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2011年12月13日

『創造する東アジア-文明・文化・ニヒリズム』小倉紀蔵(春秋社)

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 まず主題を見てちょっと気になったが、副題を見てわたしにはわからない本だと思った。つぎに帯の背の「自己の中の他者との邂逅」を見て、別世界の話だと思った。帯の表、裏には、それぞれつぎのように書かれていた。「絶対的な他者など存在しない。「一つの<個>」という概念も、フィクションである-。日中韓の関係の背後にあるものをとらえなおし、多重主体的な自己と世界を構築する未来への思想。〝わかりあえない〟は、悲劇か?」。「一枚岩の世界が2つになる=文明 分節したのち、1つの世界として定着してゆく=文化 いずれの価値観からも離脱する、0的立場=ニヒリズム <2・1・0>をキーワードに、社会とは何か、人間とは何か、を解き明かす野心的な真理の探究」。ここまでくると、わからないことを確認したくなった。

 わたし個人にとって、本書を読んだ最大の収穫は、韓国歴史ドラマの「イサン」や「トンイ」がよりよく理解でき、楽しめるようになったことだ。「イサン」で諸悪の根源のように語られていた「ノロン派」が朱子学の党派のひとつ「老論」で、近世朝鮮を理解するもっとも重要なキーワードであることが、つぎのように書かれていた。「朝鮮朱子学はその厳密な学説解釈の相違と権力掌握の闘争によって、まず東人と西人というふたつの党派に分かれる。そして東人が北人と南人に、西人が老論と少論とに分裂して、その後、主にこの四つの党派が争うようになるのである。その中でも十七世紀に生まれた老論は、特に重要である」。「老論派が最も強い影響力を誇っているのは、その執権期間が長かっただけではない。朝鮮後期の<文明>的アイデンティティ(これはすなわち<文化>的アイデンティティでもある)を規定した最も強力な枠組み、ひとつの巨大なパラダイムそのものであったからである」。「老論思想の枠組みをひとことでいうならば、「小中華パラダイム」といえる。中国で明(一三六八~一六四四)が滅んだ後に中華の伝統を継承したのは夷狄(いてき)=野蛮人たる女真族の清(一六一六~一九一二)ではなく、朝鮮なのだ、という思想である。ここに「文化自尊」というキイワードが誕生する」。

 老論が発明した「小中華パラダイム」は、もうすこし具体的につぎのように説明されている。「朝鮮が「中国から離れること」ではなく、「中国の真髄になりきること」によって中国を相対化しようという考えである」。「ここで「真髄」というのは、朱子学である」。「すなわち老論は朱子学を絶対化することによって、中国を相対化したのだ」。そうすることによって、「部分」にすぎない夷狄=野蛮人の清よりも、「数百年の間、全社会を朱子学化しようという変革に次ぐ変革の歴史を経験してきた文明国」で、「「全体」に限りなく近似している」朝鮮のほうが、「観念的に上位であることは明らかだ」。

 このことを理解していれば、「「文明=文化自尊」の思想を強く持っていた朝鮮が、こともあろうに二十世紀になって日本の植民地に転落してしまった。この衝撃は、想像を絶するものがある」ことがよく理解できる。「日本(倭)こそ野蛮(非文明)の典型的な存在だったからである」。

 ドラマだけではない。上記のように、具体的事例をあげて説明されている部分では、それぞれ学ぶことが多かった。とくに東アジアの中国・朝鮮・日本を「文明論的な自己意識を<2・1・0>として把える傾向が強いこと」がわかった。「つまり、中国は自らを<2>と規定し「世界の文明的中心=中華」という自尊心の理念的支柱とした。これに対して朝鮮は自らを<1>と規定することによって安全保障上の戦略とし、また文明=文化的自尊心の中核とした。また日本は自らを<0>と規定し、中華=<2>からも小中華=<1>からも自由であるという点をもって「日本特殊論」の自尊的土台としたのである」。しかし、著者は「むしろ実態は逆であり、「中国=<2>」、「朝鮮=<1>」、「日本=<0>」という等式は恣意的で誤謬(ごびゆう)であった」と指摘している。

 全体として、本題とどのように結びつくのか、よくわからない部分が多く、抽象的な議論にはついていけなかった。そのような読者を対象としてか、「あとがき」は、「結局、この本で語りたかったことは、何だったのであろう」ではじまり、つぎのようにまとめてくれている。「ひとつの大きな断層がある」。「断層のこちら側は、東アジアの文明・文化の関係性に関して、それを<2・1・0>という運動として解釈するという地平である。「中国=<2>」、「朝鮮=<1>」、「日本=<0>」という固定的で図式的な関係が語られる」。「しかし断層の向こう側では、その<2・1・0>という運動は、文明や文化という概念を間違って認識したことによる誤謬(ごびゆう)である、と語っている。これはこの地域の為政者やイデオローグたちが自己のアイデンティティを強権的に塗り固めたものでもある。これに対抗して、<2・1・0>の運動を新しく解釈しなおすことにより、東アジアの隠された関係性があらわになって来、未来に向けて「新しい東アジア」を創造することができるのではないか」。「本書では、右のふたつの地平が語られているのだ」。

 そして、最後に「これからわれわれはどうすべきか」と問いかけ、つぎのように結んでいる。「東アジアの関係性が激変している今、文明・文化に対する旧来の定義によってこの地域を構築してゆくことはもはや不可能ではないか、と私は考えている」。「これまでとは全く異なる人間観、文化観、文明観が必要ではあるまいか」。「そのことを、本書では説いた。そしてその先に来るものを「多重主体主義」や<たましひ>などという言葉で提起したのが、この本なのである」。

 といわれても、やはりわからなかった。ごめんなさい。でも、わかることもあった。ありがとう。

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2009年04月21日

『アジア海賊版文化-「辺境」から見るアメリカ化の現実』土佐昌樹(光文社新書)

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 まず、タイトルに惹かれた。つぎに、各章のタイトル見て期待した。そして、カバー見返しの要約を読んで楽しみになった。

 各章のタイトルは、つぎのとおりだが、節や見出しからも、いろいろな現実を教えてくれるのではないかと期待はふくらんだ。
  第一章 アジアとアメリカ
  第二章 ミャンマーの海賊たち
  第三章 中国の海賊、そして文化とコピーの関係について
  第四章 ティーショップに霧深く-公共圏から見たアジア文化
  第五章 ポピュラー文化が切り開く通路-「韓流」が見せたアジア的交流
の可能性
  終章 空高く、あるいはビル群の隙間からアジアの明日を見つめる

 要約では、つぎのように書かれていた。「文化人類学者である著者は、ミャンマー、中国、韓国の内部へと分け入り、鳥の目と虫の目でフィールド調査する。そこで発見したものは、海賊版ネットワークによってハリウッド等のアメリカ文化が受容されている現実であり、ビデオショップや喫茶店に集う人びとの体制批判であった」。「それら、先進諸国からすれば「非合法」なものこそ、統制社会の中にグローバル化の風をもたらすものなのだ」。「今こそ、こうした事実をふまえて、古いアジア像を更新する時である」。

 その古いアジア像とされたひとつが、梅棹忠夫の「文明の生態史観」であった。具体的に、著者、土佐昌樹はつぎのように述べている。「「文明の生態史観」がもつ本質的な欠陥を克服しなければならない。それは、ユーラシアをあたかも完結した系のように取り扱い、その中での歴史的進展にだけ注目したところにある。南北アメリカ、オセアニア、アフリカとの相互作用がまったく図式から欠落している。とりわけ、北米との相互作用が抜け落ちているのは、二〇世紀以降の世界を語る上で致命的な欠陥であり、その点は著者も自覚していたことを後で語っている。しかし、アジアと日本の文化変容にとって、アメリカは副次的な要因として片付けるにはあまりに大きな存在である。端的にいって、アメリカを軽視したあらゆるアジア論は空論になるしかないだろう」。

 以上のことから、著者の意図はわかったが、読み終えて、わたしが期待したものとは違っていたことがわかった。わたしが期待したのは、アジア各国・地域で、「アメリカ化」がどのように具体的に受け止められ、そこからどのように独自の「発展」をしているのかという、きわめて近代的な発想からのものであった。しかし、具体的な事例は、要約にあるとおりミャンマー、中国、韓国が中心で、それも期待していたほど「内部へと分け」入っていなかった。著者が「あとがき」で述べている「過去一〇年くらいの間で大学の仕事や調査研究を目的として訪れた国と地域」としてあげている「韓国、中国、ミャンマー、モンゴル、香港、台湾、ベトナム、タイ、インドネシア、フィリピン、スリランカ、マレーシア、キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、インド、ドバイ、イランなど」は、とくに取りあげられているわけではない。

 そして、「古いアジア像を更新」するために、ハーバーマスの公共圏にはじまり、ターナー、グレーバー、コーエン、クリフォード、アンダーソン、アパデュライなどの理論を用いて説明している。著者は、「終章」の最後を、「途方もない創造性と途方もない矛盾を抱え込んだ相似形のようなアジアの諸都市が、活発な交流を展開しながらお互いの「文化」を競い合う時代に突入したわけであり、その未来に胸ふくらむばかりだが、放蕩の自己増殖による破局(カタストロフ)のシナリオも絶えずその出番を窺っているかのようである」と結んでいる。文化人類学者ではない者にとっては、近代を基本とした理屈より、近代の理屈では語れない具体的事例をたくさん挙げてほしかった。とくに「アメリカ化」の歴史が長く深いフィリピンを研究対象としている者にとって、「アメリカ化の現実」の意味するものが気になった。

 具体的事例をもっと知りたくなったのは、本書を読んで、つぎのような疑問が浮かんだからである。近代における「アメリカ化」とグローバル化時代の「アメリカ化」とは、どう違うのだろうか。アジアの「アメリカ化」とほかの地域の「アメリカ化」とは、違うのだろうか。アジアといっても東南アジアを含む東アジアとほかのアジアとの違いはあるのだろうか。「「公共圏」が生まれる」ということが、なにを意味するのか。近代を越えるという意味で、もっと具体的に知りたいと思った。


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2008年07月29日

『海を生きる技術と知識の民族誌-マダガスカル漁撈社会の生態人類学』飯田卓(世界思想社)

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 本書最後の第6章には、「研究者に何ができるか」という見出しがある。本書を通読すれば、著者飯田卓がつねに「研究者に何ができるか」を自問自答しながらフィールドワークをおこなっている様子がよくわかる。本書の「目次」は、章と節のタイトルまでしか書かれていないが、項まで書かれていると、本書の全体像と著書の意図したことが、より具にわかったことだろう。

 著者の姿勢は、「序章 漁民文化の潜在力」のつぎの文章からもわかる。「私は、フィールドの人たちからローカルな現実を学ぶと同時に、ローカルな生活感覚からかけはなれたグローバル化状況をも認識していかなくてはなるまい。現在のように専門化していく学術環境のなかで、それは容易でないだろう。しかし本書では、それを試みようと思う」。そのような学ぶ姿勢をもつ著者だから、「終章 グローバル化のなかの自然」は、「われわれ日本人は、経験に裏打ちされた知識を回復するうえで、ヴェズの人びとに多くの学ぶことができるはずである」という文章で締め括っている。

 著者は、ヴェズとよばれる「マダガスカルの漁民たちが海と交際する作法にとくに注目」している。著者が、「海を人格化し、人びとが海と交際しているという表現を」使う理由は、つぎのように説明されている。「じっさい、マダガスカルの漁民にとって、海はたんなる自然環境でも労働の場でもない。それは同時に、行動を選択するうえでの助言者であり、各人のプライドを維持してくれる評定者であり、隣人たちと経験を共有するうえでの仲介者である。つまり海は、個性や社会性の源泉という意味でも、人びとの生活に深く関わっている」。そして、著者の最大の関心事は、「さまざまなタイプのコミュニケーションが世界規模で拡大していくなかで、あいかわらず海と向き合いつづけている人たちにどのような可能性や潜在力が残されているのか。こうした問いを軸に議論を展開するなかで、メディアに媒介されない自然に関わる人びとにもう一度目を向けなおす」ことである。

 このような姿勢、関心事・注目点のもと、著者は具体的に2つの本書の目的をあげている。「海が水産資源をはぐくむことは、よく知られているし、理解もしやすい。これに対して、海が(正確には、海とつき合いつづけることが)無形資本をはぐくみ、漁民の自活力を保障するかどうかは、それほど自明でない。このことを明確に示すことが、本書の第一の目的である」。第2の目的は、「グローバル化状況におけるローカル社会の変化を記述することが、さしあたっては重要」であり、「無形資本とはいっけん関係なくみえる事項も含めて、海と人との関わりを広くとらえること」である。

 ヴェズとよばれる人びとは、7世紀にインドネシアのカリマンタン島を離れ、海洋民バジャウの助けを借りて、マダガスカル島まで長距離航海をおこない定住した。ヴェズということばは、バジャウの訛化だとされている。たしかに、本書で描かれている舟や航海術、漁法は、東南アジアのものと共通している。しかし、人の顔はすこし違うようにも見える。ヴェズとは、出自に関係なく、漁撈など、海で生活するために必要なふるまいを身につけていることだという。「泳ぐこと、カヌーを製作し、操縦すること、航海のための日和を見ること、魚を捕獲し、食べ、売ること、そうしたことをうまくこなすことで、人はヴェズになることができる」。このアイデンティティのあり方は、海洋民や遊牧民など、流動性の激しい人びとと共通している。先天的なものではなく、「積極的に学ばなければならない」ものである。したがって、定着農耕民社会のように民族は固定したものではなく、しばしば発生し、消滅する。

 このように「海を隣人とみなし、海の表情を読み解き、海のポテンシャルを知悉して、次つぎと漁法を編みだす漁民たち」は、漁業資源を求めるグローバル化のなかで、サメ刺網漁、ナマコ・イセエビ潜水漁などで潤ってきた。これまで、かれらは長距離の移住や農業への転換などをほとんど経験せずに、外部世界からの影響に対応してきた。そこには、かれらの優れた技術と豊かな漁場があった。そして、漁業規制などもあまりなかった。それが、いま、漁業資源の枯渇や政府による介入の問題が発生するようになった。著者が、「研究者に何ができるか」と問いながら、調査をおこなったのも、もはやかれらだけで対処できる状況ではなくなってきているからである。

 「研究者に何ができるか」の項では、著者はつぎのように結んでいる。「現代の資源管理論では、漁民と外部者の対話にもとづく共同管理の枠組みが主流であり、さらなる対話が必要だという私の主張に一致しているようにみえるからである。しかし、実際に私が主張したいのは、共同管理が想定するような対話を実現する前に、はるかに困難な対話が必要だということである。共同管理において対話の相手となるのは、資源管理の専門家などであるが、その前段階の対話では、漁民の生活や文化に精通した者が積極的に対話をリードしなければならない。私自身が適格かどうかは別として、そうした前段階での対話においてこそ、人類学者が本領を発揮できるように思う」。

 そして、「終章」では、つぎのように読者に問いかけている。「文化人類学にせよ生態人類学にせよ、地理的に遠い場所での調査にもとづくことが多いためか、その研究成果は、日本の読者にあまり関係ないと思われがちである。しかし、ヴェズ漁民の社会からも、日本社会に住むわれわれは多くのことを学べると私は思う。ヴェズの人びとは、周囲の人びとや自然との具体的な関わりを保ちながら、世の中のあらゆる動きに対処しようとしてきた。いっぽう日本社会では、さまざまなメディアをとおして情報を取得できるかわり、隣人や自然との関わりが一貫して衰退してきている。このように、ヴェズ漁民社会と日本社会では状況が著しく異なっているが、だからといって問題を共有できないのなら、われわれは、個人化が進む社会状況のなかで孤立していかざるをえないだろう。そうなるよりむしろ、取り組むべき問題の共通性を重視して、われわれは連携していくべきではないだろうか」。

 グローバル化が進む今日、地球上のどこかで起こったことが、われわれの生活に直結する可能性がある。他者の問題を、自分にもつながる問題ととらえることによって、グローバル社会の問題は解決へと向かうのかもしれない。しかし、そのつながりは、普通見えない。見えないつながりを見えるようにすることが、「研究者ができる」ことではないか、と本書を読んで思った。

 蛇足。「序章」の最初のパラグラフを読んで、読むのをやめようかと思った。「2001年12月24日。・・・クリスマスの午前中をすごした」とあった。日本人の多くは、クリスマス・イヴをクリスマスと勘違いしているかのように「祝う」。たんなる誤植かもしれないが、このような記述があると、読者の信頼をまったくなくしてしまう。文章を書く者として、他人事ではない。わたしも、なんどか編集者に救われたことがある。気をつけよう。

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2008年07月22日

『漁民の世界-「海洋性」で見る日本』野地恒有(講談社選書メチエ)

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 「終章 日本文化の基層としての「海洋性」」は、読みごたえがあった。著者、野地恒有の「海洋性」論に、引き込まれていく。それまでの第一~五章の具体的な事例で、のんびりした海辺の情景を楽しんできただけに、その落差は大きい。そして、その海辺の情景が「終章」に収斂して、論理的に語られる。

 著者の「海洋性のとらえかたは、柳田[国男]や宮本[常一]や北見[俊夫]のそれとは根本的に異なっている」。「私は、海に由来していそうな事例群を海洋的要素としてあげて、それらを南から来た海民が運んで伝えた跡と解釈したのではない。そもそも、こうした海民は海洋的要素を運搬し伝道する者という見方については第四章で否定した」。「海洋性とは、日本が豊かな海に囲まれ抱かれることによって、そしてそこに住む人々が海を意識することによって、歴史的に後天的に育まれてきた性格である。海洋性は、渋沢敬三や桜田勝徳が言ったように、地域漁業の実態と海産物消費の習俗との相互関係によって作りだされ支えられてきた特徴である(第一章)。そして、私は、海洋性とは海から来るものとの交流や交感によって維持され活性化されてきた社会や文化の特徴であり、そこから抽きだされた仕組みや論理のことであるとした」。

 そして、著者が「なぜ田植えのときにイワシを食べるのか」「山村でも神事の供え物には海の魚を使うのか」と問うて、「日本文化の基層としての海洋性」を明らかにしていった背景には、著者独自の「定住」の考え方がある。「漂泊の対極にイメージされる農耕を営んで土地に縛りつけられているだけが定住ではない。漂泊は非農業民と結びつけられるが、漂泊的に見える彼らの活動も定住のさまざまな様態の一つをあらわしているともいえる。定住にはいろいろなかたちがあるのだ」という。さらに、つぎのように説明する。「定住ととらえたからといって、陸や農耕を中心とする考えかたにとらわれているのではない。海(海洋性)で見るというのは、「陸=定住」に対する「海=漂泊」の視点を提示することではない。海(海洋性)から陸(定住)をとらえているのである。そしてそこから析出されたのが、ゆるやかな定住という姿である。ゆるやかな定住からいえば、漂泊民は実在しない」。

 日本は、「ゆるやかな定住」社会であるという結論を導き出した著者は、その共通した特徴をつぎのようにまとめている。「一つには、漁撈技術の専一性である。移住漁民は、得意とする技術に専一化してスペシャリストとして、移住先の地域のなかに自らのポジションを作りだしていく。しかしそれが継続不能になったとき、その技術を捨ててそこに居続けようとするのではなく、その技術が実行可能な別の地域に移動する、という選択肢を持っている。マイナス要因により従来の生活形態を続けることができない状況に陥ったとき、その地域のなかで自らを変えて対処するのではなく、従来の生活形態を維持するために次の定住地を求めて移動することを選択しうるのが移住漁民の生きかたである。定住を続けている移住漁民はいつか移動しようなどと考えながら生活しているわけではない。しかし、彼らが専一的な漁業をおこなっているということは、つねに移動の可能性が用意されているということである」。

 ここに稲作農耕民社会とは違う「もう一つの日本」がある。ということは、本書でいう「海洋性」とは、日本だけでしか通用しないことなのだろうか。本書で紹介された「漁民の世界」は、国民国家日本の成立過程と密接に結びついている。基層にある海洋性が、近代国民文化として顕現化したときを、著者は的確に捉えたということなのか。流動性のある「海洋性」が、日本という枠組みでひとつの文化を創ったということができるかもしれない。本書は、「海洋性」を触媒として、どのような文化が生まれたのか、世界的な規模で考える好事例を提供したといえる。そして、大切なことは、陸の基準で海を見たのではなく、海の基準で陸を見たことである。

 本書では、国境を越える「海洋性」の記述はほとんどない。日本という社会・文化を「海洋性」という視点でとらえたにすぎず、「日本」という大前提のもとで議論され、「海洋性」そのものが考察対象とされたわけではない。しかも、陸とのかかわりで「海洋性」を見ている。したがって、日本の「海洋性」を支えた人びとは「漂泊民」ではなく、「定住者」の一形態だと結論した。「陸」と「海」の共存・共生という考え方からだろう。従来の「海」にかんする研究は、「海」を陸に従属するものとしてとらえるものが多かった。本書のように、「海」を「陸」と対等に見る見方は少なかった。さらに、「海」のもつ自律性に注目する研究は、ようやくはじまったばかりだ。本書の「ゆるやかな定住」という考え方は、流動性が激しくなってきている現代社会を考えるにも、有効であるように思える。

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2007年05月08日

『舟と港のある風景-日本の漁村・あるくみるきく』森本孝(農山漁村文化協会)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 盆地育ちで、山が見えないと落ち着かないわたしには、海は別世界のものである。著者、森本孝と同じく、わたしも1980年代から90年代にかけて、瀬戸内やインドネシアなどの島じまを歩いた。日本の海辺は、近代になって騒がしくなった面影を残しながらも、また静かになっていた。本書でも、その様子がよく伝わってくる。

 本書の内容の紹介は、帯に書かれた佐野眞一氏と赤坂憲雄氏の推薦の辞をあげれば、充分だろう。「これは、民俗学者・宮本常一が主宰した伝説の雑誌「あるく みる きく」の常連執筆者だった若き日の森本孝による珠玉のエッセイ集である。森本は高度経済成長が本格的な軌道に入る直前の日本の漁村を、下北半島から沖縄の糸満まで歩き、見て、聞いた風景を抱きしめるように書きとめた。どのページからも潮風の懐かしい匂いと、われわれが忘れてしまったもののかけがえのなさが痛切に伝わってくる。本書を読む者は、それを身につまされる思いで感得することだろう。 佐野眞一」

 「七〇年代半ばから、宮本常一の教えを受けた一人の若者が、列島の舟と港のある風景をもとめて、<あるく・みる・きく>を実践した。漁船と漁具の収集のための旅。こまやかな眼差しが、小さき者たちの豊饒なる世界をとらえた。多様な海の暮らしと生業。多様なルーツや歴史を抱いて、移動をくりかえす海の民。丸木舟による磯漁も、家舟の暮らしも、記憶のかなたに遠ざかる。痛ましい忘却を越えて、未来へとささやかな希望が託される。やがて、これは伝説の書へと成り上がる。 赤坂憲雄」

 「あるくみるきく」というのは、だれにでもできそうで、できるものではない。「あるく」のは、どこをどのように歩くのかが、ポイントとなる。「みる」のは、いつ、どのような角度から見るのか、「きく」のはだれから、なにを聞くのか。経験を積めば積むほど、その難しさがわかってくる。訊かれた人がほんとうのことを話してくれるとは、限らない。その社会にはその社会の「掟」があり、簡単によそ者に話してくれないことがある。ほんとうのことを話してくれても、聞くほうが理解できないこともある。本書から、著者は「あるくみるきく」「術」をもっていたことがわかる。たとえば、著者は丁寧に舟のスケッチをしている。寸法をとり、材質など、細かくメモをとっている。それを見て、漁師のほうから声をかけてくる。「話がわかる人」だと、思われたのである。日常生活の苦労話は、なかなかよそ者にはわかってもらえない。だから、よそ者には話しても無駄だと思って、訊いても答えてくれないことがある。その漁師は、そういう「日常生活の苦労話」がわかってもらえることを、著者のスケッチから読みとったのである。

 本書で書かれていることは、わたしが歩いた海域東南アジアとの共通点も多い。山のなかで舟を造っていたり、漂流物が生活のなかで重要な位置を占めていたりしているところは、同じである。しかし、大きな相違点は、陸にどれだけ頼っているかだろう。「海の民」といってもさまざまで、一般に語られるのは、陸に依存をしたり、陸と接点をもったときの姿である。「海の民」の自律性が語られることは、あまりない。とくに本書で語られている「失われつつあるもの」とは、その自律性だろう。そして、著者が1970~80年代に見た日本の海辺の風景を、ある意味で海域東南アジアでは現在も見ることができる。海の文化は、日本だけでなく、世界中から失われつつある。本書で描かれた時間と空間を相対化することで、「風景」をもっと奥深く読みとっていけるだろう。

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2006年09月12日

『越境と抵抗-海のフィールドワーク再考』小川徹太郎(新評論)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 国民国家の枠組やそれを支えた近代の制度・イデオロギーに縛られない人びとや社会に目を向けたのが、44歳で急逝した著者、小川徹太郎であった。その反骨心は、つぎの1節にもっともよく表れている。「過去のイメージや諸々の価値観や観念は、常に権力構造を通じて産出されるため、支配者や勝利者の安定状態に都合のよいイメージや観念が支配的になる傾向があるが、そこには必然的に弱い立場に立たされるものの声や記憶の抑圧や無視が伴う。このような支配と不均衡の構造のなかで、歴史記述者や知識人は相対的に弱い立場に立たされるものの側に立とうとするべきであり、そこから支配的なイメージや観念をこばみ、それを産出する構造を問題視し、無視され黙殺されがちなことを表象し、記憶に蘇らせる作業につくべきである」。

 著者がこのように考えるようになった背景には、「現場の知」がある。その現場で、著者は「漁をする老漁師たち」との会話から、「帳面・図面・暦・字画・字等々といった「書かれたもの」を中軸として形成される、工場、学校、「経済連」といった組織、あるいはその具体的な動きとしての「免許」制度に主として社会的な圧迫のゆえんを見出す」。そして、かれらの日常生活を、「文字の権力に対する身体の抵抗」として捉えた。

 著者の特色は、「現場の知」を時間や場所を越えて理解しようとしていることだ。「文字の権力」といいながらも、文字から得られる知識もどん欲に吸収している。著者にとって、「文献もまた民間伝承の一形態であって、しかもけっして固定的なものではない」からである。そこには、偉い学者の書いた研究書や役人の書いた公的な文書の優位性はない。それらも、「路上のたまり場」で語られる雑談と同等の「資料」である。著者にそれを気づかせたのは、「漁師や魚商のおじさん、おばさんたちとの付き合いを続ける中で」の「日々の生活を繰り返すことそのものから生ずると思われる迫力とか底力のようなもの」だった。

 このような権力に立ち向かう生活者の観点から、社会構造全体との連関を理解しようとしていた著者に、フィリピンでの漁村調査は、その観点が間違っていなかったことを確信させた。フィリピンは日本よりはるかに国家権力が弱く、自律した生活と社会がある。著者を驚かせた極小コンビニ「サリサリストア」の存在は、けっして近代経済学や社会学では理解できないものであり、人びとの日常生活から理解する民俗学が扱うテーマだった。

 著者が「民俗学」という学問に危機を感じ、「現代民俗学」運動の核として「歴史表象研究会」を立ち上げたのは、「この先、民俗学者はこのまま文部省、文化庁、電通の庇護のもとに、「大衆」と共にどこにもない「日本」を捏造しつつ、求め、さまよい続けるのであろうか。その行為そのものが「喪失感」の表出であることに気付くこともなく」と感じただけではないだろう。著者のように1980年代に日本で調査をはじめた者は、民俗学の将来を考えると、絶望的な現実を知った。当時はまだ明治生まれの古老から、いろいろな話を聞くことができた。古老たちは祖父母の世代から聞いた話も、話してくれた。明治維新以前の話だ。ところが、学校教育を受け、新聞や雑誌を読んでいる村のインテリである大正生まれは、「文字に書かれたものを多く記憶し、口伝えの話を忘れてい」た。否、知らなかった。日本の国のことや世界のことは知っていても、身近な自分たちのムラのことがわからなくなっていた。宮本常一が明言したように、「古老たちの聞き書きを中心にして資料採集する時代は過ぎ去った」のである。著者は、口から聞くことができなくなった「民俗」を、身体から理解しようとした。漁師が身体で覚えた漁の活動は、著者の期待に反し、あっけなく終わってしまった。それは、漁師にとってごく普通の日常だったからである。

 本書のタイトル「越境と抵抗」は、著者自らがつけたものではない。著者が「生み出した歴史表象研究会の五人の共同編集」のなかで、著者が「夢見ていた「現代民俗学」運動の核に据えうるシンボル」としてつけられたものである。著者自身の運動は、未完に終わった。しかし、本書の構成と「解説」から、著者の志は、同年代の仲間によって引き継がれていったことは確かである。そして、本書の章タイトルまわりに配された、リュックを背負った著者のフィールドでの姿を見るたびに、心新たに「運動」の行く末を考えることだろう。

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2006年04月04日

『語りべの海』森崎和江(岩波書店)

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   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 学生のときに読んだ本から感銘を受け、その本の著者の密かなフアンになった経験は、だれにでもあるのではないだろうか。そして、後になって読み返して、がっかりすることもあったのではないだろうか。自分自身が進歩したからである。ところが、本書の著者は違う。学生のとき『からゆきさん』を読んで、ホンモノだと思った。当時は、フェミニズム運動がさかんで、戦前に東南アジアに渡り、老齢期を迎えた日本人売春婦「からゆきさん」のことをとりあげたノンフィクションが話題になり、映画化もされた。しかし、本書の著者は、地道に地方新聞などを読みあさり、地元の人の日常生活のなかで「からゆきさん」を語り、話題性を越えたものを感じさせた。それから30年たっても、『からゆきさん』は読みごたえがある。そして、この新刊を読んで、この30年間の自分の進歩のなさを思い知らされた。

 2週間前のこの書評ブログで、「読むこと」「観ること」「共に生きること」の重要性を書いた。著者の森崎和江さんは、それをずっと実践して、書いている。「観ること」は「読むこと」を確認することでもなければ、補足するものでもない。「観ること」は「共に生きる」ために必要なことであり、「共に生きること」のために「観ること」をしようとすると「読むこと」の重要性に気づく。この3つの相関関係がわかって実践することは生やさしいことではないが、本書の3章のタイトル「漁民の声」「潮風に吹かれて」「交流の海へ」を見ただけで、それが実践されていることがうかがえる。

 本書の内容をもっともよく表しているのは、つぎの1節だろう。「私は海沿いの旅をしつつ民俗研究者の書を読みあさっていた。そして、波津や鐘崎の海女舟の人びとと出会い、漁業の生ま身が放つ実相を靄の彼方に感じるかに思った。が、その出会いから間もなくだった。海女唄が消え、海も陸も一変した。溢れ出す情報の中で消えてゆく森林。里山。開かれる居住地。移住する市民とゴミの山。私も移り住む。しかし、移りゆく時代の中で人びとは生きる。個々に新たな旅立ちに直面しながら。苦しみを乗り越え、試練の海に向かう。二十一世紀の海を、陸地を」。宗像に移り住んでから著者は、「それぞれの浦を、そして内陸を、散策してたのしんで来た。宗像大社や神宝館をはじめとして、各地の社や海の神や田の神、そして民間伝承の神々に合掌して暮らす地元の声に耳を傾けては海を眺め空を仰ぎ、今日に到っ」ている。

 「福岡県北部地方の玄界灘を川向うに渡った中学校長の長女として十代後半」まで朝鮮で育ち、終戦の前年に帰国した著者には、九州北部から朝鮮半島にかけての海の世界が、ひとつの空間として見えている。宗像大社の秋季大祭のみあれ祭には、宗像七浦の漁船約400艘が巡行する。宗像三女神、沖ノ島の沖津宮の田心姫神、大島の中津宮の湍津姫神、田島の辺津宮、つまり宗像大社の市杵姫神が、年に一度集う。大漁旗をなびかせた漁船は、前2女神が海を越えて大社にやってくるのを警護する。これらの漁船は、宗像七浦に限られていない。この海上パレードは、写真で見ても、ビデオで見ても圧巻である。もともとこの地を地盤としていた海人・海士の阿曇族の世界が、再現されているかに見える。著者は、この文献ではなかなかわからない朝鮮半島につながる海の世界を、からだ全体で感じ、一つひとつのことばに凝縮して、詩で表現している。

 そんな著者のことを、逆に漁民はしっかり観ていた。家族船に招かれて海を眺めていた著者に、船長はつぎのように声をかける。「ほら、海の中。見えるやろ、はつしろ。あんた、よう書いとった。何回も何回も読んでね、あの波津の人の話はよかったな。なかなかあそこまで書いてあるとは、なか。そのはつしろがここ。この海の底」。

 本書を読むと、学者振って、「臨地研究」だの「空間論」だのと言っていることが、恥ずかしくなってくる。

 本書を読んですぐに、たまたま対馬に行く機会があった。1日早く出発して、2時間ほどしかなかったが、著者の住む高台の下をバスで通って宗像大社に行った。宗像も対馬も、歴史と文化がすくなくとも3度書き換えられたと感じた。古代大和朝廷の誕生とともに天皇家の神話に組み込まれ、明治政府の成立とともに国家神道と結びつけられた。そして、近年、観光産業に利用されている。文書として重要なことを残さないのが、海洋民や遊牧民の世界の共通点である。モンゴル帝国も漢化して元王朝を築くまでは、文書を重視しなかった。現代のアルカイダもそうだという。文書として記録を残さない海人にかわって、大和朝廷も明治政府も、そして市町村の「観光開発課」も、海の世界を理解しないままに勝手に歴史や文化を文書として記録していった。海人の歴史や文化は、文字では表現されなかった。だから、耳をすませて聞くだけの知識と能力を身につけなければ、わからない。

 本書は、つぎのようなことばで終わっている。「私には鐘崎海女との出会いは救いの船だった。終戦直後に志賀島で志賀海神社の宮司に聞いた阿曇族は男海人、海士であった。当時の女性蔑視の国内状況から、どのような形で女性界を解き放てばいいのか、私は父母の対応する家庭の延長が日本だと思っていたのだ。日本探しはわが道探しである。生き直しの旅であった。海。その海を交流の海へと、わが老後を生きる」。

 「語りべの海」から学ぶことは、実に多い。

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