出されてきた現実」であり、つぎの3つの視点で現実を直視することを通じて、「私たちの社会の有り様を「発見」していくことが可能となる」という。「第一に、<老い衰えゆくこと>を徹底的(てつていてき)に社会的な出来事として見ていくべきなのである。第二に、<老い衰えゆくこと>とは、老い衰えゆく当事者と周囲の関係上の社会的出来事というだけではなく、当事者が老い衰えゆく中で「私は生きていても仕方がない」というように自らの存在を否定し、幾重にも深い苦悩と葛藤を経験せざるを得ないこと、その苦悩と葛藤こそが当事者に様々なつまづきをもたらし、悪循環をもたらしてしまうことが、まさに私たちの社会によって形成されているという意味での社会的出来事として捉えていくべきなのだ。第三に、まさに「どっちつかずの身体」である<老い衰えゆくこと>を過酷な現実にしている社会において、<老い衰えゆくこと>をめぐる政策と歴史はどのように形作られてきたのか、その歴史的な見取り図を描くことが重要なのだ。言い換えれば、戦後日本社会は誰を(いかなる人びとの身体を)想定して社会が設計されてきたのかを照らし出すことが大切なのだ」。

 著者は、目指すべき仕事として、「断片をたんに「寄せ集める」のではなく、「断片」を「繋ぎ合わせる」こと、そして「繋ぎ合わせたもの」から「<社会>を描き出す」こととし、「<老い衰えゆくこと>の発見」ないしは「<老い衰えゆくこと>からの発見」という事実を読み解くことこそ、近代日本社会とりわけ戦後日本社会の歴史と体制を深く分析することに繋がる」と考えている。

 そして、「老い衰えることに、どのようにして否定的な価値が付加され、それが個別の関係をどのように縛(しば)り上げてしまうのかを微視的(ミクロ)に、そして巨視的(マクロ)に描き出すことを通じて、老い衰えゆくことが背負(せお)わされた否定的価値の棘(とげ)をゆっくりと取り去りながら、私たちの社会の中に、老い衰えゆくことを静かに着地させてゆくことへと向けて、本書は書かれている」。

 「はじめに」と第5章の社会学的な話から、いろいろ学ぶことができた。断片を繋ぎ合わせる試みも伝わってきた。しかし、第1~4章の具体例はわかりやすかったが、繰り返しが多く閉口した。だれを読者対象として書いているのだろうか。<老い衰えゆくこと>を、実際に体験している人を対象としているのだろうか。すくなくとも社会学的な話を期待して読んでいる者にとっては、少々苦痛だった。逆に、第1~4章を中心に読んだ人は、第5章を読むのが苦痛だったかもしれない。一般書を研究者が書くことは、実にむつかしい。一般書といいながら、研究者はほかの研究者が読むに堪えられる内容にしようと欲張るからで、<どっちつかず>になってしまう。専門的なことは専門書に書いたのだから、もう書かなくてもいいと思いながら、書かざるをえなくなってしまう。困ったものだ。

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2011年08月09日

『移民研究と多文化共生』日本移民学会編(御茶の水書房)

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 本書は、日本移民学会創設20周年記念論文集である。学会の記念誌は、その分野の研究史と最先端の研究動向がわかることが期待され、期待通りのものは長く重宝される。本書も、その期待を裏切らないものになっている。

 日本移民学会が創設された当時、研究の主流は、日本からアメリカ合衆国やブラジルなどへの出移民が現地社会とさまざまな文化摩擦を起こしながら、「同化」または「適応」していったプロセスを、文献によって検証するものだった。それが、今日では地域的にも分野的にも格段に広がり、「研究のための研究」ではなく、実際にいま世界で起こっていること、日本で起こっていることを念頭において、問題を解決する術を模索するというものになっている。そのキーワードは、「多文化共生」である。

 本書は4部からなる。「第一部 海外における多文化主義・社会的統合論」では、「日本における多文化共生の今後のありようを考えるために、海外の多文化主義(あるいはその不在)の現状と課題を検証する」。「第二部 日本から海外へ-移民の経験とアイデンティティ」では、「海外に渡った日本人移民・殖民の歴史的経験やその子孫のアイデンティティがテーマになっている」。「第三部 日本で生きる-越境から共生へ」では、「日本国内に居住する外国にルーツをもつ人々を対象とする論考で構成されている」。最後の「第四部 移民研究へのアプローチ」では、「移民研究の方法論について、従来のように歴史学、社会学、文学等の学問分野別に、つまりタテ割にアプローチするのではなく、研究対象と課題に応じた多角的な研究方法論を提示する」。

 本書あるいは本学会が目指しているものを、もっとも顕著に表しているのは第一部だろう。「多文化共生」といえば、オーストラリアやカナダの例がよくあげられ、モデルとされてきた。いま、この2ヶ国で考えが変わってきている。それは、失敗したからではなく、ある意味で成功したからだという。いったいどういうことなのだろうか。

 「第1章 隠された多文化主義-オーストラリアにおける国民統合の逆説」では、つぎのように問い、答えている。「1990年代から2000年代のオーストラリア政治において、なぜ多文化主義は「隠された」のか。それは、多文化主義が統合や社会的包摂という目的に反する「分裂」の要素をもったからである」。「公定多文化主義が分裂の要素をはらむことになったのは、それが成功したがゆえ、すなわち国民統合を目指す論理として制度化され、政府にとって「使い勝手の良い」論理になったがゆえなのである。「使い勝手が良くなった」ために、政府は多文化主義を新自由主義的な考え方に適合させ、グローバル資本主義を勝ち残るための多様性の活用を奨励する論理へと変えることができた。しかしその結果、多文化主義は主流白人中心のナショナリズムとの結びつきを失い、主流白人であろうがなかろうが「活用できない」人々を排除することを黙認する「帝国」の論理の色彩を強めていった」。

 カナダでも、1990年代になると問題状況の変化が意識されるようになった。「第2章 多文化主義をめぐる論争と展望-カナダを中心に」では、つぎのように説明されている。「移民法の改正によって増加した非ヨーロッパ系の移民は、かつてのヨーロッパ系移民と比べて、親族関係や宗教などの文化的背景の異質性が大きく、統合の遅れが危惧されるようになる。実際、収入格差が長期間にわたって持続し、また二世になってもカナダへの帰属意識が強まらない例が見られる。また、その文化・宗教的慣習がしばしば保守的であり、自由民主主義の基本原理と対立することが危惧されるようになる。多文化主義の政策は、当初ヨーロッパ系の移民を念頭に開始されたものであるが、非ヨーロッパ系移民の増加のなかで、その有効性や妥当性を疑問視する声も強まっている」。この第2章では、「カナダの状況を通して、多文化主義の到達点と、それが直面する困難を、明らかにする」ために、「「文化」の実体への懐疑、「分離」への危惧」「抑圧的なマイノリティ文化をどう扱うか」「公共空間における宗教表現の問題」の3つに分けて考察している。

 この2ヶ国の例から、これまでの「多文化主義」の議論が、近代のヨーロッパ拡張主義に則って行われてきたことがわかる。それが、非ヨーロッパ系を含むグローバル化のなかで、ヨーロッパ系の優位が保てなくなったことから問題が複雑化した。

 「序論 移民研究から多文化共生を考える」では、「多文化共生」先進国の問題点を理解したうえで、「日本の多文化共生が、諸外国の多文化主義と同じ道を辿るのではなく、軌道修正しながらも日本独自の発展形態をとるためにはどうすればよいのか。それを考えるために、多文化主義をめぐる議論をどのように援用することが可能なのか、日本で生まれた事情は何かについて整理しておくことが肝要であろう」と指摘している。「多文化共生」をめぐって、いま世界が直面している共通の問題を理解するとともに、各国で起こっている個別の問題に対処するための「移民研究」が唱えられているのである。

 20年前に主流であった出移民の文献を主とした研究も、新たな展開を迎えている。20世紀前半の東アジアにおける人口移動は、日本帝国の形成・膨張そして崩壊によって規定されたと捉え、日本内地から外地へとその逆だけでなく、外地のなかでもたとえば朝鮮人が満洲、沿海州、樺太などへ移動したことを、東アジアという歴史空間のなかで考察しようとしている。また、戦後の外地から内地の引き揚げだけでなく、「現地へ定着、残留した中国朝鮮族、在日朝鮮人、そして遅れて帰国した中国帰国者」を、戦前からの連続性をもって考察しようとしている。ナショナル・スタディーズの延長としての出移民や2国間関係史から解放されることによって、近代のディシプリンや国民国家の枠を超えて、世界に通用する学際的研究として、日本の「移民研究」を発展させようとしている。

 近年増加している日本への入移民であるニューカマーについては、いままで見落とされてきた母国に帰国できない無国籍者など、「少数民族にも難民にもなれない」人びとのことも考える。また、在日ブラジル人を、世界にディアスポラした在外外国人として考察を試みる。このように、従来対象外にされてきた人びとを可視化して、考察の俎上にのせることによって、より総合的に捉えようとしている。それでも、本書で取りあげているのは、ほんの数例に過ぎない。いったいいくつの「多文化」の事例があり、考察の対象としなければならないのか。「移民研究へのアプローチ」も、文献中心から多様化してきている。気づいたことから問題設定し、わかったことから書いてきたこれまでとは違い、気づかなかったこと、わからないことはなにかを考えながら、相対的に研究をすすめる必要性が出てきている。

 本書から、「移民研究」は、「研究のための研究」ではないと意識した多分野の研究者によって、それぞれの分野の専門性をいかしながら「科学する総合的な領域」になりつつあることがわかるが、その未来はそれほど平坦ではないようだ。

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2011年08月02日

『日本断層論-社会の矛盾を生きるために』森崎和江・中島岳志(NHK出版新書)

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 1927年朝鮮生まれの詩人で作家である森崎和江の生きざまを、その時どきの作品とからめて、1975年生まれの近代政治思想史研究者である中島岳志が聞き出したのが、本書である。すでに森崎作品に慣れ親しんでいる人、とくに2008年に刊行された『森崎和江コレクション-精神史の旅』(全5巻、藤原書店)を読んだ者には、それほど目新しいものはない。しかし、中島の用意周到な聞き上手もあって、これまで断片的であったものが、ひとつにつながって理解できる。

 本書の要点を、中島は「はじめに」で要領よくまとめている。すこし長くなるが、引用したい。

 「森崎は自らが植民地下の朝鮮に生まれた日本人の娘であることにも、鋭いメスを入れた。彼女は教師である父の仕事の関係で一七歳まで朝鮮で育ち、進学のため戦中に福岡に引き揚げた」。
 「自ら育ててくれた朝鮮の人と大地への想い。しかし、その深い愛着が日本の帝国主義の土台の上にあることへの贖罪(しよくざい)意識。帰ってきた日本での居場所のなさと存在論的不安-」。
 「彼女は「私には顔がない」と書き、日本社会との隙間(すきま)を感じながら、植民地育ちという「原罪」を背負って生きた」。
 「森崎は幻想的なアジア民衆との連帯を表現する谷川[雁]に対し、具体的な植民地統治の過去を突きつけ、自らの(そして日本人の)「原罪」をより深く追求する必要性を訴えた。しかし、その望みは繰り返し拒絶された。それでも彼女は「問い」を発し続け、自らの意思で朝鮮との交流をはじめた」。
 ・・・
 「ウーマンリブ、サバルタン・スタディーズ、ポストコロニアル批評……」。
 「のちに横文字の概念が入ってくることで認識される問題群を、森崎は一人で開いていった。「それ」に名前が与えられないままに」。

 中島は、「なぜ森崎だけが、未知の領域に分け入ることができたのか。なぜ、あまりにも先駆的な表現を紡(つむ)ぎだすことができたのか」を問い、つぎのように結論づけた。「そんな自己を切り裂く作業を経由したからこそ、日本/アジア、先進/後進、都市/地方、エリート/サバルタン、男性/女性……といった無数の断層を乗り越え、表現を紡ぎだすことができた。新しい批評の世界を切り開くことができた」。

 森崎は、まず詩人であった。ついで、北九州の炭坑で文筆を通した活動家になった。そして、NHKのラジオやテレビの台本などを書き、日本各地を歩きながら人びとの日常を描く旅人になった。森崎は、本書を総括して、「あとがき」でつぎのように述べている。「生誕地の天地風土をむさぼり愛した原罪を、可能なかぎり心身から剥ぎ捨てたいと、私は全く知らなかった「方言の世界」で働き暮らす方々に会いつづけて来ました。その方々の呼吸を身に浴びることで生き直したいと、列島を南へ北へと歩きました」。そのなかで数々の断層に気づき闘ってきたが、森崎にとって、「最も深く対決の思いが宿ったのは公娼制度」だった。

 森崎は、国家の中央から人間性を無視された人びとと同じ位置に立ち、自分のこととして捉えた。もっとも印象深い人びととして、「北海道に引き揚げたサハリンの少数民族」をあげたのも、朝鮮で生まれ育った自分が日本国籍をもつというだけで、居場所のない日本に住んでいることに納得できなかったからだろう。日本社会になじんだサハリンの少数民族は、もはや日本との関係抜きに生きていくことができなかったために、故地を捨て一度も行ったことのない北海道に「引き揚げた」。

 森崎は、学者ではない。だから、学術用語で評価することはできない。同居した谷川雁が、計算づくで発したメッセージが読者に届いたかどうかを気にし、現実と乖離したのにたいして、森崎は「自分の感じたままで生きて」、感じたままを書き、その矛先を自分自身に向けて傷ついた。それでも、逃げなかった。それが読者の共感をよび、読者は森崎から受け取ったものを学問に、闘争に、生活に、それぞれ自分のために活かした。中島は、本書を「今と自己を見つめるために」「若い世代に読んでほしいと願っている」。森崎が聞きながら、語りながら、歩きながら、闘いながら、そして書きながら、どれだけ他人の痛みを自分のものとして苦しみ、「どう生きるの?」と問い続けてきたのかがわかれば、森崎のいう「断層」の意味もわかってくるだろう。

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2011年01月04日

『コモンズの地球史-グローバル化時代の共有論に向けて』秋道智彌(岩波書店)

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 本書は、著者、秋道智彌が36年間、コモンズ論に関する現地調査を東南アジア、オセアニア、中国、日本各地で実施し、その調査研究の結果を学会やシンポジウムなどで発表、さらに論文や論考として世に出してきた成果が結実したものである。

 本書は、序章、3部14章、終章からなり、その概略は、つぎのようにまとめられている。「本書では人間が自然界の資源を利用し、所有するうえでどのような社会的なしきたりや実践をはぐくんできたのかについてくわしく取り上げる。第1部では資源を共有することの意味について、資源、海、水、森、食に着目して議論してみたい。第2部では、海洋世界に展開する共有慣行や漁場紛争などを吟味し、人類にとっての海のもつ意味を明らかにしたい。第3部では、内陸世界における共有地や共有慣行に光を当てる。ここでは、農地や森林、河川や池においてみられる共有の慣行について考察する。そして、最後に資源の利用、海と陸の世界に展開する資源利用の実態から、自然はだれのものであるのかという問いにたいする見方を提起してみたい」。

 この古くて新しい問題であるコモンズの議論を理解する「キーワードは時間変化である」。著者は、終章の最後の節「グローバル化時代の共有論」で、つぎのようにまとめている。「いま一度、本書のなかで提起したコモンズ論が、現在という時点からは一年から二年、ないし数十年前に観察された事象にもとづいていることに注意を喚起したい。資源の定義について述べた部分で、資源が歴史的に不変ではなく、つねに変化する契機をはらんでいることに注意を喚起したい。だが、急激な変化の反面、依然としてかわらない側面があり、保守的な面も時代のなかでその意味を問われてきたことを理解しておくべきなのだ。問題は、前述した「つながり」への認識をあらたにすることであろうかとおもう。生態系サービスの機能についての議論で、コモンズ論が抜けていることは指摘したとおりであるが、いいかたをかえれば、自然と人間、人間と人間をつなぐ関係性に着目することがもっとも重要であろう。つながりは、本書であつかったなわばりとおなじ土俵で議論すべきテーマでもある」。

 そして、つぎのように訴えて、本書を終えている。「コモンズ論の今後は、それぞれの地域に生きる人びとの生きざまに直結していることはまちがいない。グローバルな現象にまどわされることなく、地域における共有問題に徹底的なメスを入れ、人びとの生きざまに眼をそそぐことからグローバルな変化をみる視点なしに、真のコモンズ論は生まれてこない。新しさもない」。

 本書巻末には、2段組で17頁にわたって日本語、中国語、英語文献が並べられている。しかし、著者がおもに参考にし、信頼したのは、これらの文献ではない。本書を読むと、著者が生態系を注視し、風や匂いにも神経を研ぎ澄まして、からだ全体で理解しようとしていることがわかる。そして、そのなかで暮らしている人びとの話に耳を傾け、「自然と人間、人間と人間をつなぐ関係性」をつかもうとしている。

 「自然はいったいだれのものなのか?」という問いにたいして、著者は「海と陸の世界に展開する資源利用の実態」から、その見方を提起している。だが、その答えは、簡単ではない。まずは、ひとりひとりが、限りある資源を利用していることを自覚することからはじめねばならないだろう。

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2010年12月14日

『新版 原発を考える50話』西尾漠(岩波書店)

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 本書を読んで、まず思ったことは、「危険な原発はいらない」という当たり前のことが当たり前に書いてある、ということだった。つぎに思ったことは、にもかかわらず、いまも原発による発電に頼って、わたしたちは生活しており、本書はわたしたちの生活を脅かすとんでもない「悪書」であり、すぐに発禁にすべきである、と考えても不思議ではない、ということだった。この矛盾を理解することが、いまの日本の社会の矛盾を理解することにつながる。

 日本の公共事業は、いったん決められると、状況が変わっても、「お役所の権威」のために変更することができなかった。日本各地に建設された巨大ダムは、工事でうるおうことが優先され、建設後のことは考えようとしなかった。ようやく高度経済成長に貢献した巨大公共事業が、現代に合わないことがわかってきて、数十年前に計画されたダム建設などの見直しがおこなわれるようになってきた。原発も、数十年前の計画が基本にあり、当然見直す時期にきている。

 原発の危険性については、本書の50の見出しのいくつかを見るだけでわかる:「下請けの下に孫請け、ひ孫請け」「事故は起こる」「死体か資源か」「放射能を消す手品」「そしてだれもいなくなった」「核物質に手を出すな」「人は誤り機械は故障する」「老いる原発」「逃げろや逃げろ」「備えあれば憂いあり」「算定不可能なリスク」「電気は出ていく放射能は残る」「不思議の国の原発PR館」「つくられる需要」「電気をすてる発電所」「原発は地球を救わない」「出口なし」。

 これだけ危険性を指摘され、安全性に疑問がもたれても、原発が存続する理由は、安全性が真剣に考えられていないことだ。著者、西尾漠は、つぎのように指摘している。「安全の業務にたずさわる人たちの価値が、現実には尊重されていないということです。企業の論理としてお金がもうからない安全の業務を軽視するということもありますが、研究者ら自身が開発推進は積極的でおもしろく、安全研究は消極的でつまらないと見ているようなのです。でも、「安全」イコール「消極的」という考え方のもとで放射能廃棄物のあと始末がおこなわれたらどうなるでしょうか。このままでは、原発が動いているときより廃止されたあとのほうがはるかにおそろしいとすら言えるでしょう」。

 いま原発が全廃されたら、わたしたちはたちまちに困るのか? 今年の夏はほんとうに暑かった。しかし、電力不足の話は出なかった。もちろん、そうならないように原発があり、電力会社は努力している。現状では、原発を全廃したら、1年のうち数十時間は停電するという。しかし、これくらいなら、つぎのような省エネを心がければ、なんとかなると著者は述べている。「夏になると防寒具がよく売れる過剰冷房社会の見直しはもちろん、クーラーをつかうとしても、その選び方、取りつけ場所などの考慮、機器の特性に合わせた使用モードの選択、扇風機の併用、フィルターの掃除、人体やオフィス機器から発生する熱の逃がし方の工夫、熱源でもある照明の省エネルギー化等々、最大電力を小さくするためにできることはいくらでもあるはずです」。しかし、もっと「必要なのは、省エネルギーが企業の利益になるような社会的なしくみであり、右肩上がりの「成長」に固執してきた企業の意識変革でしょう」という。

 「環境をこれ以上汚さずこわさずに、私たちがほんとうの意味で豊かな暮らしをしていくためには、当面は化石燃料を少しでも効率よくつかいながら、エネルギーの消費を小さくし、自然エネルギーをじょうずに利用する世の中に変えていくことが、どうしても必要なのです」。そして、最後の「50 私たちにできること」を、つぎのように結んでいる。「現在のようなエネルギー浪費構造と、それに基礎を置く経済のあり方が、国際的にも国内的にも変化を強いられないとはとうてい考えられませんし、すでにさまざまな局面で新しい事態を迎えています。そうした変化を積極的にとらえ、私たちにとって望ましい社会を準備していきたいものです」。

          *       *       *

 2010年5月6日に高速増殖炉「もんじゅ」が運転を再開した福井県で、反対運動を続けている棡山(ゆずりさん)明通寺(真言宗御室派)住職中嶌哲演(なかじまてつえん)さんの話を聞く機会があった。すぐにすべての原発を撤廃しろ、というようなことは主張していない。これ以上原発を増設しない、アジアへ原発を輸出しない、核廃棄物の後始末をする、被爆労働者の安全・救護対策をする、など現実に対応できることから原発をなくそうと提案している。

 そして、核の再処理施設などが集中する青森県六ヶ所村やアメリカ軍基地が集中する沖縄県と同じように、補助金に頼る地方行政の自立を考えている。かつて日本帝国陸軍・海軍の基地や施設を誘致した「軍都」で、今日発展している都市はあまりないことが、歴史的に検証されている。補助金に頼り自立の道を切り開こうとしなかったからだともいえるし、自立の可能性のないなかで一時的にでも繁栄したともいえる。問題は、だれが得しだれが損をするかという問題ではなく、放射能で汚染されたり、基地が攻撃されたりして、人命が失われたとき、だれも責任のとりようがないことである。

 806年に坂上田村麻呂が創建したと伝えられる明通寺の中嶌住職は、「討伐」され処刑された蝦夷のアテルイやモレらの鎮魂と平和を祈願して、六ヶ所村のある青森の人びとの痛みと願いを切実に共有せずにはいられないという[『-若狭の原発を考える-はとぽっぽ通信』]。

 原発による発電が、多くの人びとを危険にさらしてまで、いまのわたしたちの生活に必要なのか、はたまた、原発にともなう技術が将来の日本にとって必要なのか、広い視野と長期的な展望のなかで、ひとりひとりが考えなければならないことを、本書からも中嶌住職からも教えられた。

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2010年08月24日

『イスラームへの回帰-中国のムスリマたち』松本ますみ(山川出版社)

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 「そんなテーマなんてそろそろやめて上海の近代史研究にでも本腰をいれなさいよ。大体、沙漠ばかりの貧しい西北の研究なんかして何かいいことでもあるんですか」と、「中国の民族・宗教問題を研究している」著者、松本ますみに、「ご親切に」忠告してくれる人がいるという。本書で取りあげる「中国のさいはて西北」のイスラーム教徒(ムスリム)の女性は、「イスラーム(宗教)、ジェンダー、エスニシティ、伝統、貧困という階層の問題が複雑にからみあっている」社会で生活している。現代社会のさまざまな問題を考察する事例として「好条件」が揃っている。ということは、当事者である人びとは、その苦悩に喘いでいるということである。

 「本書ではとくに、女性のためのイスラーム宗教学校(本書では「女学」と略す)とそこに集うムスリム女性たち(ムスリマ。アラビア語でムスリムの女性形)に注目して、現代中国におけるイスラームへの回帰現象と、女性の能力開化、自信回復・自立について考えていく」という著者は、具体的につぎのような疑問に答えていく。「女学は誰がどのような動機でつくったのか。公立学校とはどう違うのか。なぜ女性たちは女学を選んだのか。彼女たちはなぜイスラーム信仰を心の拠り所にしているのか。なぜ彼女たちはヴェールをかぶっているのか。現政権の政策との矛盾はあるのかないのか。また女性たちは女学をどう考え、どう自らの権利拡大に利用しているのだろうか」。

 これらの答えは、「現代中国の民族政策、宗教政策、教育政策のあらましとその問題点について」説明する「第1章 中国の民族政策とイスラーム政策」と「第2章 中国のさいはて西北」につづく、「第3章 女学という選択」と「第4章 女学の学生、教師に今」で詳しく述べられている。とくに今日の問題については、第4章のつぎの見出しから想像できる:「二十一世紀の女学の隆盛」「イスラーム的女性をめざす教学内容」「ヴェールとイスラーム知識のリンケージ」「再解釈されたイスラーム主義」「女性のエージェンシー」「ジェンダー、宗教、エスニシティ、貧困、モダニティ」「女学 その脆弱さと周縁性」。

 そして、最後の「イスラーム・フェミニズムの実験」で、総括している。「西北の女学は一九八〇年代以降、公立学校に行けない失学女児の補助教育機関として誕生した」。その後、「政府の世俗主義にもとづく義務教育の整備が達成され」たにもかかわらず、「女学は生き残り、それどころか数をふやしている」。「現在の女学は九年間の義務教育修了者や義務教育中退者まで受け入れている」。「女学は周縁化されたムスリマのためのセーフティネットであり、職業訓練校でもあり、アイデンティティを確認する場所でもある。そこで彼女たちは思いもよらないジェンダー観を与えられる。それは無条件に厳しい競争を勝ち抜くように貧困女性を駆り立てる公的男並みジェンダー平等を否定する。この「新しい」ジェンダー観はアッラーの教えを家庭で次世代に伝えるべく「賢妻良母」になることを教える」。そして、「彼女たちはあえて男性への服従をよしとし、家のなかの妻と母の役割を重視するイスラームの体系のなかにとどまる。とどまることによって女性への差別を解消し、同時に男女平等が保障された中国国内の法秩序のなかで経済力をつけ、発言力をつけ、家父長制と社会主義的無神論の原則を当然視する風潮に抵抗していく」。「イスラームに篤い信仰心をもつこと、そして宗教的にも実利的にも役立つアラビア語の知識は、ムスリマたちに自信を取り戻させ、自存の念を与える」。

 最後に、著者は力強く、「本質的属性である「性」を逆手にとって、差別を解消し、今世と来世でのよりよき生を求める女性弱者たちの姿がここにある。そして、これこそが世俗主義と市場経済、グローバリゼーションの狭間でムスリマたちが交渉しつつ生きる道である」とエールを送っている。それは、「そんなテーマなんてそろそろやめて」と、「ご親切に」忠告してくれる人への著者自身の応えでもある。

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2010年05月11日

『もっと知ろう‼ わたしたちの隣人-ニューカマー外国人と日本社会』加藤剛(世界思想社)

もっと知ろう‼ わたしたちの隣人-ニューカマー外国人と日本社会 →bookwebで購入

 「外国人問題」ということばは、「不法滞在」「不法就労」とか犯罪と結びついて取り沙汰されることがある。しかし、本書を読むと、「外国人問題」ではなく、日本の問題であるとことがよくわかる。

 編者、加藤剛は、「はじめに」で、つぎのように日本の問題を適確に指摘している。「二一世紀の日本社会が検討すべき課題のいくつかが自ずと浮かび上がってくる。ひとつは、本書のテーマと深く関わる外国人移民受け入れの不可避性、ひいては本書第1章でも触れている「移民政策」策定の不可避性である。もうひとつは、たとえ多くの移民を受け入れたとしても、数千万の移民によって日本の総人口を二〇〇四年のレベルにまで戻すことは不可能だということ、したがって日本は将来的には、一方で国の借金の返済と高齢者人口の社会福祉負担の増大に対応しつつ、他方で「縮小均衡」経済(略)ないし「人口減少経済」(略)を創出するという挑戦に立ち向かわざるをえない、ということである。ここでは「答え」を出すことを目的とはせずに、今後どのような検討が必要となるかを、まずは移民政策について考えることにしたい」。

 日本には、「移民」がいないという。近代日本では、移民とは外国に出て行く出移民のことをいい、日本に入ってくる入移民という発想自体がなかった。入移民は、その国に必要だから入ってくるのであって、勝手に入ってきて居座っているのではない。したがって、なぜ、日本が「移民」を必要とする社会になったのかを考えなければならない。それを考えるために、本書は編まれた。

 本書は、「この三〇年ほどのニューカマー外国人到来の波を簡単ながらも歴史的に跡づけ、国際労働力移動のグローバルな背景と今後の見通しを検討しつつ、二一世紀の日本にとっての「移民受け入れ」の喫緊性に焦点を当てることにした」長い「はじめに」(編者は「あとがき」で「まえがき」と言っている)の後、全8章からなり、「大きく四つの部分に分けることができる」。

 「第1章は全体への導入の章で」、「現在どのような外国人が日本に受け入れられているか、あるいは受け入れられていないかについて、国の出入国管理政策の変遷を中心に概観している」。

 「第2章から第4章までは、異なる在留資格の下、異なる業種で働く異なる出身国の外国人「単純労働者」-茨城県の水産加工業で働く様々な国からの外国人労働者、北海道の農業で働く中国人研修生・実習生、滋賀県の製造業で働く日系南米人-についての事例報告である」。

 「第5章から第7章までは、いわば多文化共生に関わる実践報告・現場報告であると位置づけられる。具体的には、第5章は名古屋市中区栄東地区におけるフィリピン・コミュニテイと地元住民との「一緒に汗をかく活動」を描き、第6章は、流入する多様な外国人によって東京の新宿区大久保がどのように変容してきたかを地元社会の反応を含めて跡づけ、第7章は、著者自身が信仰する宗教、「日本的ではない」イスラームの信徒の間に見られる宗教的な多文化共生の模索の様子を、モスク(礼拝所)の設立を手がかりに特定地域社会に限定せずに、半分「あちら側」から綴ったものである」。

 「最後の第8章のテーマは、日本における外国人受け入れをめぐる議論ではおそらくこれまであまり語られることのなかったテーマ、外国人受け入れの持つ政治的な含意についてである」。「第8章の論点は、外国人労働者、とくに「不法滞在者」を支援するNGOの活動が、結果的に日本における下からの民主主義の活性化、それも外国人住民や国内マイノリティなどの社会的弱者の包摂を志向する、多文化民主主義の発展に貢献しているとの結論である」。

 編者は、「あとがき」で、「「多文化共生」への道はまだまだ遠い。その道程が遠ければ遠いほど、わたしたちには、自分たちの隣人のこと、ひいてはわたしたち自身のことをもっともっとよく知る努力が必要とされる」と結論している。帯にある「ゆたかな多文化共生社会を目指して」、まずはなぜ目指す必要があるのかを、日本人ひとりひとりが自覚することによって、「外国人問題」は「日本の問題」になる。日本に暮らすのは、もはや日本人だけではない。

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2010年04月13日

『自然災害と復興支援』林勲男編著(明石書店)

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 何気なく見た索引のトップが、「空き家」だった。通常、索引に取り上げられない「空き家」があることで、この本はこれまで読んだ本とどこか違うと身構えてしまった。

 全執筆者16人の専攻は、つぎのように紹介されていた(複数あげられたものは、最初のものだけにした):地域防災、人類学、都市防災計画、社会心理学、防災研究、文化人類学、タイ地域研究、人文地理学、都市社会学、東南アジア地域研究、防災地震学、南インド考古学、建築学、防災計画学、建築計画学、イスラム教圏東南アジア地域研究。似たものはあるが、まったく同じものはひとつもない。これだけ専門の違う人びとが、いっしょになって取り組んでいるのが、2004年暮れに起こったインド洋地震津波災害からの復興支援で、本書はその現地報告書である。

 本書は、また、国立民族学博物館の機関研究『文化人類学の社会的活用』「災害対応プロセスに関する人類学的研究」の一環として開催された研究フォーラムの成果をまとめたものでもあり、フォーラムは「災害や防災の研究者、地域研究や文化人類学の研究者、被災地支援に従事するNGO/NPO関係者や行政担当者、マスコミ関係者、そして被災地の現状に関心を寄せる一般市民など、非常に多くの方々の参加を得て計三回開催された」。したがって、本書の執筆者は、自分の役割を相対化したうえで書いている。また、執筆者のなかには、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震後を経験している者もいる。しかし、本書全体を読んで、それらの経験がいかされているとあまり感じなかったことが、問題の難しさをあらわしている。

 本書は、第1章の総論の後、災害地域ごとにスリランカ3章、南インド1章、タイ3章、そして震源地に近いバンダアチェ8章からなる。それぞれが専門性をいかして、初期の人命救助・救援から復興・発展へと懸命の努力が伝わってくる。「総論」ではその連接をつぎのように説明している。「災害過程は、災害発生前の準備・警戒期、発生前後の緊急期、発生後の復旧・復興後の連鎖である。発災を受け、緊急・応急対応処置が被災地内で、あるいは被災地外の国内外から提供され、次の復旧・復興の段階に移っていく。「復旧」とは文字通り「旧に復す」、すなわち災害前の状態に復帰するための対応活動のことであり、災害によって破壊された施設や機能を元の状態に戻すことである。それに対して「復興」とは、災害前と同じ状態に戻すのではなく、それ以上の暮らしと環境を再建していく活動のことである」。

 わたしたち日本人の常識としては、まず災害前の状態に戻す復旧を優先的に考えてしまう。しかし、そう単純ではないことが、最後の東南アジア地域研究者による2章からわかる。「かつて海によって世界の人びとと繋がることで発展を遂げていたアチェの人びとは、紛争などによって長く外部世界から閉ざされていたアチェが人道支援を通じて再び世界各地と繋がったことを歓迎した」。その海を通じた流動性が高い社会は、元に戻ることより新たなコミュニティの形成・再編をめざすいっぽう、外部世界からの支援にも応えようとした。その結果が、「復興住宅の空き家」だった。日本での経験があまりいかされないのも、このあたりに原因がありそうだ。

 支援団体が戸惑っている様子は、つぎのように報道された。「外部からの支援団体が実施する住宅再建事業に対し、ジャワの人びとは自分たちも相互扶助によって労働を提供し、支援者に感謝の意を忘れないのに対し、アチェの人びとは人を雇い、しかも支援者に注文をつけるといった具合である。国連ハビタットが製作した映画『象の間で戯れる』でも、支援団体の意向どおりに動かないばかりか、支援団体に様々な注文をつけ、時に支援団体の足元を見透かしたような交渉を行うアチェの人びととそれへの対応に苦労する支援団体の様子が描かれている」。定住農耕社会のジャワの人びとの言動は理解できるが、流動性の高い海域社会に属するアチェの人びとの言動は理解できず、支援団体は振り回されたのだろう。さらに、被災者が被災地区から移動し、被災していない人びとが被災地区に流入してきて、支援団体はだれに支援していいかわからなくなったことだろう。

 ふたりの東南アジア地域研究者は、それぞれ「結び」の部分で、自分なりの回答を述べている。まず、山本博之は、「復興住宅に空き家があることにはさまざまな理由がある」が、最も大きな理由は、「被災前から土地と住宅を所有していた人かその家族や親戚にのみ復興住宅を供与するという復興事業の方針のためである。小中学生や遠隔地で暮らしている家族が住宅の所有者になっていたり、住宅を所有する若い単身者たちが共同生活を送っていたりするため、復興住宅が誰も住んでいない状態に置かれることになる」。「アチェの復興過程で特徴的なのは、被災前の居住場所に戻る復興や、被災前の職業に戻る復興という方向に必ずしも進んでいないことである。支援団体の多くは被災にのみ目を向けて、被災前に戻すという発想で支援事業を展開しようとする。これに対し、被災者は被災からの復興をいろいろな意味で変革の機会として捉え、被災前の状況に戻すことを唯一の選択とは見ていない。そのため被災者たちは、一面では自分たちが支援事業の対象とされるように支援団体が望む枠組みに自分たちを合わせながらも、別の面では支援団体やドナーの思惑を超えて、自分たちが被災前から抱えていた課題にさまざまな方法で対応しようとすることになる」。

 つぎに西芳実は、「研究者が被災前の社会の理解を持ち出したときに、社会を固定的に捉えて被災後の社会に適用しようとすると、再建・復興の方向を被災前の社会をモデルとしたものに固定化することにつながりかねず、被災前の社会が抱える問題を再生産することにもなりかねない」と指摘し、「同様に、被災社会の特徴を捉える際に、宗教や民族性、親族構造や慣習法といった文化的社会的要素をどのように扱うかについても注意が必要である。やや極端な言い方をすれば、宗教や民族性が人びとの行動を規定しているとするのではなく、宗教や民族性を掲げた語りを通じて人びとが何を表現しようとしているのかが重要である。アチェの社会・文化を十分に理解しようと努力した上で、一般的な理解とずれて見える人びとのふるまいに注目して、そこに彼らが込めた意味を読み解こうとすることが、降りかかった状況に対応しながら日々の実践の中で自分たちのあり方をよりよくしようとする人びとの創意工夫を汲み取ることになるためである。その意味で、アチェを研究対象としてきた地域研究者として、被災とそれへの対応を通じてアチェの人びとが世界に発信するメッセージを今後も受け止めていきたいし、そうすることで、二〇〇四年スマトラ島沖地震津波という未曾有の災害が人類史上に持つ意味についても考え続けることになるだろうと思う」と結んでいる。

 復興支援は、支援する側のためにあるのではないことは、だれもがわかっている。しかし、現実は、「支援合戦」をし、「実績」を残したと自負して、短期間で引き揚げる国・団体は少なくない。事後調査では、空き家が多いことなどが問題になったりする。だが、空き家をなくすことが成功ではないだろう。まったく同じ自然災害が起こることはない。たとえ起こったとしても、それを受けた地域社会の状況が違う。当然、災害後の対応の仕方も、千差万別になる。時間がたつにしたがって、必要なものも変わってくる。過去の経験はいかされるが、それにこだわることはできない。とすると、人命を救うために一刻も早く現地入りして救助・救援をおこなう体制を整えることのつぎにくる復興支援に必要なものは、現地の人びとの「声」を聞く「耳」だろう。それは、自分たちが被災したときに、だれになにを聞いて欲しいかにつながる。災害を他人事と捉えず、自分が被災したときのことを考えることによって、被災者の立場になれる。

 最後に、本書そのものについてひと言。本書はけっして読みやすいものではなかった。多くの章が、調査報告書に近い内容になっている。報告書は報告書として出版し、一般書として理解してもらおうとするなら、編著者が代表してひとりで書くべきだっただろう。いろいろな専門家が、それぞれに活躍していることはわかったが、全体像がいまひとつよくわからなかった。

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2009年10月13日

『新編 日本のフェミニズム1 リブとフェミニズム』上野千鶴子解説(岩波書店)

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 学生のとき、市川房枝参議院議員を議員会館に訪ねたことがある。当時は、「わたしつくる人、ボク食べる人」というハウス食品のインスタントラーメンのテレビコマーシャルが、「従来の男女の役割をますます強固にする働き」をするとして、女性団体が抗議し話題になっていた。その抗議する女性たちのなかに市川さんもいた。そして、この抗議をからかった記事を書いた女性週刊誌を訴えることまでおこった。マスコミ報道される市川さんと、目の前にいる市川さんとが一致しないことが印象に残っている。1970年代の女性たちの活動が正当に一般の人びとに伝わらなかったことを、わたし自身が体験したことを、本書を読んで再確認させられた。

 その1970年代に誕生した「リブ」と「フェミニズム」を、「解説」ではつぎのように説明している。「通常、七〇年代を前半と後半に分けて、七〇年のリブの誕生から七五年までをリブ、七五年国際婦人年以降をフェミニズムと呼ぶ用語法がある。前者の担い手は自ら「リブ」と自称したが、後者には「リブ」の用語は使われなくなった。他方、「フェミニズム」の用語は、戦前の『青鞜』グループがすでに使用している、歴史的でかつ国際的に流通している用語である」。「「リブ」が「フェミニズム」に置き換わったのは、否定的なイメージの強い「リブ」という言葉を避けたいという意図もあるが、それより、戦前の第一波フェミニズムとの歴史的つながりを確認し、世界的な第二波フェミニズムの流れのなかに日本のリブを位置づけようという意図からである」。

 15年振りの増補新版にあたって、「リブ・フェミニズムを記録/記憶する」「「男女共同参画」とバックラッシュ」「リブが語る老い」の3編が加わった。「女という経験を言語化し記録から記憶へ、さらに歴史へと世代を超えて手渡すために」、過去40年間の歴史を清算する時代になったということができるだろう。とくにネガティブなイメージがつきまとう「リブ」については、たんなる「ヒステリー」として切り捨てるのではなく、なぜ1970年代に通称「中ピ連」(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」に代表されるような運動が起こり、マスコミが派手にとりあげたのかを検証する必要がある。それは、女性史だけの問題ではないからである。近代からの離脱の試みは、男性中心の社会からだけではなかった。

 1970年代の運動は、その後「障害者差別や部落差別、民族差別」などと結びつき、解説者の上野千鶴子は、その広がりをつぎのように述べている。「「マイノリティ・フェミニズム」が相対化しようとしているのはマジョリティの側の価値観なのだから、最終的には脱マイノリティとなることがゴールであろう。それは同時にマジョリティに脱マジョリティを求めることでもある」。さらに、現状をつぎのように認識している。「フェミニズムは二〇世紀を揺るがす思想であった。ここを通過せずには、何も語れない地点にわたしたちは来ている。「民族」や「階級」、「国家」や「政治」もまた「ジェンダー」の用語で再定義される必要がある。ますます錯綜し多様化する状況の中で、ジェンダーだけで解ける問題はなくなるだろうが、逆にどんな問題もジェンダーなしには解けなくなるだろう」。

 マジョリティ側が、このことに気づけば問題の解決は早い。そのためには、とくに1970年代にマスコミによる「ありとあらゆる非難、中傷、ばり、からかい」などによってつくられたネガティブなイメージを取り払わなければならない。そのことは解説者も充分認識していて、旧版の解説でもまず「リブのイメージ」をとりあげ、つぎのように述べている。「リブの実像をその歴史的な誤解と歪曲から救い出し、伝達するにはリブのなまの声を聞くほかない。リブの原典を読んだ若いひとから、わたしは「これはわたしの知っているリブとはちがう」という感想を何度も聞いたが、つくられた「意外性」に驚く前に「わたしの知っているリブ」のイメージが、どのような権力の磁場で形成されたかを問うべきだろう」。

 女性たちをいらだたせ、ときに過激な言動を生んだのは、マジョリティ側の理解のなさであったことがわかると、「歴史的な誤解や歪曲」から抜け出せるだろう。その第一歩が本書を読むことであり、そして本書に登場した女性たちが書いたものを読むことだろう。

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2009年08月11日

『よくわかる質的社会調査 技法編』谷富夫・芦田徹郎編著(ミネルヴァ書房)

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 文献だけでは充分に理解できない歴史研究をしてきた者にとって、歴史をつくり、守ってきた人びとの社会を理解することが、調査の第一歩となる。歴史を理解するための社会調査とはいえ、社会調査に変わりはない。これまで自己流に、いい加減にやってきたので、その自己流がどの程度社会学の調査としても通用するのか、またこのテキストから学ぶことによって歴史研究にどういかせるのかを知りたくて、本書を読んでみた。

 「なお、本書は一般社団法人社会調査協会(旧社会調査士資格認定機構)が定める社会調査士標準カリキュラムの「F.質的な分析の方法に関する科目」に対応」している。「また、専門社会調査士標準カリキュラムの「J.質的調査法に関する演習(実習)科目」でも活用」できるという。社会調査士なる資格があるということは、それだけ社会が必要としているからだろう。文学部の専門として心理学とともに人気のあるのも、高校生が社会学を学べば、社会が安直にわかると考えているからかもしれない。しかし、本書を読むと、そんな簡単なものではないことがわかる。

 まず、社会調査と言えば、アンケート調査を思い浮かべる人が多いだろうが、大きな壁にぶつかっていることが、「まえがき」でつぎのように説明されている。「近年、社会調査を取り巻く環境が非常に厳しくなってきました。とりわけ質問票を用いた大量調査(いわゆるアンケート調査)が大きな壁にぶつかっています」。「ランダム・サンプリングがそう簡単にはできなくなったし、配布した質問票の回収率もかなり低い。最近の学会報告で、回収率50%を超える調査報告にはめったにお目にかかれなくなりました。これでは大量調査の最大の強みであるサンプルの「代表性」がなかなか確保できず、データの信憑性も著しく低下します」。「社会学では長い間、量的調査こそ社会調査の王道であるとされてきました。しかし、もはやそういう時代は過ぎ去ろうとしています。もちろん量的調査が無意味になったわけではないし、質的調査が量的調査の機能を代替することも困難です。しかし、質と量とを問わず、さまざまな方法を研究テーマに応じて使い分けたり、組み合わせたりすることが、今後ますます重要になってくるでしょう。その意味で、質的調査の役割は相対的に大きくなっているとも言えます」。また、「情報(化)社会」は同時に「不知」を産出する「不知(化)社会」だという。

 「では、質的調査と量的調査はどこが同じで、どこが違うのでしょうか」。編著者のひとりは、つぎのように説明している。「違いを一例あげると、扱うデータの形態が違います。前者が文書、図表、音声、映像といった非数量的、すなわち質的データを扱うのに対して、後者は数量的データを統計的に扱います(「アンケート調査」をイメージして下さい)。違いは他にもいろいろあります。一方、社会調査としての共通点もあります」。ということで、4部からなる本書の第1部では、「そもそも社会調査と何なのか、質と量の違いを超えた社会調査の概説から始め」、「量的調査との違いや関連に目配りしつつ、質的調査の考え方を説明」している。そして、第2部では「質的な「調査技法」」、第3部では「分析技法」を学び、「「質的調査の現場」と名づけた」第4部では問題を立ててから報告書や論文を書き上げるまでのプロセスを解説している。

 本書を読むと、質的調査が現代の社会を理解するためにひじょうに有効な手法であることがわかる。だが、問題点もあることを充分にわきまえておかなければならないことが、つぎのようにまとめられている。「調査技法・分析技法を含め、質的調査がさまざまな強みをもっていることに気づかされただろう。特に、質的調査が具体的な人びとの生活のありように迫ることができること、量的調査で用いるサンプリング名簿が存在しないようなマイノリティの人びとの社会的世界を描くことができることは大きな魅力である」。「その一方、人びとの具体的な生活のありように迫ることができるからこそ、あるいはマイノリティの人びとの社会的世界を描くことができるからこそ、調査対象者との関係については倫理的な観点が必要とされる。したがって、調査者は調査を始める前に、その調査の倫理的側面について十分な配慮をもたなければならない。と同時に、調査研究を行うことによって生じる調査対象者やフィールドにもたらす社会的影響についても一定の責任を負わなければならない」。

 この倫理について、頭ではよくわかる。しかし、現場に入ると、それがわからなくなってしまう。現場でよき助言者を得ることができるかどうかが鍵になる。所詮、調査者は「よそ者」で、その社会の一員にはなれない。都合が悪くなれば、その社会から逃げて、二度と関係をもたなくてすむ。「一定の責任」とはそういうことで、最後まで責任を負うことができないことを銘記すべきだろう。

 歴史研究を目的とした調査でも、「フィールドにもたらす社会的影響」について、計り知れないものがある。それまで文字化されてこなかった歴史を文字化することは残すことにおいて長所はあるが、歴史の語りは語る人びとによって常に変化するという特性を失わせてしまう。そして、書き残されたものが「権威」をもって、「正統」とされる。とくに、わたしのような異邦人が、かってに文字化したものを残してしまう場合、その後の社会的影響については、まったく無責任になってしまう。考え出したら、研究することが恐ろしくなって、やめたくなる。このような問題は、量的調査より質的調査のほうが深刻だろう。だからこそ、現場でよき助言者をみつけることが重要になる。よき助言者は、異邦人の意図を翻訳して、その社会の人びとに伝えてくれ、負の社会的影響を最小限にしてくれる。

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2009年02月24日

『森崎和江コレクション 精神史の旅』森崎和江(藤原書店)

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 独特の文章で、人生を描きつづける森崎和江さんのコレクションが、昨年11月から毎月刊行されている。当初うかがっていた全8巻の選集ではなく、「すべて作品単位にばらし、また単行本未収録エッセイも考慮に入れて」、「森崎和江の精神の歴史を辿る旅」を試みる構成になっている。

 著者が伝えたかったことは、案内パンフレットにある「若い読者へ」と題したつぎのメッセージによくあらわれている。「昭和期を生きた植民二世の私には、戦後の方言界は迷路。女は商品でした。早稲田在学中の弟が自死。闇に閉ざされた私は、幼いいのちに教えられ、炭坑の地下労働者に学びつつ、列島各地の集落で働く人々に接しながら七ころび八起きで、生きることとは何かを自問し、日本の女へと生き直すべく努めました」。「今や二十一世紀。世代を越えた絆を大切にしながら、次世代孫世代の若い皆さまの未来への、苦悩を越えた開花を祈っています」。

 著者の「若い読者へ」のメッセージは、だんだん強くなっていったように思える。高等学校国語科用『精選現代文(改訂版)』(教育出版、2002年)に収録された「生きつづけるものへ」の「作品解題」では、つぎのように説明されている。「ここに収めた文章は、戦前を植民地朝鮮で育った筆者が、戦後五十年にあたってその苦渋の足跡を回想した著書の巻頭に置かれたもの。少女時代に「二つのことば」の中で生まれ育った筆者はその原点に立って、「二つのこころ」に自分を引き裂こうとするものを厳しく見据えようとしている。そのまなざしは、国家・民族の過去と未来、孫たちの時代へと注がれていく」。それだけ、著者は現在と未来に不安を感じているのだろう。

 森崎和江さんの人となり、生きざまについては、友人・知人たちが書いている各巻の「解説」「月報」を読めばさらによくわかる。わたしも、第4巻の「月報」につぎのような駄文を書いた。


時空を超えて

 歴史研究を専門とするわたしにとって、対象とする時代や社会の常識をつかむことが、最初の仕事になる。しかし、わたしたちは、どうしても、いまの社会の常識というフィルターでものごとを観てしまう。とくに、わたしのように一九八〇年前後に近代科学を基本として大学教育を受けた者は、近代の常識が邪魔をしてしまう。そこで、わたしは、過去なら、その時代、その社会の常識がわかっている人が書いたものを探す。フィールドなら、その社会を熟知している人の助言にしたがって行動をする。自分で勝手に判断し行動しては、フィリピン南部ミンダナオ島のような紛争地帯をフィールドにしている者にとって、文字通り命取りになる。

 ところが、森崎さんの書いたものを読むと、どうだ。知らぬ間に、明治時代の「からゆきさん」(海外の娼楼で働く娼妓)といっしょに座り込んで話したり、家族舟に漁師の家族といっしょに乗ったりしている。時も空間も超えて、その社会に溶け込んでいる森崎さんの姿が、読者の目に無意識にはいってくる。  森崎さんの本を最初に読んだのは学生のころで、『からゆきさん』(一九七六年)だった。当時は、女性の地位向上が盛んに唱えられ、その時流に乗るかのように「からゆきさん」も注目を集めた。老齢にさしかかった元「からゆきさん」を、故郷の天草や島原、マレー半島など海外に訪ねて、ノンフィクションが書かれ、ドキュメンタリーが制作され、映画も放映された。しかし、「からゆきさん」を「底辺」に位置づけたものには、違和感を覚えた。女性の地位向上も、男性と同等の権利を求めるのではなく、男性を含めた人間の地位向上に結びつかなければ、一時的なものに終わってしまう。「からゆきさん」を「底辺」に位置づけたり、特別な存在として観るようでは、探し求める社会はみえてこない。

 森崎さんの『からゆきさん』に、時流に乗る派手さはなかった。明治時代の福岡や長崎の新聞をていねいに読み、元「からゆきさん」を養母にもつ友人から広がる時空を超えた「からゆきさん」の世界に、自分自身をすべり込ませ、それを日常のなかに描いていく。のちに、わたしも長崎県立図書館などに行って、明治時代の新聞を読み漁った。全四面の新聞の第三面は、文字通り三面記事で当時の日常を知る宝庫だった。森崎さんの「不思議さ」は、このような地道な作業にあることを、わたし自身体験した。しかし、追体験はできても、森崎さんのように時空を超えることは、わたしにはできない。
 ・・・

 [続きは、2月28日発行の第4巻の「月報」をご覧ください。]

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2008年11月11日

『日本経済新聞の読み方』日本経済新聞出版社(日本経済新聞出版社)

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 「ビジネスに、投資に、就職・転職活動に…… すぐに役立つ活用法!」
表紙にこんな宣伝文句が載っている。かつて、家庭の通信費は新聞代と電話代、郵便代くらいだった。それが、いまや携帯電話代とインターネット代に食われ、郵便代は意識しなくなり、固定電話代は基本料に近くなった。購読料が下がることのない新聞代がなんとかならないか、と思っている家庭があるのではないだろうか。若い世帯では固定電話がなく、新聞もとらなくなってきている。この宣伝文句は、普通の家庭で日本経済新聞1紙だけをとることを想定していない。

 毎朝1時間は新聞を読んでいる人なら、全国紙の朝毎読産のうち1紙、地方紙と日本経済新聞の3紙を読みたいと思っているのではないだろうか。定年退職を機会に、奥さんから「1紙だけにしてください」と言われて悩んだ人もいる。定年退職後こそ、好きなだけ新聞を読みたいのに。そう奥さんに言えば、「図書館にでも行ってください」と言われるのだろう。公共図書館に行くと、新聞を楽しそうに読んでいる年配の人がいる。

 いまや情報源は新聞だけではない。テレビでも経済に特化した番組やチャンネルがあり、インターネットでも瞬時に情報が得られる。全国紙夕刊の前場午前の株式市況など、もうなくてもいいのではないかと思う。しかし、新聞はほかの情報源にない特色をもっている。なんども繰り返し、考えながら読むことができることだ。思考力を鍛えながら、情報を得ることができる。

 わたしは、十数年前、事典の「編者のことば」を書くにあたって、ストックの情報として事典、フローな情報として新聞を想定した。しかし、いまや新聞を相対的にストックな情報として考えなければならなくなった。事典もウィキペディアの出現によってフローな情報の仲間入りをし、フローな情報が氾濫するようになったからである。それだけ、わたしたちは情報について注意しなければならなくなった。本書は、その注意しなければならない点をも気づかせてくれる指南書である。いまのわたしたちに必要なのは、フローな情報をストックの情報に変える知識と思考力である。

 本書「まえがき」は、「現代は激動の時代です」ではじまり、「地球の反対側で行われた商品の開発や会社の買収だけではなく、冒頭に掲げたような、各国の政治の動きや紛争が、株式相場や為替相場、資源価格の変動に「翻訳」され、たちまち私たちの暮らしや仕事に響いてきます」と説明している。貯蓄より投資が奨励されるようになってきた日本では、内外の経済動向は、個々人の「暮らし」に直結するようになってきている。逆に投資より貯蓄が奨励されている国もあり、そのような国では政府が経済政策をしっかりしようとしている。つまり、いまの日本は、政府が無責任になって、暮らしも老後も個人の自己責任にしようとしているのではないかと思えてしまう。

 しかし、個人が世界の経済動向を把握して投資し、いまの暮らしと老後を自己防衛することは不可能なことだ。では個人に何ができるか。多少の生半可な経済的知識でマネーゲームに参加するのではなく、政府や金融機関にもの申すだけの知識をもつことだ。それは、断片的な知識ではなく、暮らしを中心に考えた総合的な知識だ。そのために必要なものが、日本経済新聞にある。

 「まえがき」には、つぎのようなことが終わりのほうに書かれている。「1つひとつのニュースはつながっています。ですから、ニュースを個別に読むだけでは、複雑な世の中を読み解くことはできません。たくさんのニュースがどんな関連をもち、その背景に何があるのかを理解することが大切です。本書の後半では、例えば「景気」や「物価」といったテーマについて、新聞がニュースを日々どのように報じ、関連のある記事がどこに掲載されているかがわかるように構成しました。いま注目すべきトピックを知ると同時に、新聞を読みこなす方法を理解できることと思います」。

 日本経済新聞は、宣伝文句にあるような「もうける」ためではなく、「暮らし」のために読みこなしていきたい。しかし、いまの紙面のままだと、定年退職後「1紙だけにしてください」と言われたとき、日本経済新聞は切り捨てざるをえない。

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2008年07月08日

『食の共同体-動員から連帯へ』池上甲一・岩崎正弥・原山浩介・藤原辰史(ナカニシヤ出版)

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 本書は、2004年に組織した研究会の3年以上にわたる討論の成果である。4人の執筆者の生年は1952年、61年、72年、76年で、それぞれ別々に戦後の食生活の変化を実体験しているはずだが、問題意識とキーワードを共有し、「統一性と論理的な連関性をもつ書物」に仕上げた。4つのテーマは異なるにもかかわらず、読み終えて執筆者たちと問題意識を共有できたように感じたのは、その討論の成果ゆえだろう。

 本書の4つの章が、どのようにつながっているのか、帯で的確に述べられている。「「胃袋の連帯」を目指して 人間は、食べることを通じてつながっていけないだろうか。人間のもっとも基本的な営みである、食べることとそれを共有することを基盤にして……。近代日本やナチによる食を通じた動員、有機農業運動の夢と挫折、食育基本法による「食育運動」の展開の分析を通じて、「食の連帯」の可能性を探る」。

 執筆者たちが問題としたのは、「共同体自体が弱体化し、食の機能もまたそれほど重視されなくなった時代の<食の共同体>である」。一般的に私的領域に属していると考えられる食を、<共同体>という公的領域の問題として考えようというのである。

 それぞれの章の目的は、「はじめに」で明確に述べられている。「第1章 悲しみの米食共同体」では、「米食ないし米食悲願を中核とした近代日本を<米食共同体>と捉えて、その構造と変容・空洞化の過程を実際の歴史現場で検証してみたいと考えている」。「米食共同体の変容・空洞化過程とは、資本と国家、とりわけ国家権力の強い影響下、米食をめぐる願望と規制とが交錯しながら変転していく過程であった。したがって、米食共同体のもつ構造に対して、国家権力がどう対応し、その結果米食共同体はどのように変容したのか、そのことが人びとの意識や習慣をどう変え、また近現代日本においてどんな意味をもっていたのか、を問わねばならない」。

 「第2章 台所のナチズム-場に埋め込まれる主婦たち」は、「ナチスは、女性のことを「第二の性」と呼び、家庭を護り、男性に奉仕すべき存在とみなしていた。このようなナチスのむき出しの女性蔑視あるいは男性中心主義にもかかわらず、なぜ主婦は戦争に動員されたのか」。「食生活の中心に位置する台所という場からこの問いを考える」。

 「第3章 喪失の歴史としての有機農業-「逡巡の可能性」を考える」は、「有機農業運動の歴史の両義性を意識しつつ、人びとの思考の自由度がどのように生み出され、あるいは逆に縛られていくのかをみながら、私たちにとっての「逡巡の可能性」がどこにあるのかを」考える。

 「第4章 安全安心社会における食育の布置」では、「現代日本における食育の布置を解明することで、食育のもつ、抗いがたい魅力と魔力を明らかにしようというのである。この作業を終えて、ようやく私たちは「胃袋の連帯」を語る入り口にたどり着くことができ、その先の社会を展望できるポジションにいることに気づくであろう」という。

 そして、短い「終章 「胃袋の連帯」を目指して」では、つぎのようなことばで締めくくっている。「食の全体を見通すと、結果的に現代社会の矛盾を鋭くえぐり出し、それをどう克服するのかという問題意識を育むことができる。だが食に関する思考はいとも簡単に、まったく別の政治性や経済原則に絡め取られてしまう。そうした反転はいつでも起こりうる。この危うさを直視することが、食でつながり合う新しい世界を拓くための出発点だというのがここでのさしあたりの結論である」。

 さらに、「おわりに」で、残された課題についてつぎのように述べ、今後の課題としている。「たとえば、食と農をめぐる資本と市場の問題、それが動員に果たす役割とメカニズム、グローバリゼーション下の食と農の問題、そして「胃袋」を通じてどのようにつながり、どのような「共同体」を展望できるのか、といった問題が今後に残されている」。

 有機農業、フェアトレード、地産地消、産消提携、ファーストフード、スローフード、LOHAS、食育などのキーワードが、本書に登場する。これらのことばの意味を、われわれはどれだけ知っているだろうか。さらに、その現場の実態をどれだけ思い浮かべることができるだろうか。消費者が、食の末端である食べる場しか知らないとしたら、「共同体」そのもののイメージがわかないだろう。そして、食の後のことも考えなければ、これからの共同体は成り立たない。食の未来はけっして楽観視できないが、この問題に真摯に取り組んでいる研究者たちがいることを知ってすこしは安心した。

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2006年05月23日

『他人を見下す若者たち』速水敏彦(講談社現代新書)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 「他人を見下す若者たち」という本書のタイトルより大きな字の「「自分以外はバカ」の時代!」に、目を引きつけられた人も多いだろう。その下には、「●自分に甘く、他人に厳しい ●努力せずに成果が欲しい ●すぐにいらつき、キレる ●無気力、鬱になりやすい ●「悪い」と思っても謝らない」と書いてあって、「いるいる」と納得した者も多いだろう。この表紙の7割は占める帯の下は、漫画で「オレはやるぜ……」「何を?」「何かを」というせりふが入っている。

 この表紙を見て、下手な評論家の際物と勘違いした人がいるかもしれないが、著者の速水敏彦は地道な教育心理学者で、根拠もなくおもしろおかしく世評しているわけではない。著者が本書でもっとも明らかにしたかったことは、「現代の感情ややる気の変化の背後にある心性とでも言うべきものを突き止めることにある。現代の日本人は自由な社会を当たり前のこととして誰も彼もが横行闊歩しているように見える。その自由さは利己主義を強め、「ジコチュウ」という言葉も生まれた。これが高じれば、人は自分の立場ばかりを見て、他人の立場を見なくなる。つまり以前に比べて人々は他人を見下し、他者軽視・軽蔑をいとも簡単にするようになる。この他者との関係の捉え方が自分自身の捉え方にも影響を及ぼし、さまざまな出来事の際に生じる感情ややる気のあり方そのものを規定するのではないか、というのが筆者の仮説である」。この仮説を実証すべく、著者は地道な心理学的研究を続けている。

 「本書では、まず、現代の人間の感情ややる気の持ち方にどのような特徴があるかを探るところから」はじまり、「最後に、最近の人々の感情ややる気の変調が、仮想的有能感から発しているものであることを説明し、これからの感情ややる気のあり方について考える」ことで終わっている。本書を読みすすめていくと、はじめ同調していただけなのが、だんだん読むのが嫌になってきた。教育現場で、教師や学校をバカにし、無視する事例になると居たたまれなくなった。それは、わたしが大学の教室でも、似たような経験をしているからである。なにか書かせると、知らないことを恥とも思わず、教師の批判をし、自分の意見だけを一方的に書く学生が、目につくようになった。学ぶ姿勢ができていないのである。答案に赤を入れて返そうものなら、「できなかったことを、指摘されたくない」と言って怒り出し、卒論試問では「せっかく書いたのに、ケチをつけられた」と言って騒ぎ出す。ほんとうに教育がしづらくなっている。

 そういったわたしの個人の問題を解決する術が書いてあると思い、期待しながら読んでいき、「仮想的有能感からの脱出」という見出しのところにきた。「絶望することはない。人間は賢い動物である。これからの時代、人間そのものをどう育てていくのかという知恵を出し合って、危機を乗り越えていくだろう」。わたしは、まだ期待していた。が、つぎの2行で、絶望的になった。「私自身には妙案はないが、子どもの教育という視点から、仮想的有能感から脱出するための三つの提案をして、本書を締め括ることにする」と書いてある後、「しつけの回復」「自尊感情を強化する」「感情を交流できる場を!」という見出しが続いていた。引き続き、わたしは「教育とは、忍耐なり!」ということばを胸に、教育現場に立たなければならない。

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2006年02月14日

『空間の生産』アンリ・ルフェーブル著、斎藤日出治訳(青木書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 2005年11月10日、国営テレビ局フランス2に出演したサルコジ内相は、暴動に参加した移民出身の若者を「ごろつきだし、社会のくずだ」と発言した。なぜ、このような火に油を注ぐような発言をしたのか、疑問に思った人も多かったのではないだろうか。本書を読めば、その一端がわかるかもしれない。また、この書評ブログで2005年11月22日にとりあげたイレートが、アメリカで受けた大学院教育を「アメリカ流社会科学の頑なさと、ときとして、その無意味さに耐える数年」と評した意味もわかるかもしれない。

 本書の著者略歴によると、著者(1901~90)は「フランスの哲学者、社会学者。公式的なマルクス主義にとらわれず、柔軟な視点で近代社会の全体像を把握する作業を1968年の五月革命後もつづけた成果が本書に凝縮されている」とある。本書初版は、1974年に発行され、本訳書は2000年に刊行された第四版の全訳である。まず、本書は、書かれた時代背景と著者がフランス人のマルクス主義者であるという理解を抜きにして、読んではいけない、と忠告しておく。

 本書は、論理的構成をもって記述されているわけではなく、けっして読みやすいものではない。ⅠからⅦまでの表題のもとに、それぞれ長短12~30の「エッセイ」が雑然と列んでいる。それぞれの「エッセイ」には数字が振ってあるだけで、内容を示すものは何もない。それぞれ問題を設定し、一般に思われがちな結論を否定して、自説を披露するというのが一般的なパターンだが、なんのために議論をしているのかわからないものも多い。すでに議論したことの蒸し返しもあって、理解するのは容易いことではない。「生涯を通して七〇冊近い著書と三〇〇編の論文を著した」というが、本書からは思いついたことをどんどん書いていっただけという感じがする。

 「解説」では、グローバリゼーションなど、先見性を評価することも書かれている。著者のいうグローバリゼーションは、近代の延長線上としての西洋化を基本にしているにすぎないのだろうか。それとも、今日に通ずるものなのだろうか。1970年代まで注目された著者が、90年代になって欧米で再評価されるようになってきたというが、むしろ80年代に評価されなかったことを考えるべきだろう。民族自決や国民統合がさかんに議論された時代から、グローバリゼーション、ディアスポラ、ナショナル・ヒストリーの否定、多文化主義、環境問題などが議論される時代へと変化したことが、評価されなくなった理由だろう。そして、再評価は、新しい議論の原点を求めて、「近代」とは何か、「資本主義」とは何か、が問われたためだろう。

 本書は、すでに「近代」の限界が明らかになりはじめた時期に、いち早くそれに気づき、「近代」の超克のために「空間」という概念を持ち出したという点で、高く評価できるだろう。「社会空間の最初の基盤あるいは最初の土台は、自然であり」、その基盤が「完全に廃棄されたり消滅すること」なく、新たな「空間」が生産され、分裂・分離し、矛盾が生じてきた。その状況を克服するためには、「VI 空間の矛盾から差異の空間へ」と理解を深め、身体から生じてくる「空間の総体」を把握することだという。そして、「日常生活を変容させるための社会的な支持基盤として地球的規模の空間を創出する(あるいは生産する)こと、それは無数の可能性を切り開くことになる。近い将来においてそのような可能性を切り開くのは東洋である」「システムに類似したものとはまったく無縁なのである」と、本書を結んでいる。著者は、近代の諸科学にかわる新たな学際的・学融合的な科学を、「空間の生産」を分析・考察することによって求めたのである。そして、「リズム分析」が「空間の生産についての説明を最終的に仕上げてくれるものと期待」した。

 それにしても、本書の全体像を示しているのであろう「Ⅰ 作品のデッサン」に続いて、「Ⅱ 社会空間」へと読み進んでいくうちに、だんだん腹が立ってきた。一言で言えば、本書は露骨なヨーロッパ中心史観、傲慢な人間中心主義で書かれているということである。本書の目的について、著者は「Ⅰ 作品のデッサン」の「10」の最後でつぎのように述べている。「空間に関して言うと、本書のねらいは、近代世界を説き明かす諸理念と諸提言をたがいに突き合わせることにある。たとえそれらの理念や提言が近代世界を支配していないとしても、この突き合わせは必要である。そして、これらの理念や提言を個々ばらばらの命題あるいは仮説としてあつかうのではなく、つまり微視的な視野での「思想」としてではなく、近代世界の端緒に横たわる前兆としてとりあつかわなければならない。これが空間に関する本書の構想である」と。「(社会)空間とは(社会的)生産物である」という著者は、「空間の生産」は近代をリードしたヨーロッパ人によってなされたもので、それは自然の克服によって達成されたという。そして、ヨーロッパ人によって植民地にされた地域の人びとが築いてきた歴史や文化を否定する記述が、随所に見え隠れする。たまにアジアにかんする記述があるが、ひどくお粗末である。その最たるものは、「タージマハールにおけるスルタン[オスマントルコ皇帝]の墓」だろう。ご存じの通り、タージ・マハールはインドのムガル帝国のシャー・ジャハーンが愛妃のために建てた廟である。[ ]内の訳注は、もっとお粗末である。スルタンはイスラーム諸国の王の通称であり、オスマン帝国はトルコ民族の国ではないから「オスマントルコ」とはよばない。

 著者のようなアジアの知識がなく、ヨーロッパ中心史観の講義を聴かされたイレートのようなアジアからの留学生は、自国の歴史や文化の研究にまったく役に立たないことを学んだだけでなく、反発したことだろう。いっぽう、優越感を感じたフランス人は、同化政策に自信をもったことだろう。そのことが、フランスの学校でのイスラーム教徒女生徒のスカーフ着用禁止や、今回の暴動事件へと繋がっていったとは考えられないだろうか。サルコジ内相が著者のような考え方の下で教育を受けたのであれば、移民出身の若者を「ごろつきだし、社会のくずだ」と発言したこともわかるような気がする。

 そのアジアにたいして知識のない著者が、最後に「可能性を切り開くのは東洋である」と結論しているのは、もうお笑いでしかない。さんざん西洋中心に語っていながら、その結論を西洋に求めることができず、執筆当時ベトナム戦争が終わろうとしていた「東洋」に、そして毛沢東主義に期待したフランス人マルクス主義者を、今日のわれわれはどう評価したらいいのだろうか。マルクス主義的知識がなく、学ぼうとも考えない研究者が多くなった状況で、どう理解したらいいのだろうか。

 本書は、良きにつけ悪しきにつけ、1970年代という時代に、フランス人研究者がどのように近代を理解していたかがよくわかる「好著」である。しかし、著者の考えをいまの時代にまともに受け入れると、時代錯誤でトラブルの元になりかねない。「知識の宝庫」である本書から何が学べ、何が反面教師で、何がトンチンカンなのかが、充分にわかっている人以外は、読まないほうがいい。何が学べるかは、43頁におよぶ「解説」からわかるので、まず「解説」を読むことをお薦めする。もっとも、堂々めぐりする著者の冗舌な議論(おしゃべり)につきあうことができる忍耐のある人は、そうはいまいが・・・。

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2005年12月27日

『体験と経験のフィールドワーク』宮内洋(北大路書房)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 文献史料に乏しく、あっても研究対象を主体的に語っているとは限らない、海域東南アジアの民族史を専門にしているわたしにとって、フィールドワークは文献史料を補うだけでなく、まったく別次元の歴史観を教えてくれる、もうひとつの「史料」収集手法である。しかし、生態系の観察だけでなく、ときには価値観も考え方もまったく違う人びとと真っ正面から向き合うこともあり、それがトラブルの原因になることがある。外国での調査では、その土地の人びとや社会的状況を充分にわきまえている、良き助言者を見つけることが第一の仕事になる。このことを怠ると、フィリピン南部ミンダナオのような紛争地域の調査では、文字通り命取りになる。わたしのように文献史学に逃げる術をもっている者はまだいいが、臨地研究(フィールドワーク)を中心に調査・研究をおこなっている地域研究者は、どのようにしてこの問題に対処しているのだろうか、あまり知らない。すくなくとも、文章になって公表されたものは、あまりお目にかからない。

 著者、宮内洋は臨床発達心理士である。近年、従来の研究分野に「臨床」という文字を加えたものが、目につくようになってきた。臨床医学に加えて、臨床工学、臨床心理学、臨床社会学、臨床哲学、臨床人類学、臨床政治学に、臨床経済学と・・・。これらすべてを統合すると、臨床人間学になるという。かつては、「客観的・根源的立場」を基本として、調査対象者と一定の距離をおいて観察するのが、調査方法の主流であった。それが、いまや観察者として参加する参与観察から、「主観的・操作的立場」で積極的に調査対象者のなかに入って、社会の「病根」を治療するための提言をするようになっている。専門知識をいかしての提言は大いに意味があるが、それがうまくいかなったときには調査として取り返しのつかない致命傷になるだけでなく、調査対象者に多大の迷惑をかけることになる。調査がうまくいったとしても、研究者が作為的に結果を導き出したという非難を浴びることも、容易に想像される。「臨床」という新たな学問の試みには、まだまだたくさんの問題があるようだ。

 著者は、その数々の問題にすでにぶつかり、本書でその経験を愚直に語っている。本書は、「私は、三つの異なる修士論文を書くという体験をしている」からはじまる。普通ひとつで、たまにふたつという人は知っているが、三つははじめて聞いた。このことは、フィールドワークの成果が、すんなり論文として発表できない難しい問題を孕んでいることを物語っている。このような「貴重な」体験を最初にした著者は、その後も「社会調査」「フィールドワーク」で、いろいろな疑問に直面する。たとえば、調査対象者を「どのように呼べば良いのだろうか?」「もしフィールドワーカーが、フィールドワークで生じる人間関係において、恋愛の当事者になった場合はどうすればいいのだろうか」などが、第二章と第三章でとりあげられる。第四章では、自ら補助教員として教育活動の一端を担いながら、小型ビデオカメラをまわし、「録音・録画機器を用いた」「幼児同士の「トラブル」に見る説明の妥当性について」考える。繰り返し見ることができるために、通常では気づかないことに気づいてしまったのである。そして、最後の第五章「フィールドワーカーと時間」では、「フィールドワーカーとしての寿命」を考える。その答えとして、著者は「フィールドワークにおいて様々な体験や経験を経ることによって文脈を理解する力を高めながら、一方で、初めてのフィールドワークの際に感じた恐れ、脅威、敬意などの感情を忘れることなく保持し続けることが、フィールドワーカーとしての「寿命」を延ばすことに繋がるように思える」と記している。

 「臨床」という手法をとることは、調査者自身が調査対象の一部になるということである。そうなると、「研究者にプライバシーなどない」という「驚くべき主張」にもなる。著者は、それには賛成しないが、「社会調査やフィールドワーク当時の人間関係の痕跡を、どこかに忍ばせておくことは、読者の読解のためにも必要なのではないだろうか」と述べている。本書を読んでいると、「臨床」手法が、考古学の発掘調査と同じく、二度と同じ状況で調査できない「破壊活動」であると感じた。「臨床」は人間関係であるだけに、考古学の発掘調査よりも怖いとも感じた。

 個々人の関係が重視される時代になって、「臨床」という研究手法が有効になったことはよくわかる。しかし、その危険性も充分に考える必要があるだろう。研究手法の確立のためには、本書のような具体的で、愚直な問いかけが必要だと感じた。失敗を自分だけの秘密にしないで、公表する勇気も必要だ。

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2005年10月04日

『中国江南の都市とくらし-水のまちの環境形成』高村雅彦(山川出版社)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲い、スープ皿といわれる街が水に覆われた。人びとは水の恐ろしさを知らされた。しかし、水は、水と共生してきた人びとには、豊かな暮らしをもたらしてきた。本書は、中国江南の水と密接に結びついた人びとのくらしを、都市空間の構造を切り口に理解しようとするものである。

 中国では国家事業として大量の文書が残され、近代実証的文献史学のもとで土地制度や官僚制といった制度史が発達した。その研究成果によって、皇帝や官僚がどのようにして帝国を統治しようとしていたのかがわかる。しかし、いっぽうで、その制度のもとで、人びとはどのような生活を営んでいたのか、よくわからなかった。それどころか、文献に残されている制度が実際に施行されたのか、施行されても実効力をもったのかさえわからないものがあった。中国史研究では、制度史は発達しても、社会史が発達しなかった理由のひとつがここにある。

 このような状況は、西洋史と対極をなす。中国に比べて王様の権力が弱く、王様が亡くなってもその葬儀をどのようにするのかさえわからないときがあるほど、ヨーロッパでは制度が整っていなかった。中国の制度化を支えた漢字に対するヨーロッパのラテン語は、キリスト教神学のためにあり、王国の制度の発達のためにはあまり利用されなかった。国語の成立も遅れ、近代国民国家の成立の大きな障害になった。そのいっぽうで、地方語による豊かな文化が形成されることになった。庶民のことばで残された地方文書を使った歴史研究からは、すぐれた社会史が生まれた。

 中国史では、庶民の生活実態を知ることができるような文献は、ひじょうに限られている。近年になって文献ではわからない庶民の歴史を、建築や美術、芸能などから読みとろうとする試みがさかんになっている。本書もそのひとつだ。しかし、けっして文献を軽視しているわけではない。著者、高村雅彦は、「現地調査や文献史料の考察に基づき通時的に示すことによって、歴史的な蓄積に支えられながら、鎮独自のまちづくりの手法がいかに確立していったかを解き明かしていく」。鎮は、明末清初に発達した水路網からなるマーケットタウンである。

 本書は、4部からなり、第Ⅰ部で鎮、第Ⅱ部で住宅のそれぞれの成立・形成過程、空間構造・構成を建築学的に考察した後、第Ⅲ部で市場、茶館、宗教施設の舞台などを都市空間のなかに位置づけ、水との結びつきを論じている。そして、第Ⅳ部では、「水と人とくらしの関係を描き出しつつ、水と人のエコロジカルな共生のあり方を探って」、「環境と共生する21世紀」の姿を模索している。

 本書から、鎮には歴史的、地域的にかなり多様なヴァリエーションがあったことが明らかになった。その違いは、社会の盛衰、技術力の発達などによるものもあるが、人びとが便利で快適なくらしを求めてきた結果だということもできる。そこには、制度とは無縁な社会の形成がみえる。「中国の都市は、すべて皇帝のものである」、地方都市もその例外ではない、といわれながらも、皇帝とは無縁に鎮は形成・発達してきた。中華帝国の盛衰・成り立ちはわかっても、そこに住む人びとのくらしがわからなかったが、本書ですこしわかってきたような気がした。しかし、その乖離が充分に理解されたわけではない。中国制度史と社会史の乖離を埋めることによって、全体史が現れ、また違った中国史が出現することになるだろう。このような研究成果が出て、制度史に影響すると、中国史ももっとおもしろくなる。

 本書は、水との関係を中心に都市とくらしを考察しているが、都や小都市からも中国の都市空間を考察してみると、もっと全体像がわかってくる。簡便に理解したいなら、同じ著者が、同じ出版社から同じ年に出版した「世界史リブレット」の1冊『中国の都市空間を読む』を読むのもいいだろう。

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